№120 年鑑バスラマ 2009→2010(ぽると出版)

 今日は「年鑑バスラマ 2009→2010」を取り上げますが、その前に西鉄から2日続けての一大事。

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 西日本車体工業(NSK)が、8月一杯を持って会社を清算、つまりバスボディ生産事業から撤退すると、今日21日、プレスリリースされました。
 NSKは、2003年3月を持って富士重工(FHI)がバスボディ製造から撤退した後、日産ディーゼル車の標準ボディメーカーとなり、西日本の事業者向けには引き続き他車種への架装も行ってきましたが、日産ディーゼルがNSKへの発注を終了すると発表したため、事業の継続は困難になったとしています。
 日産ディーゼルは三菱ふそうと、合弁会社設立を前提とした提携の拡大を昨年8月に発表しており、今後は合弁の新会社によってバスボディも製造される事になるようです。
 また一つ、大手バスボディメーカーが姿を消す事になり、衝撃も少なくはないですが(FHIと違って会社自体がなくなるので、雇用の面でも心配なのだが…。)、今後日産ディーゼル(26日に新社名・新ブランド名を発表と19日にリリース)・三菱ふそうがどのような生産体制で臨むのか、しばらくは様子を見る必要がありそうです。

◆2009年 国内バスハイライト
 各地域・各事業者毎には新しい、またはユニークな試みも多数見られたようですが、全体的に衰退傾向は今年も否定できなかったようです。
 民営バスに関しては、業界外への事業譲渡も目立つようになりました。
 一番大きかったのは東急グループで、5月19日に、東急バス・東急トランセ・じょうてつを除くグループのバス会社を全て「ジェイ・ウィル・パートナーズ」に譲渡すると発表、10月1日に実施しました。

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 2009年6月25日に横浜駅前で撮影した東急鯱バスです。
 名前の通り名古屋を中心とする貸切事業者で、他に名鉄常滑・河和線の沿線で、路線バスに近い形態の特定バスも運行しています。
 10月より「東急」の2文字が外れ、「鯱バス」となりました。

 北海道では、北紋バス、函館バスが既に東急グループを離れており、これで残るはじょうてつのみとなります。
 特に北見に関しては既に東急百貨店が閉店しており、また3月一杯で北見東急インが閉店するため、東急グループは北見から全面撤退になります。
 他の大手私鉄もそうですが、昔のように地方の中小事業者をグループ化して全国展開を図るというやり方は、もはやありえないのでしょう。

◆ 特集 ジェイ・バス
 これは私的な思い出話になりますが、以前旧日野車体の横浜工場があった頃、この工場は東海道線の沿線にあるので、電車で近くを通過するたび、どんなバスが見られるのだろう、とワクワクしていました。
 手前を京浜東北線の電車が被ってガッカリ、という事も少なくはありませんでした。
 その横浜工場の跡地も、間もなく大規模なマンションの分譲が始まろうとしています。
 ジェイ・バスは日野といすずの合弁であるだけに、歴代の社長は両社から交互に輩出しているとの事で、この辺は大手どおしの対等合併企業ならではでしょうか。
 ただ、現在の社長のノンステップバスのコンポーネントに関する談話を聞くと、昨日も書きましたが、ノンステップバスの技術の停滞に苛立ちを隠せない(その前の和田由貴夫氏による業界の総括の中では、はっきり「メーカーの怠慢」と言い切っている。)「バスラマ」誌との意識の温度差が、やはりどこか感じられます。
 ジェイ・バスはあくまでボディメーカーなので、シャーシ部分が変わらない事にはどうにもならないのも事実ですが、シャーシメーカーから生まれたボディメーカーなのだから、何とか両者が一体となって、画期的なノンステップバスの登場を目指して欲しいと思います。
 その後の小松・宇都宮両工場の内部の写真では、どちらも生産途上のバスの写真が多数見られます。
 小松(日野)では、都営向けBLCハイブリッドが量産中。
 東野?向けのポンチョも。
 宇都宮(いすず)では、白黒ページですが、しずてつのノンステップ・エルガの後ろにいるのは、明らかに福島交通のエルガミオですね。

 その後に、例年同様、国内で発売されているバスのカタログが並びます。
(ちなみに重箱の隅をつつけば、NSKのハイデッカーE-Ⅲで、江ノ電の820号をPKG-RA274TAN改としていますが、ADG-RA273TAN改ではないですかね?青い821号がこの形式だと思いますが。いずれにしろ、路線車のシャーシにハイデッカーを架装した珍車。)

◆ BUS WORLD Kortrijk 2009
 写真が皆海外からの提供のようなのですが、「欧州のノンステップ車はここまで進んでいる!」という「バスラマ」誌の主張に説得力を持たせるならば、やはり車内の写真の公開をお願いしたいと思います。
 でもバスだけで大きなショーが開催できるのは、やはり、さすが欧州という所です。

◆ 歴史編①
 飯沼信義氏による、ボンネット時代の松本電鉄バスを交えた風景画6点。
 特に最後の鈴蘭で、山小屋の脇でポツンと出発を待つボンネット車がいい感じ。
 こういうバスで山登りに行きたい…もう叶いませんが。

◆ 歴史編②
 今回の年鑑で一番熱狂した記事が、この「東名急行バスの軌跡」。
 東名高速道路の開通と時を同じくして、国鉄と共に高速バスの運行を行っていた民営事業者でしたが、わずか5年強で廃業したという、幻のバス事業者です。
 でも、子供の頃、廃業してからしばらくしても、各地のおもちゃ屋さんには、国鉄と並んで東名急行の大型のブリキのおもちゃが並んでいたものでした。(他に都営バスとかもあった。)
 運転系統略図や時刻表を読むと、当時の国鉄東名高速線と形態がほとんど変わりがないように思えました。
 違うのはターミナルの東京(渋谷)、静岡(新静岡)、名古屋(名鉄バスセンター)位。
 しかし、当時としては国鉄の駅前に乗り入れる事が大事で、これが利用が伸び悩む一因になったというのは、時代の違いを感じます。
 ただ、談話の中の「新幹線に新富士駅が出来て乗客が大幅に減った。」というのは、新富士駅の開業が国鉄からJRになった直後の1988年3月13日で、東名急行廃業から13年も後ですから、失礼ですが勘違いをなされているのではないでしょうか。
(三島かと思ったが、三島は東名急行開業と同じ1969年で、これも違うと思う。)
 渋谷駅の玉電ターミナルはマークシティ工事まで残り、東急の一般路線と共に、夜行バス「ミルキーウェイ」のターミナルとしても使用されました。
 それにしても、生き残った国鉄の血を継いだJR東海バスが、渋谷(マークシティ)から静岡・浜松への便を運行するようになったというのは、なんだか皮肉みたいなものも感じます。
(新宿発着・京王バス東と共同。)

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 車両の面では、トイレがなかったというのは、特に特急でも5時間近い渋谷~名古屋線もありましたから、途中2回休憩を設定していたとはいえ、やはり辛かったのでしょう。
 国鉄の方は最初からついていたと思いますが、やはり当時は高速バス用のトイレの開発は簡単ではなかったのでしょうか。
 でも、シンプルな赤系のデザインは、紺色の国鉄とは好対照。
 今エアロエースとかにデザインされても充分通用するのではないかと感じますが、昨今のブームに乗って復刻させたくても、ここは肝心の会社自体がないのが辛い所。
 とりあえず、大親会社だった東急バスなんて、貸切(トランセか)車にどうですか?
 あと、黒のブルゾンの上着がアメリカナイズでカッコイイ!
 こちらは是非、どこかのバス会社で採用してほしいなあと感じました。
 昨今のトレンドのフレンドリーさも良いのですが、高速バスならダイナミックなカッコよさがあっても良いと思います。
 それと、営業わずか5年強→廃業から既に35年なのに、未だに当時の関係者による友の会があるというのは、奇跡的ではないですか?
 ともあれ、貴重な記録でした。
 日本のバスの歴史には、このように、ある程度大規模でありながら、ある時突然姿を消し、公式な記録もほとんど失われて、個人や趣味グループによる細々とした記録が頼り、という事業者も少なくはない(例えば、本体で相互リンクを張ってくださっている茨城観光バスなど・いばかん様のサイトにリンクします)ので、今後もそういう事業者の歴史の発掘には期待したいと思います。

 どうもバスを作る側も運行する側も、明るい話題がだんだん乏しくなっていくようで、日本のバス業界は2010年も、先行きの不安を隠せません。
 個々のメーカー・事業者では頑張っている面も決して少なくはないのですが、これが業界全体の大きな流れになりえないのが辛い所です。
 どうか来年の2010→2011版は、そんな不安が杞憂だったと思えるような、明るい話題で占められるよう、願っています。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)




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