今日の相鉄6000系も、13年前に全車両引退になった形式です。
相鉄6000系には、1961年~1970年にかけて製作された1M方式の旧タイプと、以降1974年まで製作されたMMユニット方式の新タイプ(以降新6000系と呼びます。)の2種類がありますが、ここでは前者のタイプについて取り上げます。
それまでの相鉄には、初の高性能車で、ボディマウント方式で知られた5000系(後に車体更新で5100系→VVVF化で5050系)がありました。
しかし、18m3ドアのため急増する沿線の需要に対応できず、また全M方式でもあったため、後継の6000系は経済的なMT方式の20m4ドアで製作されました。
ただ、運転席とドアの間に窓を設けて座席を配置する、左右非対称の関西流の窓配置がユニークでした。
正面は貫通扉を設けた切妻とし、組成の自由度を高めています。
駆動方式は直角カルダン方式を引き続き採用、ブレーキは電気ブレーキを廃止して空気ブレーキのみとしました。
台車は5次車よりディスクブレーキを装備。
5000系から引き続いた直角カルダンと共に、以降9000系まで続く、相鉄の電車を語る上での大きな特徴となりました。
当初はMc・Tcのみ製作され、連結両数の増加により、後にM・Tも製作されています。
異色の車両として上に掲げましたが、アルミ試作車で暖房にヒートポンプ方式を試用したモハ6021、後の新6000系への橋渡しとなる、ユニット方式の試作車モハ6144・6145がありました。
1980年~85年にかけて順次冷房化を実施、前照灯のシールドビーム2灯化、乗務員室内に種別・運行番号表示器の取り付け等の小改造も行われています。
最大で120両を数えた6000系は、単独の組成の他、新6000系8連に2両を増結した10両編成でも運用されました。
6144・6145のユニットは最初から新6000系に組み込まれ、車体幅が編成で不揃いになっていました。
8000系・9000系への置き換えにより1992年から廃車が始まり、1997年までに全車引退しました。
6001、6021はかしわ台車両センターに保管され、6001は2007年に旧塗装が復元されています。
【編成】
←横浜方 海老名・いずみ中央方→
Mc 6000* - T 6600 - Mc 6000* - T 6600 - Mc 6000* - T6600 - Mc 6000* - T 6600 - M 6100* - Tc 6500
Mc 6000* - T 6600 - Mc 6000* - T 6600 - M 6100* - Tc 6500 - Mc 6000* - T 6600 - M 6100* - Tc 6500
Mc 6000* - T 6600 - Mc 6000* - T 6600 - M 6100* - Tc 6500 - M 6100* - M 6100* - M 6100* - Tc 6500
* パンタグラフ
※1991年時点の10連の編成(旧タイプのみで組成)を掲げました。
今回の記事は
「私鉄の車両20 相模鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1986年8月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年7月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両編成表 91年版」(ジェー・アール・アール) 等
を参考にさせて頂きました。
次回から4回は、大手を離れて地下鉄・都市近郊・路面電車・ローカル線を取り上げます。
次回は都営地下鉄新宿線の新鋭・10-300系です。
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