№224 1985~1987年の国鉄バス

 5月に入ってからほとんど旅客機や鉄道の事ばかり書いていますので、今日は久し振りにバスについて書いてみようと思います。
 3月に大糸線キハ52の引退メモリアルとして、国鉄形DCについて3回に分けて書きました。
 その3回目の№165で「国鉄バスについても早い機会に書きたい。」と最後に記していたのですが、いつの間にか2ヶ月以上も経ってしまいました。
 遅くなりましたけれど、ここでわずかですが取り上げてみたいと思います。
 一番最初に乗った国鉄バスは、栃木県の鬼怒川温泉~塩原温泉を経由して西那須野に向かう塩原線でしたが、残念ながらお見せできるような写真はありません。
 なので、ある程度収入ができて単独の遠出が可能になった1985年から、国鉄解体の1987年初頭までの国鉄バスの写真をご覧頂きたいと思います。
 と言っても、この時代においても意外に写真を撮っていないのは悔やまれますが…。

1.1985年3月 北海道

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 初めて北海道に行った時。
 様似営業所での撮影です。
 左のスケルトンは多分527-4071(P-HT226AA)。
 右のモノコックは申し訳ありませんが解りません。
 現在は様似から広尾まで直通運転になっていますが、当時は様似側と広尾側で系統が分割されており、えりもなどで乗り換えになっていました。
 広尾にも国鉄バスの車庫があり、撮影もしたはずなのですが写真が見当たりません。
 ゴメンナサイ。
 もったいない話…。

 残念ながら北海道の国鉄バスの写真はこれ1枚のみ。

2.1985年9月 南房総

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 これは9月5日に安房白浜駅で撮影した、急行<フラワー号>。
 フロントガラスの内側に「フラワー号」と書かれたプレートがあるのが解るでしょうか。
 車両は537-4974(P-HU225AA)です。
 さすが観光路線用という出で立ちです。
 ただ、平日だった事もあってか、お客さんは少なかったです。

 
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 当時の館山では、国鉄バス1日乗り放題のフリー乗車券を発売していました。
 路線が書かれていますが、このうち館山~豊房~長尾橋、千倉~安房白浜は、館山日東バスに譲渡されています。
 また、安房神戸~小沼も、安房神戸~東光寺前を残して廃線になっています。

3.1986年5月 近畿

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 1986年のゴールデンウィークに関西に行ってきた時の撮影で、多分5月3日です。
 高雄・栂ノ尾の折返し場所に待機しているのは、534-3473(K-MP118M)です。
 路線はさらに周山へ、さらに当時はその奥にも多数の支線が延びていましたが、京阪神ミニ周遊券で乗れるのはここまででした。
 追加で運賃を払ってでも、もっと奥へ乗りに行くべきだったかなと、ちょっと後悔もしています。

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 それで、これが当時の京阪神ミニ周遊券です。
 現在の周遊きっぷの「京阪神ゾーン」でも、利用できるJRバス(高雄・京北線)の区間は同じです。

4.1986年9月 中部

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 この年の秋は東京から名古屋へ東名ハイウェイバスの特急で向かい、名古屋で泊まった翌日は国鉄ローカル線を、途中バスをはさんで乗り継ぐという旅をしました。
 これは9月16日に、東名のどこかのSA(足柄か浜名湖、どっちだっただろう?)での休憩の時の撮影です。
 744-1904(K-MS504R)です。

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 これは翌17日、越美北線の終点、九頭竜湖駅前での撮影です。
 越美南線(長良川鉄道)の美濃白鳥とこの九頭竜湖を結ぶ大野線は、当時は北線側の大野〔営〕が冬季を除いて運行していました。
 当時のダイヤでは1日2往復でした。
 車両はちょっと番号が読みづらくて申し訳ないのですが、331-6008と書かれているのでしょうか。
 BA20Nと推測します。
 大野〔営〕はこの年一杯を持って廃止、美濃白鳥~九頭竜湖は南側(JR東海→JR東海バス)の美濃白鳥〔営〕に引き継がれてシーズン中のみの運行になります。

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 名古屋から東京へ向かう時の片道乗車券で、国鉄バス大野線を組み込んでいます。
 当時はこういう乗車券を作ることができたのが魅力でした。
 経由地に馴染みのない駅も記載されていますが、要は

名古屋 → (中央本線) → 多治見 → (太多線) → 美濃太田 → (越美南線) → 美濃白鳥 → (国鉄バス大野線) → (越美北線) → 福井 → (北陸本線) → 糸魚川 → (大糸線) → 松本 → (中央本線) →東京

というルートになります。

5.1987年2月 九州
 なんと、国鉄解体を目前に控えたこの時期になって初めて九州入りしました。
 自分でも随分遅いなと思ったものです。

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 鹿児島本線の国分駅前。
 懐かしの「バス窓」車ですが、531-5402号車。
 さすがに民営化の前後のあたりでリタイアになったようです。

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 豊肥本線の肥後大津からの山鹿線。
 334-8414(MK115H)です。
 行先表示は「山鹿温泉」ですが、実際にはさらに福岡県の瀬高まで直通で走りました。
 この路線はこの19年後に廃止になり、九州産交と熊本電鉄が引き継ぎましたが、最近福岡県内区間が廃止になったそうです。

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 これは、博多駅と直方を結ぶ高速バスでした。
 西鉄との共同運行でしたが、既に運行されていた西鉄の路線とは別ルート。
 3往復ずつ、6往復の運行でした。
 車両は644-6923(P-MS715N)。
 後ろには一般路線のキュービックが見えます。
 篠栗線電化前でしたが、あまり人気がなかったのか、民営化の後廃止になったようです。

 しつこいようですが、やはり残した写真が非常に少ないのが残念でなりません。
 当時は「いい旅チャレンジ20,000㎞」キャンペーンで、鉄道線乗りつぶしの方が中心だった事も事実です。
 何よりも、いくら民営化されるとはいっても、これ程急激に路線がなくなるとは、当時は考えもつきませんでした…。
 JRバスに限りませんが、今残っているローカル線バスは、できるだけ撮って、何より積極的に利用しましょう。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)




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