№186 1997年12月20日 Tu-154搭乗記

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 日本時間の今日夕方、ポーランドのレフ・カチンスキ大統領とその一行を乗せたツポレフTu-154型機(政府専用機)が、ロシア西部のスモレンスク州で着陸に失敗して墜落、地元のメディアの報道によると、生存者はいないという事でした。
 スモレンスク州では、ソ連の秘密警察が、ポーランド軍の捕虜を虐殺したとされる「カチンの森」事件があり、同大統領は、70周年の追悼式典に参加するため、同地を訪れる途中だったという事でした。

 ツポレフTu-154は、1968年以降ソ連が製造を続けていた中距離旅客機で、ボーイング727とよく似たデザインですが、一回り大きくてメインギアが3輪という違いがあります。
 垂直尾翼の鋭く突き出た…これ、何ていうんだろう?アンテナ?…が、いかにもソ連をイメージさせます。
 あくまで外観だけですが、個人的にはB727よりこちらの方がカッコ良く見えると思っています。
 共産圏を中心に多数使用されてきましたが、老朽化が進んだ上に、西側のハイテク機に押され、さすがに姿を見かける機会が、かなり少なくなってきました。
 日本では、シベリアへ行く路線の機体を新潟あたりで見る機会がありましたが、やはり最近はほとんど見られないそうです。
 ポーランドには、民間航空会社の一つにLOTポーランド航空があります。
 「スター・アライアンス」に加盟していて、いまや機材はすべて西側です。
 民間航空が西側の機材になっているのに、政府の専用機はTu-154を使い続けてきたのですか…。
 一部にはかなりの老朽機だとも言われていますが、今回の事故とは関係があるのでしょうか。

 さて、日本人でTu-154に乗った事がある人って、どの位いるだろう?
 先に挙げた新潟からの路線で利用された方は多いと思いますが、欧州域内線で利用された方は、それ程多くはないのではないかと思います。
 実は、私は約12年前、1997年12月20日に、搭乗した事がありました!
 大分昔ですからあやふやになる部分も多々ありますが、当時のメモ書きを元に、簡単に回想してみたいと思います。

 いきさつとしては、決して狙っていた訳ではありませんでした。
 ギリシャに旅行に行っていた帰り、列車だけでギリシャ北部のテッサロニキからブルガリアのソフィア、ルーマニアのブカレスト・ハンガリーのブダペストを経由して、オーストリアのウィーンから帰国の途につく予定でした。
 ところが、ギリシャ(ストリモン)・ブルガリア(クラータ)国境のパスポートコントロールが共に酷く時間がかかり、結果ソフィア到着が5時間以上遅れ、ブカレスト行の夜行に乗れなくなってしまいました。
 正直定時運転など、ハナから期待していなかったですけれどね…。
 それで、帰国便のことを考えると鉄道の旅は続行できず、追加の出費が非常に痛かったけれど、ソフィアで一泊した後、翌日空路でダイレクトにウィーンに向かうプランに変更せざるを得ませんでした。
(そういえば、映りが非常に悪かったホテルの部屋のTVでは、長野オリンピックの聖火の採火の模様が伝えられていました。)

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 ソフィア空港のターミナルは、駅前のホテルからタクシーで約15分。
 ブルガリアではUSドルが通用し、20ドルでした。
 ターミナルはご覧のように、(共産圏らしく?)狭くて薄暗く、航空券の発券も何だか案内所の窓口のような感じで、日本のようなフレンドリーさはありません。
 ただ、チェックインカウンターのおばさんの応対は良かった。
「Have a nice flight.」の一言は、素直に嬉しかったです。

 利用するのは、バルカン・ブルガリア航空(LZ)461便、ウィーン経由アムステルダム行。
(LZは後に経営が破綻、現在はブルガリア航空が後を継いでいます。共産圏のナショナルフラッグだって、破綻する事はあるのです。)

 この時点で、どの形式に乗る事になるかはわかりませんでしたが、実は、個人的にはソ連機に乗ってみたいなあと思っていました。
 ターミナルにはボーディングブリッジがなく、全てバスで移動する事になります。
 すでに西側のB767などの姿もありましたが、バスはTu-154の脇に停車しました。
 ラッキー…!?

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 機体の中央部からタラップで一斉に乗り込みます。
 席につくと、シートピッチははっきりいって狭い。
 それと、背もたれが前に倒れるのがビックリ。
(軍事での運用も考えられたという話ですが、本当かどうかは不明)。

 出発間際、西側では当然行われるエマージェンシー・デモが行われませんでした。

 悪天候でしたが、離陸はスムーズ。
 ウィーンに向かって北上していきます。

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 窓の外の景色はこんな感じ。
 どこを飛行中かはちょっとわかりませんでした。

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 で、これがその機内。
 あと、今では考えられないはずなのだけれど、コックピットのドアがひたすら開けっぱなしになっていましたね。

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 機内食もサービスされました。
 プラスチックのパックで提供されたのには意表を突かれました。
 でも、メニュー自体は西側と変わらないと思いました。
 ブルガリアといえば何といっても「ヨーグルト」。
 当然機内食でもサービス(左上)。
 アプリコットのヨーグルトでしたが、舌触りは日本と比べて少しあっさりした感じだったと思います。

 飛行時間約1時間20分で、ウィーンのシェベヒャート空港に到着。

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 ウィーン空港のターミナルは、ソフィアから来た身には、まるで別世界。
 とてつもなく斬新に思えました。

 ソ連機の旅は、今の所後にも先にもこの1回のみ。
 共産圏のエアラインも、もはや大半が西側機へのシフトを進めていて、今後もソ連機に搭乗できる機会があるかどうかは、ちょっと解からないですね。
 後は、ロシアになってから開発された旅客機あたり(Tu-204など)なら、搭乗する機会も生まれるかもしれませんけれど。

 ここで、以前撮影したTu-154の写真をご覧頂きたいと思います。

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マレヴ・ハンガリー航空 HA-LCU
 1996年の確か6月、スイスのチューリヒで撮影。

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ウラジオストック航空 RA-85849 
 これは2006年の5月21日に、新潟空港で撮りました。
 新潟線は既にTu-204が主力になっていたようですが、Tu-154が飛来する事もまだあったようです。

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プルコボ航空 RA-85770
 2004年6月19日、パリのシャルル・ド・ゴール空港での撮影。

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シベリア航空 RA-85699
 ドイツのフランク・フルト・アム・マイン空港で撮影しました。
 いつ撮影したのかはすみません、忘れました…。
 現在は「S7シベリア航空」として、「ワン・ワールド」に加盟申請中です。

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高麗航空 P-553
 現在の県営名古屋空港に、チャーター便で来た時に撮影しました。
 Tu-154に限らず、いつか高麗航空を日本で再び撮影できる日は来るのでしょうか。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)


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