№94 2007年廃止 鹿島鉄道

 昨日の話になってしまいましたが、鹿島アントラーズのJリーグ3連覇、おめでとうございます。

 2007年に廃止になった鉄道で、昨日はくりはら田園鉄道を取り上げました。
 今日は茨城県の鹿島鉄道を取り上げます。
 鹿島鉄道は1924年に鹿島参宮鉄道として開業。
 当初の構想は、鹿島神宮へ参拝客を輸送するためだったようです。
 なので、沿線の地名ではないのに「鹿島」の二文字が使われていたのでしょう。
 もしこの構想が実現して鹿島神宮まで路線が延びて、しかも今も残っていれば、アントラーズのサポーターの足としても、活躍できていたのかもしれなかったですね。

 1965年には常総筑波鉄道(のちの関東鉄道)に合併されて鉾田線となりました。
 1979年に再び分社によって鹿島鉄道として、独立した鉄道会社として運営されていました。
 首都圏にありながらローカル色が濃い事と、百里基地(来年民間共用で茨城空港になります)へのジェット燃料輸送の貨物列車が運行されていた事で人気がありました。
 鹿島鉄道の車両と各駅の写真をご覧頂きます。

1.車両

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キハ600
 国鉄42500形で、卵形の半流線形のスタイルが独特でした。
 関東鉄道入線後に正面を改造しています。
 KR500形導入時に同色になりましたが、廃線直前にはクリーム+オレンジのツートンカラーに変わっていました。
 
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キハ430
 加越能鉄道加越線キハ120形。
 1973年に入線。
 これもKR500形導入時に同色になりましたが、のちに2両で異なるツートンカラーに変わっていました。

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キハ714
 は夕張鉄道のキハ251で、1976年に入線しました。
 大型なので、主に通学時間帯の列車に使用されていたようです。
 唯一、KR500と同色にはなりませんでした。

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KR500
 石岡南台駅開業と同時にデビューした、軽快タイプのディーゼルカー。
 鹿島鉄道最初にして、最後の新製車両でもありました。
 曲線状のフロントガラスが特徴。
 この車両のカラーが、一時は鹿島鉄道の標準色になりましたが、末期には同形式自体も、帯の色を1両毎に変えた新カラーになっていました。

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DD13
 ジェット燃料輸送用のディーゼル機関車。
 171号機は国鉄の品川機関区で使用されていました。

2.駅

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石岡
 JRの管理駅。
 ただし、ホームに鹿島鉄道の駅務室があり、記念乗車券等はここで発売していました。
 構内には機関区が設けられていました。

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石岡南台 石岡から1.5㎞
 ニュータウンの開発に合わせて開業した駅です。
 鹿島鉄道では唯一、平成になってから(1989年6月15日)の開業でした。
 交換可能。

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東田中 石岡南台から1.0㎞

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玉里 東田中から1.1㎞
 1988年4月1日に、信号所を格上げして開業した駅で、折返し列車の設定もありました。

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新高浜 玉里から0.6㎞

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四箇村 新高浜から0.9㎞

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常陸小川 四箇村から2.0㎞
 交換可能で、折返し列車も多数設定されていました。

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小川高校下 常陸小川から0.7㎞
 1988年4月1日開業の比較的新しい駅でした。

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桃浦 小川高校下から2.9㎞
 交換可能。

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八木蒔 桃浦から2.1㎞

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 八木蒔から1.6㎞


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玉造町 浜から1.4㎞
 交換可能。

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榎本 玉造町から3.7㎞
 交換可能。
 ジェット燃料輸送の貨物列車がここまで乗り入れていて、ここからパイプラインが百里基地まで延びていました。
 このパイプラインの老朽化によって貨物列車が廃止になった事も、鹿島鉄道廃線の遠因となりました。

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借宿前 榎本から1.9㎞

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巴川 借宿前から2.3㎞
 交換可能。

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坂戸 巴川から1.3㎞

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鉾田 坂戸から2.2㎞

 鹿島鉄道でも各種記念乗車券が発売されていました。

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石岡南台駅開業記念乗車券

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新型車記念乗車券

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80周年記念乗車券
 開業区間ごとの乗車券を上から順に並べたものです。
 1.石岡から常陸小川ゆき(1924年6月8日開業) 1・2号機
 2.常陸小川から浜ゆき(1926年8月15日開業) キハ200形
 3.浜から玉造町ゆき(1928年2月1日開業) キハ42200形
 4.玉造町から鉾田ゆき(1929年5月16日開業) キハ42500形

 この記念乗車券が発売されて3年後の2007年3月31日を持って、鹿島鉄道は廃線になってしまいました。
 親会社の関東鉄道が、つくばエクスプレス開業で高速バス部門がダメージを受けて、サポートが難しくなってしまったというのが理由だったそうです。
 末期には高校生主体の「かしてつ応援団」等の存続運動もありましたが、かないませんでした。
 確かにローカル色が濃い路線ではありましたが、JRの東京近郊区間に接続していて、列車の運行本数も決して少なくなかったこの鉄道の廃線は、ちょっとため息が出てしまうなあ、と言うのが正直な印象です。
 個人的には、各車両が色を変えた時点で、もう一度行っておけば良かったなあと、この記事を作りながらちょっと後悔している所です。

 今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄気動車30年」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル 1996年4月臨時増刊号 関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。
「私鉄気動車30年」では、冒頭で「消え去る鉄道」として、くりはら田園鉄道と鹿島鉄道を取り上げています。


 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

 ところで、明日から3日間、九州に行ってきます。
 このため更新を3日間お休みさせて頂きます。
 旅行記は帰ってきてから当ブログで書きたいと思います。
 いい写真が撮れるといいなあ。



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