久々の「私鉄の車両シリーズ」、今日は小田急の4000形(旧)です。
現在の小田急で4000形といえば、№178で書いた、2007年にデビューした地下鉄千代田線直通対応のステンレスカーですが、ここでは1966年~1976年にかけ、旧型車の機器類を再利用して製作された初代車両について記します。
4000形デビュー以前の小田急の通勤車事情としては、20m4ドアの高性能車2600形が輸送力増強に貢献していました。
しかし一方で昭和初期製造の「HB車」「ABF車」と呼称された小型吊掛車が数多く残っていました。
輸送力増強のため2600形と同型の20m4ドアの大型車体を新製し、旧型車のモーター等を転用して製作されたのが4000形です。
機器を提供した旧型車両は合計で8形式に及びました。
ブレーキはAMMR-L、台車はディスクブレーキの円盤が露出したパイオニア台車が新製されました。
(一部は後に交換)
当初は2M1Tの3連で製作され、後に一部編成は中間にM車2両を組み込んだ5連になりました。
全92両が東急車輛・日本車輛・川崎車輛(川崎重工)で製造されています。
4001Fは1967~1968年に小田急百貨店開業記念塗装のゴージャスなカラーリングでで運行された実績があります。
1985年より高性能化・冷房化・編成替えを主とした大規模な改造工事が実施されました。
モーターは2400系の廃車再生品が転用され、台車は全て空気バネに統一、冷房は8000形と同じ分散形が採用され、車内に直接冷風を噴出す方式になりました。
3連・5連を4連・6連に組み替えるため大規模な編成替えが行われ、新宿方のMc車は電装を解除した他、Mc・Tc合計8両は中間車に改造されています。
側面には種別・行先表示装置が設けられました。
なお、小田急の非冷房車の特徴だった、乗務員室次位の戸袋部の通風板は、普通の窓ガラスに交換されています。
高性能化により、8000形・9000形・5000形などの他形式との連結が可能になり、長らく小田急線内の急行・準急など各種列車で使用されてきました。
(ただし箱根登山鉄道への直通は不可だった)
しかし、後継の3000形に置き換えられる形で2003年より淘汰が始まり、2004年に全車両が引退しています。
【編成】
←新宿・片瀬江ノ島方 小田原・藤沢方→
1:更新前(吊り掛け式時代)
Mc1 4000* - M2 4000* - Tc 4050
Mc1 4000 - M2 4000* - M3 4000* - M4 4000* - Tc 4050
2:更新後(高性能化・冷房化後)
Tc1 4050 - M1 4000* - M2 4000* - Tc2 4050
Tc1 4050 - M1 4000 - M2 4000* - M3 4000* - M4 4000 - Tc2 4050
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両2 小田急電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1991年7月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年12月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2010年1月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、東急の池上・東急多摩川線に配置が進む、7000系(新)について書きます。
ただし、明日は先日10月3日(日)に行われた、「バスフェスタ2010 in Yokohama」について書く予定です。
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また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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