№2749 2023 九州の鉄道トピックスを訪ねて 3.「BRTひこぼしライン」と三角線
1回休んだが、九州旅行記続けます。
日田彦山線の添田~夜明間は、2017(H29)年の豪雨災害で被災し、長らく代行バス輸送が続いてきたが、結局鉄道としては立ち直れず、8月28日に「BRTひこぼしライン」として、事実上バス転換されました。
私にとっては日田彦山線自体、またも何十年も乗っていなかった路線で、本当なら夜明(日田)まで全区間鉄道で通して乗りたかったけれど、それはもう叶わぬこと。せめて列車・バス乗り継ぎで、数十年ぶりの日田彦山線の「今」を辿ってみたいと思います。
後半は、これも同じく久しぶりの三角線に乗ります。
12月12日 (火)
夜明けまで通しで行くのであれば、小倉8時11分発の列車に乗れば良いが(田川後藤寺で乗り換え)、添田駅の様子も見ておきたかったから、ひとつ前の7時26分発931D添田行で発ちます。「青春18きっぷ」1日分使用(今回「青春18きっぷ」を使用したのはこの日だけ)。
早朝の小倉駅。
現在のJR九州で交直両用の電車は415系しかいないが、近いうちに置き換えの時期が来るはず。下関へ行く列車の後継車両はどうするのだろう?日田彦山線にハイブリッドとかの新型を導入した上で共用、などと妄想してみたりするのだが。
現状の日田彦山線は未だ、キハ147形の天下。添田行931D。
志井公園駅近くでは、北九州モノレールの企救丘駅を見る。日田彦山線がもう少し早く北九州近郊の通勤路線として、効果を発揮できていたら、JR(国鉄)とモノレールで統一した駅が造られていたのかも知れない(駅の開業はモノレールの開通の後で、1989(H元)年3月11日)。
この列車も通学の学生でかなり混んでいたが、志井公園でどっと降りた。
しかしこの先は、もうローカル線風情になる。石原町で快速3920Dと交換。
伊田のかなり手前で合流するのは、平成筑豊鉄道の田川線。駅が見えるが、田川線の上伊田駅。ここから田川伊田まで、田川線と共用する。
田川伊田駅。平成筑豊のDCが見られる。構内はかなり広いが、線路は少ない。昔は石炭列車が構内を埋め尽くしていたのだろう。
田川後藤寺を過ぎたら、もうガラガラだ。
添田駅到着。鉄道の線路は1線しかないし、何より駅舎がない。ホームの反対側が、BRTの乗り場。停車しているのは、日田から着いた「ひこぼし2号」。
行き止まりの標識。その先に線路の跡が続く。残念ながら、鉄道の旅は、もう叶わない。
バス停、というか、BRTだから標識?「ひこぼしライン」だけでなく、西鉄バス筑豊の10系統(西鉄後藤寺~めんべい添田町工場:「めんべい」とは、辛子明太子風味のおせんべい)が乗り入れる。
バスの発車案内表示もある。鉄道にはないのに。
931Dから直接接続するBRT(一番上の画像の、黄色のBYD・J6)は、彦山止まり。
BRTを運行する、JRバス九州の添田営業所。ここは、1985(S60)年に廃線になった、添田線の跡地にあります。
(添田線の代替バスは、廃止になっている。大任までは大任町のバスがあるらしいが、乗り場はBRT乗り場ではない)
「ひこぼしライン」は、JR東日本が直接運営(運行は民営バス会社委託)する三陸の2路線(気仙沼線・大船渡線)と違い、JR九州バスが運営する路線となっていて、JR九州バスの公式WEBにも、他の一般路線バスと同列で掲載があります。
バスの営業所に隣接して、「添田カメラ」という店舗があります。カメラではなく、主に添田の鉄道のモノクロ写真の販売を行っている。その入口に、福岡市内での「ひこぼしライン」PRイベントのポスターが貼られていました。
中には、D51の模型もありました。デフレクターが北九州固有の形状になっている。
ここで写真を購入。
さて、先のポスターにもあった、トヨタコースター改造のFCバス。JR九州のプレスリリースに掲載があって、週3日、1日1往復のみの、まあ「お試し」的な運行なのだが、なんと、これから乗る日田行で走るダイヤになっていました。先の添田営業所の車庫にも見えていたが、時刻が近づき、駅に向かって走ってきました。
(小倉を早い列車で出てきたのは、確実にFCバスに乗車する事も理由の一つだった。座席定員14席の限定なので)
その車内。普通のコースターと変わらない、と思う(コースターはほとんど乗らないから、比べようがない)。
走っている感じも、正直通常のガソリンエンジン車と変わらない、と思った。少なくとも、大型の「SORA」と、一般のディーゼルエンジン車ほどの違いはない。
乗客はやはり、「試し乗り」がほとんどだと思った。途中の乗降はほぼない。
雨降りだったので、見づらい画像が多くなるのは勘弁してください。彦山から、専用道区間に入る。14人しか乗れないバスなので、J6が続行便として仕立てられています。乗客・途中の乗降があったかどうかは解らない。
深倉は唯一、専用道区間で新規に設定された駅(停留所)だが、山間部で、「ひこぼしライン」では便数が一番少なくなる所。
一般道と交差する地点では、専用道側に遮断桿がある。
釈迦岳トンネルを抜けていく。長い。
車内前方、次の駅(停留所)や運賃を表示するモニターでは、「ひこぼしライン」をPRする動画も流される。
トンネルを抜けると、棚田がある集落になる。釈迦岳トンネルを抜けた先の東峰村はまだ福岡県だが、大分県の日田の方に利用の流れが向いているようだ。それはダイヤを見ても解る(被災前の鉄道もそうだった)。
大行司は、旧鉄道のホームが残されていて、この部分で行き違いが可能になっている。
(今のところ、普通に走っている限りは、ここで行違うダイヤはない)
専用道終点の宝珠山。添田行「ひこぼし6号」のエルガミオが待っていた。
この先はまた一般道で大分県に入るが、途中わき道にそれて、こまめに停車していく、という区間もあって、この点は一般のローカルバス路線と同じ。
今山は、鉄道の線路が途切れた先に専用の折返し場所があり、一般道から一旦それて経由していく形態になっている。
夜明からは鉄道は九大本線になり、バスはその脇の一般道を走行。光岡駅も駅前を経由していく。
日田に着きました。添田から所要1時間33分。
何しろ片道の「お試し」乗車程度では実態が解るはずもないが、添田側・夜明(日田)側双方でこまめにバス停を設定し、沿線の住民の利用を促進する設定になっている、というのは解った。裏を返すと、彦山~宝珠山間だけとなっている専用道区間が延長される可能性は、ほぼないと思われる。釈迦岳トンネルを挟む区間だけ専用道にしたのは、一般道ではあまりにも遠回りで時間がかかりすぎ、という事もあったはず(代行バス時代は、筑前岩屋通過便でも33分かかっていた。「ひこぼしライン」は26分)。それにしても、開業時で既にJ6とエルガミオで間に合ってしまうとは、利用は相当少なさそうだ。利用が増えて、いつか大型車が入ればいいけれど、とは思う。各地で鉄道残すか否か?の議論が盛んになりつつあるが、「ひこぼしライン」は、災害被災区間の復旧の一例、というよりは、全国で起きているローカル鉄道の在り方について考えるためのケーススタディになると思う。同じ鉄道代替BRTでも、幹線的な三陸の2路線とは、いずれ方向性の違いが見えてくるのかも知れない。
日田駅。ここに降り立つのも、相当久しぶりだなあ。
日田市は「進撃の巨人」の作者、諫山 創氏の出身地なのだそうで、駅前にはリヴァイ兵士長の銅像が造られていました。
久留米行普通列車1850D。キハ200系2連のワンマン運転。
駅構内の反対側に「ひこぼしライン」の待機場所があり、先のコースターとJ6の姿がありました。
筑後吉井駅。ちょうど今の時間、窓口が閉まっている(駅員の昼休みだろう)。ICカードは使えない。久大本線の久留米側の導入は善道寺までだが、日田まで導入されても良いのではないか?
筑後吉井はで10分近く停車するが、定期列車の行き違いはない。何があるの?と思っていたら…。
「ななつ星in九州」が現れました。初めて見た。博多を出発したばかり、3泊4日の「雲仙コース」。
(個人的には、「ななつ星in九州」の方が待つべきだと思う。日常のための列車を犠牲にすべきではない。まして「ななつ星in九州」は毎日運転ではないし、ガンガン急ぐ列車ではないはずだ)
久留米からの鹿児島本線345M。鳥栖始発荒尾行。817系2連。
817系では、日英中韓の4か国の言語が繰り返し表示される。ハングルをこんなに大きく表示するのも、韓国に近い九州ならでは、か。
荒尾駅に留置されていた、更新工事前の811系。ロングシート改造はもったいない気も、するけれど。
荒尾から熊本までは、5349Mでつなぐ。815系2連。銀水始発八代行。
熊本駅。ここで、左端の三角線537Dに乗り換える。キハ200×2連。また年齢がバレそうだが、三角線も、国鉄時代末期以来、のはずだ。
車内や、この後の三角駅、それに翌日の肥後大津駅ではこのように、6月5日から三角線・豊肥本線の一部の駅の乗降方法が変わる、と記されている。英語版もあるのは観光路線らしいが。三角線では緑川・網田・三角が対象。最初は例によって、駅務体制の縮小(駅員を置かない時間が長くなる)が理由かと思っていたのだが。
住吉を発つと、島原湾沿いを走る区間が現れる。海の向こうに見えるのは、熊の岳と金峰山、だろうか。
網田到着。ここも、上り列車がないのに10分近く停車があった。
去年の3月18日改正で〔A列車で行こう〕が停車するようになった(下りのみ)網田駅だが、木造駅舎(有形文化財・熊本県最古だそう)の存在は見どころだが、改めて整備されているようではなく、何の変哲もない田舎の駅の風情だ。海がすぐ近く、というわけでもないし。
この網田駅の貼り紙に拠れば、乗降方法の変更は、「コロナ禍の5類移行」が理由だという。これは、どういう事だろうか?当然コロナ禍の最中には乗った事がないから、変更前がどうだったかは知らないのだが。
三角線もICカードを入れても、いいんじゃない?
駅の傍らには、国鉄時代の無蓋貨車(たぶんワム70000形)を転用した倉庫が残っていた。
終点の三角駅。ここはかなりデコっていた。
1面1線の棒線の駅で、線路は少し先まで延びている。これを見て、537Dの網田駅での長時間停車の理由が、なんとなく解った。537Dの網田到着時、運転日なら〔A列車で行こう5号〕が三角到着目前で、到着後線路の先端部まで移動するのを、537Dは網田で待っている、という事ではないだろうか。
なお、道路を隔てた反対側に九州産交バスのバスターミナル(三角産交)があるが、駅とバス乗り場の統一は、できないですかねえ?
駅舎のホーム側には、〔A列車で行こう〕と高速船、それに崎津天主堂を描いたタペストリーが掲げられている。
こうして、三角まで往復して、熊本まで戻ってきました。
本当ならさらに肥後大津まで足を延ばして、翌日の南阿蘇鉄道乗車に備えて宿泊、としたかったが、ホテルが早々に満室になっていて、熊本市内泊とせざるを得なかった。夜はぶらぶらと、市電を乗り歩いていました。
最後に、熊本駅前では、クリスマスマーケットが行われていました。イルミネーションが、時々色を変えながら、クリスマス間近の駅前広場を彩っています。普通の平日だったが、訪れる人々が多かった。そのイルミネーションと、電停にいる市電を合わせて撮ってみました。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
3月16日は、西鉄天神大牟田線でもダイヤ改正が行われます。昨日、リリースが出ていました。桜並木駅(T08)が開業。特急が平日日中の運行を再開し、全特急列車が春日原に新規停車。急行は、平日朝方上りの10本が、平尾・高宮に停車(大橋からは各駅に停車となる)。「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」は、木・金曜日の運行は、木曜日は西鉄福岡(天神)から花畑1往復(花畑折返しの間に記念撮影タイムや、不定期で土産出張販売がある)、金曜日は西鉄福岡(天神)発で太宰府(観光タイムあり)・柳川(途中下車可)経由で大牟田までの片道、それぞれ1便の運行となる。特急は、だいぶ停車駅が増えました。平成が始まった頃は、途中西鉄二日市・西鉄久留米・西鉄柳川・新栄町のみの停車でした(他に朝夕一部が大善寺に、朝方の上りが薬院に停車していた)。
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