№2806 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 23.京王相模原線 橋本駅(前)

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 「駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷」、今回は京王相模原線の終点、橋本駅です。
 相模原線が橋本まで延伸したのは、平成の世になって翌年の1990(H2)年3月3日です。多摩ニュータウンを都心と直結させるのが主な使命だった相模原線だが、神奈川県相模原市にあり、JR横浜線と相模線が合流する橋本まで延伸した事で、新たに神奈川県北部と東京の都心をダイレクトに結ぶルートとしての役割も担う事になりました。2022(R4)年度の一日の乗降客数は82,307人、新宿・渋谷・吉祥寺・調布に次いで京王では第5位になり、古くからの京王八王子などを大きく上回っています。

 さて、本当なら開業時の時刻表から始めたかったが、この当時は、京王は時刻表を刊行していませんでした。いや、実は昭和の間に2回刊行があったのだが、当然橋本駅の時刻はなく(相模原線は京王多摩センターまでだった)、従って、橋本駅の開業時の時刻を記した文献を、見つける事ができませんでした。あれば相当貴重な記録になったはず、ですけれどねえ。
(だから8年前に書いた高尾山口駅の時も、昭和の2回については記載しなかった)
 ちなみに、橋本延伸前の1986(S61)年9月に刊行された時刻表に拠れば、当時の相模原線は快速・通勤快速・各停の3本立てで、快速は、稲城・若葉台は通過でした。日中は快速と各停が20分間隔と、まだまだ少なかった。
 京王では、ダイヤ改正を「ダイヤ改定」と呼称していた時期もあったが、ここでは「改正」で統一します。

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1992(H4)年 5月28日改正
 なので、橋本延長後最初の時刻表が刊行された、1992(H4)年5月改正から始めます。京王ではここから、土曜日と休日が一本化されました。
 急行がなかった相模原線だったが、一気に特急の運行を開始した。当時の特急の停車駅は非常に少なく、明大前・調布・京王多摩センターのみ。橋本~新宿間は最速37分。
 快速は相模原線内が各駅停車になり、日中は京王多摩センターで特急を退避。
 当時の京王本線・笹塚~調布間は、平日の日中は20分サイクルで特急(新宿~京王八王子・橋本)2:急行(新宿~高尾山口)1:快速(本八幡~橋本)1:各停(新宿~京王八王子・高尾山口・橋本)3、トータルで21本/hの設定と、複線ながら当時から相当な高頻度だった(土休日は高尾山口発着の各停が調布折返しになるので18本/h)。この改正から、急行がつつじヶ丘に新規停車している(平日は比較的早じまいになり、通勤快速に移行する)。
 なお、当時の京王は行楽輸送シーズンの休日は専用ダイヤとなり、高幡不動での特急の分割・併合も行われていたが、相模原線には影響がなかった。
 今の目で見ると、橋本発の最終電車が、上りとしても早い。日付が変わる前に若葉台行最終が出発している。

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1997(H9)年12月24日改正
 平成の半ばくらいまでの京王はダイヤ改正の頻度が低く、次の改正は5年以上も後になった。クリスマスイブの日の改正とは、またずいぶんと慌ただしい。
 相模原線内に関しては、基本的なパターンの変更はない。最終電車が平日のみ初めて、日付が変わった後の発車になった。

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2001(H13)年 3月27日改正
 ダイヤ体系が大きく変わった改正で、京王自らは「白紙的」と称しているようです。
京王電鉄時刻表 2001年3月改正.jpg
 この時刊行された時刻表は、都営地下鉄やモノレール、京王のバスなどの時刻の掲載もあるが、割と分厚いです。

 本線の最高速度が105㎞/h→110㎞/hに引き上げられた。また準特急が新規に設定され(当時の停車駅は特急+分倍河原・北野)、日中の新宿~高尾山口間の急行を置き換えている。
 相模原線の特急は、急行に変更された。急行は相模原線では初設定となった一方、特急は一度なくなる事になる。急行は調布で日中は京王本線の特急と、夕ラッシュ時は準特急と相互に接続する形態となった。乗り換えは必要になるが、新宿~橋本間の最速は34分と、逆に短縮されている(改正前の直通の特急は、上下とも先行する急行に阻まれて、ノロノロ運転を強いられた事もあった)。
 急行は、日中は都営新宿線内の急行と一本化され、本八幡まで通しで急行運転となった。なお土休日の朝夕には都営線内は各駅停車の列車があるが、この場合は「急行 新線新宿行」→新線新宿から「各停 本八幡行」と称していたようだ。
 この他、快速が八幡山と仙川に新規停車。平日の笹塚~調布間の各停が6本/hに削減されたため、その代替の意味があると考えられる。相模原線の各駅停車は、日中以降は調布折返しの線内区間運転に短縮。
 最終電車が、平日・土休日共24時30分過ぎまで繰り下げ。

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2003年12月 1日改正
 これまで相模原線の朝方ラッシュ時の上りは通勤快速が主役で、線内は全列車各駅停車だったが、この改正で橋本発7・8時台の急行が6本設定され、朝方上りの急行運転が始まった。うち4本は、都営新宿線に直通する。橋本→新線新宿間は54~55分となり、通勤快速と比べて5分程度の短縮となった。
 平日夕ラッシュ時は、急行と線内折返しの各停が交互に10分間隔で運行されている。
 平日の初列車が通勤快速に変更されている。

 この後、2005(H17)年3月にダイヤ改正を行っているが、時刻表の発行が行われませんでした。なので時刻表の作成はナシ。
 平日夜間の急行の10分間隔運転時間帯を拡大した。なお一部時間帯では、新線新宿~調布間は快速で運行、橋本発は「急行 調布行」→調布から「快速本八幡行」として運行されていたようだ。

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2006(H18)年 9月 1日改正
 9000系(9030番台)の増備があり、日中以降の都営新宿線直通急行・快速の大半が10連化された。
 ただ、この時点で10連は京王だけで、東京都側はまだ8連のみだった。このため日中は、新宿線直通急行は全て京王編成だったのに対し、相模原線内折返しの各駅停車は、ほぼ全列車が都営新宿線10形での運用だった。
 この改正時より、土休日のシーズンダイヤは廃止。準特急の高尾線内各駅停車運転が始まっている。
 調布駅付近の連続立体化(地下線化)工事のため、所要時間の見直しが行われている。新宿~橋本間(調布乗り換え)の最速は38分。

 この後、2010(H22)年3月には、相模原線へのATC導入と、急行・快速の10連運転の増強(東京都も10連が導入された)による修正が行われている。
 東日本大震災による節電ダイヤ施行時には、平日日中の急行は相模原線内は各駅に停車となり、各停は運休となった(イヤな時期だった…)。

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2012(H24)年 8月19日改正
 次の改正は、6年あとになりました。だけど、時刻表の刊行がなかったんだよねえ…。
 これ以降の時刻表に関しては、次の2013(H25)年2月改正を除いて、交通新聞社刊行の「MYLINE 東京時刻表」から作成している事をお断りしておきます。調布駅付近の地下線化が完成、線路の切り替えも行われたが、この時の改正はまだ暫定的なものと言え、この時点で早々に、来年2月の全面改正が予告されていました。本線の特急は全て準特急に変更。一時的と分かっているとはいえ、大手私鉄から特急がなくなるのは、異例でした。相模原線は大きなパターンの変更はなく、線内折返しの各駅停車も調布発着のまま(つつじヶ丘あたりまで回送していたと思われるが私は未確認)。

 翌2013(H25)年2月22日に、予告通り大きなダイヤ改正を実施、相模原線でも特急の再設定、通勤快速に変わって区間急行の設定、など、大きな変化が起きる事になります。
 相模原線はこの後、〔京王ライナー〕スタート、コロナ禍による減便、と激動の時期を迎え、対応すべくダイヤ改正の頻度も、これまでとは比べ物にならないほど高くなって、特にライナー運行開始以降は、ほぼ毎年改正が行われるようになります。その変遷は、次回です。

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