平成の鉄道回顧・大阪府、今回はデータ編です。JR西日本では「アーバンネットワーク」成立と期を同じくして、大半の路線で愛称名が制定されました。大阪府で言うと、「ゆめ咲線」(桜島線)、学研都市線(片町線)などです。が、あくまで愛称名であり、正式な路線の改称ではないので、ここでは愛称名は記さず、正式の路線名を記しています。いまさら大阪で「東海道本線」とか「関西本線」と言われても、ピンとこない人が多くなったのも事実だろうが。「改称路線」にも含めていません。
◆平成時代の新規開業路線・区間 〔カッコ内は新線開業に伴う新駅(府内のみ)〕
1990(H2)3月20日
大阪市交通局 鶴見緑地線 京橋~鶴見緑地
〔京橋/蒲生四丁目/今福鶴見/鶴見緑地〕
1990(H2)年6月1日
大阪高速鉄道 大阪モノレール線 千里中央~南茨木
〔千里中央/山田/万博記念公園/茨木/南茨木〕
1993(H5)年3月4日
大阪市交通局 堺筋線 動物園前~天下茶屋
〔天下茶屋〕
1994(H6)年6月15日
西日本旅客鉄道 関西空港線 日根野~関西空港
〔りんくうタウン/関西空港〕
南海電気鉄道 空港線 泉佐野~関西空港
〔りんくうタウン/関西空港〕
1994(H6)年9月30日
大阪高速鉄道 大阪モノレール線 柴原~千里中央
〔柴原/少路〕
1995(H7)年4月1日
大阪府都市開発 泉北高速鉄道線 光明池~和泉中央
〔和泉中央〕
1996(H8)年12月11日
大阪市交通局 長堀鶴見緑地線 心斎橋~京橋
〔松屋町/玉造/大阪ビジネスパーク〕
1997(H9)年3月8日
西日本旅客鉄道 JR東西線 京橋~尼崎(兵庫県)
〔大阪城北詰/北新地/新福島/海老江/御幣島/加島〕
1997(H9)年4月1日
大阪高速鉄道 大阪モノレール線 大阪空港~柴原
〔大阪空港/蛍池〕
1997(H9)年8月22日
大阪高速鉄道 大阪モノレール線 南茨木~門真市
〔沢良宜/摂津/南摂津/大日/門真市〕
1997(H9)年8月29日
大阪市交通局 長堀鶴見緑地線 大正~心斎橋
〔大正/大阪ドーム前千代崎/西大橋〕
大阪市交通局 長堀鶴見緑地線 京橋~門真南
〔門真南〕
1997(H9)年12月18日
大阪港トランスポートシステム テクノポート線 コスモスクエア~大阪港
〔コスモスクエア〕
大阪港トランスポートシステム ニュートラムテクノポート線 中ふ頭~コスモスクエア
〔トレードセンター前〕
1998(H10)年10月1日 大阪高速鉄道 国際文化公園都市線 万博記念公園~阪大病院前
〔公園東口/阪大病院前〕
2006(H20)年12月24日
大阪市交通局 今里筋線 井高野~今里
〔井高野/だいどう豊里/清水/関目成育/鴫野〕
2007(H19)年3月19日
大阪高速鉄道 国際文化公園都市線 阪大病院前~彩都西
〔豊川/彩都西〕
2008(H20)年3月15日
西日本旅客鉄道 おおさか東線 放出~久宝寺
〔高井田中央/JR河内永和/JR俊徳道/JR長瀬/新加美〕
2008(H20)年10月19日
京阪電気鉄道 中之島線 天満橋~中之島
〔なにわ橋/大江橋/渡辺橋/中之島〕
2009(H21)年3月20日
阪神電気鉄道 阪神なんば線 大阪難波~西九条
〔大阪難波/桜川/ドーム前/九条〕
※大阪難波は近畿日本鉄道の駅として開業済み
2019(H31)年3月16日
西日本旅客鉄道 おおさか東線 新大阪~放出
〔南吹田/JR淡路/城北公園通/JR野江〕
◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕
1989(H元)年11月11日
西日本旅客鉄道 関西本線 東部市場前
1991(H3)年12月6日
近畿日本鉄道 大阪線 大阪教育大前
1997(H9)年3月8日
西日本旅客鉄道 大阪環状線 今宮
2001(H13)年3月1日
西日本旅客鉄道 桜島線 ユニバーサルシティ
2008(H20)年3月15日
西日本旅客鉄道 東海道本線 島本
2010(H22)年3月14日
阪急電鉄 京都本線 摂津市
2015(H27)年2月1日
阪堺電気軌道 阪堺線 石津北
2018(H30)年3月17日
西日本旅客鉄道 おおさか東線 衣摺加美北
◆平成時代の統合駅
1993(H5)年4月18日
南海電気鉄道 南海線 岸里玉出(←岸ノ里+玉出)
◆平成時代の改称路線
1996(H8)年12月11日
大阪市交通局 長堀鶴見緑地線 京橋~鶴見緑地
(←鶴見緑地線)
2009(H21)年3月20日
阪神電気鉄道 阪神なんば線 西九条~尼崎(兵庫県)
(←西大阪線)
◆平成時代の改称駅
1994(H6)年9月4日
西日本旅客鉄道 関西本線 JR難波(←湊町)
1997(H9)年5月22日
大阪高速鉄道 大阪モノレール線 宇野辺(←茨木)
1997(H9)年8月29日
大阪市交通局 谷町線 関目高殿(←関目)
四天王寺前夕陽ヶ丘(←四天王寺前)
2000(H12)年12月23日
南海電気鉄道 高野線 大阪狭山市(←狭山遊園前)
2006(H18)年12月24日
大阪市交通局 長堀鶴見緑地線 ドーム前千代崎(←大阪ドーム前千代崎)
2009(H21)年3月20日
近畿日本鉄道 難波線 大阪難波(←近鉄難波)
2009(H21)年6月1日
水間鉄道 水間観音(←水間)
◆平成時代の廃止路線・区間 〔カッコ内は廃線に伴う廃駅(府内のみ)〕 日付は営業最終日
1993(H5)年3月31日
南海電気鉄道 天王寺線 天王寺~今池町
〔天王寺/飛田本通/今池町〕
1997(H9)年3月7日
西日本旅客鉄道 片町線 京橋~片町
〔片町〕
2016(H28)年1月30日
阪堺電気鉄道 上町線 住吉~住吉公園
〔住吉公園〕
◆平成時代の電化路線・区間
1989(H元)年3月11日
西日本旅客鉄道 片町線 長尾~木津(京都府)(直流1500V)
◆平成時代の営業譲渡路線・区間
2005(H17)年7月1日
大阪市交通局 中央線 コスモスクエア~大阪港
(←大阪港トランスポートシステム テクノポート線)
大阪市交通局 南港ポートタウン線 中ふ頭~コスモスクエア
(←大阪港トランスポートシステム ニュートラムテクノポート線)
※大阪港トランスポートシステムが第3種鉄道事業者
◆平成時代の事業者名称変更
2018(H30)年4月1日
大阪市高速電気軌道 ←大阪市交通局 ※民営化
大阪府の歴代知事
岸 昌→(1991(H3)4月23日~)中川 和雄→(1995(H7)年4月23日~)山田 勇(横山ノック)→(2000(H12)年2月6日)齋藤 房江(大田 房江)→(2008(H20)年2月6日~)橋下 徹→(2011(H23)年11月28日)松井 一郎→(2019(H31)年4月8日~)吉村 洋文
令和以降の大阪府の鉄道
おおさか東線では、全線開通直後の2019(R元)年11月より、新大阪~奈良間の臨時特急〔まほろば〕が運行された。新幹線から奈良方面への観光客の誘致を目的としており、287系を使用して、途中ノンストップで運行された。なお〔まほろば〕の名は、2010(H12)年春の「奈良ディスティネーションキャンペーン」時に、大阪環状線・大和路線(関西本線)経由で設定された臨時特急でも使用されている。
しかし、翌2020(R2)年以降の新型コロナウィルス感染禍は、大阪の鉄道にも重大な影響を与えた。特に、関西空港を発着する航空便が国際線を中心に激減したため、JR〔はるか〕・南海〔ラピート〕共、日中の全列車が運休になるなど、大幅な減便に追い込まれた。その後、感染の鎮静化による需要の回復と共に復便も行われているが、現在も〔ラピート〕は日中60分間隔のままであり、〔はるか〕も日中は全列車臨時列車の扱いである。なお〔ラピート〕50000系は、2022(R4)年11月より、泉北高速鉄道の特急〔泉北ライナー〕の一部列車に、暫定的に運用されている。
空港関連以外でも有料特急のコロナ禍の影響は大きく、JRでは大阪発着の〔サンダーバード〕〔こうのとり〕〔くろしお〕などが減便となり、後に復便したものの、臨時列車の扱いとされている。近鉄も特に観光需要が中心の南大阪線・吉野線では、運行本数がほぼ半減した。
近鉄では2020(R2)年3月、名阪間ノンストップ(名阪甲)特急に、新型特急車両80000系「ひのとり」が導入された。両端車をハイデッカー構造のプレミアム車、中間車をレギュラー車両として、特別車両料金を必要とする。全席にコンセントを備え、カフェスポットも用意されている。翌2021(R3)年3月には名阪甲特急は全て「ひのとり」となった。なお「ひのとり」は、奈良線の一部の特急にも運用されている。「アーバンライナー」21000系・21020系は名阪乙特急などに転用され、玉突きで経年化した一般特急車両の置き換えが図られた。これにより12200系が一般の特急から引退したが、4連1編成は観光特急「あをによし」(19200系)に改造され、2022(R4)年4月より、大阪難波~近鉄奈良~京都間で運行を開始している。
一般列車でもコロナ禍の影響は大きく、特に京阪は、緊急事態宣言下では、時間帯・区間によって最大50%削減の臨時ダイヤが施行された。後のダイヤ改正では、特急が再び15分間隔に削減され、補完して快速急行が日中に再設定された。快速急行は主に3000系で運用され、特急同様に「プレミアムカー」サービスが提供されている。阪急でも「京とれいん」が2編成とも、運行が取りやめになり、6300系「京とれいん」は、昨年12月のダイヤ改正で引退した。阪急では来年2024(R6)をめどに有料座席サービスの導入を発表しており、ダイヤ改正時には導入を見込んだ種別形態の見直しも行われている。この他JR西日本や各大手私鉄で、減便を主としたダイヤの見直しが行われている。2021(R3)年春のダイヤ改正では、JR西日本の各線区で、最終列車の大幅な繰り上げが実施された(2019(R元)年10月に検討が発表になっていて、コロナ禍の直接の影響ではない)。
今年・2023(R5)年3月18日、旧梅田貨物駅跡地に建設が進められていた地下ホーム「うめきた新駅」が、大阪駅の一部の「うめきたエリア」として開業した。2面4線のホームの内、21番線には、特急・通勤車双方に対応した、新型スクリーンタイプのホームドアが設置された。この他にも各所に様々な新機軸が採用されている。従来より貨物線を経由していた〔はるか〕〔くろしお〕が停車する他、おおさか東線が「うめきたエリア」発着に延伸された。臨時特急〔まほろば〕も、3年ぶりに「うめきたエリア」発着で運行されている。2031(R13)年には、JR難波・南海新今宮からなにわ筋を北上し、「うめきたエリア」を発着する「なにわ筋線」の開業が予想されている。さらに阪急による「なにわ筋連絡線」「新大阪連絡線」構想も、2022年’(R4)年末に阪急から発表されており、「うめきたエリア」は将来的に、新幹線駅と空港を結ぶ、JR西日本・南海・阪急各社の相互直通運転の拠点となる事も期待される。
北大阪急行電鉄は千里中央から北進し、箕面市への新線の建設を進めているが、当初の2020(R2)年度開業の予定より3年遅れの、今年度末(2024(R6)年春頃)の開業が発表になった。箕面萱野駅を起点とし、千里中央駅との間には、箕面船場阪大前駅が設置される。
大阪モノレールは、門真南より南進し、瓜生堂(近鉄奈良線との交差地点)付近への延伸事業を開始、2020(R2)年より工事に着手した。中間には3駅が設置され、大阪メトロ長堀鶴見緑地線・JR学研都市線(片町線)・近鉄けいはんな線と接続する。また瓜生堂付近には第2車両基地が設けられる。新駅建設が予想される近鉄奈良線も含めた、大阪市中心部に向かう各鉄道路線との接続により、外環状線機能の強化が期待される。なお大阪モノレールは2020(R2)年6月1日、「大阪高速鉄道」から「大阪モノレール」へ、正式に社名を変更した。
南海線では各所で連続立体交差事業が推進されてきたが、高石市内については2021(R3)年5月22日、南海線の羽衣・高石両駅が上下とも高架に移転した。一方高師浜線は工事期間短縮を図るため、3年の予定で列車を運休し、バス代行輸送を行っている。堺市内の浜寺公園駅付近の立体化では、阪堺電軌浜寺駅前駅付近の路線の、南海線東側への移設が予定されている。2018(H30)年に移設された浜寺公園の旧駅舎に続き、2020(R2)年には諏訪の森の旧駅舎も移設、共に地元NPO法人による、地域の憩いの場として活用されている。
大阪府はさすがに平成・令和共にボリュームがありました。次回は兵庫県です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《What's New》
21日 サッカーアルゼンチン代表メッシ アメリカプロサッカーリーグにデビュー
22日 東京湾アクアライン 「ロードプライシング」試験導入
明日午後から水曜日まで、北海道に行きます。JRローカル路線、特に来年春で廃線となる、根室本線・富良野~東鹿越間乗車が、メインの目的となります。本当は9月前半にしたかったが、都合で今月になりました。もう夏休みに入っているので、めっちゃ混雑にならなければ良いのだが。
№2681 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 27.大阪府(2)
平成の鉄道、大阪府の2回目です。国鉄・JRvs私鉄の競争は平成の世に入って変化が見られるようになったが、21世紀になると各社とも、輸送量の減少に直面する事になります(特に南部)。それでも各社とも、魅力的な新車両を相次ぎ世に送り出していきました。
勢力図変わる JRvs私鉄
大阪を中心とした京都~神戸間では、阪急・京阪・阪神の特急に、JRの新快速が挑む構図で競争を繰り広げていた。平成の世になるまでは、私鉄側がターミナルの立地条件と運賃面で優位に立っており、民営化されて間もないJR西日本は、初の新形式となる221系を導入して、特にスピード面と、滋賀県方面、および姫路方面への直通運転の拡充で対抗していた。
転機となったのは、1995(H7)年1月17日に発生した、阪神・淡路大震災だった。特に兵庫県内の被害が甚大で、大阪と神戸を結ぶ幹線はJR・私鉄とも長期の不通を強いられる事になった。3月末に、先行してJRが復旧すると、速達性が注目され、後に阪急・阪神が再開しても、利用者のJRへの転移が進んだ。1995(H7)年以降導入された223系は新快速の主力になり、全車両が223系に統一された1999(H11)年には新快速の最高速度が120→130km/hに引き上げられ、大阪~三ノ宮間は2駅停車で21分となり、スピード面で優位に立った。
一方、阪神と阪急は、特急の停車駅を増やし、沿線の利用を獲得する策に出た。特に阪神は1998(H10)年より、山陽電鉄との相互直通区間を梅田~姫路間に拡大し、全区間を走破する直通特急を設定して、山陽電鉄沿線の利用者の獲得を狙った。2009(H21)年の阪神なんば線開業時に設定した、近鉄奈良線と直通する快速急行との2本立てで、キタ・ミナミ双方のターミナルへ直通できる強みを売り出している。
阪急神戸本線もまた、山陽電鉄の須磨浦公園まで、特急を中心に、自社の乗務員と共に直通を行っていたが、山陽側が大阪への直通先を阪神一本に絞り、編成長の制約もあって、1998(H10)年2月に、直通区間を新開地までに短縮している。その後特急は兵庫県内の夙川と岡本に停車駅を追加し、JRの影響が小さい沿線、および甲陽線からの利用を狙う方針に転換した。
阪急と阪神は、阪神の投資ファンドによる株式買い占めの事態を受けて、経営統合への道を探る。2006(H18)年10月には、阪急HD改め阪急阪神HDの傘下に、阪急・阪神の両社が100%出資の連結子会社として置かれる形態となった。
一方、対京都に関しても、JRの新快速は速達性と、湖東・湖西方面への直通運転の強化もあって、利用者の増加の傾向が続いた。2011(H23)年3月には土休日が、2017(H29)年には平日も、大阪を軸とする区間は全列車が12連運転となった。この間、1997(H9)年には高槻にも新規に停車しているが、一時は最高速度が130km/hに引き上げられ、大阪~京都間は最速27分運転を実現していた(その後福知山線事故を踏まえ、2005(H17)年10月より最速は28分)。2019(H31)年3月改正では、座席定員制の「Aシート」サービスが始まっている。
京阪は、平成になって間もない1989(H元)秋に京都府内の鴨東線が開業、洛北と大阪が鉄道のみで結ばれた。同時に導入された特急車8000系は好評を持って迎えられ、(先代)3000系を置き換えていく。しかし、JRへの転移傾向がみられる事から、特急は中間に停車駅を設定し、沿線の利用者の獲得を狙う方向に向かう。2003(H15)年には府内の樟葉・枚方市にも停車駅を設定、京阪間のみならず、府内北東部の都市と中心部を速達する役目も担う事となった。この間、残存した(先代)3000系に試験的に導入されたダブルデッカー車は人気を博し、8000系全編成にも組み込まれた。特急の8000系原則統一後は、2018(H30)年より有料座席指定車両「プレミアムカー」サービスをスタートさせている。
阪急京都本線も、1990年代半ばには大幅なダイヤパターンの変更が行われ、特急は、1997(H9)年には高槻市、2001(H13)年には茨木市も停車駅に追加、やはり府内北東部と中心部を速達する役割を与えられている。2003(H15)年デビューの3ドアクロスシート車9300系が特急の新しい顔となり、最高速度が115km/hに引き上げられた2010(H22)年に、6300系を全て置き換えた。京阪間ノンストップ特急は快速特急と称し、朝夕のみの運行に改められた。
一方で京阪・阪急とも、休日を中心に京阪間ノンストップ運行の需要も根強くあり、京阪では2011(H23)年の行楽シーズンから臨時列車として快速特急〔洛楽〕の運行を開始、2016(H28)年より毎日運転の定期列車となっている。阪急では6300系6連1編成を観光特急「京とれいん」に改装し、2011(H23)年3月より土休日の快速特急を中心に運行している。2019(H31)年3月には、神戸線用7000系を改造した「京とれいん雅洛」もデビュー、観光快速特急の60分間隔ダイヤが確立した。「雅洛」は神戸線~嵐山間の臨時特急で使用される事もある。
躍進する アーバンネットワーク
平成の世の前半は、大阪を中心に確立したJR西日本の「アーバンネットワーク」が躍進した時期でもあった。
天王寺駅の阪和線は、阪和鉄道時代の名残で、高架上頭端式ホームに発着していた。1989(H元)年7月、阪和線と地上部の大和路線(関西本線)を結ぶ短絡線が完成、紀勢本線の特急〔くろしお〕が大阪環状線を経由し、新大阪(一部はさらに京都)までの直通運転を開始して、新幹線との接続が飛躍的に向上した。当初の特急のみから、翌1990(H2)年3月には早朝・夜間の快速も直通を開始、以降増強を重ねて、関西空港開港を迎える事になる。短絡線は2008(H20)年に複線化された。
大和路線の愛称を与えられた関西本線の快速は、大阪環状線から直通しと、湊町発着系統が交互に運行される形態になっていた。大阪市内と奈良県中部の直結が快速の役割になっていたが、1997(H9)年3月改正では、八尾市内の久宝寺に区間快速が新規停車し、引き続き天王寺~王寺間ノンストップの「大和路快速」との二本立てとなった。2001(H13)年には、全ての快速が久宝寺停車となっている。区間快速は一時期、和歌山線への直通運転も行っていたが、現在は、基本的には大和路快速と普通の二本立てとなり、和歌山線への直通は朝夕のみとなった。
関西本線の終点・湊町駅は、1994(H6)年にJR難波と改称、1996(H8)年には地下に移転した。関西空港開港もあり、JRのミナミのターミナルとしての飛躍も期待されたが、大和路線の快速は大半が大阪環状線直通となり、関西空港直通快速もなくなって、大和路線普通電車がメインの発着になっている。
2001(H13)年、JR桜島線沿線の工場の跡地に、大型テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)がオープン、工場輸送が利用の中心だった桜島線は、桜島付近の再開発もあり、レジャー路線として急浮上した。「ゆめ咲線」の愛称がつけられた同線は、USJに隣接したユニバーサルシティ駅が開業、朝夕には大阪環状線への直通が大幅に増強された。一時はUSJのラッピングを施した列車の運行もあった。
大阪環状線は、東京の山手線と異なり、郊外からの近郊列車や特急が多数流入し、特に一般列車においては、3ドア車と4ドア車が混在する事で、ホームドア設置のネックとなる事が予想された。テストの結果、大阪環状線への3ドア車の導入に支障がない事が確認され、2016(H28)年に321系が導入され、令和の世になった2019(R元)年6月、201系の置き換えが完了した。
スピード指向に転換する新幹線
東海道新幹線〔のぞみ〕の運行開始は、1992(H4)年3月14日。当時は東京~新大阪間を、早朝と夜間に合計2往復するのみの運行だったが、下り〔のぞみ301号〕は航空対策もあって、新横浜~新大阪間がノンストップとなり、「名古屋飛ばし」として話題になった。300系によって最高速度が270㎞/hに引き上げられ、東京~新大阪間は2時間30分となり、〔ひかり〕最速列車より20分以上の所要時間の短縮となった。
翌1993(H5)年3月改正では山陽新幹線にも運行区間を拡大、1時間間隔のパターンダイヤが確立した。新大阪~博多間は、最速2時間31分で結ばれている。〔のぞみ〕はダイヤ改正毎に〔ひかり〕を置き換え、東海道・山陽新幹線の主役となりつつあった。
その陰で、開業以来の顔だった0系、昭和末期にデビューし、2階建て車両も連結した100系は、次第に勢力を縮小していく。昭和末期に0系を改装、グレードアップしたビュッフェやシネマカー、サイレントカーを連結した「ウエストひかり」は2000(H9)年3月改正で運行を終了、0系自体も東海道では1999(H11)年、山陽では2008(H20)年に運行を終了して引退した。国鉄時代末期にデビューした100系は、平成になって間もなく、JR西日本独自の仕様の「グランドひかり」が生み出された。最高速度が引き上げられた他、2階建て車両が4両となり、JR東海新造の編成では省略された食堂車が引き続き連結され、人気となった。しかし、2004(H16)年にはJR東海編成が退役、JR西日本では編成短縮を行って〔こだま〕への転用も行われたが、2012(H24)年までに全車両が引退した。0系・100系の引退は、車両そのものの老朽化に加え、〔のぞみ〕増発による、新幹線自体の高速化に対応できなくなった面もあった。両系列にあった食堂車も300系以降は完全になくなり、新幹線がスピード指向に触れていく象徴となる。
1997(H9)年3月、JR西日本の500系がデビュー。近未来的なデザインが注目を集めた。当初は山陽新幹線区間のみの運行で、当時の世界最速となる時速300㎞/hで走行、新大阪~博多間は最速2時間27分で結ばれた。同年11月には東海道新幹線区間にも乗り入れを開始している。1999(H11)年には、JR東海・西日本共同開発の700系もデビューしている。
2003(H15)年10月改正で、東海道新幹線では〔のぞみ〕の運行本数が〔ひかり〕を上回り、完全に主役となった。2007(H9)年にはN700系がデビュー、300系・500系の置き換えが進められた。300系は2012(H24)年までに全車両引退、500系も同時期に〔のぞみ〕運用がなくなり、短編成化の上、山陽新幹線内の〔こだま〕に特化して運用されている。
山陽新幹線では、「ウエストひかり」に代わり、2000(H12)年3月、700系7000番台8連の「ひかりレールスター」がデビューしていた。グリーン車の設定がない代わりに、指定席が2-2配置とグレードアップされ、個室も設定された。しかし、2011(H23)年3月12日に全線が開業した九州新幹線・鹿児島ルートとの直通運転が始まると、〔ひかり〕の大半は〔さくら〕に置き換えられ、さらに〔のぞみ〕と同格の〔みずほ〕が設定された事で、「ひかりレールスター」は、山陽新幹線のスターの地位を失っていく。〔ひかり〕運用はほとんどなくなり、大半は〔こだま〕での運用になっている。近年の山陽新幹線は、東海道と九州の両新幹線に挟まれる格好で、独自の施策が見いだせていない。
東海道新幹線では、2012(H24)年に改良型N700A系が導入され、在来のN700系も改修が行われてN700A系となった。700系もまた、平成の終焉の時点では、定期〔のぞみ〕運用は完全になくなり、令和の世になった2020(R2)年3月には全車両が引退、全列車がN700A系に統一される事となる。
在来線特急・急行ネットワーク 矮小化
一方、大阪に発着する在来線の特急列車、特に夜行列車は、新幹線や高速バスに押される形で、急速に縮小が進んだ。九州方面行は、寝台特急〔なは〕〔あかつき〕〔彗星〕が存続、〔なは〕〔あかつき〕には、「レガートシート」と称する大型リクライニングシートを設置した座席車も連結された。しかし、〔なは〕との併結運転に改められていた〔彗星〕は2005(H17)年に廃止。〔なは〕は連結相手を〔あかつき〕に変えたが長続きせず、2008(H20)年に廃止となって、九州行ブルートレインは消滅した。北陸・東北方面は〔日本海〕2往復と〔つるぎ〕の設定があり、〔日本海〕1往復は青函トンネルを経由して、函館まで直通運転を行っていた。しかし〔つるぎ〕は1994(H6)年に事実上廃止、〔日本海〕は2006(H18)年に函館直通が廃止になったのち、2012(H24)年までに、2往復とも廃止となった。
大阪発着では夜行急行の設定もあり、東京行〔銀河〕は特急と同等のブルートレイン車両が使用されていたが、2008(H8)年3月に廃止、60有余年の歴史に幕を閉じた。583系寝台電車が転用されていた新潟行〔きたぐに〕は、2012(H24)年改正で臨時列車に格下げになり、翌年の年始輸送を最後に姿を消した。長野行の〔ちくま〕は客車編成から、1998(H10)年より電車特急〔しなの〕と共通の383系におきかえられたものの、2006(H18)年以降は運行がなくなった。福知山線経由で大阪と出雲市を結んでいた〔だいせん〕は、1994(H6)年に、客車から、〔エーデル鳥取〕に使用されていたキハ65系に置き換えられたが、2004(H16)年10月に廃止となった。この他、多客期には多数の急行・快速の夜行列車が設定されていたが、21世紀を迎える前後に、全て運行がなくなっている。大阪を発着する定期の夜行は、東京~高松・出雲市間の〔サンライズ瀬戸・出雲〕上り列車が、大阪に停車するのみとなった。
昼行の特急・急行も、ネットワーク的には矮小化が進んだ。長らく日本最長の昼行特急だった青森行〔白鳥〕が、2001(H13)年改正で、系統を分断する形で廃止となり、〔雷鳥〕ネットワークに組み込まれた。〔雷鳥〕は681系・683系〔サンダーバード〕への置き換えが進められ、所要時間の短縮も図られたが、2015(H27)年の北陸新幹線開業時に、和倉温泉直通1往復以外は、大阪~金沢間の運行に短縮されている。
福知山線では、電車特急〔北近畿〕に加え、〔北近畿〕に併結して宮福鉄道(後に北近畿タンゴ鉄道を経て、現京都丹後鉄道)に直通する〔エーデル丹後〕、〔まつかぜ〕の流れを受け継ぐ〔エーデル鳥取〕の設定があった。後に宮津線の北近畿タンゴ鉄道転換に伴い、同社のDCによる〔タンゴエクスプローラー〕の運行が始まり、また舞鶴線の電化に伴い、天橋立へ直通する〔文殊〕の設定も行われた。2011(H23)年3月改正時には京都発着の特急と共に再編成が行われ、〔北近畿〕は〔こうのとり〕と改称、〔文殊〕も統合し、福知山線の電車特急は〔こうのとり〕に一本化された。一方、〔エーデル鳥取〕は、1999(H11)年に廃止になっている。
一方、1994(H6)年12月、新規開業した第三セクター鉄道・智頭急行を経由し、大阪と鳥取・倉吉を結ぶ〔スーパーはくと〕が運行を開始した。同社の振り子式特急DC・HOT7000系を使用し、高規格の線形もあって大阪~鳥取間は最速3時間34分となり、〔エーデル鳥取〕の4時間11分から、大幅に所要時間を短縮。同区間の空路を廃止に追い込むまでに至った。当時はJR181系〔はくと〕も合わせて運行されていたが、後に統一、増発や京都延長も図られている。最後まで181系が使用されていた、播但線経由〔はまかぜ〕は、2010(H22)年に189系に置き換えられた。
JR東海から1往復が直通していた〔しなの〕は、〔白鳥〕廃止後は最長の昼行特急となっていたが、2016(H28)年に名古屋~大阪間が廃止となった。一方、高山本線から直通の急行〔たかやま〕は、1999(H11)年に特急〔ひだ〕に格上げされた。
この結果、大阪市内を発着するJR在来線昼行特急の最長は、和倉温泉直通〔サンダーバード〕1往復(327.0㎞)となり、他に300㎞を超えて運行される列車は存在しない。
近鉄・南海 ミナミの私鉄の動静
名古屋や伊勢・志摩方面への大動脈となる近鉄では、私鉄界をリードする特急車両が相次ぎデビューした。大阪線では、1988(S63)年の名阪間ビジネス特急「アーバンライナー」に次ぎ、1994(H6)年には、伊勢・志摩方面の観光特急「伊勢志摩ライナー」をデビューさせた。この2大特急車両を筆頭に、「ビスタカー」をはじめとする一般特急車が、近鉄の特急ネットワークを支える構造が続いている。伊勢志摩方面は一時、改装工事を行った上本町駅をターミナルに据えたが、現在は再び大阪難波発着中心に戻している。南大阪線でも、1990(H2)年に吉野方面への観光特急として「さくらライナー」がデビュー。改修やデラックスシート設定を重ねながら、今日まで活躍が続いている。
近年は、さらにグレードを高めた特急車両が相次ぎデビューしている。伊勢志摩方面には2013(H25)年、ハイグレード特急車として、「しまかぜ」がデビュー。南大阪線でも、通勤車の改造ながら、観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」が、2016(H28)年より運行されている。両列車とも特急料金に加えて特別料金を必要とし、専任のアテンダントが乗務、軽食を提供するコーナーが設けられている。名阪間には、2020(R2)年以降の新特急車「ひのとり」の導入がアナウンスされた。
一方、一般列車は、特に大阪線では需要の減退が続き、区間快速急行の廃止、区間準急の設定など、列車の統合が行われている。かつては伊勢方面への低廉な足として、クロスシート車を優先的に使用していた快速急行も、近年ではダイヤ改正の度に急行に格下げになり、大阪~奈良県中部間の、通勤時の輸送力列車の意味合いが濃くなっている。奈良線でも、区間準急の設定により、特に東花園以東での列車の統合が進められた。
南海線では、一般車に座席指定車両を併結させるスタイルの先駆けとなった特急〔サザン〕が、当初の指定席車2両が、利用の好調さから増結を重ね、1992(H4)年からは、全列車4両となった。当初は泉佐野~和歌山市間ノンストップだったが、1994(H6)年改正でみさき公園、2001(H13)年改正で尾崎に停車、難波と阪南地域を速達する足ともなった。2005(H17)年11月改正では急行の統合により、30分間隔運転となり、〔ラピートβ〕も含めると、難波~泉佐野間は、日中の特急15分間隔のパターンダイヤが確立している。2001(H13)年には天下茶屋への停車も開始、地下鉄堺筋線を介して、阪急京都線沿線への利便性も向上させている。2010(H22)年には12000系〔サザンプレミアム〕もデビューした。
一方、多奈川線に直通、深日港からの航路に接続していた急行〔淡路号〕は1993(H5)年4月に廃止。和歌山からの徳島航路も縮小傾向にあり、海→空へのアクセスのシフトが続いた。
高野線は、林間田園都市(和歌山県)間まで完成していた大規模改良工事が、1992(H4)年には橋本(和歌山県)まで到達。同時に、元からの〔こうや〕に加え、難波~橋本間に〔りんかん〕が設定、全列車が金剛に停車となり、「ミナミ」と大阪府南部のアクセスが飛躍的に向上する事となった。なお、難波~橋本間は一時「りんかんサンライン」の愛称がついたが、定着しなかった。
本来は高野線の一部の汐見橋~岸ノ里間は、事実上南海線の支線となり、岸ノ里付近の高架化(同時に玉出駅と統合して岸里玉出)により、線路は完全に分断された。高師浜線・多奈川線と共に、利用者の減少に対応して、列車本数の削減が続いている。
天王寺線は、天王寺~今池町間のみ、他の南海線と切り離されて孤立した小路線として運営されていたが、1993(H5)年3月いっぱいで廃線となった。
南海を巡る 3鉄軌道会社
泉北高速鉄道線は、第3セクター・大阪府都市開発が運営していた通勤鉄道で、南海高野線と、相互直通運転を行っていた。1995(H7)4月には光明池~和泉中央間が延長開業している。2014(H26)年7月に南海が全株式を購入、社名も泉北高速鉄道となり、南海グループの一員となった。2015(H27)年12月には同社保有の12000系を使用した、特急〔泉北ライナー〕の運行を開始。区間急行による難波直通の増強も行われている。
大阪市電廃止以降、大阪府内唯一の路面電車となっていた阪堺電気軌道は、特に堺市内区間の経営状況が思わしくなく、21世紀になって、廃止を含めた協議が堺市に打診された。一時は公営化や、当時予定されていた、臨海地区へのLRT東西線と一体化する構想もあったが、2009(H11)年の堺市長選挙の結果、全てが白紙撤回される事となった。後に堺市は、既存区間の費用面での支援で合意、存続問題には一応の決着がついた。
阪堺電軌では運行形態を見直し、上町線天王寺駅前~阪堺線浜寺駅前間の直通運転を基本とし、阪堺線は恵美須町~我孫子道間の折返し運転となった。また、全線を均一運賃としたほか、2013(H25)年には超低床車「堺トラム」を導入して、車両面の体質改善を進めている。住吉~住吉公園間は、2016(H28)年1月いっぱいで廃止となった。
水間鉄道は、1990(H2)年に昇圧の上、元東急7000系を導入、旧型電車を全て置き換えた。経営面での行き詰まりから、2005(H17)年には会社更生法の申請を行い、全国に飲食店を展開するグルメ杵屋の子会社となって、経営を再建した。清児~犬鳴山間の鉄道事業免許は、1996(H8)年に廃止になっている。
外環状線の開業相次ぐ
大阪市内から放射状に延びる路線が競合する大阪府は一方、郊外で各路線を短絡する外環状線の整備が進まなかった。後の地下鉄今里筋線も、その考え方に沿った路線と言えるが、その最初のものは、1990(H2)年に開業した、大阪高速鉄道(大阪モノレール)だった。当初の千里中央~南茨木間6.7㎞の小規模な路線は年を重ねる毎に延伸を重ね、1997(H9)年4月には大阪空港に到達。蛍池で阪急宝塚本線と接続した事で、空港アクセス鉄道としても機能するようになった。同年8月には京阪本線の門真市に到達、21.2㎞となって、翌1998(H10)年、世界最長のモノレールとしてギネス世界記録に認定される事となった。この年には、万博記念公園から分岐する支線として、国際文化公園都市線(彩都線)が開業している。
東海道本線と関西本線を短絡する城東貨物線は、平成の世になって以降旅客線化構想が浮上し、1996(H8)年、大阪府と大阪市、JR西日本などが出資して設立された大阪外環状鉄道によって、旅客線としての整備が始められ、2008(H20)年3月、放出~久宝寺間が開業。朝夕には奈良からおおさか東線を経由、JR東西線に直通する「直通快速」が設定された。そして、2019(H31)年3月16日、新大阪~放出間が開業し、予定されていた区間が全通した。普通列車の他、直通快速も新大阪~奈良間の運行に改められている。全区間、施設は大阪外環状鉄道が保有、JR西日本が第2種事業者として列車を運行している。
この新大阪~放出間こそ、平成時代最後の、日本の鉄道新線となった。
大変貌 キタとミナミのターミナル
JR大阪駅は、2004(H16)年より大規模な改良工事が始まり、2011(H23)年5月、「大阪ステーションシティ」としてグランドオープンした。ノースゲートビルとサウスゲートビルにまたがる巨大なドーム状の屋根で構内全体を覆い、ホームの上屋を撤去した事で、広々とした空間が提供される事になった。在来の地下通路に加えて、ホーム上に建設された南北連絡橋からは、ホームに出入りする列車を見物する事も可能になっている。また、JRの高速バスターミナルは、ノースゲートビルの1Fに移転・拡充された。
近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅は、21世紀に入り、ターミナルビル旧館建て替えに合わせて、超高層ビルを建設する事となった。2014(H26)年3月にグランドオープンした「あべのハルカス」は、地上60階建て・高さ300mとなり、横浜市のランドマークタワー(296m)を抜いて日本一の超高層ビルとなり、ミナミの新しいランドマークとなった。
JR弁天町駅に隣接して立地していた交通科学博物館は、京都の鉄道博物館建設に先立ち、2014(H26)年4月、閉館した。
次回・3回目はデータ編と、令和に入ってからの動きです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《What's New》
18日 藤井 聡太七冠 棋聖戦4連覇
19日 アスレチックス藤浪 晋太郎 オリオールズ移籍発表
20日 東京都 新型コロナ感染者前週比1.08倍 4週連続増加
秋田の豪雨はとりあえず落ち着いたようだが、奥羽本線・大曲~和田間(1067㎜軌間)と、五能線・能代~深浦間は、8月中旬の運行再開を目指すと発表がありました。秋田新幹線は運行、大曲~秋田間は普通乗車券・定期券のみで利用できるという事(「青春18きっぷ」でも乗れると思うが、記載がなかった)。また、大曲→秋田間に上り1本、普通列車の臨時を運行(ノンストップ)。北上線のほっとゆだ~横手間は、運行再開の見込みが今のところたっていないという事。これで済むのならまだいいのかも知れないが、東日本はまだ不安定な天気が続くという予報があって、とにかくまだ心配は尽きない所です。
勢力図変わる JRvs私鉄
大阪を中心とした京都~神戸間では、阪急・京阪・阪神の特急に、JRの新快速が挑む構図で競争を繰り広げていた。平成の世になるまでは、私鉄側がターミナルの立地条件と運賃面で優位に立っており、民営化されて間もないJR西日本は、初の新形式となる221系を導入して、特にスピード面と、滋賀県方面、および姫路方面への直通運転の拡充で対抗していた。
転機となったのは、1995(H7)年1月17日に発生した、阪神・淡路大震災だった。特に兵庫県内の被害が甚大で、大阪と神戸を結ぶ幹線はJR・私鉄とも長期の不通を強いられる事になった。3月末に、先行してJRが復旧すると、速達性が注目され、後に阪急・阪神が再開しても、利用者のJRへの転移が進んだ。1995(H7)年以降導入された223系は新快速の主力になり、全車両が223系に統一された1999(H11)年には新快速の最高速度が120→130km/hに引き上げられ、大阪~三ノ宮間は2駅停車で21分となり、スピード面で優位に立った。
一方、阪神と阪急は、特急の停車駅を増やし、沿線の利用を獲得する策に出た。特に阪神は1998(H10)年より、山陽電鉄との相互直通区間を梅田~姫路間に拡大し、全区間を走破する直通特急を設定して、山陽電鉄沿線の利用者の獲得を狙った。2009(H21)年の阪神なんば線開業時に設定した、近鉄奈良線と直通する快速急行との2本立てで、キタ・ミナミ双方のターミナルへ直通できる強みを売り出している。
阪急神戸本線もまた、山陽電鉄の須磨浦公園まで、特急を中心に、自社の乗務員と共に直通を行っていたが、山陽側が大阪への直通先を阪神一本に絞り、編成長の制約もあって、1998(H10)年2月に、直通区間を新開地までに短縮している。その後特急は兵庫県内の夙川と岡本に停車駅を追加し、JRの影響が小さい沿線、および甲陽線からの利用を狙う方針に転換した。
阪急と阪神は、阪神の投資ファンドによる株式買い占めの事態を受けて、経営統合への道を探る。2006(H18)年10月には、阪急HD改め阪急阪神HDの傘下に、阪急・阪神の両社が100%出資の連結子会社として置かれる形態となった。
一方、対京都に関しても、JRの新快速は速達性と、湖東・湖西方面への直通運転の強化もあって、利用者の増加の傾向が続いた。2011(H23)年3月には土休日が、2017(H29)年には平日も、大阪を軸とする区間は全列車が12連運転となった。この間、1997(H9)年には高槻にも新規に停車しているが、一時は最高速度が130km/hに引き上げられ、大阪~京都間は最速27分運転を実現していた(その後福知山線事故を踏まえ、2005(H17)年10月より最速は28分)。2019(H31)年3月改正では、座席定員制の「Aシート」サービスが始まっている。
京阪は、平成になって間もない1989(H元)秋に京都府内の鴨東線が開業、洛北と大阪が鉄道のみで結ばれた。同時に導入された特急車8000系は好評を持って迎えられ、(先代)3000系を置き換えていく。しかし、JRへの転移傾向がみられる事から、特急は中間に停車駅を設定し、沿線の利用者の獲得を狙う方向に向かう。2003(H15)年には府内の樟葉・枚方市にも停車駅を設定、京阪間のみならず、府内北東部の都市と中心部を速達する役目も担う事となった。この間、残存した(先代)3000系に試験的に導入されたダブルデッカー車は人気を博し、8000系全編成にも組み込まれた。特急の8000系原則統一後は、2018(H30)年より有料座席指定車両「プレミアムカー」サービスをスタートさせている。
阪急京都本線も、1990年代半ばには大幅なダイヤパターンの変更が行われ、特急は、1997(H9)年には高槻市、2001(H13)年には茨木市も停車駅に追加、やはり府内北東部と中心部を速達する役割を与えられている。2003(H15)年デビューの3ドアクロスシート車9300系が特急の新しい顔となり、最高速度が115km/hに引き上げられた2010(H22)年に、6300系を全て置き換えた。京阪間ノンストップ特急は快速特急と称し、朝夕のみの運行に改められた。
一方で京阪・阪急とも、休日を中心に京阪間ノンストップ運行の需要も根強くあり、京阪では2011(H23)年の行楽シーズンから臨時列車として快速特急〔洛楽〕の運行を開始、2016(H28)年より毎日運転の定期列車となっている。阪急では6300系6連1編成を観光特急「京とれいん」に改装し、2011(H23)年3月より土休日の快速特急を中心に運行している。2019(H31)年3月には、神戸線用7000系を改造した「京とれいん雅洛」もデビュー、観光快速特急の60分間隔ダイヤが確立した。「雅洛」は神戸線~嵐山間の臨時特急で使用される事もある。
躍進する アーバンネットワーク
平成の世の前半は、大阪を中心に確立したJR西日本の「アーバンネットワーク」が躍進した時期でもあった。
天王寺駅の阪和線は、阪和鉄道時代の名残で、高架上頭端式ホームに発着していた。1989(H元)年7月、阪和線と地上部の大和路線(関西本線)を結ぶ短絡線が完成、紀勢本線の特急〔くろしお〕が大阪環状線を経由し、新大阪(一部はさらに京都)までの直通運転を開始して、新幹線との接続が飛躍的に向上した。当初の特急のみから、翌1990(H2)年3月には早朝・夜間の快速も直通を開始、以降増強を重ねて、関西空港開港を迎える事になる。短絡線は2008(H20)年に複線化された。
大和路線の愛称を与えられた関西本線の快速は、大阪環状線から直通しと、湊町発着系統が交互に運行される形態になっていた。大阪市内と奈良県中部の直結が快速の役割になっていたが、1997(H9)年3月改正では、八尾市内の久宝寺に区間快速が新規停車し、引き続き天王寺~王寺間ノンストップの「大和路快速」との二本立てとなった。2001(H13)年には、全ての快速が久宝寺停車となっている。区間快速は一時期、和歌山線への直通運転も行っていたが、現在は、基本的には大和路快速と普通の二本立てとなり、和歌山線への直通は朝夕のみとなった。
関西本線の終点・湊町駅は、1994(H6)年にJR難波と改称、1996(H8)年には地下に移転した。関西空港開港もあり、JRのミナミのターミナルとしての飛躍も期待されたが、大和路線の快速は大半が大阪環状線直通となり、関西空港直通快速もなくなって、大和路線普通電車がメインの発着になっている。
2001(H13)年、JR桜島線沿線の工場の跡地に、大型テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)がオープン、工場輸送が利用の中心だった桜島線は、桜島付近の再開発もあり、レジャー路線として急浮上した。「ゆめ咲線」の愛称がつけられた同線は、USJに隣接したユニバーサルシティ駅が開業、朝夕には大阪環状線への直通が大幅に増強された。一時はUSJのラッピングを施した列車の運行もあった。
大阪環状線は、東京の山手線と異なり、郊外からの近郊列車や特急が多数流入し、特に一般列車においては、3ドア車と4ドア車が混在する事で、ホームドア設置のネックとなる事が予想された。テストの結果、大阪環状線への3ドア車の導入に支障がない事が確認され、2016(H28)年に321系が導入され、令和の世になった2019(R元)年6月、201系の置き換えが完了した。
スピード指向に転換する新幹線
東海道新幹線〔のぞみ〕の運行開始は、1992(H4)年3月14日。当時は東京~新大阪間を、早朝と夜間に合計2往復するのみの運行だったが、下り〔のぞみ301号〕は航空対策もあって、新横浜~新大阪間がノンストップとなり、「名古屋飛ばし」として話題になった。300系によって最高速度が270㎞/hに引き上げられ、東京~新大阪間は2時間30分となり、〔ひかり〕最速列車より20分以上の所要時間の短縮となった。
翌1993(H5)年3月改正では山陽新幹線にも運行区間を拡大、1時間間隔のパターンダイヤが確立した。新大阪~博多間は、最速2時間31分で結ばれている。〔のぞみ〕はダイヤ改正毎に〔ひかり〕を置き換え、東海道・山陽新幹線の主役となりつつあった。
その陰で、開業以来の顔だった0系、昭和末期にデビューし、2階建て車両も連結した100系は、次第に勢力を縮小していく。昭和末期に0系を改装、グレードアップしたビュッフェやシネマカー、サイレントカーを連結した「ウエストひかり」は2000(H9)年3月改正で運行を終了、0系自体も東海道では1999(H11)年、山陽では2008(H20)年に運行を終了して引退した。国鉄時代末期にデビューした100系は、平成になって間もなく、JR西日本独自の仕様の「グランドひかり」が生み出された。最高速度が引き上げられた他、2階建て車両が4両となり、JR東海新造の編成では省略された食堂車が引き続き連結され、人気となった。しかし、2004(H16)年にはJR東海編成が退役、JR西日本では編成短縮を行って〔こだま〕への転用も行われたが、2012(H24)年までに全車両が引退した。0系・100系の引退は、車両そのものの老朽化に加え、〔のぞみ〕増発による、新幹線自体の高速化に対応できなくなった面もあった。両系列にあった食堂車も300系以降は完全になくなり、新幹線がスピード指向に触れていく象徴となる。
1997(H9)年3月、JR西日本の500系がデビュー。近未来的なデザインが注目を集めた。当初は山陽新幹線区間のみの運行で、当時の世界最速となる時速300㎞/hで走行、新大阪~博多間は最速2時間27分で結ばれた。同年11月には東海道新幹線区間にも乗り入れを開始している。1999(H11)年には、JR東海・西日本共同開発の700系もデビューしている。
2003(H15)年10月改正で、東海道新幹線では〔のぞみ〕の運行本数が〔ひかり〕を上回り、完全に主役となった。2007(H9)年にはN700系がデビュー、300系・500系の置き換えが進められた。300系は2012(H24)年までに全車両引退、500系も同時期に〔のぞみ〕運用がなくなり、短編成化の上、山陽新幹線内の〔こだま〕に特化して運用されている。
山陽新幹線では、「ウエストひかり」に代わり、2000(H12)年3月、700系7000番台8連の「ひかりレールスター」がデビューしていた。グリーン車の設定がない代わりに、指定席が2-2配置とグレードアップされ、個室も設定された。しかし、2011(H23)年3月12日に全線が開業した九州新幹線・鹿児島ルートとの直通運転が始まると、〔ひかり〕の大半は〔さくら〕に置き換えられ、さらに〔のぞみ〕と同格の〔みずほ〕が設定された事で、「ひかりレールスター」は、山陽新幹線のスターの地位を失っていく。〔ひかり〕運用はほとんどなくなり、大半は〔こだま〕での運用になっている。近年の山陽新幹線は、東海道と九州の両新幹線に挟まれる格好で、独自の施策が見いだせていない。
東海道新幹線では、2012(H24)年に改良型N700A系が導入され、在来のN700系も改修が行われてN700A系となった。700系もまた、平成の終焉の時点では、定期〔のぞみ〕運用は完全になくなり、令和の世になった2020(R2)年3月には全車両が引退、全列車がN700A系に統一される事となる。
在来線特急・急行ネットワーク 矮小化
一方、大阪に発着する在来線の特急列車、特に夜行列車は、新幹線や高速バスに押される形で、急速に縮小が進んだ。九州方面行は、寝台特急〔なは〕〔あかつき〕〔彗星〕が存続、〔なは〕〔あかつき〕には、「レガートシート」と称する大型リクライニングシートを設置した座席車も連結された。しかし、〔なは〕との併結運転に改められていた〔彗星〕は2005(H17)年に廃止。〔なは〕は連結相手を〔あかつき〕に変えたが長続きせず、2008(H20)年に廃止となって、九州行ブルートレインは消滅した。北陸・東北方面は〔日本海〕2往復と〔つるぎ〕の設定があり、〔日本海〕1往復は青函トンネルを経由して、函館まで直通運転を行っていた。しかし〔つるぎ〕は1994(H6)年に事実上廃止、〔日本海〕は2006(H18)年に函館直通が廃止になったのち、2012(H24)年までに、2往復とも廃止となった。
大阪発着では夜行急行の設定もあり、東京行〔銀河〕は特急と同等のブルートレイン車両が使用されていたが、2008(H8)年3月に廃止、60有余年の歴史に幕を閉じた。583系寝台電車が転用されていた新潟行〔きたぐに〕は、2012(H24)年改正で臨時列車に格下げになり、翌年の年始輸送を最後に姿を消した。長野行の〔ちくま〕は客車編成から、1998(H10)年より電車特急〔しなの〕と共通の383系におきかえられたものの、2006(H18)年以降は運行がなくなった。福知山線経由で大阪と出雲市を結んでいた〔だいせん〕は、1994(H6)年に、客車から、〔エーデル鳥取〕に使用されていたキハ65系に置き換えられたが、2004(H16)年10月に廃止となった。この他、多客期には多数の急行・快速の夜行列車が設定されていたが、21世紀を迎える前後に、全て運行がなくなっている。大阪を発着する定期の夜行は、東京~高松・出雲市間の〔サンライズ瀬戸・出雲〕上り列車が、大阪に停車するのみとなった。
昼行の特急・急行も、ネットワーク的には矮小化が進んだ。長らく日本最長の昼行特急だった青森行〔白鳥〕が、2001(H13)年改正で、系統を分断する形で廃止となり、〔雷鳥〕ネットワークに組み込まれた。〔雷鳥〕は681系・683系〔サンダーバード〕への置き換えが進められ、所要時間の短縮も図られたが、2015(H27)年の北陸新幹線開業時に、和倉温泉直通1往復以外は、大阪~金沢間の運行に短縮されている。
福知山線では、電車特急〔北近畿〕に加え、〔北近畿〕に併結して宮福鉄道(後に北近畿タンゴ鉄道を経て、現京都丹後鉄道)に直通する〔エーデル丹後〕、〔まつかぜ〕の流れを受け継ぐ〔エーデル鳥取〕の設定があった。後に宮津線の北近畿タンゴ鉄道転換に伴い、同社のDCによる〔タンゴエクスプローラー〕の運行が始まり、また舞鶴線の電化に伴い、天橋立へ直通する〔文殊〕の設定も行われた。2011(H23)年3月改正時には京都発着の特急と共に再編成が行われ、〔北近畿〕は〔こうのとり〕と改称、〔文殊〕も統合し、福知山線の電車特急は〔こうのとり〕に一本化された。一方、〔エーデル鳥取〕は、1999(H11)年に廃止になっている。
一方、1994(H6)年12月、新規開業した第三セクター鉄道・智頭急行を経由し、大阪と鳥取・倉吉を結ぶ〔スーパーはくと〕が運行を開始した。同社の振り子式特急DC・HOT7000系を使用し、高規格の線形もあって大阪~鳥取間は最速3時間34分となり、〔エーデル鳥取〕の4時間11分から、大幅に所要時間を短縮。同区間の空路を廃止に追い込むまでに至った。当時はJR181系〔はくと〕も合わせて運行されていたが、後に統一、増発や京都延長も図られている。最後まで181系が使用されていた、播但線経由〔はまかぜ〕は、2010(H22)年に189系に置き換えられた。
JR東海から1往復が直通していた〔しなの〕は、〔白鳥〕廃止後は最長の昼行特急となっていたが、2016(H28)年に名古屋~大阪間が廃止となった。一方、高山本線から直通の急行〔たかやま〕は、1999(H11)年に特急〔ひだ〕に格上げされた。
この結果、大阪市内を発着するJR在来線昼行特急の最長は、和倉温泉直通〔サンダーバード〕1往復(327.0㎞)となり、他に300㎞を超えて運行される列車は存在しない。
近鉄・南海 ミナミの私鉄の動静
名古屋や伊勢・志摩方面への大動脈となる近鉄では、私鉄界をリードする特急車両が相次ぎデビューした。大阪線では、1988(S63)年の名阪間ビジネス特急「アーバンライナー」に次ぎ、1994(H6)年には、伊勢・志摩方面の観光特急「伊勢志摩ライナー」をデビューさせた。この2大特急車両を筆頭に、「ビスタカー」をはじめとする一般特急車が、近鉄の特急ネットワークを支える構造が続いている。伊勢志摩方面は一時、改装工事を行った上本町駅をターミナルに据えたが、現在は再び大阪難波発着中心に戻している。南大阪線でも、1990(H2)年に吉野方面への観光特急として「さくらライナー」がデビュー。改修やデラックスシート設定を重ねながら、今日まで活躍が続いている。
近年は、さらにグレードを高めた特急車両が相次ぎデビューしている。伊勢志摩方面には2013(H25)年、ハイグレード特急車として、「しまかぜ」がデビュー。南大阪線でも、通勤車の改造ながら、観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」が、2016(H28)年より運行されている。両列車とも特急料金に加えて特別料金を必要とし、専任のアテンダントが乗務、軽食を提供するコーナーが設けられている。名阪間には、2020(R2)年以降の新特急車「ひのとり」の導入がアナウンスされた。
一方、一般列車は、特に大阪線では需要の減退が続き、区間快速急行の廃止、区間準急の設定など、列車の統合が行われている。かつては伊勢方面への低廉な足として、クロスシート車を優先的に使用していた快速急行も、近年ではダイヤ改正の度に急行に格下げになり、大阪~奈良県中部間の、通勤時の輸送力列車の意味合いが濃くなっている。奈良線でも、区間準急の設定により、特に東花園以東での列車の統合が進められた。
南海線では、一般車に座席指定車両を併結させるスタイルの先駆けとなった特急〔サザン〕が、当初の指定席車2両が、利用の好調さから増結を重ね、1992(H4)年からは、全列車4両となった。当初は泉佐野~和歌山市間ノンストップだったが、1994(H6)年改正でみさき公園、2001(H13)年改正で尾崎に停車、難波と阪南地域を速達する足ともなった。2005(H17)年11月改正では急行の統合により、30分間隔運転となり、〔ラピートβ〕も含めると、難波~泉佐野間は、日中の特急15分間隔のパターンダイヤが確立している。2001(H13)年には天下茶屋への停車も開始、地下鉄堺筋線を介して、阪急京都線沿線への利便性も向上させている。2010(H22)年には12000系〔サザンプレミアム〕もデビューした。
一方、多奈川線に直通、深日港からの航路に接続していた急行〔淡路号〕は1993(H5)年4月に廃止。和歌山からの徳島航路も縮小傾向にあり、海→空へのアクセスのシフトが続いた。
高野線は、林間田園都市(和歌山県)間まで完成していた大規模改良工事が、1992(H4)年には橋本(和歌山県)まで到達。同時に、元からの〔こうや〕に加え、難波~橋本間に〔りんかん〕が設定、全列車が金剛に停車となり、「ミナミ」と大阪府南部のアクセスが飛躍的に向上する事となった。なお、難波~橋本間は一時「りんかんサンライン」の愛称がついたが、定着しなかった。
本来は高野線の一部の汐見橋~岸ノ里間は、事実上南海線の支線となり、岸ノ里付近の高架化(同時に玉出駅と統合して岸里玉出)により、線路は完全に分断された。高師浜線・多奈川線と共に、利用者の減少に対応して、列車本数の削減が続いている。
天王寺線は、天王寺~今池町間のみ、他の南海線と切り離されて孤立した小路線として運営されていたが、1993(H5)年3月いっぱいで廃線となった。
南海を巡る 3鉄軌道会社
泉北高速鉄道線は、第3セクター・大阪府都市開発が運営していた通勤鉄道で、南海高野線と、相互直通運転を行っていた。1995(H7)4月には光明池~和泉中央間が延長開業している。2014(H26)年7月に南海が全株式を購入、社名も泉北高速鉄道となり、南海グループの一員となった。2015(H27)年12月には同社保有の12000系を使用した、特急〔泉北ライナー〕の運行を開始。区間急行による難波直通の増強も行われている。
大阪市電廃止以降、大阪府内唯一の路面電車となっていた阪堺電気軌道は、特に堺市内区間の経営状況が思わしくなく、21世紀になって、廃止を含めた協議が堺市に打診された。一時は公営化や、当時予定されていた、臨海地区へのLRT東西線と一体化する構想もあったが、2009(H11)年の堺市長選挙の結果、全てが白紙撤回される事となった。後に堺市は、既存区間の費用面での支援で合意、存続問題には一応の決着がついた。
阪堺電軌では運行形態を見直し、上町線天王寺駅前~阪堺線浜寺駅前間の直通運転を基本とし、阪堺線は恵美須町~我孫子道間の折返し運転となった。また、全線を均一運賃としたほか、2013(H25)年には超低床車「堺トラム」を導入して、車両面の体質改善を進めている。住吉~住吉公園間は、2016(H28)年1月いっぱいで廃止となった。
水間鉄道は、1990(H2)年に昇圧の上、元東急7000系を導入、旧型電車を全て置き換えた。経営面での行き詰まりから、2005(H17)年には会社更生法の申請を行い、全国に飲食店を展開するグルメ杵屋の子会社となって、経営を再建した。清児~犬鳴山間の鉄道事業免許は、1996(H8)年に廃止になっている。
外環状線の開業相次ぐ
大阪市内から放射状に延びる路線が競合する大阪府は一方、郊外で各路線を短絡する外環状線の整備が進まなかった。後の地下鉄今里筋線も、その考え方に沿った路線と言えるが、その最初のものは、1990(H2)年に開業した、大阪高速鉄道(大阪モノレール)だった。当初の千里中央~南茨木間6.7㎞の小規模な路線は年を重ねる毎に延伸を重ね、1997(H9)年4月には大阪空港に到達。蛍池で阪急宝塚本線と接続した事で、空港アクセス鉄道としても機能するようになった。同年8月には京阪本線の門真市に到達、21.2㎞となって、翌1998(H10)年、世界最長のモノレールとしてギネス世界記録に認定される事となった。この年には、万博記念公園から分岐する支線として、国際文化公園都市線(彩都線)が開業している。
東海道本線と関西本線を短絡する城東貨物線は、平成の世になって以降旅客線化構想が浮上し、1996(H8)年、大阪府と大阪市、JR西日本などが出資して設立された大阪外環状鉄道によって、旅客線としての整備が始められ、2008(H20)年3月、放出~久宝寺間が開業。朝夕には奈良からおおさか東線を経由、JR東西線に直通する「直通快速」が設定された。そして、2019(H31)年3月16日、新大阪~放出間が開業し、予定されていた区間が全通した。普通列車の他、直通快速も新大阪~奈良間の運行に改められている。全区間、施設は大阪外環状鉄道が保有、JR西日本が第2種事業者として列車を運行している。
この新大阪~放出間こそ、平成時代最後の、日本の鉄道新線となった。
大変貌 キタとミナミのターミナル
JR大阪駅は、2004(H16)年より大規模な改良工事が始まり、2011(H23)年5月、「大阪ステーションシティ」としてグランドオープンした。ノースゲートビルとサウスゲートビルにまたがる巨大なドーム状の屋根で構内全体を覆い、ホームの上屋を撤去した事で、広々とした空間が提供される事になった。在来の地下通路に加えて、ホーム上に建設された南北連絡橋からは、ホームに出入りする列車を見物する事も可能になっている。また、JRの高速バスターミナルは、ノースゲートビルの1Fに移転・拡充された。
近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅は、21世紀に入り、ターミナルビル旧館建て替えに合わせて、超高層ビルを建設する事となった。2014(H26)年3月にグランドオープンした「あべのハルカス」は、地上60階建て・高さ300mとなり、横浜市のランドマークタワー(296m)を抜いて日本一の超高層ビルとなり、ミナミの新しいランドマークとなった。
JR弁天町駅に隣接して立地していた交通科学博物館は、京都の鉄道博物館建設に先立ち、2014(H26)年4月、閉館した。
次回・3回目はデータ編と、令和に入ってからの動きです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《What's New》
18日 藤井 聡太七冠 棋聖戦4連覇
19日 アスレチックス藤浪 晋太郎 オリオールズ移籍発表
20日 東京都 新型コロナ感染者前週比1.08倍 4週連続増加
秋田の豪雨はとりあえず落ち着いたようだが、奥羽本線・大曲~和田間(1067㎜軌間)と、五能線・能代~深浦間は、8月中旬の運行再開を目指すと発表がありました。秋田新幹線は運行、大曲~秋田間は普通乗車券・定期券のみで利用できるという事(「青春18きっぷ」でも乗れると思うが、記載がなかった)。また、大曲→秋田間に上り1本、普通列車の臨時を運行(ノンストップ)。北上線のほっとゆだ~横手間は、運行再開の見込みが今のところたっていないという事。これで済むのならまだいいのかも知れないが、東日本はまだ不安定な天気が続くという予報があって、とにかくまだ心配は尽きない所です。
№2680 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 27.大阪府(1)
秋田県の豪雨は凄まじいものがあったようで、人的な被害が何より心配だが、鉄道などの交通も、間違いなくただでは済まないだろうと思っていました。更新時点では、JRは秋田新幹線が明日も終日運行見合わせの予定とされています。一番肝心な大曲~秋田間が、未だに設備の点検もできない状況との事。また五能線は線路設備の損害が確認されている(具体的な状況は分からない)ため、東能代~深浦間は当分運行できないとしています。この他、八郎潟~東能代間と、男鹿線も運行再開の見通しが立たないという事でした。秋田内陸縦貫鉄道と由利高原鉄道は損害がなかったようで、全線で運行を再開できたのは何より。空港は秋田・大館能代共通常通り運用(ANAは羽田~秋田線にB777-300を飛ばしたらしい。秋田新幹線不通が理由かは不明だが)。バスも、一部路線で運休・迂回運行が発生しているが、広範囲で運行不能、という状況まではなっていないように見えます(羽後交通は近くの営業所へ問い合わせをという事)。しかし先日の山口県や九州北部もそうだが、この数年、6~7月の梅雨の時期になると決まって日本のどこかで「破壊的」な豪雨が発生し、しかも年々狂暴になっています。先日も書いたが、どうも昨今のローカル鉄道は、「一歩進んで五歩後退」という状況に陥っているように思えてなりません。どこまで備えれば良いのか。ただでさえ貧弱なローカル鉄道にとって、災害対策はますます重荷になってくるのではないか。
さて平成の30年間の鉄道を回顧するシリーズ、今回はいよいよ大阪府です。ボリュームがありますので、3回に分けます。「私鉄王国」の異名も持つ地域ゆえ、鉄道ネットワークの拡充は民間先行で進んできた感がありました。また、特に20世紀の内には「花博」や関西空港開港などのビッグプロジェクトも多々あったが、一方でオリンピック・パラリンピックの招致の失敗もあり、その他もろもろ交通以外の事情もあって(特に政治面)、府内の鉄道ネットワークも翻弄される所があったように思います。一方で、画期的な相互直通運転も始まりました。
日本初 リニア地下鉄開通
「花と緑の博覧会」(花博)が市北東部の鶴見緑地で開幕した1990(H2)年の3月、会場へのアクセスとなる大阪市営地下鉄・鶴見緑地線が開業した。日本で初の、リニアモーターによる駆動方式を採用している。リニア地下鉄は、台車に薄型のリニアモーターを搭載、軌条間に敷かれたリアクションプレートが発する磁力と引き合う事で、推進力を得らえる。トンネルの断面を小さくできる(在来の地下鉄の約6割)、急こう配・急カーブを克服できる、などの利点があり、建設費の低減を狙えるシステムとして、南港の試験線で走行実験が行われていた。
開業時は京橋~鶴見緑地間5.2kmの短区間で、他の市営地下鉄路線と接続しない「落下傘」路線だったが、この開業で大阪の地下鉄は東京に次いで、総延長が100kmを越える事になった。
その後は都心に向けて延長工事が重ねられ、1994(H6)年12月には心斎橋まで延長、他の市営地下鉄路線と接続した。この時点で、他の市営地下鉄路線同様、頭上を通る大通りの名称(長堀通)をつけて路線名を改称したが、既に鶴見緑地線の愛称が定着していた事から、この4文字も残し、長堀鶴見緑地線とした。翌1997(H9)年8月には両端を延伸、大正~門真南間が全通した。同路線は、その後の今里筋線のほか、東京都、神戸市、横浜市、福岡市、仙台市と続くリニア地下鉄の先駆けとして、歴史に刻まれる事となった。
堺筋線は、動物園前から天下茶屋へ延伸工事が進められていたが、南海線の連続立体化と一体の整備のため延伸が遅れ、開業は1993(H5)年3月となった。翌年の関西空港開港に合わせ、南海側も空港アクセスのダイヤを整備した事で、阪急と相互直通運転を行っていた堺筋線も、関西空港へのアクセス機能を積極的にPRする事となった。またこの開業は、御堂筋線の混雑緩和にも寄与する事となる。
南港を控えた咲洲地区の開発に伴い、中央線の大阪港、新交通システムの南港ポートタウン線(ニュートラム)の中ふ頭からそれぞれ路線を延伸し、コスモスクエアまでの路線の延伸が図られる事になり、1997年12月に開業した。延伸区間は、大阪市の関連企業である、大阪港トランスポートシステム(OTS)が運営、大阪市営と相互直通を行う形態となった。ニュートラムテクノポート線では、新交通システムで唯一、2者の相互直通運転を行った路線となった。当時招致を行っていた2008(H20)年のオリンピック・パラリンピックの会場の予定地となっていた咲洲地域へのアクセスとして期待されたが、招致合戦は北京に敗れ、トレードセンターを中心としたビジネス輸送が中心となった。しかし、運賃の割高感から利用は伸び悩み、2005(H17)年7月、両路線とも大阪市交通局の運営となり、中央線及びニュートラムに編入される事となった。車両も全て、大阪市に譲渡されている。施設は引き続きOTSが保有するが、旅客営業の事業者としては、8年足らずの短命に終わった。
今里筋線開通 そして民営化への道
1999(H11)年12月、第2のリニア地下鉄となる今里筋線が開業した。市内中心部には入らない外環状線的な路線で、JR大阪環状線の東側で、他の地下鉄路線や私鉄、JRと接続する。太子橋より南側は、1970(S45)年まで運行された、トロリーバスのルートとほぼ同じである。車両基地は長堀鶴見緑地線と共用になり、清水から長大な連絡線も設けられている。
21世紀に入ると、その今里筋線の利用の伸び悩みや、副業の不振などから、経営形態の見直しの議論が重ねられる事になった。2015(H27)年実施の「都構想」住民投票も絡んで、市政そのものの在り方も含めて議論は紛糾したが、2017(H29)年3月の市会で民営化が可決、翌2018(H30)年4月1日、大阪市高速電気軌道㈱に経営が移行、民営企業として再スタートする事になった。東京都と8政令指定都市で運行されていた公営地下鉄では、初の民営化事例である。一般的な愛称として、「Osaka Metro」と呼称され、「Mooving M」を体現した新シンボルマークも制定された。
同時に市営バス事業も民営化され、大阪シティバスとなった。当面Osaka Metroは大阪市100%、大阪シティバスはOsaka Metro100%出資となる。将来的な経営見直しの一環として、今里筋線延伸予定の、今里より南部の区間は、社会実験として「いまさとBRT」と称するバスシステムが、2019(H31)年4月1日よりスタートした。Osaka Metroが大阪シティバスに運行を委託する形態を採っている。
2025(R7)年の大阪万博開催が、2018(H30)年11月に決定した。会場の舞洲へのアクセスとして、中央線の延伸事業が有力視されている。今後、夢洲のIRリゾート整備など、市政そのものを左右される状況が相次いで起こると見られ、その中でのOsaka Metroの動向が注目される。
地下新線 東西直通ネットワークを構築
平成の30年間では地下鉄以外でも、大阪環状線の内側を東西に貫く地下新線が相次ぎ開業した。それらは市の東と西の路線を接続し、大阪では比較的手薄だった相互直通ネットワークの拡充につながった。
JR東西線は、国鉄時代より「片福連絡線」の構想があった。「キタ」の市街地の南側を通過する、京橋と尼崎を結ぶ地下新線を建設、文字通り片町線と、福知山線を連絡して相互直通運転を行う構想で、関西圏の国鉄の地位を高める路線として期待されていた。建設の着手は民営化以降になり、平成の世になった1989(H元)年に着工、出水事故により当初予定より2年遅れながらも、1997(H9)年3月に開業した。開業時より当初の構想通り、東側の学研都市線と、西側のJR宝塚線に加えてJR神戸線(東海道・山陽本線)とも直通運転を行い、アーバンネットワークの、東西を貫くもう一つの柱に成長した。
片町線は平成に入って以降、長尾以南の電化(これにより、大阪府内の鉄道線は全て電化)や宅地開発もあり、快速が設定されるなど通勤路線としての地位が高まっていて、JR東西線への直通で、「キタ」の中心地や兵庫県方面への直通ルートが確立、さらに利便性が向上する事となった。この影で、1895(M28)年の浪速鉄道による開業以来の始発駅だった片町駅は廃止となり、100年以上の歴史に幕を閉じた。
平成の大阪の鉄道で、最も大きなインパクトを与えたのは、阪神なんば線だった。路線の構想自体は戦後からあったが、1989(H元)年の運輸政策審議会によって最重要整備路線と位置付けられ、大阪ドームの開業もあって、路線の整備の機運が高まった。2003(H15)年に工事が着手され、5年半後の2009(H21)年、大阪難波~西九条間が開通、在来区間も含めて「阪神なんば線」と称する事になる。阪神は大阪のキタとミナミ、双方の繁華街に乗り入れた最初の私鉄となった。
阪神なんば線は同時に近鉄難波~奈良線と相互直通運転を開始し、大阪を介して奈良と神戸を直結する、関西では唯一の、私鉄による東西直通ルートが完成した。各駅停車の他、奈良と神戸三宮を結ぶ快速急行が設定されている。19m級3ドアの阪神車両と、21m級4ドアの近鉄車両という、規格が異なる2社の直通運転は、前例がないものだった。2014(H26)年からは、近鉄特急車両による阪神線直通(団体列車)も行われている。
阪神なんば線開通の1年前、2008(H20)年10月には、京阪中之島線が開業した。中之島地域の開発に合わせ、天満橋までの複々線部を延伸する形態で、中之島まで開業している。京阪では同時に快速急行車両として(新)3000系を導入するなど力が入ったが、開発の遅れもあって利用は伸び悩み、現状は朝夕を除き、各駅停車のみの運行に整理されている。
3路線は、建設の主体となった企業が、第3種鉄道事業者として線路・施設を保有、鉄道会社(JR西日本、阪神、京阪)は第2種鉄道事業者として営業を行う点が共通している。JR東西線はJR西日本、阪神なんば線は阪神、京阪中之島線は京阪を主体に、共に大阪府と大阪市が中心となって出資した第3セクター企業である。早くから営団地下鉄→東京メトロ、都営地下鉄との相互直通方式が確立していた東京と異なり、大阪では私鉄自らが市中心部を目指しながら、「市内の交通は市営で」の「市営モンロー主義」に阻まれていた面もあった。3路線の開業は、市営地下鉄の民営化と合わせ、大阪の鉄道の方向性が転換された事も意味していた。
関西国際空港開港 鉄道アクセススタート
1994(H6)年9月4日、泉佐野市の泉南沖に、関西国際空港が開港した。在来の大阪国際空港(伊丹)の代替の新空港が待望されていたもので、海上に人工島を埋め立てて空港施設を建設する、日本では初めての方式となった。開港時より24時間運用をうたい、特に伊丹から全面移転した国際線と、国内各地からの国内線の接続の良さを、PRの材料としていた。
大阪市内からの鉄道アクセスはJR西日本と南海が担う事になり、共に関西国際空港(現在は分社で新関西国際空港)が建設した空港橋を介した、鉄道新線を建設した。JR西日本は阪和線の日根野、南海は南海線の泉佐野から分岐するが、軌間が同じ1,067㎜である事から、空港橋を挟むりんくうタウン~関西空港間は、2社が共用する事になった。
JR西日本は281系特急車を用意し、〔はるか〕として、関西空港から天王寺、さらには大阪を経由して、京都まで運行を開始した。また、〔はるか〕を補完する形で、大阪環状線に乗り入れて京橋(一部車両はJR難波)まで直通する関空快速を設定、翌1995(H7)年には、指定席を設定した〔関空特快ウィング〕に発展している。
一方の南海は、「レトロ&フューチャー」をコンセプトとした空港特急〔ラピート〕を設定。専用車両の50000系は、スチームパンクを彷彿させる大胆なデザインで注目を集めた。ノンストップの「α」と、主要駅停車の「β」を交互に運行するダイヤとなり、補完する形で、在来の急行の運行区間を変更した空港急行を設定している。
JR・南海とも、当初は主要駅に「スルーチェックイン」サービスを導入していた。南海は難波駅に「なんばCAT」を設置、JAL・JAA国際線利用者はチェックインと手荷物の受付を済ませ、空港ではスムーズな乗り換えができるようになっていた(JRは京都駅に設置)。50000系には旅客の手荷物を搭載するスペースも設けられたが、利用は振るわず、米同時多発テロ事件の影響もあり、サービスは終了する事となった。
その後、空港の需要の伸び悩みがあり、JR・南海とも、ダイヤの見直しが行われる事となった。JRでは、〔関空特快ウィング〕は1999(H11)年10月改正で廃止となり、全車自由席の関空快速が、阪和線・大阪環状線内は和歌山方面からの紀州路快速と併結する形態に改められている。〔はるか〕は一時、日中の減便(臨時列車化)も行われたが、その後LCCキャリアの就航の増加により、平成最後のダイヤ改正となった2019(H31)年3月には、定期列車30分間隔運転に復帰していた。
南海も〔ラピート〕は一時、αは朝方の下りのみとなり、大半がβでの運行となっていたが、後に夜間の空港発でαの運行が復活している。この間、高架化が完成、地下鉄堺筋線との接続が実現した天下茶屋駅には、1996(H8)年10月より〔ラピートβ〕と空港急行が、2003(H15)年3月には〔ラピートα〕も停車を開始し、堺筋線が直通する阪急電鉄沿線の利用者の利便性が、大きく向上した。2005(H17)年に高架化事業が完成した泉佐野駅では、関西空港⇔和歌山方面間の乗り換えが、同一ホーム上で可能な3面4線構造となっている。
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《What's New》
15日 「山北のお峰入り」ユネスコ無形文化遺産登録 記念講演会開催
16日 TPP イギリス加盟正式決定
17日 中国GDP 4~6月は前年比+6.3%
ところでこの数カ月、ツィッターの閲覧制限がどうのこうの世界中で大騒ぎになっているが、このため私も、交通事業者のツィッターを、そのままでは閲覧できなくなってしまいました。投稿もリツイートもするつもりはないのに、アカウントを作ってログイン、という形にしないと、見る事さえできない。情報発信のツールとして採用してきた各交通事業者、あるいは地方自治体などなども、これでは困るのではないか。この機にメタの「スレッズ」に乗り換える、という所も出てくるかもしれないが、これはこれでまた別の問題を生み出すかもしれない。いろいろ言い分もあるだろうが、どうも一握りの「IT長者」どもにSNSの世界が弄ばれているように思えて、私個人としては、極めて不愉快です。別に最初からやらないけれどね。
さて平成の30年間の鉄道を回顧するシリーズ、今回はいよいよ大阪府です。ボリュームがありますので、3回に分けます。「私鉄王国」の異名も持つ地域ゆえ、鉄道ネットワークの拡充は民間先行で進んできた感がありました。また、特に20世紀の内には「花博」や関西空港開港などのビッグプロジェクトも多々あったが、一方でオリンピック・パラリンピックの招致の失敗もあり、その他もろもろ交通以外の事情もあって(特に政治面)、府内の鉄道ネットワークも翻弄される所があったように思います。一方で、画期的な相互直通運転も始まりました。
大阪市営 公営地下鉄初の民営化
市中心部貫く地下新線 相次ぎ開業
市中心部貫く地下新線 相次ぎ開業
日本初 リニア地下鉄開通
「花と緑の博覧会」(花博)が市北東部の鶴見緑地で開幕した1990(H2)年の3月、会場へのアクセスとなる大阪市営地下鉄・鶴見緑地線が開業した。日本で初の、リニアモーターによる駆動方式を採用している。リニア地下鉄は、台車に薄型のリニアモーターを搭載、軌条間に敷かれたリアクションプレートが発する磁力と引き合う事で、推進力を得らえる。トンネルの断面を小さくできる(在来の地下鉄の約6割)、急こう配・急カーブを克服できる、などの利点があり、建設費の低減を狙えるシステムとして、南港の試験線で走行実験が行われていた。
開業時は京橋~鶴見緑地間5.2kmの短区間で、他の市営地下鉄路線と接続しない「落下傘」路線だったが、この開業で大阪の地下鉄は東京に次いで、総延長が100kmを越える事になった。
その後は都心に向けて延長工事が重ねられ、1994(H6)年12月には心斎橋まで延長、他の市営地下鉄路線と接続した。この時点で、他の市営地下鉄路線同様、頭上を通る大通りの名称(長堀通)をつけて路線名を改称したが、既に鶴見緑地線の愛称が定着していた事から、この4文字も残し、長堀鶴見緑地線とした。翌1997(H9)年8月には両端を延伸、大正~門真南間が全通した。同路線は、その後の今里筋線のほか、東京都、神戸市、横浜市、福岡市、仙台市と続くリニア地下鉄の先駆けとして、歴史に刻まれる事となった。
堺筋線は、動物園前から天下茶屋へ延伸工事が進められていたが、南海線の連続立体化と一体の整備のため延伸が遅れ、開業は1993(H5)年3月となった。翌年の関西空港開港に合わせ、南海側も空港アクセスのダイヤを整備した事で、阪急と相互直通運転を行っていた堺筋線も、関西空港へのアクセス機能を積極的にPRする事となった。またこの開業は、御堂筋線の混雑緩和にも寄与する事となる。
南港を控えた咲洲地区の開発に伴い、中央線の大阪港、新交通システムの南港ポートタウン線(ニュートラム)の中ふ頭からそれぞれ路線を延伸し、コスモスクエアまでの路線の延伸が図られる事になり、1997年12月に開業した。延伸区間は、大阪市の関連企業である、大阪港トランスポートシステム(OTS)が運営、大阪市営と相互直通を行う形態となった。ニュートラムテクノポート線では、新交通システムで唯一、2者の相互直通運転を行った路線となった。当時招致を行っていた2008(H20)年のオリンピック・パラリンピックの会場の予定地となっていた咲洲地域へのアクセスとして期待されたが、招致合戦は北京に敗れ、トレードセンターを中心としたビジネス輸送が中心となった。しかし、運賃の割高感から利用は伸び悩み、2005(H17)年7月、両路線とも大阪市交通局の運営となり、中央線及びニュートラムに編入される事となった。車両も全て、大阪市に譲渡されている。施設は引き続きOTSが保有するが、旅客営業の事業者としては、8年足らずの短命に終わった。
今里筋線開通 そして民営化への道
1999(H11)年12月、第2のリニア地下鉄となる今里筋線が開業した。市内中心部には入らない外環状線的な路線で、JR大阪環状線の東側で、他の地下鉄路線や私鉄、JRと接続する。太子橋より南側は、1970(S45)年まで運行された、トロリーバスのルートとほぼ同じである。車両基地は長堀鶴見緑地線と共用になり、清水から長大な連絡線も設けられている。
21世紀に入ると、その今里筋線の利用の伸び悩みや、副業の不振などから、経営形態の見直しの議論が重ねられる事になった。2015(H27)年実施の「都構想」住民投票も絡んで、市政そのものの在り方も含めて議論は紛糾したが、2017(H29)年3月の市会で民営化が可決、翌2018(H30)年4月1日、大阪市高速電気軌道㈱に経営が移行、民営企業として再スタートする事になった。東京都と8政令指定都市で運行されていた公営地下鉄では、初の民営化事例である。一般的な愛称として、「Osaka Metro」と呼称され、「Mooving M」を体現した新シンボルマークも制定された。
同時に市営バス事業も民営化され、大阪シティバスとなった。当面Osaka Metroは大阪市100%、大阪シティバスはOsaka Metro100%出資となる。将来的な経営見直しの一環として、今里筋線延伸予定の、今里より南部の区間は、社会実験として「いまさとBRT」と称するバスシステムが、2019(H31)年4月1日よりスタートした。Osaka Metroが大阪シティバスに運行を委託する形態を採っている。
2025(R7)年の大阪万博開催が、2018(H30)年11月に決定した。会場の舞洲へのアクセスとして、中央線の延伸事業が有力視されている。今後、夢洲のIRリゾート整備など、市政そのものを左右される状況が相次いで起こると見られ、その中でのOsaka Metroの動向が注目される。
地下新線 東西直通ネットワークを構築
平成の30年間では地下鉄以外でも、大阪環状線の内側を東西に貫く地下新線が相次ぎ開業した。それらは市の東と西の路線を接続し、大阪では比較的手薄だった相互直通ネットワークの拡充につながった。
JR東西線は、国鉄時代より「片福連絡線」の構想があった。「キタ」の市街地の南側を通過する、京橋と尼崎を結ぶ地下新線を建設、文字通り片町線と、福知山線を連絡して相互直通運転を行う構想で、関西圏の国鉄の地位を高める路線として期待されていた。建設の着手は民営化以降になり、平成の世になった1989(H元)年に着工、出水事故により当初予定より2年遅れながらも、1997(H9)年3月に開業した。開業時より当初の構想通り、東側の学研都市線と、西側のJR宝塚線に加えてJR神戸線(東海道・山陽本線)とも直通運転を行い、アーバンネットワークの、東西を貫くもう一つの柱に成長した。
片町線は平成に入って以降、長尾以南の電化(これにより、大阪府内の鉄道線は全て電化)や宅地開発もあり、快速が設定されるなど通勤路線としての地位が高まっていて、JR東西線への直通で、「キタ」の中心地や兵庫県方面への直通ルートが確立、さらに利便性が向上する事となった。この影で、1895(M28)年の浪速鉄道による開業以来の始発駅だった片町駅は廃止となり、100年以上の歴史に幕を閉じた。
平成の大阪の鉄道で、最も大きなインパクトを与えたのは、阪神なんば線だった。路線の構想自体は戦後からあったが、1989(H元)年の運輸政策審議会によって最重要整備路線と位置付けられ、大阪ドームの開業もあって、路線の整備の機運が高まった。2003(H15)年に工事が着手され、5年半後の2009(H21)年、大阪難波~西九条間が開通、在来区間も含めて「阪神なんば線」と称する事になる。阪神は大阪のキタとミナミ、双方の繁華街に乗り入れた最初の私鉄となった。
阪神なんば線は同時に近鉄難波~奈良線と相互直通運転を開始し、大阪を介して奈良と神戸を直結する、関西では唯一の、私鉄による東西直通ルートが完成した。各駅停車の他、奈良と神戸三宮を結ぶ快速急行が設定されている。19m級3ドアの阪神車両と、21m級4ドアの近鉄車両という、規格が異なる2社の直通運転は、前例がないものだった。2014(H26)年からは、近鉄特急車両による阪神線直通(団体列車)も行われている。
阪神なんば線開通の1年前、2008(H20)年10月には、京阪中之島線が開業した。中之島地域の開発に合わせ、天満橋までの複々線部を延伸する形態で、中之島まで開業している。京阪では同時に快速急行車両として(新)3000系を導入するなど力が入ったが、開発の遅れもあって利用は伸び悩み、現状は朝夕を除き、各駅停車のみの運行に整理されている。
3路線は、建設の主体となった企業が、第3種鉄道事業者として線路・施設を保有、鉄道会社(JR西日本、阪神、京阪)は第2種鉄道事業者として営業を行う点が共通している。JR東西線はJR西日本、阪神なんば線は阪神、京阪中之島線は京阪を主体に、共に大阪府と大阪市が中心となって出資した第3セクター企業である。早くから営団地下鉄→東京メトロ、都営地下鉄との相互直通方式が確立していた東京と異なり、大阪では私鉄自らが市中心部を目指しながら、「市内の交通は市営で」の「市営モンロー主義」に阻まれていた面もあった。3路線の開業は、市営地下鉄の民営化と合わせ、大阪の鉄道の方向性が転換された事も意味していた。
関西国際空港開港 鉄道アクセススタート
1994(H6)年9月4日、泉佐野市の泉南沖に、関西国際空港が開港した。在来の大阪国際空港(伊丹)の代替の新空港が待望されていたもので、海上に人工島を埋め立てて空港施設を建設する、日本では初めての方式となった。開港時より24時間運用をうたい、特に伊丹から全面移転した国際線と、国内各地からの国内線の接続の良さを、PRの材料としていた。
大阪市内からの鉄道アクセスはJR西日本と南海が担う事になり、共に関西国際空港(現在は分社で新関西国際空港)が建設した空港橋を介した、鉄道新線を建設した。JR西日本は阪和線の日根野、南海は南海線の泉佐野から分岐するが、軌間が同じ1,067㎜である事から、空港橋を挟むりんくうタウン~関西空港間は、2社が共用する事になった。
JR西日本は281系特急車を用意し、〔はるか〕として、関西空港から天王寺、さらには大阪を経由して、京都まで運行を開始した。また、〔はるか〕を補完する形で、大阪環状線に乗り入れて京橋(一部車両はJR難波)まで直通する関空快速を設定、翌1995(H7)年には、指定席を設定した〔関空特快ウィング〕に発展している。
一方の南海は、「レトロ&フューチャー」をコンセプトとした空港特急〔ラピート〕を設定。専用車両の50000系は、スチームパンクを彷彿させる大胆なデザインで注目を集めた。ノンストップの「α」と、主要駅停車の「β」を交互に運行するダイヤとなり、補完する形で、在来の急行の運行区間を変更した空港急行を設定している。
JR・南海とも、当初は主要駅に「スルーチェックイン」サービスを導入していた。南海は難波駅に「なんばCAT」を設置、JAL・JAA国際線利用者はチェックインと手荷物の受付を済ませ、空港ではスムーズな乗り換えができるようになっていた(JRは京都駅に設置)。50000系には旅客の手荷物を搭載するスペースも設けられたが、利用は振るわず、米同時多発テロ事件の影響もあり、サービスは終了する事となった。
その後、空港の需要の伸び悩みがあり、JR・南海とも、ダイヤの見直しが行われる事となった。JRでは、〔関空特快ウィング〕は1999(H11)年10月改正で廃止となり、全車自由席の関空快速が、阪和線・大阪環状線内は和歌山方面からの紀州路快速と併結する形態に改められている。〔はるか〕は一時、日中の減便(臨時列車化)も行われたが、その後LCCキャリアの就航の増加により、平成最後のダイヤ改正となった2019(H31)年3月には、定期列車30分間隔運転に復帰していた。
南海も〔ラピート〕は一時、αは朝方の下りのみとなり、大半がβでの運行となっていたが、後に夜間の空港発でαの運行が復活している。この間、高架化が完成、地下鉄堺筋線との接続が実現した天下茶屋駅には、1996(H8)年10月より〔ラピートβ〕と空港急行が、2003(H15)年3月には〔ラピートα〕も停車を開始し、堺筋線が直通する阪急電鉄沿線の利用者の利便性が、大きく向上した。2005(H17)年に高架化事業が完成した泉佐野駅では、関西空港⇔和歌山方面間の乗り換えが、同一ホーム上で可能な3面4線構造となっている。
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《What's New》
15日 「山北のお峰入り」ユネスコ無形文化遺産登録 記念講演会開催
16日 TPP イギリス加盟正式決定
17日 中国GDP 4~6月は前年比+6.3%
ところでこの数カ月、ツィッターの閲覧制限がどうのこうの世界中で大騒ぎになっているが、このため私も、交通事業者のツィッターを、そのままでは閲覧できなくなってしまいました。投稿もリツイートもするつもりはないのに、アカウントを作ってログイン、という形にしないと、見る事さえできない。情報発信のツールとして採用してきた各交通事業者、あるいは地方自治体などなども、これでは困るのではないか。この機にメタの「スレッズ」に乗り換える、という所も出てくるかもしれないが、これはこれでまた別の問題を生み出すかもしれない。いろいろ言い分もあるだろうが、どうも一握りの「IT長者」どもにSNSの世界が弄ばれているように思えて、私個人としては、極めて不愉快です。別に最初からやらないけれどね。