№728 蘇って欲しい ギリシャ

 今日は軽く行きます。
 ギリシャが深刻な通貨危機に陥り、欧州各国を中心に対応に四苦八苦というのが連日ニュースになっています。
 先日の総選挙で与党が大敗、しかし連立協議がことごとく決裂して来月17日に再選挙が行われます。
 そもそも選挙そのものも当然コストがかかる訳で、そんなに何度もやれる状況でもないはずと思うのですが、この再選挙の結果はギリシャそのものだけではなく、欧州全体の行く末も左右しそうで、極めて重要なものになりそうです。
 これに比べたら「AKB48総選挙」なんて、日本はノーテンキ過ぎるなぁ、と思うのは私だけ?

 15年前の1997(H9)年の12月、ギリシャに行った事がありました。

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 12月15日に乗車した、アテネ発→テッサロニキ行のインターシティです。
 といっても正直レベルは余り高くはなく、一応「食堂車」が連結されている事になっていたのですが、最後部のオンボロ車両で、しかも全く暖房が効かない。
 ギリシャというと南国というイメージを持たれるかもしれませんが、夏場はともかく冬の、しかも北部はとてつもなく寒いのに、まるで冷蔵庫。
 食堂車といっても実質は売店で、一応テーブルや椅子もあるけれど、とてもここで飲み食いできたものではなかった。
 終点に着くのも1時間20分の遅延だったが、この列車のみならずギリシャの鉄道全体がそうで、欧州全体(少なくとも西側)の中で、残念ながら最低レベルなのではないかと、感じずにはいられませんでした。

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 ただ余り知られていないと思うのですが、アテネから200㎞過ぎると、結構アルプス的なすごい車窓が展開され、雪の山腹を大スパイラルで越えたりして、見所はあったと思います。
 信号所で交換したアテネ行列車が、山腹に留まっているのが解るでしょうか。

 当時はまだユーロ自体が始まっていなくて、ギリシャの通貨はドラクマ。
(当時は1ドラクマ=約0.41日本円)
 私はパスを利用しましたが、アテネ→テッサロニキの2等車の運賃は4,100ドラクマ(約1,720円)と、距離からすると(少なくとも日本人の感覚では)激安でした。

 その後アテネは2004年のオリンピックに向けて鉄道網の近代化が進められ、アテネ市内では地下鉄の新路線にLRTまで開通したようでした。
 いつになるかは解らなかったけれど、再訪を楽しみにしていたのですが。

 ギリシャ国内は悪化する経済情勢を反映してか、この所少数民族への迫害など、不穏な空気に包まれているようです。
 今回の写真はこの2枚だけにしますが、15年前のギリシャの鉄道は問題も多々あったものの、思いの外魅力的な路線が多くありました。
 この先ギリシャ経済がどう転ぶか解りませんが、どうか穏やかな形で収拾が図られ、暖かく旅人を迎えられるような国に戻って欲しいと願わずに入られません。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 明日・明後日の更新はお休みです。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 今日5月26日は、日本海中部地震から29年になります。
 この地震では男鹿半島を津波が襲い、当時の小学生13人が犠牲になってしまいました。
 今日は遺族の方々が慰霊のため、海岸を訪れたそうです。
 来月書きますけれど、実はこの月曜日に由利高原鉄道を訪れ、黒沢駅に降り立った時、立て替えられた木造駅舎の待合室に、由利本荘市が作成した津波ハザードマップが掲げられていました。
 黒沢駅は海岸から遠いし、背後が山なので正直津波被害はイメージしづらかったのですが、一方でその日本海中部地震による津波災害を思い出して、油断ならないよなあとも思ったものです。
 その後、矢島駅の観光案内所での「おばこ」さんとの会話の中でもその話が出て、「川(子吉川)を遡ってくるから怖いわよ」と言われました。
 確かに昨年の大震災の津波災害も、津波が川を遡って被害を大きくしたという事もありました。
 でも、あんな穏やかな農村地帯が大津波で壊滅してしまうなんて、考えたくはないよなあと言うのが、正直な印象でした。

《今日のニュースから》
太平洋島サミット閉幕 野田首相 5億ドルの政府開発援助供与を表明

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