
勢力図変わる JRvs私鉄
大阪を中心とした京都~神戸間では、阪急・京阪・阪神の特急に、JRの新快速が挑む構図で競争を繰り広げていた。平成の世になるまでは、私鉄側がターミナルの立地条件と運賃面で優位に立っており、民営化されて間もないJR西日本は、初の新形式となる221系を導入して、特にスピード面と、滋賀県方面、および姫路方面への直通運転の拡充で対抗していた。
転機となったのは、1995(H7)年1月17日に発生した、阪神・淡路大震災だった。特に兵庫県内の被害が甚大で、大阪と神戸を結ぶ幹線はJR・私鉄とも長期の不通を強いられる事になった。3月末に、先行してJRが復旧すると、速達性が注目され、後に阪急・阪神が再開しても、利用者のJRへの転移が進んだ。1995(H7)年以降導入された223系は新快速の主力になり、全車両が223系に統一された1999(H11)年には新快速の最高速度が120→130km/hに引き上げられ、大阪~三ノ宮間は2駅停車で21分となり、スピード面で優位に立った。
一方、阪神と阪急は、特急の停車駅を増やし、沿線の利用を獲得する策に出た。特に阪神は1998(H10)年より、山陽電鉄との相互直通区間を梅田~姫路間に拡大し、全区間を走破する直通特急を設定して、山陽電鉄沿線の利用者の獲得を狙った。2009(H21)年の阪神なんば線開業時に設定した、近鉄奈良線と直通する快速急行との2本立てで、キタ・ミナミ双方のターミナルへ直通できる強みを売り出している。
阪急神戸本線もまた、山陽電鉄の須磨浦公園まで、特急を中心に、自社の乗務員と共に直通を行っていたが、山陽側が大阪への直通先を阪神一本に絞り、編成長の制約もあって、1998(H10)年2月に、直通区間を新開地までに短縮している。その後特急は兵庫県内の夙川と岡本に停車駅を追加し、JRの影響が小さい沿線、および甲陽線からの利用を狙う方針に転換した。
阪急と阪神は、阪神の投資ファンドによる株式買い占めの事態を受けて、経営統合への道を探る。2006(H18)年10月には、阪急HD改め阪急阪神HDの傘下に、阪急・阪神の両社が100%出資の連結子会社として置かれる形態となった。
一方、対京都に関しても、JRの新快速は速達性と、湖東・湖西方面への直通運転の強化もあって、利用者の増加の傾向が続いた。2011(H23)年3月には土休日が、2017(H29)年には平日も、大阪を軸とする区間は全列車が12連運転となった。この間、1997(H9)年には高槻にも新規に停車しているが、一時は最高速度が130km/hに引き上げられ、大阪~京都間は最速27分運転を実現していた(その後福知山線事故を踏まえ、2005(H17)年10月より最速は28分)。2019(H31)年3月改正では、座席定員制の「Aシート」サービスが始まっている。
京阪は、平成になって間もない1989(H元)秋に京都府内の鴨東線が開業、洛北と大阪が鉄道のみで結ばれた。同時に導入された特急車8000系は好評を持って迎えられ、(先代)3000系を置き換えていく。しかし、JRへの転移傾向がみられる事から、特急は中間に停車駅を設定し、沿線の利用者の獲得を狙う方向に向かう。2003(H15)年には府内の樟葉・枚方市にも停車駅を設定、京阪間のみならず、府内北東部の都市と中心部を速達する役目も担う事となった。この間、残存した(先代)3000系に試験的に導入されたダブルデッカー車は人気を博し、8000系全編成にも組み込まれた。特急の8000系原則統一後は、2018(H30)年より有料座席指定車両「プレミアムカー」サービスをスタートさせている。
阪急京都本線も、1990年代半ばには大幅なダイヤパターンの変更が行われ、特急は、1997(H9)年には高槻市、2001(H13)年には茨木市も停車駅に追加、やはり府内北東部と中心部を速達する役割を与えられている。2003(H15)年デビューの3ドアクロスシート車9300系が特急の新しい顔となり、最高速度が115km/hに引き上げられた2010(H22)年に、6300系を全て置き換えた。京阪間ノンストップ特急は快速特急と称し、朝夕のみの運行に改められた。
一方で京阪・阪急とも、休日を中心に京阪間ノンストップ運行の需要も根強くあり、京阪では2011(H23)年の行楽シーズンから臨時列車として快速特急〔洛楽〕の運行を開始、2016(H28)年より毎日運転の定期列車となっている。阪急では6300系6連1編成を観光特急「京とれいん」に改装し、2011(H23)年3月より土休日の快速特急を中心に運行している。2019(H31)年3月には、神戸線用7000系を改造した「京とれいん雅洛」もデビュー、観光快速特急の60分間隔ダイヤが確立した。「雅洛」は神戸線~嵐山間の臨時特急で使用される事もある。
躍進する アーバンネットワーク
平成の世の前半は、大阪を中心に確立したJR西日本の「アーバンネットワーク」が躍進した時期でもあった。
天王寺駅の阪和線は、阪和鉄道時代の名残で、高架上頭端式ホームに発着していた。1989(H元)年7月、阪和線と地上部の大和路線(関西本線)を結ぶ短絡線が完成、紀勢本線の特急〔くろしお〕が大阪環状線を経由し、新大阪(一部はさらに京都)までの直通運転を開始して、新幹線との接続が飛躍的に向上した。当初の特急のみから、翌1990(H2)年3月には早朝・夜間の快速も直通を開始、以降増強を重ねて、関西空港開港を迎える事になる。短絡線は2008(H20)年に複線化された。
大和路線の愛称を与えられた関西本線の快速は、大阪環状線から直通しと、湊町発着系統が交互に運行される形態になっていた。大阪市内と奈良県中部の直結が快速の役割になっていたが、1997(H9)年3月改正では、八尾市内の久宝寺に区間快速が新規停車し、引き続き天王寺~王寺間ノンストップの「大和路快速」との二本立てとなった。2001(H13)年には、全ての快速が久宝寺停車となっている。区間快速は一時期、和歌山線への直通運転も行っていたが、現在は、基本的には大和路快速と普通の二本立てとなり、和歌山線への直通は朝夕のみとなった。
関西本線の終点・湊町駅は、1994(H6)年にJR難波と改称、1996(H8)年には地下に移転した。関西空港開港もあり、JRのミナミのターミナルとしての飛躍も期待されたが、大和路線の快速は大半が大阪環状線直通となり、関西空港直通快速もなくなって、大和路線普通電車がメインの発着になっている。
2001(H13)年、JR桜島線沿線の工場の跡地に、大型テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)がオープン、工場輸送が利用の中心だった桜島線は、桜島付近の再開発もあり、レジャー路線として急浮上した。「ゆめ咲線」の愛称がつけられた同線は、USJに隣接したユニバーサルシティ駅が開業、朝夕には大阪環状線への直通が大幅に増強された。一時はUSJのラッピングを施した列車の運行もあった。
大阪環状線は、東京の山手線と異なり、郊外からの近郊列車や特急が多数流入し、特に一般列車においては、3ドア車と4ドア車が混在する事で、ホームドア設置のネックとなる事が予想された。テストの結果、大阪環状線への3ドア車の導入に支障がない事が確認され、2016(H28)年に321系が導入され、令和の世になった2019(R元)年6月、201系の置き換えが完了した。
スピード指向に転換する新幹線
東海道新幹線〔のぞみ〕の運行開始は、1992(H4)年3月14日。当時は東京~新大阪間を、早朝と夜間に合計2往復するのみの運行だったが、下り〔のぞみ301号〕は航空対策もあって、新横浜~新大阪間がノンストップとなり、「名古屋飛ばし」として話題になった。300系によって最高速度が270㎞/hに引き上げられ、東京~新大阪間は2時間30分となり、〔ひかり〕最速列車より20分以上の所要時間の短縮となった。
翌1993(H5)年3月改正では山陽新幹線にも運行区間を拡大、1時間間隔のパターンダイヤが確立した。新大阪~博多間は、最速2時間31分で結ばれている。〔のぞみ〕はダイヤ改正毎に〔ひかり〕を置き換え、東海道・山陽新幹線の主役となりつつあった。
その陰で、開業以来の顔だった0系、昭和末期にデビューし、2階建て車両も連結した100系は、次第に勢力を縮小していく。昭和末期に0系を改装、グレードアップしたビュッフェやシネマカー、サイレントカーを連結した「ウエストひかり」は2000(H9)年3月改正で運行を終了、0系自体も東海道では1999(H11)年、山陽では2008(H20)年に運行を終了して引退した。国鉄時代末期にデビューした100系は、平成になって間もなく、JR西日本独自の仕様の「グランドひかり」が生み出された。最高速度が引き上げられた他、2階建て車両が4両となり、JR東海新造の編成では省略された食堂車が引き続き連結され、人気となった。しかし、2004(H16)年にはJR東海編成が退役、JR西日本では編成短縮を行って〔こだま〕への転用も行われたが、2012(H24)年までに全車両が引退した。0系・100系の引退は、車両そのものの老朽化に加え、〔のぞみ〕増発による、新幹線自体の高速化に対応できなくなった面もあった。両系列にあった食堂車も300系以降は完全になくなり、新幹線がスピード指向に触れていく象徴となる。
1997(H9)年3月、JR西日本の500系がデビュー。近未来的なデザインが注目を集めた。当初は山陽新幹線区間のみの運行で、当時の世界最速となる時速300㎞/hで走行、新大阪~博多間は最速2時間27分で結ばれた。同年11月には東海道新幹線区間にも乗り入れを開始している。1999(H11)年には、JR東海・西日本共同開発の700系もデビューしている。
2003(H15)年10月改正で、東海道新幹線では〔のぞみ〕の運行本数が〔ひかり〕を上回り、完全に主役となった。2007(H9)年にはN700系がデビュー、300系・500系の置き換えが進められた。300系は2012(H24)年までに全車両引退、500系も同時期に〔のぞみ〕運用がなくなり、短編成化の上、山陽新幹線内の〔こだま〕に特化して運用されている。
山陽新幹線では、「ウエストひかり」に代わり、2000(H12)年3月、700系7000番台8連の「ひかりレールスター」がデビューしていた。グリーン車の設定がない代わりに、指定席が2-2配置とグレードアップされ、個室も設定された。しかし、2011(H23)年3月12日に全線が開業した九州新幹線・鹿児島ルートとの直通運転が始まると、〔ひかり〕の大半は〔さくら〕に置き換えられ、さらに〔のぞみ〕と同格の〔みずほ〕が設定された事で、「ひかりレールスター」は、山陽新幹線のスターの地位を失っていく。〔ひかり〕運用はほとんどなくなり、大半は〔こだま〕での運用になっている。近年の山陽新幹線は、東海道と九州の両新幹線に挟まれる格好で、独自の施策が見いだせていない。
東海道新幹線では、2012(H24)年に改良型N700A系が導入され、在来のN700系も改修が行われてN700A系となった。700系もまた、平成の終焉の時点では、定期〔のぞみ〕運用は完全になくなり、令和の世になった2020(R2)年3月には全車両が引退、全列車がN700A系に統一される事となる。
在来線特急・急行ネットワーク 矮小化
一方、大阪に発着する在来線の特急列車、特に夜行列車は、新幹線や高速バスに押される形で、急速に縮小が進んだ。九州方面行は、寝台特急〔なは〕〔あかつき〕〔彗星〕が存続、〔なは〕〔あかつき〕には、「レガートシート」と称する大型リクライニングシートを設置した座席車も連結された。しかし、〔なは〕との併結運転に改められていた〔彗星〕は2005(H17)年に廃止。〔なは〕は連結相手を〔あかつき〕に変えたが長続きせず、2008(H20)年に廃止となって、九州行ブルートレインは消滅した。北陸・東北方面は〔日本海〕2往復と〔つるぎ〕の設定があり、〔日本海〕1往復は青函トンネルを経由して、函館まで直通運転を行っていた。しかし〔つるぎ〕は1994(H6)年に事実上廃止、〔日本海〕は2006(H18)年に函館直通が廃止になったのち、2012(H24)年までに、2往復とも廃止となった。
大阪発着では夜行急行の設定もあり、東京行〔銀河〕は特急と同等のブルートレイン車両が使用されていたが、2008(H8)年3月に廃止、60有余年の歴史に幕を閉じた。583系寝台電車が転用されていた新潟行〔きたぐに〕は、2012(H24)年改正で臨時列車に格下げになり、翌年の年始輸送を最後に姿を消した。長野行の〔ちくま〕は客車編成から、1998(H10)年より電車特急〔しなの〕と共通の383系におきかえられたものの、2006(H18)年以降は運行がなくなった。福知山線経由で大阪と出雲市を結んでいた〔だいせん〕は、1994(H6)年に、客車から、〔エーデル鳥取〕に使用されていたキハ65系に置き換えられたが、2004(H16)年10月に廃止となった。この他、多客期には多数の急行・快速の夜行列車が設定されていたが、21世紀を迎える前後に、全て運行がなくなっている。大阪を発着する定期の夜行は、東京~高松・出雲市間の〔サンライズ瀬戸・出雲〕上り列車が、大阪に停車するのみとなった。
昼行の特急・急行も、ネットワーク的には矮小化が進んだ。長らく日本最長の昼行特急だった青森行〔白鳥〕が、2001(H13)年改正で、系統を分断する形で廃止となり、〔雷鳥〕ネットワークに組み込まれた。〔雷鳥〕は681系・683系〔サンダーバード〕への置き換えが進められ、所要時間の短縮も図られたが、2015(H27)年の北陸新幹線開業時に、和倉温泉直通1往復以外は、大阪~金沢間の運行に短縮されている。
福知山線では、電車特急〔北近畿〕に加え、〔北近畿〕に併結して宮福鉄道(後に北近畿タンゴ鉄道を経て、現京都丹後鉄道)に直通する〔エーデル丹後〕、〔まつかぜ〕の流れを受け継ぐ〔エーデル鳥取〕の設定があった。後に宮津線の北近畿タンゴ鉄道転換に伴い、同社のDCによる〔タンゴエクスプローラー〕の運行が始まり、また舞鶴線の電化に伴い、天橋立へ直通する〔文殊〕の設定も行われた。2011(H23)年3月改正時には京都発着の特急と共に再編成が行われ、〔北近畿〕は〔こうのとり〕と改称、〔文殊〕も統合し、福知山線の電車特急は〔こうのとり〕に一本化された。一方、〔エーデル鳥取〕は、1999(H11)年に廃止になっている。
一方、1994(H6)年12月、新規開業した第三セクター鉄道・智頭急行を経由し、大阪と鳥取・倉吉を結ぶ〔スーパーはくと〕が運行を開始した。同社の振り子式特急DC・HOT7000系を使用し、高規格の線形もあって大阪~鳥取間は最速3時間34分となり、〔エーデル鳥取〕の4時間11分から、大幅に所要時間を短縮。同区間の空路を廃止に追い込むまでに至った。当時はJR181系〔はくと〕も合わせて運行されていたが、後に統一、増発や京都延長も図られている。最後まで181系が使用されていた、播但線経由〔はまかぜ〕は、2010(H22)年に189系に置き換えられた。
JR東海から1往復が直通していた〔しなの〕は、〔白鳥〕廃止後は最長の昼行特急となっていたが、2016(H28)年に名古屋~大阪間が廃止となった。一方、高山本線から直通の急行〔たかやま〕は、1999(H11)年に特急〔ひだ〕に格上げされた。
この結果、大阪市内を発着するJR在来線昼行特急の最長は、和倉温泉直通〔サンダーバード〕1往復(327.0㎞)となり、他に300㎞を超えて運行される列車は存在しない。
近鉄・南海 ミナミの私鉄の動静
名古屋や伊勢・志摩方面への大動脈となる近鉄では、私鉄界をリードする特急車両が相次ぎデビューした。大阪線では、1988(S63)年の名阪間ビジネス特急「アーバンライナー」に次ぎ、1994(H6)年には、伊勢・志摩方面の観光特急「伊勢志摩ライナー」をデビューさせた。この2大特急車両を筆頭に、「ビスタカー」をはじめとする一般特急車が、近鉄の特急ネットワークを支える構造が続いている。伊勢志摩方面は一時、改装工事を行った上本町駅をターミナルに据えたが、現在は再び大阪難波発着中心に戻している。南大阪線でも、1990(H2)年に吉野方面への観光特急として「さくらライナー」がデビュー。改修やデラックスシート設定を重ねながら、今日まで活躍が続いている。
近年は、さらにグレードを高めた特急車両が相次ぎデビューしている。伊勢志摩方面には2013(H25)年、ハイグレード特急車として、「しまかぜ」がデビュー。南大阪線でも、通勤車の改造ながら、観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」が、2016(H28)年より運行されている。両列車とも特急料金に加えて特別料金を必要とし、専任のアテンダントが乗務、軽食を提供するコーナーが設けられている。名阪間には、2020(R2)年以降の新特急車「ひのとり」の導入がアナウンスされた。
一方、一般列車は、特に大阪線では需要の減退が続き、区間快速急行の廃止、区間準急の設定など、列車の統合が行われている。かつては伊勢方面への低廉な足として、クロスシート車を優先的に使用していた快速急行も、近年ではダイヤ改正の度に急行に格下げになり、大阪~奈良県中部間の、通勤時の輸送力列車の意味合いが濃くなっている。奈良線でも、区間準急の設定により、特に東花園以東での列車の統合が進められた。
南海線では、一般車に座席指定車両を併結させるスタイルの先駆けとなった特急〔サザン〕が、当初の指定席車2両が、利用の好調さから増結を重ね、1992(H4)年からは、全列車4両となった。当初は泉佐野~和歌山市間ノンストップだったが、1994(H6)年改正でみさき公園、2001(H13)年改正で尾崎に停車、難波と阪南地域を速達する足ともなった。2005(H17)年11月改正では急行の統合により、30分間隔運転となり、〔ラピートβ〕も含めると、難波~泉佐野間は、日中の特急15分間隔のパターンダイヤが確立している。2001(H13)年には天下茶屋への停車も開始、地下鉄堺筋線を介して、阪急京都線沿線への利便性も向上させている。2010(H22)年には12000系〔サザンプレミアム〕もデビューした。
一方、多奈川線に直通、深日港からの航路に接続していた急行〔淡路号〕は1993(H5)年4月に廃止。和歌山からの徳島航路も縮小傾向にあり、海→空へのアクセスのシフトが続いた。
高野線は、林間田園都市(和歌山県)間まで完成していた大規模改良工事が、1992(H4)年には橋本(和歌山県)まで到達。同時に、元からの〔こうや〕に加え、難波~橋本間に〔りんかん〕が設定、全列車が金剛に停車となり、「ミナミ」と大阪府南部のアクセスが飛躍的に向上する事となった。なお、難波~橋本間は一時「りんかんサンライン」の愛称がついたが、定着しなかった。
本来は高野線の一部の汐見橋~岸ノ里間は、事実上南海線の支線となり、岸ノ里付近の高架化(同時に玉出駅と統合して岸里玉出)により、線路は完全に分断された。高師浜線・多奈川線と共に、利用者の減少に対応して、列車本数の削減が続いている。
天王寺線は、天王寺~今池町間のみ、他の南海線と切り離されて孤立した小路線として運営されていたが、1993(H5)年3月いっぱいで廃線となった。
南海を巡る 3鉄軌道会社
泉北高速鉄道線は、第3セクター・大阪府都市開発が運営していた通勤鉄道で、南海高野線と、相互直通運転を行っていた。1995(H7)4月には光明池~和泉中央間が延長開業している。2014(H26)年7月に南海が全株式を購入、社名も泉北高速鉄道となり、南海グループの一員となった。2015(H27)年12月には同社保有の12000系を使用した、特急〔泉北ライナー〕の運行を開始。区間急行による難波直通の増強も行われている。
大阪市電廃止以降、大阪府内唯一の路面電車となっていた阪堺電気軌道は、特に堺市内区間の経営状況が思わしくなく、21世紀になって、廃止を含めた協議が堺市に打診された。一時は公営化や、当時予定されていた、臨海地区へのLRT東西線と一体化する構想もあったが、2009(H11)年の堺市長選挙の結果、全てが白紙撤回される事となった。後に堺市は、既存区間の費用面での支援で合意、存続問題には一応の決着がついた。
阪堺電軌では運行形態を見直し、上町線天王寺駅前~阪堺線浜寺駅前間の直通運転を基本とし、阪堺線は恵美須町~我孫子道間の折返し運転となった。また、全線を均一運賃としたほか、2013(H25)年には超低床車「堺トラム」を導入して、車両面の体質改善を進めている。住吉~住吉公園間は、2016(H28)年1月いっぱいで廃止となった。
水間鉄道は、1990(H2)年に昇圧の上、元東急7000系を導入、旧型電車を全て置き換えた。経営面での行き詰まりから、2005(H17)年には会社更生法の申請を行い、全国に飲食店を展開するグルメ杵屋の子会社となって、経営を再建した。清児~犬鳴山間の鉄道事業免許は、1996(H8)年に廃止になっている。
外環状線の開業相次ぐ
大阪市内から放射状に延びる路線が競合する大阪府は一方、郊外で各路線を短絡する外環状線の整備が進まなかった。後の地下鉄今里筋線も、その考え方に沿った路線と言えるが、その最初のものは、1990(H2)年に開業した、大阪高速鉄道(大阪モノレール)だった。当初の千里中央~南茨木間6.7㎞の小規模な路線は年を重ねる毎に延伸を重ね、1997(H9)年4月には大阪空港に到達。蛍池で阪急宝塚本線と接続した事で、空港アクセス鉄道としても機能するようになった。同年8月には京阪本線の門真市に到達、21.2㎞となって、翌1998(H10)年、世界最長のモノレールとしてギネス世界記録に認定される事となった。この年には、万博記念公園から分岐する支線として、国際文化公園都市線(彩都線)が開業している。
東海道本線と関西本線を短絡する城東貨物線は、平成の世になって以降旅客線化構想が浮上し、1996(H8)年、大阪府と大阪市、JR西日本などが出資して設立された大阪外環状鉄道によって、旅客線としての整備が始められ、2008(H20)年3月、放出~久宝寺間が開業。朝夕には奈良からおおさか東線を経由、JR東西線に直通する「直通快速」が設定された。そして、2019(H31)年3月16日、新大阪~放出間が開業し、予定されていた区間が全通した。普通列車の他、直通快速も新大阪~奈良間の運行に改められている。全区間、施設は大阪外環状鉄道が保有、JR西日本が第2種事業者として列車を運行している。
この新大阪~放出間こそ、平成時代最後の、日本の鉄道新線となった。
大変貌 キタとミナミのターミナル
JR大阪駅は、2004(H16)年より大規模な改良工事が始まり、2011(H23)年5月、「大阪ステーションシティ」としてグランドオープンした。ノースゲートビルとサウスゲートビルにまたがる巨大なドーム状の屋根で構内全体を覆い、ホームの上屋を撤去した事で、広々とした空間が提供される事になった。在来の地下通路に加えて、ホーム上に建設された南北連絡橋からは、ホームに出入りする列車を見物する事も可能になっている。また、JRの高速バスターミナルは、ノースゲートビルの1Fに移転・拡充された。
近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅は、21世紀に入り、ターミナルビル旧館建て替えに合わせて、超高層ビルを建設する事となった。2014(H26)年3月にグランドオープンした「あべのハルカス」は、地上60階建て・高さ300mとなり、横浜市のランドマークタワー(296m)を抜いて日本一の超高層ビルとなり、ミナミの新しいランドマークとなった。
JR弁天町駅に隣接して立地していた交通科学博物館は、京都の鉄道博物館建設に先立ち、2014(H26)年4月、閉館した。
次回・3回目はデータ編と、令和に入ってからの動きです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《What's New》
18日 藤井 聡太七冠 棋聖戦4連覇
19日 アスレチックス藤浪 晋太郎 オリオールズ移籍発表
20日 東京都 新型コロナ感染者前週比1.08倍 4週連続増加
秋田の豪雨はとりあえず落ち着いたようだが、奥羽本線・大曲~和田間(1067㎜軌間)と、五能線・能代~深浦間は、8月中旬の運行再開を目指すと発表がありました。秋田新幹線は運行、大曲~秋田間は普通乗車券・定期券のみで利用できるという事(「青春18きっぷ」でも乗れると思うが、記載がなかった)。また、大曲→秋田間に上り1本、普通列車の臨時を運行(ノンストップ)。北上線のほっとゆだ~横手間は、運行再開の見込みが今のところたっていないという事。これで済むのならまだいいのかも知れないが、東日本はまだ不安定な天気が続くという予報があって、とにかくまだ心配は尽きない所です。