№165 キハ52引退メモリアル 80's国鉄型DCグラフィティー 3

 寝台特急<北陸>、急行<能登>がついにラストランを迎えました。
 昨日の上野駅の模様が今朝のニュースでも放映されていました。
 かなりの人だかりだったようですが、トラブルなどがなかったようなのは幸いです。
 それにしても、もはや皆「デジカメ」とか「写メ」という時代なんですねぇ。
 今日はJRグループダイヤ改正日。
 身近な所では、横須賀線に武蔵小杉駅が開業しました。
 詳しくは後日見に行ってみたいと思います。

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 さて、今日は昭和から平成の世になった1989年の写真をご覧頂きます。
 JR各社でもそろそろ新型車が矢継ぎ早にデビューするようになります。
 DCの世界ではJR東海が一番早く、この年には特急〈ひだ〉用のキハ85に続き、JRグループ初の一般型新形式DC・キハ11がデビューしています。
(その前年にはJR九州が〈オランダ村特急〉の運行を開始しているが、183系。)
 ただ、他のJRでは、新形式のデビューは特急型・一般型共、ほとんどが1990年代になってからでした。
 したがって、まだまだ国鉄型DCの活躍は続く事になりますが、会社によってはエンジン換装、冷房化などが進められる事になります。
 それと、そろそろJRでも、前年の大湊線(東日本)等に始まった、ローカル線のワンマン化が本格的に進められるようになってきました。

1.1989年1月
 昭和から平成の世になったばかりで、日本全国に重苦しいムードが漂う真っ只中というのに、なんと初めて四国への旅に向かいました。
 瀬戸大橋開通後でしたが、行きの宇野→高松はあえて民間のフェリーを利用したものです。
(今年になって一旦廃止を表明したものの、当面は運行を継続する事になったようです。)
 国鉄時代は「急行王国」と呼ばれた四国では、この当時もまだ急行が数多く運行されていました。

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JR四国 キハ47
 土讃線のキハ47+キハ20。
 どこの駅で撮影したかは失念しました。
 申し訳ありません。
 先頭のキハ47は冷房改造されています。
 ちなみに、四国ながら寒地向けの1500番台です。
 なおJR四国では、前年に「本線」の呼称を廃止しているのですが、JTBの時刻表では「本線」のままでした。

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JR四国 キハ54
 キハ54は、国鉄時代の末期に北海道と四国に配置された新型車両ですが、北海道と異なり、バス風の折戸・2段窓・ロングシートと、かなり仕様が異なっていました。
 見た目にもかなり軽快に見えます。
 また、2両目も国鉄時代末期のデビューのキハ32です。
 どちらも、後にはJR四国統一カラーに変わる事になります。

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JR四国 キハ181
 四国内の特急〈しまんと〉。
 先頭のキハ181は、先頭車改造の100番台。

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JR四国 キハ58系
 繁藤駅を通過する急行〈あしずり〉。
 キハ58+65…と続いているようです。
 ヘッドマークは健在ですが、四国色にはあまり合わない気もします。

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JR四国 キハ32
 キハ32も、国鉄時代末期に製作され、四国に投入された形式です。
 見ての通り、かなりの小型で、第3セクター鉄道のDCのようです。
 しかし、キハ20と併結しているのは、「国鉄型」らしいかな。
 デビュー当初は配置の地域によって色が異なり、撮影場所の徳島は写真の通り紺色。
 高知は赤で、松山はオレンジでした。

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JR四国 キハ185
 キハ185系も国鉄時代末期に投入された特急型。
 中間車のキロハ186もありましたが、運転台付・ドアが片側2ヶ所のキハ185が中心とは、コンセプトは急行型のそれに近いものでした。
 デビュー当初はグリーンでしたが、さすがに特急用という事か、民営化後すぐに四国色に変わったようです。
 高徳線の〈うずしお〉は、キハ185の2連でした。
 車内は北海道向けのキハ183 500番台に似ています。

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JR四国 キハ58
 高松駅での撮影。
 こういう色のキハ58もありました。
 どういう意図があったのでしょうか。
 四国には、他にも塗り訳が異なるキハ58系が多数見られました。

2.1989年2月
 北陸地方に行ってきました。

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JR西日本 キハ58系
 電化前の七尾線のキハ58系で、宇野気駅での撮影。
 6連の内、後部2両が国鉄色のまま。

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JR西日本 キロ65系
 大阪~和倉温泉の特急〈ゆぅトピア和倉〉。
 大阪~金沢は485系〈雷鳥〉の後部に連結されていました。
 七尾線電化時まで運行。
 七尾線の2枚はどちらも2月23日の撮影。
 昭和天皇の「大葬の礼」の前日でした。

3.1989年5月
 この頃のGWは、毎年遠出をするのが常でした。
 この年は、山陰ワイド周遊券を利用して、中国地方をグルッと一周。
 DC以外ではクモハ42や、一畑電鉄の旧型電車にも乗ってきましたが、これについては別の機会に。

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JR西日本 キハ45
 因美線のどこかの駅で、5月5日の撮影。
 国鉄首都圏色のままで、JRマークすらないのですが、キハ45だけの2連って、意外に珍しかったのでは?

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JR西日本 キハ58系
 美作河井駅を通過する急行〈砂丘〉。
 タブレット閉塞で、助手がタブレットをホーム上のタブレット受器に放り投げていました。
 もはや日本では見る事ができない光景です。
 この日はさすが子供の日という事もあって、沿線はどこも立派な鯉のぼりが泳いでいました。

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JR西日本 キハ53
 「やまたのオロチ」の木次線カラー。

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JR西日本 キハ40
 これは当時の境港線カラー、だったのかな?
 ただし、米子~出雲市の列車です。

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JR西日本 キハ58系
 キハ28+58の急行〈ちどり〉。
 たぶん備後落合駅での撮影だと思います。

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 ちょっと脱線しますが、米子支社発行の、〈ちどり〉のオレンジカードです。

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JR西日本 キロ58系
「ふれあいSUI-IN」。
 米子駅での撮影だったと思います。

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JR西日本 キハ28系
 キハ28には、こんなカラーもありました。
 これも米子での撮影だったと思います。

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JR西日本 キハ181
 特急〈いそかぜ〉。
 米子~博多の特急で、かつての京都~(山陰本線経由)~博多の特急〈まつかぜ〉の片割れです。

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JR西日本 キハ30
 山陰本線の支線・長門市~仙崎、そして1997年3月に廃止になった、美祢線の支線・南大嶺~大嶺のワンマン運転用のキハ30です。
 南大嶺駅で5月7日の撮影。

4.1989年6月
 再びは山陽・山陰へ。
 ただし行きはなんと、小田急バスの夜行高速〈エトワール〉。
 国鉄・JR〈ドリーム号〉及び東北急行以外の夜行バス(つまり3列シート車)を利用したのはこれが初めてだったのですが、これについては機会があれば別に。

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JR西日本 キハ40
 三江線用の「おさかな列車」。
 ただ、撮影場所は出雲市だったはず。

5.1989年10月
 SL〈やまぐち号〉にも乗って、山陰・山陽をジグザグに乗り歩きながら九州へ。
 九州に足を踏み入れるのは、民営化後は初。
 長崎から、初めて単独で飛行機に乗って帰るという旅でした。

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JR西日本 キハ40
 山陰本線(西部)の専用色だったようです。
 長門市駅で10月9日の撮影だったでしょうか。

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JR九州 キハ58
 香椎駅に停車中のキハ58。
 10月10日の撮影。

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JR九州 キハ58
 長崎本線ですが、どこの駅だったかなあ。
 
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JR九州 キハ58とキハ31
 喜々津~浦上の通称「長与回り」にある本川内駅。
 当時はスイッチバックでした。
 ホームが1面しかないので、普通列車同士の交換でも、片方は通過になります。
 写真ではキハ31が、普通列車ながら通過していきます。
 スイッチバックは2002年に廃止になっているそうです。

5.1989年12月
 暮れも押し詰まった12月、山形まで。
〈スーパーひたち〉とJRバス、それに板谷峠の50系に乗って、帰りは東北急行バスという小旅行。

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JR東日本 キハ58
 新潟~山形間の急行〈べにばな〉。
 新潟色です。
 塗分けが複雑。
 米沢から山形まで乗りました。
 山形で12月28日の撮影でした。

 以上、3回に渡って、1980年代後半、国鉄民営化前後の国鉄型DCのグラフィティーをご覧頂きました。
 写真が見苦しかったり、データがあやふやだったりしたのは申し訳なく思います。
 1990年以降、JR各社は特急型・一般型とも新型を導入、国鉄型を淘汰していきます。
 これらはもはや国鉄型との連結は考えられず、性能・アコモデーションとも完全に一線を画したものになりました。

 3回に渡って1980年代後半の国鉄型DCを特集してみましたが、いかがだったでしょうか?
 一般型については国鉄時代はもちろん、民営化以降もしばらくはオレンジ一色の「首都圏色」ばかりで、記事を作成している最中でも多少食傷気味になったのは事実でした。
 しかし、それが今「鉄」たちの追っかけの的になっているのだから、なんだか勝手なものだなあ…。

 さらに、この記事を作成する過程で、昔のアルバムを多数ひっくり返して見ましたが、DCばかりでなく、電車も、客車(特に50系)も結構写真があって、懐かしさ倍増でした。
 機会があれば取り上げるつもりですが、特に国鉄バスについては、早い機会にやりたいと思います。

 それと、この記事を書くに当たり、1989年の時刻表を取り出したのを機に、2009年10月13日にアップした「№51 JTB時刻表大研究 1989年」について、大幅な加筆を行いました。
 良ければ今一度見てやってください。
 それ以降の年についても、順次改定を行います。

 今回の連載を書くに当たっては、
「国鉄車両形式集・2 気動車」(写真・広田尚敬 山と渓谷社)
を参考にさせて頂きました。

 明日は「私鉄の車両シリーズ」に戻る予定です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

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