「JTB時刻表」2010年2月号が発売になりました。
表紙はやはり〈北陸〉でしたね。
JTB時刻表については次回書きます。
昨日、「鉄道ピクトリアル」誌の臨時増刊号で小田急について書きました。
私は、JTB時刻表とは別に、各私鉄が独自に刊行している時刻表も毎号購入しており、小田急の時刻表についても、ダイヤ改正毎に発行される時刻表の購入を続けています。
「小田急時刻表」は、1990年3月27日のダイヤ改正に合わせて創刊されました。
もっとも、その前の1985年に協和企画が「首都圏私鉄シリーズ№1」と題して小型のサイズを刊行しているのですが、実用本位(急行・準急が各駅停車を追い抜くたびに列を変えて、前後関係を解かりやすくしていた。)で面白みには欠けた感もあり、需要も少なかったのか結局この1号だけで終わっていました。
「小田急時刻表」はさすがに小田急自らの発行だけに、A4版で448ページあり、特にカラーページには相当力を入れています。
当初は年2回刊を想定していたようで、秋にはダイヤ改正がなかったにもかかわらず「秋冬号」が刊行されました。
しかし、やはり小田急程度では年2回発行できるほど需要はなかったようで、翌1991年から年1回ペースになりました。
また、2003年からは交通新聞社の発行になり、ページ数も少なくなっています。
本文のロマンスカーは、同社の「JR時刻表」と同様の赤文字。
ここでは20年前の創刊号の内容を紐解いてみたいと思います。
表紙は10000系「HiSE」。
◆ カラーページ
小田急沿線案内
簡単な行楽スポットのイラスト入り路線図、特急ロマンスカー及び急行・準急の停車駅の案内。
当時のロマンスカーは
〈はこね〉…小田原のみ 〈あしがら〉…町田・小田原 〈さがみ〉…向ヶ丘遊園・本厚木・新松田・小田原 〈えのしま〉…町田・藤沢 〈あさぎり〉(連絡急行)…町田・本厚木・松田・山北・(谷峨)・駿河小山
の停車で、愛称毎にはっきり区別されていました。
(あしがら80号は本厚木停車。)
急行の中央林間停車はこの改正時から。
湘南台には停車していませんでした。
相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄の乗り入れは9年後の事です。
また、江ノ島線に準急が設定されている事になっていますが、運転はありません。
首都圏路線図
東葉・埼玉・横浜の各高速鉄道や旧千葉急行(現京成千原線)やゆりかもめ・千葉都市モノレール・多摩都市モノレール、そしてつくばエクスプレスは影も形もありません。
北総開発鉄道(現北総鉄道)も北初富~千葉ニュータウン中央間のみの開業。
(当時は新京成の松戸まで乗り入れていた。)
東京の地下鉄では旧営団南北線・都営大江戸線はまだ開業しておらず、半蔵門線は三越前まで、三田線も三田まででした。
横浜市営は新横浜~戸塚間のみ。
主要駅周辺案内図
「時刻表の見方」に続いて、新宿・下北沢・成城学園前・向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・相模大野・海老名・本厚木・伊勢原・秦野・小田原・(小田急)多摩センター・大和・藤沢の駅の周辺地図が書かれています。
新都庁舎は工事中(当時の都庁は今の東京国際フォーラムの場所にあった。)で、海老名の「VINAウォーク」はまだありませんでした。
富士・協和・第一勧銀・太陽神戸三井・住友・三和といった銀行の名前が、時の流れを感じさせます。
構内案内図
新宿・町田・本厚木・小田原・藤沢の各駅の構内案内図が取り上げられています。
この中で現在と一番大きく違っていたのは小田原で、改築前は地下のJR小田原駅の通路に接続する形で小田急の連絡改札が設けられていました。
この他に西口に専用の改札口もありましたが、メインの東口から小田急に乗るためには、まずJRの改札を通る必要があったのです。
特急ロマンスカー時刻表
今現在の時刻表と比較して、はっきり違っているのが、
「箱根への観光輸送偏重になっている」点。
当時のロマンスカーは、新宿~小田原間ノンストップの〈はこね〉が主役で、平日では新宿8時50分の後、9時30分~16時まで、30分間隔で運行されていました。
また、当時は旧〈さがみ〉もかなり設定されていて、平日は10往復(他に本厚木→箱根湯本1本)、休日は11往復ありました。
(大半は小田原発着)
一方で、町田停車のロマンスカーは今の感覚からすると非常に少なく、平日午前中の上りだと、10時59分の〈あさぎり2号〉の後は、12時59分の〈あさぎり4号〉まで2時間も停車がありませんでした。
ハイウェイバス時刻表
新宿~箱根間の高速バスは、当時は小田急電鉄の直営でした。
(小田急箱根高速バスへの分社は2001年4月。)
しかし本数が非常に少ない。
新宿駅西口~箱根桃源台間が10.5往復(他に曜日限定の運行が上下1本ずつ)、東名御殿場(当時は御殿場駅前には乗り入れていなかった)→新宿駅西口が1本のみ。
その一方、当時は新宿駅西口~箱根湯本~元箱根系統があり、新宿発が土曜、元箱根発がシーズン中の休日に1本ずつ設定されていました。
この他、小田急バス(現在は小田急シティバス)や、神奈中(2009年5月廃止)の夜行バスの時刻もあります。
神奈中は和歌山行・広島行の路線もありました。
その他
さすがに私鉄1社単独だけあって、沿線の観光地がカラーでふんだんに取り上げられています。
まず「ちいさな発見・気まま旅」と題して真鶴半島が取り上げられ、「小田原からバスで気軽に行ける真鶴半島は…」と始まっています。
当時は小田原~真鶴~湯河原間の箱根登山鉄道のバスが1時間に1本程度はあり、一部は熱海へ直通していました。
現在の小田原~真鶴間は平日2往復(1往復湯河原まで)・土曜1往復のみ・休日は運休で、観光にはとても利用できません。
続いて箱根、江ノ島・鎌倉、丹沢・大山、伊豆の観光地が紹介され、沿線の行事案内と続きます。
車両ガイドは、ロマンスカーは当然HiSEが一番大きく取り上げられていますが、SEも残っています。
通勤車は1000形が最新で、既に千代田線直通にも運用されていました。
他は8000形、9000形、5000形。
高速バスは小田急電鉄の旧塗装車が富士山をバックに東名を走る姿があり、合わせて小田急沿線の深夜急行バスも紹介されています。
当時は新宿1時発本厚木行(神奈中)、1時10分発鶴川行(小田急電鉄)、1時30分発町田行(小田急バス)がありました。
車両が皆古い。
ロマンスカード(パスネットより前の券売機専用の磁気式プリペイドカード)、小田急ONカード(クレジットカード・現在は小田急ポイントカード)の営業案内の後、今はなき向ヶ丘遊園・御殿場ファミリーランドを初めとする、小田急グループのレジャー施設が紹介されています。
さらに前述した高速バスと、グループの貸切バスがカラーで紹介され、小田急グループの企業のCMが続きます。
最後に、スポンサー企業のカラー広告が41ページもあります。
ライオンの「SOFT IN 1」には薬師丸ひろ子。
サッポロ〈生〉黒ラベルの武豊が若い!
(ダイヤ改正時点では21歳。)
1997年に自主廃業した山一證券もあります。
今にして思えば、「走る喫茶室」の営業案内があっても良かったですね。
◆ 小田急線時刻表
参考資料として、この時刻表から作成した、新宿駅の平日の時刻表があります。
こちらをクリックしてご覧下さい。(PDFファイル)
なお、当時の土曜日は平日ダイヤでした。
前提として、当時の小田急は、
1.複々線化がほとんど完成していない。
2.10両編成が停車できるのが、新宿~本厚木間の準急停車駅(経堂を除く)のみ。
したがって全体の輸送力も小さいし、ラッシュ時の急行は信じられない位鈍足でした。
一番遅い急行は、町田→新宿間(30.8㎞)でなんと59分。
(片瀬江ノ島発1528列車・町田7:09→8:08新宿)
また、長距離を走る急行は分割・併合が必須になりますが、本厚木以西の上りでは、4連の各駅停車と6連の急行を続行させ、本厚木で1本の10連に仕立てる急行が6本設定されていました。
急行の増結・切り離しは基本的には相模大野で行いましたが、朝方の上りは本厚木で実施。
準急でも、朝方に小田原始発が5本あって、内3本は本厚木で増結していました。
それと、今見直すと、新宿~町田間の移動が案外不便に見えます。
日中は急行が毎時4本(土曜の午後と休日は6本)だけ。
準急は新百合ヶ丘で急行に抜かれるし、昨日書いたようにロマンスカーの町田停車もまだ多くはありませんでした。
ロマンスカーについては、夕方の新宿→町田間で、回送編成を客扱いし、帰宅の利用者に着席サービスを提供しています。
これが、国鉄・JRの「ホームライナー」のお手本になったとされていますが、当時は小田急としても、あくまで「回送列車の有効活用」の域を出ていません。
20時以降新宿発のロマンスカーは全て町田まで。
しかも、接続の列車がなく、その先へ行く場合、時間的には後続の急行に乗っても同じになります。
さらに22時30分発の〈あしがら23号〉で終わり。
ダイヤ上は浮いた存在のようにも感じられます。
〈ホームウェイ〉が23時台後半まで設定され、小田原、秦野、本厚木、藤沢、唐木田行があり、途中駅・終着駅での各駅停車への直接の接続もあり、まして千代田線からの直通も走るようになった現在とはかなり様相が異なります。
日中もノンストップの〈はこね〉が中心だから沿線からは利用しにくいし、日中でも慢性的に混雑する通勤列車への不満もあって、沿線からは、ロマンスカーはうっとおしいだけの存在だったかも知れません。
この事が、特に複々線延伸後の、ロマンスカーの営業政策の転換を促したようにも思えます。
ところで、〈あさぎり〉は特急ではなく、「連絡急行」と呼称していました。
国鉄・JR御殿場線内では急行の扱いだったからですが、苦し紛れの感もあり、小田急時刻表ではあまり使用していませんでした。
(特急と違って、号車のみを指定した定員制。)
SE置き換え前のディーゼルカー時代は「特別準急」と呼称していた列車ですが、1991年のRSE置き換え・沼津延伸・JR東海との相互直通開始時に晴れて「特急」になりました。
千代田線直通は平日ダイヤの準急14往復のみで、中途半端の感が否めませんでした。
当然10両編成なので、経堂は全列車通過。
多摩線は朝ラッシュ時に唐木田→新宿が4本ある以外は線内折返しが約15分間隔。
江ノ島線は7月~8月のみ、朝方の下りと夕方の上りで急行が増発されました。
ただし、休日の一部を除いて、相模大野切り離し・増結車の延長になりますが。
廃線になったモノレールは平日15分・休日10分間隔が基本でした。
◆ 他社線時刻表
20年前ともなれば、小田急でなくても、様相が現代とかなり異なります。
東海道・山陽新幹線は当然〈のぞみ〉はまだなし。
小田急らしい点として、他の駅が発車時刻(下りの小倉と上りの新横浜は到着時刻)だけなのに対し、小田原は着発両方の時刻を掲載しています。
当時、小田原に停車する〈ひかり〉は3往復でした。
JR在来線は、東海道線で夜行が特急・急行・普通を合わせて11本もあり、快速〈アクティー〉は戸塚・早川・根府川が通過で、夕方に横浜折返しの普通列車が設定されていた事、横浜線の快速が平日60分・休日30分間隔で菊名・長津田・相模原が通過だった事、なにより相模線がまだ非電化だった事(電化は翌年)が目に付きます。
私鉄は接続駅の時刻のみで、京王相模原線は橋本まで到達していたものの、快速と各駅停車が20分間隔だけと少ないのが目立つ所。
それと、各駅からのバスの時刻が、律儀に全部の駅から全路線、乗場の地図付で掲載されています。
当然今とは大幅に違っていて全部は書けませんが、鶴川に京王電鉄、相武台前・本厚木・鶴間に相模鉄道、秦野・渋沢に箱根登山鉄道のバスが乗り入れていたのが注目。
相鉄は平日のみ、本厚木(10:21)~海老名~大和~二俣川間の運行がありました。
また、厚木駅前は神奈中・相鉄の路線があり、茅ヶ崎や藤沢へ行く路線もありました(本厚木始発)が、現在は全滅です。
高架化前の狛江は駅から離れた所に乗場が分散し、踏切を渡る必要もあったから(遮断時間も長かったろうし)、バスへの乗換は不便だったはずです。
最後に箱根・真鶴・伊豆半島のグループのバス路線の時刻表があり、鎌倉・箱根・伊豆の定期観光バスで締められています。
今は1コースだけの箱根登山バスの定期観光は、20年前は10コース・14本も運行されていたのですね。
◆ 営業案内
ブルーのページで記載されています。
特別急行券・連絡急行券は、乗車日の1ヶ月前の10時からの発売。
しかし、〈あしがら2号〉(小田原7:50→9:18新宿)のみ、毎月1日の10時から翌月分を発売するとしています。
これって、JRの〈湘南ライナー〉に似ていませんか?
(〈湘南ライナー〉はセット売りだけれど。)
事前の予約も〈あしがら2号〉のみ不可。
観光偏重といいながら、既にロマンスカーの通勤利用も無視できなくなっていたのでしょう。
再びスポンサー企業の広告が続き、最後に付録として、切り取り式の各駅発時刻表がついています。
(駅で配布するものと同じ。)
裏表紙は三菱電機のパソコン「MAXY」シリーズ。
山口美江が色っぽい姿で微笑んでいますが、標準価格が
16ビット・ラップトップタイプ(HDD 40MBモデル) … 498,000円
32ビット・デスクトップタイプ(HDD 80MBモデル) … 800,000円
…皆様、どう思われますか?
テキストが取り留めのないものになってしまって、読みにくいものになってしまったかも知れません。
20年も経てば、どの鉄道会社もその変化は大きなものになりますが、特に小田急のその変わりぶりは著しいものがあります。
車両の面でも、施設の面でも、ダイヤの面でも、営業政策の面でもです。
20年前の時刻表をひっくり返してみて、興奮も覚えました。
さて、これから先20年は、どのような変化が待っているでしょうか。
さしあたり、3年後(予定)の下北沢の地下複々線化の完成が、大きな影響を与えるでしょう。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
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