JTB時刻表の黄色のページでも歴史が取り上げられていますが、三木鉄道は元を正すと、大正時代に播州鉄道によって開業した鉄道の支線で、同じく第3セクターの道を選んだ北条線(→北条鉄道)、廃止を選択した高砂線・鍛冶屋線とも深い関連がありました。
播州鉄道は太平洋戦争の真っ只中に全線が国有化され、本線は国鉄加古川線、支線はそれぞれ高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線となります。
1980年代になって国鉄再建問題に関連して、他の支線共々特定地方交通線に指定され、三木線については、北条線と共に独立した第3セクター鉄道への転換を選択する事になりました。
ここでは三木鉄道の車両と駅、また、廃止路線ではありませんが関連性が濃い北条鉄道の車両と駅の写真をご覧頂こうと思います。
1.三木鉄道
(1) 車両
ミキ180
1985年の開業当初に用意された、富士重工製の2軸のレールバス「Le-CarⅡ」。
まさしく5型ボディそのもの。
2両が用意され、どちらかが線内をいったりきたり、という運用になっていました。
ミキ300形の導入で相次いで廃車になりました。
ミキ300
後継車両は輸送力増強のため大型化。
1998年~2002年にかけて3両導入されました。
廃線後、103はひたちなか海浜鉄道へ(車号同じ)、104はお隣の北条鉄道へ(フラワ2000-3)、105は樽見鉄道へ(ハイモ295-617)へ、それぞれ引き取られていきました。
(2) 駅
厄神(橋上駅舎化前)
JR西日本の管理駅で、後に橋上駅舎化されています。
加古川線電化時に車両基地も設けられたそうです。
国包 厄神から1.0㎞
待合室の形状がどこかユニークに思えます。
宗佐 国包から0.5㎞
転換の翌年の1986年4月1日に開業しました。
下石野 宗佐から0.5㎞
転換の翌年の1986年4月1日に開業しました。
国包~石野間は1.6㎞しかないのですが、一気に2ヶ所、駅が作られたわけです。
小規模第3セクター鉄道らしい取り組みでした。
石野 下石野から0.6㎞
西這田 石野から1.7㎞
転換の翌年の1986年4月1日に開業しました。
別所 西這田から1.0㎞
高木 別所から0.7㎞
転換の翌年の1986年4月1日に開業しました。
線路の右側には、三木駅の構内が近い事を予告する信号が立っています。
三木 高木から0.6㎞
神戸電鉄粟生線の神鉄三木駅までは川を渡り、10分ほど歩いて行く必要がありました。
1999年3月改正では、構内を2線化し、運転間隔を詰めて朝方の増発を行ないました。
記念テレホンカードではありますが、こんな感じで2線化されたという所で。
(写真というより、どこかイラストっぽくも見えますが。)
ここで、国鉄三木線時代(1980年10月1日改正)、三木鉄道転換時(1985年4月1日)、三木駅構内改良によるダイヤ改正時(1999年3月13日)、三木鉄道最終日(2008年3月31日)の、三木駅発車時刻を並べてみます。
国鉄三木線時代 1980年10月1日改正 注釈のない列車は加古川直通
5:51 6:51 7:44 8:44(厄神止まり) 9:59(厄神止まり) 11:54 14:03 15:43 16:55 17:51 18:41 19:35 20:16 21:14 14本
三木鉄道開業時 1986年4月1日
5:35 6:07 6:45 7:18 7:51 8:59 10:03 11:33 13:00 14:40 15:40 16:45 17:18 18:15 18:55 19:27 20:07 20:51 21:56 19本
三木駅構内改良によるダイヤ改正時 1999年3月13日
5:34 6:05 6:35 7:06 7:36 8:06 8:51 9:24 10:36 11:36 12:36 13:36 14:36 15:36 16:36 17:13 17:43 18:14 18:48 19:21 19:56 20:57 21:58 23本
三木鉄道最終日 2008年3月31日 (平日時刻)
6:05 6:38 7:11 7:48 8:30 9:14 10:37 11:37 12:37 13:37 14:37 15:37 16:37 17:31 18:15 19:16 20:12 21:12 22:04 19本
第3セクター化と同時に増発され、三木駅改良時にさらに増発が計られたものの、結局最後は転換当時の本数に戻ってしまった、という所です。
2.北条鉄道
(1) 車両
フラワ1985
こちらも1985年の開業当初に用意された「Le-CarⅡ」で、形式の「1985」は導入年を示しています。。
こちらは観光バス風のT字窓になりました。
3両が用意され、ラッシュ時には連結運転も行なわれたそうです。
フラワ2000形の導入で相次いで廃車になり、1985-2は紀州鉄道に移籍してキテツ1となり、1985-1も後にキテツ2となりました。
フラワ2000
三木鉄道と同様、輸送力増強のため大型化されたもので、やはり導入年の「2000」を形式に取り入れています。
1号車は写真の通りピンクとグレー。
2号車は紫とグレーになっています。
三木鉄道廃線後は、同鉄道のミキ300-103が転入し、3号車となりました。
カラーはそのままだそうです。
(2) 駅
三木鉄道と異なり、今の所転換後に新駅は設置されていません。
粟生
神戸電鉄粟生線共々、JR西日本の管理駅。
(神鉄は「スルッとKANSAI」導入時に、ホームを別にしました。)
網引 粟生から3.5㎞
田原 網引から1.1㎞
法華口 田原から1.5㎞
播磨下里 法華口から1.9㎞
長 播磨下里から1.8㎞
播磨横田 長から1.6㎞
北条町(改築前) 播磨横田から2.2㎞
三木鉄道は2008年3月一杯を持って廃止になりました。
廃止の原因は色々取りざたされています。
路線が加古川の方向に向いていて、神戸指向の人の流れには合っていなかったとか。
転換時に加古川への直通列車が廃止になり、厄神での乗換が必要になった事が嫌われたとか。
(転換時にレールそのものを加古川線から切り離してしまいました。)
決定的だったのは、2006年の三木市長選挙で、三木鉄道廃止を公約に掲げた候補者が当選した事でした。
昨日も書いたことですが、20~30年くらい前、国鉄改革に関連して、全国各地の特定地方交通線の処遇が問題になり、ほとんど全ての対象路線で、沿線自治体を先頭に大反対運動が巻き起こっていました。
中には存続の条件を満たすべく、沿線の住人を動員した「サクラ乗車」まで行われていた路線もあったと聞いています。
結局は全てバス化、第3セクター化という方向に行く事になりますが、そういう経緯を知る者としては、鉄道廃止論者が市長に就任する事は、とても考えられない事態でした。
三木市といえばもう一路線、神戸電鉄粟生線があり、通勤列車が神戸市内の新開地まで、直通で運行されています。
ところが、ここへ来て利用者の大幅な減少に歯止めがかからないそう。
神鉄では沿線に対して利用を呼びかける一方、このままでは三木・小野市内のダイヤの見直し(間違いなく削減)を検討せざるを得ない、としています。
粟生線と言うと、鈴蘭台側では一部複線化も行われましたし、志染までだった15分間隔運転の区間を三木、さらには小野まで延伸して、破格のフリークエントサービスが提供されているのですが、どうした事でしょう?
根本的にこの地域は、鉄道自体が敬遠されつつあるのでしょうか?
何しろ中国自動車道が走っていますし。
そうだとすると、このままでは三木鉄道に続き、直接中国道の影響を受ける北条鉄道も、いつかは存続の危機に立たされるのは間違いないでしょう。
と言って、ではどうすればいいのかと言われても、所詮よそ者の私にはどうにも答えようがないのが正直な所ですが、とりあえず、年末に神戸の方へ行く機会ができましたので、久し振りに北条鉄道に乗って、できればミキ300-103改めフラワ2000-3に会って見たいと考えています。
今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・西日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄気動車30年」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
を参考にさせて頂きました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
ところで、来年春のJRのダイヤ改正についての噂話が、チラホラ聞こえて来るようになりました。
今年の3月14日の改正については、昨年の12月19日(金曜日)、JRグループ全体で一斉に発表されており、今年は明日18日が金曜日になる事から、明日プレスリリースが行なわれるものと思われます。
来年については、12月に東北新幹線の新青森延伸がある事から、3月の時点ではそれ程大掛かりなものにはならないとも予想されますが、噂では寝台特急〈北陸〉、急行〈能登〉に大きな「動き」があるとか。
もしプレス発表があるようなら、簡単にはなるとは思いますが、当ブログで取り上げるつもりです。