今日もたぶんに政治的な事を書きます。
興味沸かないよ、という方はどうぞ読み飛ばして、明日の記事にご期待下さい。
明日は「バスで行くバス」第7弾を書く予定です。
なお、今日のテキストは、以前別のブログにコメントとして書いたものを基にして、加筆・修正しています。
あらかじめご承知置き下さい。
23年前の1987年4月1日、旧日本国有鉄道(国鉄)が分割・及び民営化され、JR旅客6社・貨物1社、関連して多数の民営企業が生まれたという事はご存知だと思います。
その際、旧国鉄に在籍していた全員の再雇用は不可能とされ、希望退職(先頃のJALのパイロットの問題も記憶に新しい所です)や、他の官庁等への移動の募集も行われた後、なおも国鉄に残った職員のなかからJRに採用される者の選抜が行われたが、その際、民営化に協力した組合(旧動労・旧鉄労など)の組合員が優先的に採用され、強行に反対してきた国労・全動労・千葉動労などの組合員は大半が採用されませんでした。
そして、以来四半世紀近くに渡って泥沼化した「採用闘争」が繰り広げられる事になります。
この民営化前後の経緯については、正直書くのも滅入るので、色々他のサイトやブログで探してみてください。
左右双方の立場で、「それなりに」詳しく書かれていますので…。
いちおう、ごく簡単に年表形式でその後の動きを記してみます。
1986年10月 国労の臨時大会で、「民営化やむなし」の執行部案が否決。執行部は総辞職し、国労は分裂。
1987年4月 国鉄分割民営化。JRに採用されなかった国鉄職員は旧国鉄清算事業団に移籍。
1994年5月 一部JR会社が、それまで地方労働委員会・中央労働委員会が行った「不当労働行為」認定・採用命令を不服として裁判を提起。
1997年12月 東京地裁が和解を勧告するが、JR側が拒否。
1998年5月 東京地裁が「JRに責任なし」の判決。不当労働行為があったとしても、それは旧国鉄が責任を負うもので、JRには関係がない事というのが理由。
1999年3月 国労が「国鉄改革法」容認を決定。
2000年5月~10月 「JRに法的責任なし」を受け入れる事を条件に、当時の自民・公明・保守・社民の4党がJRに解決を働きかける「四党合意案」が提起されるが、反対派の騒乱によって大会が3度に渡って流会。
2000年10月 東京高裁が国労側の控訴を棄却。
2000年11月 ILO(国際労働機関。国連の一機関)が「全ての関係者が四党合意案を受け入れるよう」勧告。
2001年1月 「四党合意案」提起後4度目にして大会で受け入れを決定。
2002年1月 「四党合意案」をあくまで否定する一派が、鉄道建設公団を相手取った訴訟を提起。
2002年11月 自民・公明・保守の各党が社民党に「四党合意案」の破棄を通告。
2003年12月 最高裁判所が国労側の上告を破棄。裁判による解決の道が断たれる。
2010年4月 民主・社民・国民・公明の4党が国労に和解金を支払う事で合意。
そして今日の和解の日を迎える事になった訳です。
本当はもっと複雑怪奇な出来事が数多くあるのですが、正直これだけ書くだけでも気が滅入ってしまう感じがします。
なお、国労の関係者全員が受け入れた訳ではなく、一部は裁判によるJRへの採用を引き続き求めているようです。
私はかつて関東地方の私鉄に在籍していました。
その私鉄の組合はかなりの左派で、「闘争至上路線」(という妄想)を標榜し、いつもストだストだ並べ立て、国労とも懇意にしていました。
何しろ組合本部の前には、国労から寄贈されたと言うSLの動輪が保存されている位ですから。
彼らは、あくなき闘争こそが全面勝利をもたらすものだと、常日頃から吹聴していました。
しかし、四半世紀近く…JR発足の頃に産まれた子供たちが新社会人になる位にまで成長しているわけです…もかけた闘争がこの程度の内容で終わったというのは、正直虚しさしか感じません。
そもそも、この長さ以上に、(国労にとっては)誤算が多すぎました。
中央労働委員会の裁定に対して、JR各社が訴訟に踏み切り、終始JR側のペースで事が運んだ事。
10年前に当時の「四党合意」を巡って、大会が3度も流会するという失態も起こし、その後も内紛や分裂が繰り返された事。
何より、この「組合差別」が、彼らの言うような「全労働者に対する政府・資本側の挑戦」という割には、世論はまるで社会問題として認識してくれませんでした。
それは、国鉄時代末期の「スト権スト」とか、「順法闘争」とかで、世論の信頼を失ってしまっていたからではなかったですか?
(あ、これらの闘争についても、詳しくは他のサイトなどで調べてください)
国労は国鉄解体に反対する理由として、「国鉄は国民の財産だから」と言っていました。
では彼らがやってきた事は、その国民の財産を預かり、運営するものとしてふさわしいものだったのか?
国労の活動家たちは、自分たちの痛みについて解ってくれと声高に叫びますが、自分たちが起こした行為による他人の痛みにはまったく無頓着でした。
今の国労の衰退は、結局は彼ら活動家たち自身が招いた事態だと思わざるを得ないのです。
解決金の額そのものについては私はどうもこうも解らないので何も言いません。
ただし、単に「出せ」と叫ぶだけなら、再び世論から総スカンを食らうかもしれません。
既に「税金から拠出するなどけしからん。」というブログもあるのですから。
問題は「JRへの再就職」。
今回の和解でも、JRへの採用までは強要はできないという事が前提になっています。
本来この闘争は金の問題ではなく、職場に復帰できるかどうかを最大の争点として争われていたと理解しています。
しかし、1047人には気の毒ではありますが、私は、多分JRへの再就職への道はもはやないと思うのです。
一度JRの存在自体を全否定し、組合員にJRへの就職はNOと回答せよ指示しておきながら(これは上の年表でも書きましたが、2000年11月のILOの勧告でも指摘されている事です。これも誤算。)、だけどJR=国鉄なのだから雇えというのは、世間一般には通らない話なのでは?
会社のために身を粉にして働いても切られる労働者も少なくない時勢なのだし。
仮に、ごくわずかでも採用が認められたとしても、それはもはや「闘争で得た勝利」と胸を張れる代物ではない。
JRに採用の義務なしと最高裁で確定している以上、それはJR各社による「お情け」の範囲でしかありませんから。
もし採用が認められたとして、その採用者はJRの発展のために働けますか?
従順・服従というのはないにしても、当然JR側は会社の経営への協力を強く求めてくるでしょう。
組織の存在そのものをハナから全否定するような者を採用する企業など、ある訳はないのですから。
あるいは国労(日本国有鉄道労働組合)自身、組織の名前から「国鉄」の二文字を削る位の事はしないと。
できますか?
それに特に運転の職場の場合、この間の各種の技術の飛躍が著しいのに、それに対応できますか?
例えば国鉄時代は皆無に等しかった「VVVF制御」とか。
この闘争、「勝ち負け」を言うのであれば、国労は11年前、既に「敗北」を認めているのです。
上にも書きました。「国鉄の分割・民営化を容認する」として。
それに反対するのがこの闘争の根幹だったはずだから、そんな事は口が裂けてもいえなかったはずなのです。
この問題はこの和解で一件落着とはなりえないと思います。
この際、国労をこれだけの窮地に陥れた原因が何だったのか、自らがが徹底的に総括し、世論の前で明らかにしなければならないのではないでしょうか。
場合によっては、スト権ストあたりからの、歴代の執行部の責任の追及も必要になるでしょう。
そこからこの問題が始まっていたと思えますので。
現代の日本も深刻な不況により、「派遣切り」などの深刻な雇用危機が叫ばれ続けています。
でも、もちろんそれに抗議する活動はさまざまに行われていますが、例えばヨーロッパなどで起きているような、都市機能までマヒさせるような動乱にまで至らないのはなぜなのか?
それは繰り返しになりますけれど、国労を初めとする、先に書いた「闘争至上路線」を標榜する組織や活動家たちが、自分本位の利益の獲得のために勝手な闘争を繰り広げてきた反動だと、私には思えてならないのです。
しょせん、普通の労働者は経営者に雇われないと生きてはいけないのです。
日本が資本主義である以上、これはどうしようもない事です。
もちろん労使は立場が違うし、「ここだけは譲れない」という一線があるのも事実です。
しかし、基本的にはやはり労使とも、お互いの立場を尊重した上で、このあまりにも不毛で、つまらない犠牲(物理的にも、精神的にも)が多すぎた闘争の結果を教訓に、平和的に物事を解決できる道を探して欲しいと思っています。
健全な労使関係の構築こそ、健全な公共交通の発展の礎です。
もし、今日書いたこの記事について何か意見とかありましたら、ブログ上ではコメントは受け付けない事にしていますので、当ブログの親である本体のサイト「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。
折り返し私なりの意見を基にした返事をしたいと思います。
よろしくお願いします。
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