№188 バスグラフィック Vol.6(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィック」の第6号が先月発行されました。
 相変わらず昔の写真がテンコ盛り。

◆BUS GRAPHIC TOPICS 立川バス2題。
 以前にも書いた「リラックマバス」2号車デビューと、入れ替わるようにキュービック中型系(KC-LT333J・K711号車)の引退。
 後は日産ディーゼル→UDトラックスの社名変更。
 ちなみに、上尾市内にある東武バスの「日産ディーゼル前」バス停は、まだ名前が変わっていません。

◆続・「1984」東京路線バス写真図録 相も変わらず凄いなー。
 Vol.5の時に「京急・関東・京成あたりが並んでいれば良かった。」と書きましたが、今回はやってくれました。
 車両もさることながら、方向幕に書かれている行き先や系統番号、さらには撮影場所自体、時の流れを感じさせる部分が多々あります。
 西東京バスだと、「石川」へ行くバスは系統がまったく変わっているし、八王子駅の「国鉄」の2文字も懐かしい。
 京成は奥戸〔営〕(現在は高速バスのみになり、一般路線は京成タウンバスに分社)の車両が「〔新小71〕新小岩駅」の幕を掲げているけれど、奥戸持ちのダイヤもあったのでしょうか?
 京王の中型レインボーが掲げている〔宿42〕系統は、今は存在しません。
(経由地の「花見橋」は、今は〔渋64〕系統の早朝・深夜の一部が通過するのみ。)
 中型車を使用するとは、どんなルートだったのでしょうか。
 西武バスは、青梅〔営〕はもちろん今は存在しないし、青梅駅への乗り入れ自体ありません。
 昔は日向和田の方まで路線があったようですが。
 西東京バスも大幅に少なくなり、今現在青梅駅前に乗り入れる路線バスは、都バス以外では西東京バスの〔青20〕系統(青梅駅~小作駅西口)のみ。

 それにしても、前号から通じて全体的に感じるのは、

「1980年代が、東京の路線バスが一番エキサイトしていた時代だった。」

という事。
 1970年代の旧型車がまだまだ健在の一方で、スケルトン構造の新型車も幅を利かせ始めていて、ボディメーカーの数も多かったし、非常にバラエティが豊富。
 私も「あと10年早く生まれていればなあ。」と思いました。

◆春の予感は 路線バスとともに… 多摩地域の、桜並木の下を走る路線バス。
 京王バス(当時は京王帝都電鉄)が過渡期で、キュービックのフロントに旧社章が掲げられる一方で、CJMは「KEIO」のロゴになっていたりします。
 1991年3月の撮影という事ですが、もう新カラーもお目見えしていたはずですが、まだ数は少なかったようで、ここでは1枚も見られませんでした。

◆大団円 京成・初代連接バス 幕張を走っていた初代連接バス(ボルボ)の最後の記録。

画像

 「バスグラフィック」らしく、各部のディティールを中心にふんだんに写真が掲載されています。
 当ブログでも少しですが、№150で書いていますので、良ければご覧ください。
 なお、巻末には折込ポスターが組み込まれ、初代連接車の両サイドの写真が掲げられています。

 「番外編」でつくば万博の「スーパーシャトルバス」も取り上げられています。
 日本初の連接バスで、万博中央駅~万博会場を結んでいました。
 運行はいくつかの事業者に委託されていたようで、後部車体の裾に小さく書かれている運行会社を見ると、680号車は茨城交通、697号車は千葉交通と書いてあるようでした。

 連接バスからは離れますが、一般車両による万博輸送も注目。
 関東鉄道が2台、茨城観光自動車(2001年5月に廃業)が1台掲げられていますが、その写真の端には茨城オートや茨城交通、そして東武鉄道のカラー車(クリームと紺色のツートンカラー)の姿も見えます。
(当時は東武も茨城県内にかなり路線があった。)
 会場近辺だと国鉄や大利根、日立電鉄あたりは関わっていなかったのでしょうか。
 もし記録があるのなら、ぜひ特集でやって欲しいと思いました。

◆日野スケルトン・バスものがたり  日野自工開発担当主査として、スケルトンバスの開発に関わった根本直樹氏が語るエピソード。
 軽妙な語り口で読ませてくれます。
 面白いと思ったのは、高速道路上でのテスト走行では、いかに秘密を保持するのか(SAで休憩のため停車するので、どうしても人目に触れてしまう。)、というのと、後の三菱バスフォーラムの「三菱エアロバス勝利宣言」の下り。
 そうか、だから初期のエアロバスのヘッドライトの上には「INDEPENDENT SUS」の文字があるのか。
 それにしても、K-RS360Pのボディの、なんとシンプルで美しい事。
 これを読んで少し思ったのですが、今のバスの開発で、少し足りないものがあるとすれば、キザったらしく言えば

「情熱」

なのかな、という事。
 今のノンステップバスも今一つ完成度が低い事がたびたび指摘されていますが、これも設計する者が、どこか「逃げて」しまっているからかも知れない。
 数々の困難を乗り越える「情熱」こそが、今のバス業界に求められるものではないでしょうか。

◆平成ボンネットバス物語 -陽春- 東海バスの「伊豆の踊子号」。
 昔は2台あって、専用ダイヤで運行されていたようですが、現在は休日に一般路線車のダイヤに入って運行されています。
 残念ながらJTB時刻表上では判別できません。
 見開きページで後ろに国鉄色をまとったボンネットバスがいますが、茨城の個人による動態保存車という事です。

◆日立電鉄 早春賦 日立電鉄のバス部門は変遷が多く、現在は日立電鉄交通サービスで運行されていますが、ここでは鉄道が残り、バスが直営だった1985年2月の写真がモノクロですが多く掲げられています。
 モノコックの4枚折戸は、確かに採用例はあまり思い浮かばないですね。
 都心でさえなかったのですから。
 やはり日立関連の工場を多数抱えていた事があるのでしょうか。
 電車もラッシュ時には編成がかなり長くなっていたようですし。
(一方で日中はワンマンの単行だった。)
 しかし、当時は方向幕が小さいのに、ずいぶんたくさんの経由地や路線名を詰め込んで書いていること。
 今は日立駅前でも、大型車は全然見かけなくなりました。

◆あの頃キミもバスも若かった- 前回までとは一転、今度は1970年代後半の関西のバスです。
 大阪市営は、ユニークなボディが多いですね。
 キャプションで、バスだけでなく、マイカーの解説が多いのが目につきました。

◆太陽たちの咆哮 川崎市内を走っていた、東芝の従業員送迎バスのカタログ。
 堀川町工場と小向工場の間で走っていたようですが、見たことはあったかなあ…。
 しかし全部で22枚も掲載されていて、これは圧巻です。
 全車両が一度に使われていたのではないでしょうが。
 社歴もオリジナル車両もあれば、近郊の営業車両の中古もあり、1ドアもあれば3ドアもあり、車種も4社を平等に導入していて、営業事業者顔負けのバラエティがあります。
 でも、工場間の連絡だけで、これだけのバスを使用する程の需要があったのでしょうか。
 さすが東芝という事でしょうか。
 なお、堀川町工場の跡地は、今は「ラゾーナ川崎」や西口北バスターミナルになり、バスターミナルからは東急の小向工場行直行路線が発着します。

 次回刊も大いに期待。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

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