3日振りに連載を再開します。
この連載は「昔話」のテーマで書いているのですが、なんだか「レビュー」になってしまっていますね。
ただ、それだけこの「雑誌」(実際は書籍の扱いだった)に思い入れが深かったのだと、お考え下さい。
№7「都市新バスの現状」(昭和63年1月1日発行)
「バス・ジャパン」は基本的には20年以上前に刊行された物ですから、当時としては画期的だと思われて書かれていた事も、今の目で見ると「そうなの?」と思われる部分も多々あるかと思います。
この「都市新バス」の特集もそうでしょう。
「都市新バス」とは、定義は色々考えられますが、利用者から見て、大体の共通項としては
1.ハイグレードな車両(グレードアップされた座席・低床・大型窓など)
2.一元的なコンピューター管理による総合案内システム(バス・ロケーションシステム)
3.合わせて停留所設備の改善(シェルターの設置など)
4.専用レーンの整備による定時性の確保
が挙げられると思います。
そして、このシステムを採用した都市・事業者の大半は、特定の系統を対象に整備を進めていました。
この№6では名古屋市(市営・名鉄)・東京都(都営・東急)・新潟市(新潟交通)・金沢市(北陸鉄道)・大阪市(市営)・福岡市(西鉄)・富山市(富山地鉄)・神戸市(市営)・浜松市(遠州鉄道)・山形市(山形交通・採用予定)が都市新バス運行都市として取り上げられています。
私も、ひょっとしたら横浜市営バスでも、本町通を走る系統(8系統あたり)でこのシステムが採用されるのかもしれないな、と勝手に考えたりもしました。
しかし、この後、ずばり「都市新バス」を名乗って採用する都市はたぶんなかったはずです。
勝手な推測ですが、やはりバスのサービスの整備は特定の系統には偏らず、広く面的に行なうべきという事になったのではないでしょうか。
車両でいうと、1990年代半ばからバリアフリーという方向性が定着し、どこでもグレードアップより、ノンステップ化等に進む事になって、次第に他の通常系統と差がなくなってきます。
また、バス接近表示も、もちろん現在も幅広く行なわれていますが、むしろインターネットを利用して、家庭のPCや携帯電話などで運行情報を入手できるようにするという方向に変わりつつあります。
別に大都市に限らず、一部のローカル事業者でも行なっている事です。
今現在で、はっきりと他の系統と差別化している「都市新バス」が走っているのは、名古屋市だけでしょう。
名古屋市にしても、カラーは違うけれど、車両そのものに関しては差別化はされていないはずです。
後は急行運転と、〔基幹2〕系統の中央走行レーン位でしょうか。
「ミッキー」の愛称もなくなってしまいました。
名古屋市については種村直樹氏のルポがあり(引山に「パーク&ライド」の駐車場・駐輪場があったというくだりが興味深い)、その中に「基幹バス構想路線」の地図があって、最終的には8路線になる予定だったそうです。
しかし、東郊線(〔基幹1〕)、新出来町線(〔基幹2〕及び名鉄)の後は、志段味線が2001年に「ゆとりーとライン」という形で開通したのみで、他の5路線は実現しませんでした。
特に「山手通線」は地下鉄名城線、「金城埠頭線」はあおなみ線が開通しましたから、今後も都市新バス化の可能性はないでしょう。(というか付近のバス路線自体が大幅に縮小。)
都市新バス第1号を走らせた東京都営バスにしても、このあと7路線まで増えますが、現在は車両自体は他の系統と同形式のノンステップ車を導入していて、異なるのは系統毎のフロントのマーク位。
〔都03〕系統に至っては大江戸線開通時の再編成で短縮された上、本数が大幅に削減されて、単独ではもはや「都市新バス」とは名乗れない状況です。
この後は今は廃止になった秋田市営バスの無線方式のバスロケシステムの紹介。
「BUS BODY WATCHING」は神戸市交通局。
低床車と標準床車を並行して導入していたのが特徴だったようです。
都市新バスは新車と在来車の改造でまかない、BU04系も使われていました。
参考までに、2001年の廃止直前に撮影した、末期の都市新バス10系統の車両の画像をご覧頂きます。
神戸市の都市新バス10系統は、地下鉄海岸線の開通で廃止になりました。
その後に東急コーチの記事があります。
東急コーチは貸切バス風のハイグレードな中型車を使用して住宅地を走るバスで、予め設定しておいた迂回路の停留所にコールボックスを設置しておいて、乗客が操作すると、バスが迂回してやってくる「デマンドシステム」を採用しているというのが売りでした。
貸切免許で運行されていて、一般の定期券などはありませんでした。運賃も多少割高でした。
こちらもやがて一般路線化(一般乗合免許に変更)して車両の差別化もなくなり、迂回路も正式なルートに組み込まれてデマンドシステムは廃止になりました。
運賃も一般の系統と同額になっています。
デマンドシステム自体は、渋谷からの東急トランセ・代官山循環で採用されています。
特集の後は「JR“新生”ハイウェイバスを見に行く」と題して、1987年4月に国鉄の分割民営化で生まれたJRが相次いで開通させた高速バス4路線の乗車記があります。
この連載で度々触れた諏訪・岡谷線もあります。
なお、当時東京の折返しでは、京王バスの今はなき初台の車庫に入庫していて、写真もありますが、現在は都営バスの杉並車庫(支所)に入庫している模様です。
また、東京~つくば線は上りの大渋滞が開通当時から問題になっていて、「駒形付近で降りて上野駅に乗り入れるなどの対策が必要」との提言がありましたが、これは後に実現する事になります。(但し平日・土曜のみ)
「この1年の新車から」ではアステローペが登場。
「シリーズ終点」は、山口県の日本海側に浮かぶ青海島(長門市)にある大湊。
サンデン交通と防長交通が両方乗り入れていて、この記事ではサンデン車が写っています。
ちなみにこの翌年(1989年)の5月、私もこの地を訪れています。
本文記事の写真ももこんな感じで写っていたとお考え下さい。
ただし、ここでは防長交通の日野レインボーが停車してます。
ところで、最後の「バスルーム」で、「次号を持って季刊としては一旦終了し、年刊ペースでの発行に変更する予定」である旨のお知らせがありました。
多少ショッキングだったのですが、長くなってしまったので、これについては次回触れたいと思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
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