今日はターミナルではなく、滑走路(16R)の端にある「さくらの山」に行ってきたのですが、いやー、凄い人でした。
いくら快晴の日曜日だからって、この人だかりは何だ、と思っていたら、今日は凄い「ゲスト」が来たんですね。
それと、先月28日の発着枠拡大と同時に、滑走路の運用方の変更も行われたらしく、16Rは着陸機が非常に少なくなっていました。
その辺も含めて、今日の事は、後日写真が出来上がり次第書きたいと思います。
何しろアナログなので、時間がかかる事はご容赦下さい。
今日は旅客機ではなく、鉄道について書きます。
久し振りの「私鉄の車両シリーズ」、今日は過去の車両になりましたが、秩父鉄道3000系です。
秩父鉄道では1959年より、自社オリジナルの300系による有料の急行<秩父路>が運行されてきました。
しかし、老朽化が進み、非冷房車でもあった事から、1991年にJR東日本より165系3連3本を購入、3000系に改造して置き換えました。
旧国鉄165系は、153系をベースに山岳路線向けに改良を施された急行型で、モーターの出力を上げ、抑速ブレーキを装備しています。
普通車の他にグリーン車とビュッフェ車も製作され、中央本線<アルプス><赤倉>、上越線<佐渡>、東北本線<なすの>、東海道本線<東海>等、直流区間の急行で主力として活躍してきました。
しかし、相次ぐ新幹線の開業や急行の特急格上げ等により、大半の車両が本来の役目を失い、国鉄時代末期から淘汰が進められてきました。
国鉄民営化後はJR東日本・東海・西日本の本州3社に受け継がれましたが、一部を除き、普通列車で使用されるケースが大半でした。
民営化の前後に「ジョイフルトレイン」への改造が行われた車両もあります。
派生の系列として修学旅行用の167系、碓氷峠越え対応の169系があります。
秩父鉄道では譲渡後、自社での運行条件に合わせた改造を行いました。
分割・併合は行わないので正面は貫通扉を埋めて非貫通形とし、扉上の行先表示装置に代えて、中央部に幕式の列車名表示装置を設けています。
前照灯は尾灯と一体の角型とし、上部にはフォグランプを新設してイメージチェンジが図られました。
車体のカラーは、「青い空・白い雲・清流」をイメージした、ホワイトとブルーのツートンカラーに改められています。
編成の中間車となるデハ3100形(元モハ164)は集電容量確保のため、パンタグラフを1台増設しました。
抑速ブレーキは撤去されましたが、代わりにデッドマン装置や耐雪ブレーキの設置が行われ、保安度が向上しています。
なお、モーターの出力は120kw→105kwに落としています。
車内は165系時代と変わらないクロスシートですが、座席のモケットや化粧版の張替えを行い、仕切りの扉は自動化されました。トイレはすべて撤去されています。
300系の2編成に対して3000系は3編成となったため、<秩父路>の増発が実現しました。JRから急行運用が消滅して以降も、急行形本来の役目を果たしてきましたが、2005年になり、3000系自身が老朽化したため、元西武101系を改造した6000系に置き換えられる事になり、2006年にさよなら運転を行って引退しました。
私事ですが3000系には、既に6000系がデビューして完全置き換えが見えていた、2006年3月に乗車した事があります。
車内が結構きれいに改装されていて、「このまま置き換えられるのは少々もったいないな。」とか思ったものです。
【編成】
←三峰口方 羽生方→
Tc 3200 - *M 3100* - Mc 3000
* パンタグラフ
今回の記事は
「国鉄車両形式集3 直流系電車 特急・急行編」(山と渓谷社)
「鉄道ピクトリアル10月臨時増刊号 新車年間1992年版」(鉄道図書刊行会)
「ローカル私鉄車両20年 東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、これも既に引退しましたが、のと鉄道のNT100形です。
ただし、明日は違う事を書く予定です。
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