№13 なぜ、バスファンになったのか? -私の70’s- 8〔最終回〕

 長々と、私の小学生時代の昔話を語ってきたこの連載も、今回が最後になります。
 私は小学4年生の9月を持って新田小学校から、現在の戸塚の地の近くにある小学校に転校し、東急バスとはお別れという事にはなりましたが、それでも長年通学で使ってきたバスですから、住んでいた場所と合わせて、その後も気にはなっていて、時々は乗りに来ていました。
 その中から見えた、新羽営業所のその後の動きを簡単にまとめて、この連載を終わりにしたいと思います。

〔新羽線〕 私が住んでいた地域は、特に大規模な開発が行なわれたりはしませんでしたが、それでも乗客が増えていったのか、次第に運行回数が多くなっていきます。
 そして、1986年には、亀甲橋~鳥山間で交差する新道(既に市営バス300系統(新横浜駅~江田駅)が走っていた。)を左折し、新横浜駅へ向かう系統が新設されます。
 その前の年には新幹線「ひかり」号の停車増と、市営地下鉄の延伸があり、これをきっかけにようやく新横浜駅付近もまともな開発が始まる事になります。
 そうなると、小机よりは新横浜の方が求心力があるのは当然で、次第に小机駅行から新横浜駅行にシフトしていく事になります。
 最盛期では確か、平日は新横浜2:小机1の割合、土休日は新横浜:小机が半々位になったかと思います。(違っていたらゴメンナサイ)
 大きな変化を見せるのは、1993年の市営地下鉄あざみ野延伸時です。特に専念寺前・南台町バス停の近くに北新横浜駅(開業時点は新横浜北)が開設された事で、必ずしも完全には並行はしていませんが、やはり地下鉄への乗客の転移が進んだ事で、一転して減便が続く事になります。
 1時間に1~2本、小机系統と新横浜系統が共に1時間に1本あるかないかという程度にまで減ってしまいました。
 結局2000年、ついに思い出の小机系統は廃止され、新横浜系統に一本化される事になります。
 現在〔綱72〕系統と呼称する新横浜系統は40分に1本程度ですから、私が住んでいた頃の小机系統より少なくなっている事になります。
 小机駅行はその後も新羽営業所からの川和線の出入庫便が設定されますが、2007年より早朝の営業所発便が平日1本のみの運行に減らされています。
 なお、地下鉄開通時点では新横浜系統は最初から新羽駅を経由するようになっていましたが、小机系統は直行だったと思います。
 この他、勝田折返所系統の一部が新羽駅を経由するようになっていましたが、これはすぐに取り止めになったようです。

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 新羽線小机系統が通過していた、JR横浜線の新羽踏切。
 小机系統の廃止後も、川和線の出入庫便が通過していました。
 昔はこの踏切を渡ると、亀甲橋まで田畑の中を一直線だったのですが、今は背後の横浜国際総合競技場=日産スタジアムが開場した影響で大分道路事情も変化しました。


  話が前後しますが、地下鉄の開通より前、1985年に新横浜駅~大倉山駅~新羽営業所~新栄高校~港北ニュータウンメイズ~北山田系統が新設されました。
 ルートがまるっきり違いますが、同じ新羽線という扱いになっています。
 ルートからして地下鉄の先行路線である事は間違いありません。
 この系統は横浜市営バス(303系統・港北〔営〕)と共同運行になっていました。
 1994年に廃止になるまでの間、市営バスが新羽営業所の前を通過していたわけですね。

〔その他の路線〕 新羽営業所の営業及び路線網に大きな影響を与えたと思われる出来事としては、以下の事柄が挙げられます。

★東急バス内部
(1) 青葉台〔営〕・虹ヶ丘〔営〕開設 日吉〔営〕の東山田移転

 特に日吉〔営〕は、東横線日吉駅の地下化及び複々線化(目黒線受け入れ)の工事のための移転で、このため新羽〔営〕は、東横線の東側を走る駒岡線・箕輪循環線、及び鹿島田線を受け持つ事になりました。
 鹿島田線は北加瀬・平間駅経由で川崎駅まで乗り入れていたのですが、これはすぐに廃止になって、越路までになっています。
 なお、日吉〔営〕時代は、横浜駅西口~六角橋・新横浜駅~日吉駅という系統がありました。
 これも駒岡線の扱いになっていますが、後に新横浜駅~日吉駅は大減便(出入庫だけだったみたい)になりました。
 のちにこの区間は廃止、横浜駅西口~新横浜駅間のみ新羽〔営〕持ちになりましたが、これもすぐに廃止になりました。
 東山田〔営〕は移転後からすみれが丘・東山田〔営〕から綱島駅に乗り入れていましたが、先のグリーンライン開通時の再編成で廃止になっています。
 青葉台〔営〕・虹ヶ丘〔営〕の開設は田園都市線沿線のニュータウン、及び港北ニュータウンの開発の進捗に伴うものでした。
 新羽〔営〕自体も、一時ニュータウン北線としてたまプラーザ駅への乗り入れがありましたが、現在は東山田〔営〕に移管されています。
(2) 深夜急行バス・空港バスの開始
 1990年に深夜急行バス「ミッドナイトアロー」の第2弾として運行を開始。
 なお、金曜日のみ青葉台駅系統にも運用されるようです。
 一方、2004年に運行を開始した日吉駅~羽田空港線を新羽〔営〕が受け持つ事になりましたが、後に市営バス移譲に伴う担当見直しにより、虹ヶ丘〔営〕が担当していた神奈川県内⇔羽田空港・成田空港・TDR路線をすべて受け持つ事になります。
(その代わり、新城線〔城01〕は川崎〔営〕に移管。)

 この他には新吉田線〔綱74〕系統の新設があります。
 綱島駅~新羽駅間をグリーンサラウンドシティ経由で運行する路線で、道が狭いため大型車が走れません。
 当初は日吉駅~さくらが丘で運用されていたポンチョが、川崎〔営〕からの転属で投入されていたようですが、乗客が増えたため、後に中型車になりました。
 現在はいすずエルガミオ・ワンステップ車が集中的に運用されています。
(新羽〔営〕で中・小型車を使用した路線は初めてのはず。)

 また2001年より、第三京浜経由の新横浜駅~溝口駅直通バスが運行を開始しました。
 深夜急行と共用のワンロマ車で運用されています。
 当初は高津〔営〕との共管でしたが、現在は新羽〔営〕の単独運用になっています。
 かつての第三京浜線と違い、第三京浜上にバス停はありません。
 運行開始当初は完全にノンストップでしたが、後に新横浜側・溝口側でそれぞれ乗降場が設けられています。
 
★東急バス外部
(1) 港北区→都筑区・緑区→青葉区の分区
(2) 港北ニュータウンの町開き
(3) 市営地下鉄3号線(ブルーライン)延伸及びグリーンラインの開業

 これが一番大きかった。
 そもそも新羽営業所自体が、敷地内を地下鉄の高架線が横切る事になったため、事務所棟及び工場棟を新築しています。
 路線としては前述の新羽線が一番影響大でしたが、綱島線のセンター南駅(江田系統)・仲町台駅(中山系統)の乗り入れもあります。
 ただ、中山系統は先のグリーンライン開通時の再編成で廃止されました。末期は1日5往復に過ぎませんでした。
(4) 横浜市営バスの民営移譲
 直接新羽〔営〕が担当するようになったのは、川和線〔市03〕系統(市営バス3系統)。2007年の事です。
 ただし、その前の年には、横浜駅西口~市ヶ尾駅系統が廃止され、これにより東急バスの横浜駅西口への乗り入れは、完全になくなってしまいました。
 なお、前述した空港・TDR路線の新羽集約も、市営バス43系統を虹ヶ丘〔営〕が担当するようになった事によるものと思われます。

〔車両〕 私の新羽在住時には日産ディーゼルonlyだった新羽〔営〕ですが、引っ越した後に三菱ふそうの配置が始まったようです。
 最初から新羽配置の車両と、都内から転属した車両があったようです。
 MP118、通称「ブル」が末期の第三京浜線で運用されているのを見た事もありました。

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 この車両(MP117系)は年式と登録番号のバランスからして、1985から1986年頃に都内から転属したと考えられます。

 1990年代の終わりにはノンステップ車も導入されますが、一方で長尺のワンステップ車も川和線で見られるようになりました。
 やはり、新羽〔営〕では、今でも路線によって運用される車両が決まっているようですね。
 しかし、日野やいすずの配置は、小学生当時には考えられなかった事でした。

 今日の記事につきましては、「バスラマ・インターナショナル臨時増刊 東急バスのすべて」(ぽると出版)、「神奈川のバスマップ」バックナンバー(社団法人神奈川県バス協会)を参考にさせていただきました。
 年代についてはWikipediaを参考にしています。

 本当はもっと書きたい事もあったと思うのですが、一方でこれ以上見苦しいテキストを並べるのも失礼だと思いますので、この連載は一応今回を最終回とさせて頂きます。
 鉄道・バス等の趣味は幼児体験に基づく事が多いとは良く聞きますが、今回連載をしてみて、改めてその通りだなあと感じさせられました。やはり少年時代の東急バスが、今の私のバス趣味の原点なのは間違いありません。
 一方で、「あと10年早く生まれていればなあ」とも思います。少なくとも高校生位の年代だったら、たとえ小遣いが苦しくても、それなりのカメラを買って、バスを撮り歩くという事もありえたかも知れないですから…。

 長い間、お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

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