№645 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 2.東武太田駅(前)

 私鉄のダイヤを、特定の駅の時刻表から振り返ってみるシリーズの2回目、今回は東武鉄道です。
 前回の「私鉄の車両シリーズ」では800・850系を取り上げました。
 前回書いた通り、両系列は伊勢崎線の太田~伊勢崎と佐野線でワンマン運転を行なっていますが、加えて出入庫運用なのか、館林~太田の区間運転にも定期運用があります。
 そこで今回は太田駅を選んでみました。

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 太田市は群馬県の群馬県の南東部に位置し、埼玉県と栃木県に挟まれています。
 東武鉄道は伊勢崎線が貫き、この太田駅から桐生線と小泉線が分岐するという、館林と並ぶ群馬県下の路線網の要衝です。
 もっともどの路線も単線で本数が少なく、特急<りょうもう>もあるものの、普通列車は日中1時間に1~2回程度という、比較的閑散としたターミナルです。
 それでも2004(H16)年には高架化が完成、面目を一新しました。

 今回も過去のダイヤ改正の中から、ある程度重要かと思われる所をピックアップし、2回に分けて振り返ります。

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 まず、ちょうど四半世紀前、1986(S61)年11月1日改正のダイヤです。
 伊勢崎線は複々線化はまだ北千住~竹ノ塚のみ、一方羽生~川俣(利根川を渡る区間)が単線になっていました。
 この直前の10月9日に野岩鉄道が開業、日光・鬼怒川線の6050系快速電車が直通運転を始めていました。
 太田で言うと、<りょうもう>1800系、伊勢崎線からの通勤車はたまに10000系が入るものの8000系が中心、小泉線と桐生線は旧型電車の車体更新車3000系が幅を利かせているという時代だったと思います。
 貨物列車もまだ健在で、足利市経由より短い小泉線経由で走っていました。
 ダイヤ面では今とは種別体系が相当異なり、一般の通勤電車の主力は「準急」で、日中の浅草~伊勢崎の列車は東武動物公園~太田も主要駅のみ停車の「」、他が「」と2種類ありました。
 伊勢崎線上り6時11分発の準急が曳舟止まりになっています。
 当時の時刻表には連結両数の記載がありませんでしたが、館林で増結して10連になったものと思われます。
 浅草駅は10連が(今でも)入れず、当時は多少中途半端ですが曳舟での折り返しになっていました。
(休日は浅草行。北部は基本的に平日と休日はダイヤが同じ)
 それと当時は既に西小泉発→赤城行の直通があった他、伊勢崎~西小泉の直通の設定もありました。
<りょうもう>は当時は急行でしたが、停車駅は今より少なくなっていました。

 ちなみに浅草・北千住口では準急は日中1時間に4本のみの運転と、現在とは大違いでした。
(伊勢崎行「」、太田・羽生・東武宇都宮行「B」各1本ずつ)

 これ以降は太田そのものではなく、遠く離れた浅草・北千住口の線増や駅の改良がダイヤの変化をもたらしていきます。
 1987(S62)年改正で<りょうもう>増発。
 1988(S63)年8月9日の改正では、複々線区間の草加延伸に合わせて浅草・北千住口の準急が10分間隔に増発されていました。
 太田に関しては変化は少なかったものの、上りの準急」のパターンが変わり、太田で<りょうもう>待ち合わせ→加須で通過待ちに変わっています。
 1989(H元)年10月20日より、桐生線の相老が<りょうもう>の停車駅になっています。
(3月にJR足尾線がわたらせ渓谷鐵道に転換されていました)

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 1990(H2)年9月25日改正です。
●早朝の<りょうもう>を「ビジネスライナー」に指定。
 当時の東武の特急急行は定期券では乗車できなかったのですが、<りょうもう>の1往復で定期券での乗車を認めるとしたものです。
 まだ限定的でしたが、東武の優等列車にもホームライナー的な要素が生まれつつあった事を意味していました。
(他に浅草~東武宇都宮快速急行<しもつけ>も指定)
●ラッシュ時に各方面で増発されています。
 なお、5時52分発の準急が業平橋行になっています。
 これは業平橋の貨物駅の跡地に10連が折り返せるホームを設置、合わせて京成線押上駅に地下の連絡通路を設置して、日比谷線に集中しがちな乗客を迂回させて北千住駅の混雑を緩和しようというものでした。
 この跡地に、後になって東京スカイツリーが建設される訳です。
(なお、業平橋発着の貨物列車の廃止は1993(H5)年3月)

 この後、翌1991(H3)年2月より、<りょうもう>に200系が投入され、この後1800系を置き換えていく事になります。
(1800系は一部が300・350系に改造され、1992(H4)年より日光線の急行に転用)
 1992年9月には羽生~川俣が複線化されました。

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 1997(H9)年ダイヤ改正で、複々線の越谷延伸と、北千住駅の改良(本線と日比谷線を上下に分離)により、全体的には大掛かりなものになりました。
 また、土曜日は休日ダイヤと統一されています。
準急の停車駅に新越谷が追加された他、平日の朝方に北千住行が設定されました。
 10連の一部が折り返すものです。
 また太田発着では設定がありませんでしたが、曳舟で4両切り離しの浅草行の列車も設定されました。
<りょうもう>が下りも北千住に停車。
 「スペーシア」や300・350系の急行も全て停車になっています。

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 1999(H11)年3月16日改正では、<りょうもう>が200系に統一された事で特急に格上げになりました。
 初めて伊勢崎発着の<りょうもう>が設定されました。
 ただし当初は金曜と土休日のみの運転で、上りは線路容量のためなのか北千住止まり。
(次の2001(H13)年3月28日改正で浅草延伸)
 また浅草~太田で増発された他、加須・羽生停車の列車が増えています。

 21世紀に入り、営団地下鉄半蔵門線への直通運転の開始により、伊勢崎線のダイヤは大きく変化する事になりますが、それは次回書きたいと思います。

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