千葉ニュータウンと都心を結ぶ鉄道は、北総開発鉄道(現北総鉄道)が1979年3月に北初富~小室間を開業させた後、1984年3月に当時の住宅・都市整備公団が小室~千葉ニュータウン中央間を開業させました。
運営は北総開発鉄道に委託されましたが、このとき公団自身が製作・保有する事になったのが9000形です。デビュー当初は2000形と呼称していました。
2000形は、基本的には北総7000形と同じ仕様のステンレスカーですが、正面は特徴的な「ゲンコツ」形だった7000形と比較しておとなしいスタイルになりました。
側窓は大小3つを並べたユニットタイプで、大窓は最初から開閉が可能になっています。
制御方式も7000形と同じく回生ブレーキ併用の界磁チョッパで、台車も同様の空気バネになっています。
ただし、補助電源装置はMGからSIVに変わりました。
車内は、座席はオレンジとエンジに分けられた2-4-2の分割タイプのロングシート。
吊革とカーテンは最初から設けられています。
冷房装置は集中式となりました。
デビュー当初は両端をTcとする4M2Tの6連で、北総線の都心側が未開通だったため、北総車と共に新京成線の松戸まで相互乗り入れを行っていました。
京成高砂~新鎌ヶ谷間は1991年に開業、都営浅草線から京急線への直通運転が始まる事になりました。
これを前に中間車2両を組み込み、8連化が実施されました。
また、京急線内では先頭車は電動車両でなければならないため、Tc車とM2車で台車を交換、両端をMc車とする、6M2Tの8両編成に改めて直通運転に備えています。
なお、直通運転開始後の1994年に形式を9000形と改めました。
京急に快特用の2000形が存在し、形式名が重複するためです。
新京成線松戸への直通は同年に終了しました。
住宅・都市整備公団は1999年に組織改変で都市基盤整備公団に改められましたが、2004年には都市再生機構への改変に伴い、車両・施設は京成電鉄が設立した千葉ニュータウン鉄道に譲渡されました。
ただし、車両には「北総鉄道」のプレートが掲げられています。
引き続き都心・羽田空港直通列車を中心に運用中です。
ただし、北総7000形と同じ下回りで最高速度が105㎞/hに制限されており、現状では特に京急線内では他列車の足を引っ張っている面が否めません。
今の所置き換えの計画はないようですが、老朽化も進んでいますし、北総側でも「成田スカイアクセス」開業が迫っています。
数年のうちには置き換えの計画が浮上するのではないでしょうか。
【編成】
←京成高砂方 印旛日本医大方→
M2c 9000 - *M1 9000* - T 9000 - M2' 9000 - M1' 9000* - T 9000 - *M1 9000* - M2c 9000
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻 等
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは都電荒川線の7000形です。
ただし、明日は違う事を書く予定です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)