大糸線で国鉄色3色を復刻して運行されてきたキハ52が、明日を持って定期運用から引退します。
明日は平日ながらものすごい人になるのかも知れませんが、どうか何一つ事故もトラブルもなく、無事運行が終えられるよう願っています。
キハ52の引退により、1970年台までに製作された国鉄一般型DCは、JR線内では定期運用がほぼ消滅する事になります。
(後は久留里線のキハ30のみでしょうか?)
そこで、今日から3回はこのメモリアルとして、20年以上前、1980年代後半の国鉄型DCの写真を、多少の昔話を交えながらご覧頂こうと思います。
この頃の国鉄・JRでは、「いい旅チャレンジ20,000㎞」という、10年にも渡る大キャンペーンが行われていました。
詳細は省きますが、要は当時の国鉄・JR線を乗りつぶして行って、その路線数に応じて、賞状や景品がプレゼントされるというものです。
当時私もこのキャンペーンに参加していて、休みのたびに「青春18きっぷ」とか、当時存在した各種周遊券、及びジグザグにルートを組んだ片道切符を駆使して日本のあちこちに出かけていました。
そこで数多くの写真を撮影してきましたが、その中から国鉄型DCの写真を選んで公開いたします。
車両だけではなく、走っていた路線も、廃止になったり、第3セクターに転換されたり、逆に電化されたりして姿を変えた路線が多数あります。
その辺も交えて楽しんで頂ければと思います。
第1回は1985年~1987年前半、国鉄時代末期です。
※ 画像は全てモノクロの絹目写真をスキャンして加工したものです。
なので、いつも以上に見苦しい画像が多いと思います。
※ 当時は詳細なメモを残す事はほとんどしなかったため、撮影日・撮影場所の記憶が相当あいまいになっています。
共に予めご了承下さい。
※ ここでは一応、国鉄時代の設計のDCを全て対象とします。
なので、特急型や、国鉄時代末期に北海道・四国・九州向けに製作された形式も取り上げます。
1.1985年3月
初めて北海道に行った時。
意外にも当時は、写真を多数撮影する、という事はしませんでした。
後に廃止になった路線も多く、もう少し沢山撮っていれば、という後悔はあります。
キハ183
たぶん網走駅での撮影。
キハ40 100番台
宗谷本線だったと思います。
100番台は北海道向けの仕様で、窓が二重の一段上昇窓になっています。
キハ22
北海道ではポピュラーだったキハ20系の北海道仕様。
撮影は確か、廃線になった名寄本線の支線の終点・湧別駅ではなかったかと思います。
スミマセン。
当時の北海道で見てもらえるような国鉄型DCの写真はこれだけです…。
第2回以降、JRになってからの写真を多く出す事にします。
2.1986年5月
この時は、国鉄線乗りつぶしの他、関西の大手私鉄線にも多数乗ってきた、という旅でした。
私鉄については別に機会があれば、という所で。
キハ28(58)
たぶん5月1日の撮影。
片町線の長尾駅です。
当時の片町線は、長尾~木津間が非電化で、急行型を初めとするDCが1~2時間に1本程度運行されているだけ(平日16往復・休日14往復)のローカル線に過ぎませんでした。
207系が東西線を経由して、神戸や宝塚の方面に直通している現在からは想像しがたいのですが、当時の関西地域の国鉄を象徴する姿と言われていました。
この区間が電化されたのは、JRになった後の1989年の事です。
左は103系です。
3.1986年9月
名古屋まで東名ハイウェイバス、そこから国鉄バスを挟んで越美南北両線に乗り、大糸線から帰るという旅でした。
国鉄バスについては、またの機会に。
キハ48+キハ28
今は第3セクターの長良川鉄道に転換した越美南線の終点、北濃駅。
9月17日の撮影です。
キハ48はキハ40系の片運転台仕様ですが、キハ47の存在もあって、少数派に終わっています。
キハ23
一方、こちらは越美南線の終点、九頭竜湖駅で出発を待つキハ23。
キハ58
今日・明日は大いに盛り上がるに違いない、大糸線南小谷駅で9月18日の撮影。
当時は北側のDC列車も、白馬・信濃大町まで直通がありました。
JRになった後も、災害で長期間運休になるまでは続けられたようです。
右は165系ですが、急行〈アルプス〉ではなく、普通列車です。
4.1987年2月
なんと、来月で国鉄も終わりという1987年も2月になって、ようやく初めて九州の地に足を踏み入れました。
既に民営化に向けた動きが、車両の面でも現れていました。
キハ52他
豊肥本線のどこかの駅だったはずです。
既に民営化後をにらんでか、白地+青帯の「JR九州カラー」になった車両が、前の年から現れ始めていました。
キハ65他
久大本線の急行〈由布〉。
キハ40
大隅線の、たぶん大隅境駅での撮影だったと思います。
違っていたらゴメンナサイ。
大隅線は、この後約1ヶ月後の3月14日、民営化を見る事無く廃線になりました。
右側に見える黄色の張り紙が、廃線の「お知らせ」です。
キハ58他
指宿枕崎線の快速〈いぶすき〉。
見た感じではキハ58+65+58のようです。
キハ31
キハ31は、国鉄時代末期に九州向けに製作された軽快タイプのDCです。
ステンレスボディに一段上昇窓、バス風の折戸など、だいぶそれまでの国鉄型DCとは様相が異なっていました。
車内も、転換クロスシート(新幹線0系の再生品らしいが。)が並んで、それなりに豪華ともいえます。
ただ、見た感じではキハ47+58(28?)と連結しています。
この点は、やはり国鉄型らしいかも知れません。
(JRになってからの新形式 … キハ125やキハ200 … は、国鉄型との連結はできません。)
筑豊地域のどこかでの撮影です。たぶん。
キハ66他
筑豊地域のエース、キハ67系。
常にキハ66+67のペアで運用し、新幹線接続の快速を中心に運用されていました。
国鉄の2ドア転換クロス車というと、117系が圧倒的に人気ですが、元祖はこちら。
鉄道友の会のローレル賞も受賞しています。
小倉での撮影ではなかったかなあ。
キハ45
キハ23系の片運転台仕様。
キハ23系は近郊型DCと位置づけられましたが、製作数も少なく、地味な存在でした。
ただ、JRになってからも、比較的最近までしぶとく生き残った車両もあったようです。
筑豊本線の終点、若松での撮影です。
九州へ行った翌3月、日本国有鉄道は解体されました。
4月スタートの各JRでは、しばらくの間、国鉄型DCが活躍を続けます。
それについては明日。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)