前々回・前回と、京成線の上野駅の時刻表から、過去20年位の京成線のダイヤの変遷について振り返ってみました。
前々回の時に「博物館動物園」という駅について簡単でしたが記しました。
博物館動物園駅は1933(S8)年12月10日、上野~日暮里間の地下線が開業した時、同時に開設になった地下駅でした。
文字通り東京国立博物館、上野動物園の最寄り駅となっておりましたが、一般の利用はほとんどなく、1996(H8)年3月31日をもって営業を休止(全列車通過)、最終的に2004(H16)年4月1日付けで廃止となりました。
山手線の内側に位置しながら、当時はなかった「秘境駅」という名前がピタリ当てはまるたたずまいの地下駅、休止の直前に訪れていましたので、ご覧頂きましょう。
出札窓口は、上りホームに1箇所存在しました。
環境が良いとはとても言えないと思いますが、日中のみの営業で乗客も少ないからこれで間に合っていたのでしょう。
元出札窓口、でしょうか?
かつてはここに、動物園帰りのお客さんが切符を買うために行列を成していた、という時代もあったのでしょうか。
下りホームへは階段を降りていきます。
上下ホームを結ぶ、連絡通路。
暗い。
下りホーム。
やはり暗い。
とても大手私鉄の駅とは思えない、どこか不気味さも感じさせる雰囲気です。
なお、上下のホームは若干ずらして設けられていました。
前々回の時には、「博物館動物園駅は4両分しかホームがない」と書きました。
実は4両分もなかったのです。
4連でも一番前と一番後はホームからはみ出してしまうので、ステップを設けていました。
あくまで転落防止のためで、ここからの乗降は考えられていません。
この駅の営業案内。
7時00分~18時00分の、4連の普通電車のみの停車。
それを踏まえた時刻表。
末期には上下43本(土休日32本)ずつのみの停車。
編成両数に左右されるため、日中は停車間隔が極めて不規則になり、最大1時間程(土休日だと1時間20分)停車がない時間があります。
動物園の最寄り駅らしく、ホームの壁には動物の絵が描かれていました。
これはペンギン。
そしてゾウ。
昔からのものなので、パンダはありませんでした。
窓口の横に掲げられていた、休止のお知らせの看板。
結局営業を再開する事はなく、上述の通り7年後には正式に廃止となります。
現在も通過する電車からホームを眺める事はできます(相当暗いけれど)。
異常時の避難誘導通路として残されている模様。
休止の時には惜しむ声や、反対の声も多少はあったようです。
ただ冷静に見ると、ホームが4両分にも満たず、といってわずか500人弱の利用者のために、隋道を削ってホームを延伸するとか、車両側にドアカット機構を新設するというのは、はっきりムダでしょう。
また、現代ではエスカレーターやエレベーターといったバリアフリーの整備も求められるし、駅の業務の面でも磁気カード(当時はまだ「パスネット」も始まっていなかった)・ICカードといった時代となると、その対応で莫大な投資を強いられる事になり、この先爆発的に利用が増える事が確実に見込まれるならまだしも、そんな事はありえないと判断されれば、やはり休止は止むを得ない選択だったのでしょう。
休止からまもなく16年、160㎞/h運転を誇るAE形が行き交うそのそばで、早すぎた「秘境駅」は、少しずつ忘れられていくのでしょう。
地上の入口は残されています(レリーフがある)から、そこに往年の姿を偲ぶ事にしましょう。
休止の直前には記念乗車券(5枚組)が発売されていますので、ご覧頂きましょう。
より詳しく駅のディティールが解かると思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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