№2680 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 27.大阪府(1)

 秋田県の豪雨は凄まじいものがあったようで、人的な被害が何より心配だが、鉄道などの交通も、間違いなくただでは済まないだろうと思っていました。更新時点では、JRは秋田新幹線が明日も終日運行見合わせの予定とされています。一番肝心な大曲~秋田間が、未だに設備の点検もできない状況との事。また五能線は線路設備の損害が確認されている(具体的な状況は分からない)ため、東能代~深浦間は当分運行できないとしています。この他、八郎潟~東能代間と、男鹿線も運行再開の見通しが立たないという事でした。秋田内陸縦貫鉄道と由利高原鉄道は損害がなかったようで、全線で運行を再開できたのは何より。空港は秋田・大館能代共通常通り運用(ANAは羽田~秋田線にB777-300を飛ばしたらしい。秋田新幹線不通が理由かは不明だが)。バスも、一部路線で運休・迂回運行が発生しているが、広範囲で運行不能、という状況まではなっていないように見えます(羽後交通は近くの営業所へ問い合わせをという事)。しかし先日の山口県や九州北部もそうだが、この数年、6~7月の梅雨の時期になると決まって日本のどこかで「破壊的」な豪雨が発生し、しかも年々狂暴になっています。先日も書いたが、どうも昨今のローカル鉄道は、「一歩進んで五歩後退」という状況に陥っているように思えてなりません。どこまで備えれば良いのか。ただでさえ貧弱なローカル鉄道にとって、災害対策はますます重荷になってくるのではないか。

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 さて平成の30年間の鉄道を回顧するシリーズ、今回はいよいよ大阪府です。ボリュームがありますので、3回に分けます。「私鉄王国」の異名も持つ地域ゆえ、鉄道ネットワークの拡充は民間先行で進んできた感がありました。また、特に20世紀の内には「花博」や関西空港開港などのビッグプロジェクトも多々あったが、一方でオリンピック・パラリンピックの招致の失敗もあり、その他もろもろ交通以外の事情もあって(特に政治面)、府内の鉄道ネットワークも翻弄される所があったように思います。一方で、画期的な相互直通運転も始まりました。

大阪市営 公営地下鉄初の民営化
市中心部貫く地下新線 相次ぎ開業


日本初 リニア地下鉄開通
「花と緑の博覧会」(花博)が市北東部の鶴見緑地で開幕した1990(H2)年の3月、会場へのアクセスとなる大阪市営地下鉄・鶴見緑地線が開業した。日本で初の、リニアモーターによる駆動方式を採用している。リニア地下鉄は、台車に薄型のリニアモーターを搭載、軌条間に敷かれたリアクションプレートが発する磁力と引き合う事で、推進力を得らえる。トンネルの断面を小さくできる(在来の地下鉄の約6割)、急こう配・急カーブを克服できる、などの利点があり、建設費の低減を狙えるシステムとして、南港の試験線で走行実験が行われていた。
 開業時は京橋~鶴見緑地間5.2kmの短区間で、他の市営地下鉄路線と接続しない「落下傘」路線だったが、この開業で大阪の地下鉄は東京に次いで、総延長が100kmを越える事になった。
その後は都心に向けて延長工事が重ねられ、1994(H6)年12月には心斎橋まで延長、他の市営地下鉄路線と接続した。この時点で、他の市営地下鉄路線同様、頭上を通る大通りの名称(長堀通)をつけて路線名を改称したが、既に鶴見緑地線の愛称が定着していた事から、この4文字も残し、長堀鶴見緑地線とした。翌1997(H9)年8月には両端を延伸、大正~門真南間が全通した。同路線は、その後の今里筋線のほか、東京都、神戸市、横浜市、福岡市、仙台市と続くリニア地下鉄の先駆けとして、歴史に刻まれる事となった。
 堺筋線は、動物園前から天下茶屋へ延伸工事が進められていたが、南海線の連続立体化と一体の整備のため延伸が遅れ、開業は1993(H5)年3月となった。翌年の関西空港開港に合わせ、南海側も空港アクセスのダイヤを整備した事で、阪急と相互直通運転を行っていた堺筋線も、関西空港へのアクセス機能を積極的にPRする事となった。またこの開業は、御堂筋線の混雑緩和にも寄与する事となる。
 南港を控えた咲洲地区の開発に伴い、中央線の大阪港、新交通システムの南港ポートタウン線(ニュートラム)の中ふ頭からそれぞれ路線を延伸し、コスモスクエアまでの路線の延伸が図られる事になり、1997年12月に開業した。延伸区間は、大阪市の関連企業である、大阪港トランスポートシステム(OTS)が運営、大阪市営と相互直通を行う形態となった。ニュートラムテクノポート線では、新交通システムで唯一、2者の相互直通運転を行った路線となった。当時招致を行っていた2008(H20)年のオリンピック・パラリンピックの会場の予定地となっていた咲洲地域へのアクセスとして期待されたが、招致合戦は北京に敗れ、トレードセンターを中心としたビジネス輸送が中心となった。しかし、運賃の割高感から利用は伸び悩み、2005(H17)年7月、両路線とも大阪市交通局の運営となり、中央線及びニュートラムに編入される事となった。車両も全て、大阪市に譲渡されている。施設は引き続きOTSが保有するが、旅客営業の事業者としては、8年足らずの短命に終わった。

今里筋線開通 そして民営化への道
 1999(H11)年12月、第2のリニア地下鉄となる今里筋線が開業した。市内中心部には入らない外環状線的な路線で、JR大阪環状線の東側で、他の地下鉄路線や私鉄、JRと接続する。太子橋より南側は、1970(S45)年まで運行された、トロリーバスのルートとほぼ同じである。車両基地は長堀鶴見緑地線と共用になり、清水から長大な連絡線も設けられている。
 21世紀に入ると、その今里筋線の利用の伸び悩みや、副業の不振などから、経営形態の見直しの議論が重ねられる事になった。2015(H27)年実施の「都構想」住民投票も絡んで、市政そのものの在り方も含めて議論は紛糾したが、2017(H29)年3月の市会で民営化が可決、翌2018(H30)年4月1日、大阪市高速電気軌道㈱に経営が移行、民営企業として再スタートする事になった。東京都と8政令指定都市で運行されていた公営地下鉄では、初の民営化事例である。一般的な愛称として、「Osaka Metro」と呼称され、「Mooving M」を体現した新シンボルマークも制定された。
 同時に市営バス事業も民営化され、大阪シティバスとなった。当面Osaka Metroは大阪市100%、大阪シティバスはOsaka Metro100%出資となる。将来的な経営見直しの一環として、今里筋線延伸予定の、今里より南部の区間は、社会実験として「いまさとBRT」と称するバスシステムが、2019(H31)年4月1日よりスタートした。Osaka Metroが大阪シティバスに運行を委託する形態を採っている。
 2025(R7)年の大阪万博開催が、2018(H30)年11月に決定した。会場の舞洲へのアクセスとして、中央線の延伸事業が有力視されている。今後、夢洲のIRリゾート整備など、市政そのものを左右される状況が相次いで起こると見られ、その中でのOsaka Metroの動向が注目される。

地下新線 東西直通ネットワークを構築
 平成の30年間では地下鉄以外でも、大阪環状線の内側を東西に貫く地下新線が相次ぎ開業した。それらは市の東と西の路線を接続し、大阪では比較的手薄だった相互直通ネットワークの拡充につながった。
 JR東西線は、国鉄時代より「片福連絡線」の構想があった。「キタ」の市街地の南側を通過する、京橋と尼崎を結ぶ地下新線を建設、文字通り片町線と、福知山線を連絡して相互直通運転を行う構想で、関西圏の国鉄の地位を高める路線として期待されていた。建設の着手は民営化以降になり、平成の世になった1989(H元)年に着工、出水事故により当初予定より2年遅れながらも、1997(H9)年3月に開業した。開業時より当初の構想通り、東側の学研都市線と、西側のJR宝塚線に加えてJR神戸線(東海道・山陽本線)とも直通運転を行い、アーバンネットワークの、東西を貫くもう一つの柱に成長した。
 片町線は平成に入って以降、長尾以南の電化(これにより、大阪府内の鉄道線は全て電化)や宅地開発もあり、快速が設定されるなど通勤路線としての地位が高まっていて、JR東西線への直通で、「キタ」の中心地や兵庫県方面への直通ルートが確立、さらに利便性が向上する事となった。この影で、1895(M28)年の浪速鉄道による開業以来の始発駅だった片町駅は廃止となり、100年以上の歴史に幕を閉じた。
 平成の大阪の鉄道で、最も大きなインパクトを与えたのは、阪神なんば線だった。路線の構想自体は戦後からあったが、1989(H元)年の運輸政策審議会によって最重要整備路線と位置付けられ、大阪ドームの開業もあって、路線の整備の機運が高まった。2003(H15)年に工事が着手され、5年半後の2009(H21)年、大阪難波~西九条間が開通、在来区間も含めて「阪神なんば線」と称する事になる。阪神は大阪のキタとミナミ、双方の繁華街に乗り入れた最初の私鉄となった。
 阪神なんば線は同時に近鉄難波~奈良線と相互直通運転を開始し、大阪を介して奈良と神戸を直結する、関西では唯一の、私鉄による東西直通ルートが完成した。各駅停車の他、奈良と神戸三宮を結ぶ快速急行が設定されている。19m級3ドアの阪神車両と、21m級4ドアの近鉄車両という、規格が異なる2社の直通運転は、前例がないものだった。2014(H26)年からは、近鉄特急車両による阪神線直通(団体列車)も行われている。
 阪神なんば線開通の1年前、2008(H20)年10月には、京阪中之島線が開業した。中之島地域の開発に合わせ、天満橋までの複々線部を延伸する形態で、中之島まで開業している。京阪では同時に快速急行車両として(新)3000系を導入するなど力が入ったが、開発の遅れもあって利用は伸び悩み、現状は朝夕を除き、各駅停車のみの運行に整理されている。
 3路線は、建設の主体となった企業が、第3種鉄道事業者として線路・施設を保有、鉄道会社(JR西日本、阪神、京阪)は第2種鉄道事業者として営業を行う点が共通している。JR東西線はJR西日本、阪神なんば線は阪神、京阪中之島線は京阪を主体に、共に大阪府と大阪市が中心となって出資した第3セクター企業である。早くから営団地下鉄→東京メトロ、都営地下鉄との相互直通方式が確立していた東京と異なり、大阪では私鉄自らが市中心部を目指しながら、「市内の交通は市営で」の「市営モンロー主義」に阻まれていた面もあった。3路線の開業は、市営地下鉄の民営化と合わせ、大阪の鉄道の方向性が転換された事も意味していた。

関西国際空港開港 鉄道アクセススタート
 1994(H6)年9月4日、泉佐野市の泉南沖に、関西国際空港が開港した。在来の大阪国際空港(伊丹)の代替の新空港が待望されていたもので、海上に人工島を埋め立てて空港施設を建設する、日本では初めての方式となった。開港時より24時間運用をうたい、特に伊丹から全面移転した国際線と、国内各地からの国内線の接続の良さを、PRの材料としていた。
 大阪市内からの鉄道アクセスはJR西日本と南海が担う事になり、共に関西国際空港(現在は分社で新関西国際空港)が建設した空港橋を介した、鉄道新線を建設した。JR西日本は阪和線の日根野、南海は南海線の泉佐野から分岐するが、軌間が同じ1,067㎜である事から、空港橋を挟むりんくうタウン~関西空港間は、2社が共用する事になった。
 JR西日本は281系特急車を用意し、〔はるか〕として、関西空港から天王寺、さらには大阪を経由して、京都まで運行を開始した。また、〔はるか〕を補完する形で、大阪環状線に乗り入れて京橋(一部車両はJR難波)まで直通する関空快速を設定、翌1995(H7)年には、指定席を設定した〔関空特快ウィング〕に発展している。
 一方の南海は、「レトロ&フューチャー」をコンセプトとした空港特急〔ラピート〕を設定。専用車両の50000系は、スチームパンクを彷彿させる大胆なデザインで注目を集めた。ノンストップの「α」と、主要駅停車の「β」を交互に運行するダイヤとなり、補完する形で、在来の急行の運行区間を変更した空港急行を設定している。
 JR・南海とも、当初は主要駅に「スルーチェックイン」サービスを導入していた。南海は難波駅に「なんばCAT」を設置、JAL・JAA国際線利用者はチェックインと手荷物の受付を済ませ、空港ではスムーズな乗り換えができるようになっていた(JRは京都駅に設置)。50000系には旅客の手荷物を搭載するスペースも設けられたが、利用は振るわず、米同時多発テロ事件の影響もあり、サービスは終了する事となった。
 その後、空港の需要の伸び悩みがあり、JR・南海とも、ダイヤの見直しが行われる事となった。JRでは、〔関空特快ウィング〕は1999(H11)年10月改正で廃止となり、全車自由席の関空快速が、阪和線・大阪環状線内は和歌山方面からの紀州路快速と併結する形態に改められている。〔はるか〕は一時、日中の減便(臨時列車化)も行われたが、その後LCCキャリアの就航の増加により、平成最後のダイヤ改正となった2019(H31)年3月には、定期列車30分間隔運転に復帰していた。
 南海も〔ラピート〕は一時、αは朝方の下りのみとなり、大半がβでの運行となっていたが、後に夜間の空港発でαの運行が復活している。この間、高架化が完成、地下鉄堺筋線との接続が実現した天下茶屋駅には、1996(H8)年10月より〔ラピートβ〕と空港急行が、2003(H15)年3月には〔ラピートα〕も停車を開始し、堺筋線が直通する阪急電鉄沿線の利用者の利便性が、大きく向上した。2005(H17)年に高架化事業が完成した泉佐野駅では、関西空港⇔和歌山方面間の乗り換えが、同一ホーム上で可能な3面4線構造となっている。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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17日 中国GDP 4~6月は前年比+6.3%
 ところでこの数カ月、ツィッターの閲覧制限がどうのこうの世界中で大騒ぎになっているが、このため私も、交通事業者のツィッターを、そのままでは閲覧できなくなってしまいました。投稿もリツイートもするつもりはないのに、アカウントを作ってログイン、という形にしないと、見る事さえできない。情報発信のツールとして採用してきた各交通事業者、あるいは地方自治体などなども、これでは困るのではないか。この機にメタの「スレッズ」に乗り換える、という所も出てくるかもしれないが、これはこれでまた別の問題を生み出すかもしれない。いろいろ言い分もあるだろうが、どうも一握りの「IT長者」どもにSNSの世界が弄ばれているように思えて、私個人としては、極めて不愉快です。別に最初からやらないけれどね。