№5 なぜ、バスファンになったのか? -私の70’s- 2

 昨日はお休みしましたが、私が、(恐らく)バスファンになるきっかけとなった、小学生の頃のバス通学の昔話の続きです。

 さて、私たち一家が港北区新羽町に住んでいた頃、近くには小中学校がなかったため -新設されたのは私たちが引越しでこの地を去った翌年の事でした- 当然、当時としては一番近くの小中学校までバスで通学する事になりました。
 ちなみに、地方とか、あるいは都心でも私立校とかでは今でもバス通学が多いと思いますが、横浜市内の公立の普通小・中学校ではどれ位バス通学が残っているんだろう?

 私たちがバスで通っていたのが、「横浜市立新田小学校」。
 ここで今の話をしますと、この学校は、今は丘の上の方に引っ越しています。
 今の東急バスで東横線の綱島駅(1または2乗場)から勝田折返所・新羽営業所・新横浜駅方面に行く路線に乗ると、15分ほどで「常真寺前」というバス停に着きますが、学校移転前は、ここを「新田小学校前」と呼称していました。
 そして、バスを降りると右手、道路の反対側に鉄筋コンクリートの「新田地区センター」と公園がありますが、これこそが新田小学校の跡地であり、地区センターは小学校の校舎を転用しているのです。 

画像

 (今年(2009年)4月の撮影 この建物が「新田地区センター」ですね)

 私が通っていた頃は、この鉄筋の校舎 -「新校舎」と呼んでいました。- と、2階建ての大きな木造校舎「旧校舎」がありました。
 記憶が正しければ、低学年は旧校舎、高学年が新校舎だったのかな?
 校長室・職員室や保健室は旧校舎。
 旧校舎は長いスロープが子供心に印象的でした。
 そして、プールはありましたが、体育館はなし。
 従って講堂もないので、卒業式などは旧校舎2階の2つの教室の仕切りを取り外して行なっていたようです。

 ちょっと脱線しましたか。バスの話に戻ります。
 前回お話ししたように、通学には今は廃止になった「綱島駅=小机駅」線を利用していました。
 当時のダイヤは、平日は日中は30分間隔、休日はもっと少なかったはずですが、当然休日はあまり乗る機会がなかったので良くわかりません。
(当時は土曜日は平日と同じ。)
 そして、朝の通学の時間ですが、中学生もバス通学 -これは今も同じ場所にある「横浜市立新田中学校」- で、彼らは先行する定期便の綱島駅行、そして小学生は後続の「新羽営業所」行と分乗しました。
 この「新羽営業所」行は時刻表に記載がない、スクール専用便でした。
 営業所に着くと、私たち小学生は営業所の敷地の脇を歩いて、学校に向かう事になります。
 帰りは当時の新田小学校前からの定期便をそのまま利用。
 ただ、他の行先は良いけれど、前述したように小机駅行は30分間隔だから、時には結構待たされて長い列ができる事もありました。

 私は入学時から4年生の9月まで、東急バスで通学していました。
 そして、この後にお話しますが、当時の新羽営業所では路線によって車両の運用が固定されていました。
(今はどうなんだろう?)
 それで、毎日乗っているうちに、子供心にもだんだんと、運用される車両その他諸々について解かってくるようになります。
 次回は通学時に利用した車両を含め、当時の新羽営業所のバスの話をしたいと思います。

 最後に参考までに、その当時の新羽営業所の担当系統についてまとめておきます。

  〔新羽線〕
  綱島駅=勝田折返所
  綱島駅=新羽折返所*1
  綱島駅=小机駅*1
  綱島駅=新羽営業所
  〔綱島線〕
  綱島駅=江田駅
  綱島駅=江田駅=市ヶ尾駅(1日2本)*1
  綱島駅=川和高校(通学時のみ)*1
  綱島駅=中山駅*1
  綱島駅=道中坂下=勝田折返所
  〔新城線〕
  綱島駅=新城駅*2
  〔川和線〕
  横浜駅西口=市ヶ尾駅*1
  横浜駅西口=川和高校(通学時のみ)*1
  〔第三京浜線〕
  横浜駅西口=〔第三京浜〕=二子玉川園駅*1
   *1…現在は廃止 *2…現在は川崎営業所担当
   この他、出入庫に関わる区間運転が多少有り

 これらの系統についても、後で少し触れてみたいと思います。(特に第三京浜線)

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

この記事へのトラックバック