昨日今日と二日間大阪方面に行ってきて、先ほど帰宅したばかりです。
伊賀鉄道と阪堺電軌がメインになるのですが、後日書きます。
「バスグラフィックvol.9」も昨年末には発売になっていましたが、取り上げるのが遅くなってしまいました。
「バスグラフィック」は定期雑誌ではなく、「NEKO MOOK」の一つとして発行されるので、次号予告などもないのですが、これまでの実績では3・6・9・12月の末には刊行されているようです。
今月は「小田急バス60周年」「リムジンバスの燃料電池バス」「ポスト新長期規制エルガ・ガーラ」「三菱ふそう・UD合弁協議破談」「京急バス羽田シャトル運行開始」のトピックスに続いて、第1特集は《LR333ララバイ》。
京成タウンバス
1984年にデビューしたキュービックスタイルの中型車(「ジャーニーK」との呼称があったが、最近はあまり聞かないと思う)も、エルガミオにモデルチェンジしてから10年強、いよいよ首都圏で見かける機会がかなり少なくなってきました。
ここでは、都内で残る事業者のうち、東京都交通局・京成タウンバス・羽田京急バス・京王バス東・東武バスセントラルについて取り上げられています。
鉄道雑誌をメインで刊行している出版社のムックらしく、形式写真がカラーでふんだんに掲げられて見ごたえがあります。
車内の写真も多く、京成タウンバスの右側のベンチシート、東武バスのシートの形状が、他社と大きく異なる所で注目できます。
また、番外編として、東武バスで大型車ながら中型に近いスタイルの2517号車(KC-LV280L)もあります。
なお、首都圏では他に小田急バスと東急バスも採用していましたが、東急はもう存在しない様子。
また小田急も一部が神奈川県に移籍して女子大の特定車に転用されているのみのようです。
一方、都営バスの新宿〔支〕車は、渋谷発着の〔渋88〕系統に運用される機会があるようです。
京成タウンバスは一部がカラーもそのままに、千葉交通に移籍しているらしいのですが…。
次がまたいすゞで《「キュービック」開発記》。
京成電鉄
「キュービック」がデビューした頃、私はまだ学生だったのですが、確かに今までのバスに比べて背は恐ろしく?高いし、独特のフロントスタイルもあって「とんでもないバスが出てきたものだ」と思わされたものです。
学校の先生 -当時はまだ珍しかった私のバス趣味を理解して下さった方でした…- も「不気味なバスだ(?)」とか言っていました。
引き続いて《キュービック最終章》と題して、都営バス(CNG)、東急バス、小田急バス(ノンステップ)の形式写真が並べられています。
15年続いたという事は、いすゞ中心の事業者だったり、そうでなくてもいすゞのみを配置する営業所だと、車庫の中にはキュービックしかいない、という事もあったのではないでしょうか。
(事実横浜市営の港北〔営〕は中型の配置がなかった事もあり、一般路線車ではCJM系の全廃後はエルガ導入までキュービックだけだったはずだ)
キュービックの設計コンセプトの展開は、意味は違ってくるけれど、今の日本の(特にノンステップ)バス造りにもぜひ求められる事ではないでしょうか。
外国のバスとしては、シンガポールで最後の活躍だという富士重5Eの特集《ガーデンシティの5E》。
12mの長さはもちろん、(№268でも書いたけれど)ひょっとしたら幅も日本より若干ワイドなのではないでしょうか。
でも車内は一部シート配置は違うとは言っても、一見日本のバスそのものじゃないですか?
だけど1993年というと、日本ではとっくに7Eになっていた頃で、なぜシンガポールは5Eのままだったのだろう。
モノコック構造という訳でもなさそうだし。
5Eから離れますが、シンガポールのバスって、案外盲点ではないですか?
隣国の韓国はユニバースの存在もあって大いに注目されているし、中国もそう。
一方でミャンマーなんて、日本の中古車が多数運用されている事で、Webサイトの世界でもあちこちで取り上げられています。
(「バスグラフィックス」自体、前号で取り上げた)
しかしシンガポールはチャンギ空港の存在もあって近代的というイメージもあり、日本人観光客も多いのに、バスに関してはどのメディアでも、Webサイトでもほとんど取り上げられていないような気がします。
ぜひどこかで、シンガポールのバス事情が紹介されればいいと思います。
羽田からも行けるようになったのだし。
(というか、私が行ってみましょうか?)
帝産バスと旧函館駅
後は白黒だけれど《北国のバス 雪解けの頃》も青森・函館を中心にしたバスの写真が豊富だし(岩手県交通の三菱ふそうMRの写真も)、《江若交通冬景色》も、古きよき頃の江若交通のボンネットバスが走るローカル線の写真が数多くて泣かせます。
豪雪の中でも多くの人々によってボンネットバスも路線も守られてきましたが、果たして現在はどの位の路線が残っているのだろう…。
士別軌道
最後にまたカラーに戻って《北海道青春バス紀行》。
第1弾として旭川電気軌道、名士バス、士別軌道が取り上げられていますが、まだバス趣味が本格的ではなかった頃に、しかも北海道という「果て」の地域の車両をよくもこれだけ撮っていてくれたと、感服するばかりです。
旭川電気軌道は、今私が本体で公開している車両でもそうですけれど、昔から長尺が標準だったようです。
旭川の街自体の道路事情がよい事もあるでしょう。
(一時期連接バスも走らせていた位だし)
一番泣かせたのはやはり名士バスだと思いました。
私もどこかで、1985年に撮影した、金産ボディの名士バスの写真を紹介しましたが(どこだったか忘れました、スミマセン…)、当時としても随分古い車両が残っているよなあと驚いたものでした。
あと、小さい広告板はあるものの、昔の地方のバス会社で良くみられた、ホイールベース間の大きな広告ペイントが3社とも一切ないのも好感が持てました。
車両そのものもさる事ながら、留置されている場所もローカル色も濃いなあ。
折込みポスターは、小田急バス60周年記念の復刻カラーのラッピング車。
正直やっぱり、本気出すなら全塗装でやってほしかったなあ。
次号の内容は未定ですが、ぜひ「バスラマ」や「バスマガジン」にはない、独特の切り口の記事を期待します。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
次回からは、先日のフランス旅行で訪れた、パリの6大ターミナル駅について連載し、その後私の目から見たフランスの鉄道及び鉄道旅行についてまとめてみたいと思います。
昨日今日の大阪への旅行は、その後。
《今日のニュースから》
米民主党議員演説会で銃乱射 6人死亡・議員重体
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