№16 JAS DC-10-30

 先日、先月連載した「なぜバスファンになったのか? -私の70's-」の連載記事作成の参考にするため、川崎市宮前区の東急電鉄「電車とバスの博物館」に行って来ました。
 肝心のバスの資料が少なかったのが少々残念でした。
 しかしその代わり、JAS=日本エアシステムのDC-10の大型スケールモデルが置かれていたのにはビックリ!

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 そばのショップにいた係の方の話では、JASがJALと経営統合した後に持ち込まれたと言う事で、昔はどこかのJASの支店にディスプレイとして置かれていたのが、経営統合で不要になったのでここに持ってきたのでしょう。
 もっとも、DC-10のJASからの引退は2000年3月なので、経営統合(2004年4月)よりは前だったのですが。
 経歴などの説明書きが一切なかったのが残念に思いました。
 ちなみにJASは、TDA=東亜国内航空時代より東急電鉄の資本が入っており、当博物館にはTDAで使用されていたYS-11「なると」の機種部分が、シミュレーターとして保存されています。

 JASのDC-10-30は、1988年の社名改名直後に国際線(成田=ソウル)への進出を果たした同社が、長距離路線への進出を目論んで2機を導入した機体で、国内線で暫定的に使用された後、1990年にシンガポール線、1991年にはホノルル線に就航しました。
 しかし、成田空港の発着枠やら、日米航空摩擦やら、さらには湾岸危機による需要の低迷といったマイナス要因が重なって需要は伸びず、ホノルル線は1994年、シンガポール線も1995年には早々と休止になってしまいました。
 その後はソウル線と国内線を中心にしながら、チャーター便に活路を見出し、1997年にはJAS100%出資のチャーター便専門航空会社「ハーレクインエア」に1機(JA8550)が移籍しました。
 同機は1998年、日本が初出場を果たしたサッカーのワールドカップ輸送で、フランス・トゥールーズへの就航実績もあります。

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 中部国際空港開港前の名古屋空港で撮影したハーレクイン機です。
 雑誌で飛来の情報をキャッチして撮りに行ったものです。
 但し、いつだったかは記録にありません。
 申し訳ありませんです。
 JASの定期便との共通運用になっていたため、JASのマークも同時に書き込まれています。


 もう1機(JA8551)はその前に、ピーターパンのイラストを書き込んだ「ピーターパン・フライト」になっています。
 「ピーターパンこども基金」(財団法人 日本児童家庭文化協会)への協賛という事です。

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 成田空港第2ターミナルのサテライトで、アムステルダムへ向かうJAL便への搭乗を待っていた時に、偶然目の前をトーイングしていったので、ガラス越しだったけれど、1枚撮影しました。
 1997年6月21日の事です。


 結局、1990年代後半のJASでは国内線、国際線ともDC-10に向いた居場所はなくなり、チャーター便ビジネスもあまりうまくいかなかったようで、結局2000年3月、相次いでJASからは退役してしまいました。
 (ハーレクイン・エアも5月に解散しています。)
 2機ともノースウエスト航空に売却、現在はオムニエアー・インターナショナル(オクラホマ州のチャーター航空会社)で運行されているそうです。
 北米西海岸路線への就航も考慮された性能をも持っていたと聞きますが、持てる力を持て余したまま終ってしまった感が否めません。
 国際線で言うと、シンガポール線は週4便、ホノルル線に至っては週2便を確保できたに過ぎませんでした。
 これでは成田線だけで一日数便というJALなどとは競争にはならないに違いありません。
 せめて両路線ともデイリー(1日1便)で飛べていれば、DC-10も、そしてひょっとしたらJASという会社自体の運命も、少しは違ったものになったような気もします。

 私は、JASのDC-10には乗った事がありませんでした。
 DC-10全体でも、搭乗した事があったのは、1996年2月のJAL183便・東京→長崎線のみでした。
 特にDC-10だからどうだ、というのは正直感じませんでした。
 ただ、酸素マスクが前の席の背もたれの上部に内蔵されていたのがユニークだと感じました。
 それよりも、ハウステンボス人気なのか、女性の乗客が非常に多かったのが印象に残っています。

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 JALのDC-10は、エンジンのメーカーが異なる40型で、また国内線と国際線で仕様が多少異なっていました。
 1996年の成田での撮影ですが、これは国内線用です。
 重量が軽くなるので、本来はメインギア2本の間にあるセンターギアを省略しています。
 また、予約用電話番号がフリーダイヤル化されたため、一部の機体ではPRのため、電話番号がボディに書き込まれていました。

 JALのDC-10-40は2005年10月までに全機退役。
 また、海外でもメジャーなエアラインでは皆退役した模様で、恐らくはもう二度と乗る機会はないのでしょう。

 最後に、これまで撮影した、海外のDC-10の写真を数枚ご覧頂きます。
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 現在はエア・カナダに統合され存在しないカナディアン航空のDC-10-30。
 この機体は、同社社員のサインが無数に書き込まれたスペシャル・マーキング機「スピリット・オブ・カナディアン」。


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 ビーマン・バングラディッシュ航空は1990年代半ばまではDC-10ー30を使用し、週一回(金曜日)にダッカからバンコク経由で成田に乗り入れていた。
 その後A310に交代したが、現在同路線は休航中。


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 ユナイテッド航空では旅客型の日本乗り入れも盛んだったが、1990年代半ばには一部をフレイター(貨物型)に改修して、日本線にも投入した。
 但し、同社の貨物部門は早々に休止になったようだ。
 これは関西空港での撮影。


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 アエロフロートでは旧ソ連製の旅客機及び貨物機を使用してきたが、1991年には初の西側旅客機を導入、そして貨物でも最近は西側の機体を使用している。
 なお、同機は元JALのDC-10-40の貨物改修型。


 今回の記事は「AIRLINE 旅客機形式シリーズ1 DC-10/MD-11&L-1011」(イカロス出版・2000年6月1日発行)等を参考にさせて頂きました。
 バスのブログのはずなのに航空機の話になりましたが、今後も機会があれば、バス以外についても書いてみたい思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

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