№2669 バスマガジンvol.119 (講談社ビーシー/講談社)

「バスマガジンvol.119」、先月末には通常通り刊行されていたが、だいぶ遅くなってしまいました。

おじゃまします!バス会社潜入レポート Vol.119 京都京阪バス/京阪京都交通
 この両社は京阪電鉄のグループではあるが、両者とも戦後に京阪グループ入りしたもので、京阪バスからの分社ではない。
 しかし、京阪グループのバス事業、特に京都京阪バスの歴史は、なかなか分かりにくい。前身は元々は京阪グループではなく、戦後にグループ入りした京阪宇治交通の分社で、後に本体の方が京阪バスに吸収されて、分社の方が独立した会社(京阪宇治バス)として残った事になる。しかも今の社名になる時点で京阪バスの分社(京阪シティバス)を吸収している。その結果、以前は大阪府の樟葉付近にも割と路線があったと思ったのに、今は全路線が京都府内で、南部に集中している。六地蔵付近と、近鉄の向島~小倉間に落下傘路線があるのが目に付く。
 京阪京都交通は、経営が破綻した京都交通の救済の意味が大きそうだ。なので路線網を見ると、京阪グループなのに、一般の路線バスで京阪電鉄の駅に発着する路線は、ほぼない(七条京阪~光華女子学園間の「フラワーライン線」のみで、学園指定日のみ運行の、スクールバス的な路線)。一方で写真もあるが、兵庫県に福住への乗り入れがあり、「京阪」の路線バスが兵庫県に入るのが面白い。
 という経緯もあるので、両社とも、ローカル路線が多数あって、風光明媚な区間も、写真を見た感じでは多そうだ。もちろんそれなりに運営は大変だろうが。
 両社とも、京阪電鉄の電車との結びつきは、あまり強くない。京阪京都交通はもちろん、京都京阪バスも樟葉の路線がなくなった結果、宇治以外の京阪の駅を発着する路線は、一部を除けば少ない(むしろ近鉄京都線との結びつきが強いかも)。今後京阪電車・バスとは、どのような関係を保つ事になるのだろうか。
 京都府ではコロナ禍後の需要回復を図った「もうひとつの京都」キャンペーンを行っていて、京都市以外の府内を走る路線バス事業者に、ラッピングを施して運行していた。両社にもあったのだが、運行が3月いっぱいで終了しているためか、写真がなかった。「あゆみ」だけでも載せられなかっただろうか。

帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.51 岐阜県

岐阜バス.jpg
 前号が大阪府Part1だったのに、今号はPart2、とはならなかった(予告通りだが。大阪府Part2は次号予定)。
 岐阜県は、前回は2008(H20)年のvol.30で取り上げられていた。既に岐阜市営バスと名鉄バス、それに名鉄の市内線電車や、付属するローカル線が全てなくなっていて、岐阜市内の公共交通が岐阜バスに一本化された頃。この時点と比較すると、岐阜バスの再編成(岐阜バスコミュニティの再統合)や、その他一部小規模事業者の参入・撤退はあるものの、大手事業者に関しては、構図はほとんど変化がない。
 岐阜県は南高北低の傾向にある上に、JR中央本線の沿線は明らかに、県都岐阜より名古屋との結びつきの方が強い。なので若干つかみどころがない所も感じられる。資本としてはやはり名鉄系が中心、それに近鉄系と、岐阜県を走る大手私鉄(養老鉄道は以前は近鉄)の影響は濃いようだ。しかし、岐阜市中心部に乗り入れていた名鉄電車でさえことごとく廃線になり(近代化の遅れもあったが)、代替バスも減便が相次いでいる路線が多く、運営はどこでも困難を極めるのだろう。
 今回は、濃飛バスの扱いがやや軽くないか?

移籍バスの行方を追跡
 1回休んで第12回目は、一年ぶりの都営バス。一般路線はノンステップ化が確立した時点の車両の移籍なので、一般路線の譲渡車両は全てノンステップ。会津バスのハイブリッド車は確かにオドロキ、ではあろうが、都営バスはハイブリッド車の導入が早く、しかもBRCハイブリッドが大量に導入されているので、今後も移籍がありうるかもしれない。しかし近年は「SORA」が大量に入っているのと、一時期の「フルフラット・ノンステップ車」は恐らく地方では扱いが難しいと思えるので、数年するとまた、都営バスからの移籍は減ってくるのではないか。
 福島交通は、近年の水害(郡山〔営〕が水没したとか)の支援車両が、なかっただろうか。
 一方で、一時期は羽後交通とか、近場では(ここにはないが)東海バスで結構多数見た、20世紀の車両(特に2段サッシ)の車両は、ほぼ淘汰されたとの事。一時は主力、という事業者が少なくなかったが、新造から20年以上も経つのだから、当然ではあるだろう。コロナ禍による減便も影響しているようだが、移籍車もまた、世代交代だ。
 それにしても相変わらず、よく調べ上げているものだ。

鈴木 文彦が斬る!バスのいま

臨港バス川崎BRT.jpg
 臨港バスの「川崎BRT」が3月にスタートした事を踏まえて、連節バスによる大量輸送について考察している。
 前にも書いたように、私も写真撮影のため、全区間ではないが乗車している。工業地帯への通勤客の利用が多く、連節バスだったから多少ゆとりも感じられたが、一般の単車だったら、相当なぎゅう詰めになっていたのは間違いない、という利用状況だった、と見ている。
 今のところ、連節バスが終日高頻度で運行されているのは、未だに京成バスの幕張地域だけで、後は輸送人員が急激に増える時間帯(特に大学の授業の時間)に集中して投入されるケースが大半、に見える。神奈川県で言うと、大先輩格の神奈中バスも未だそんな感じに見えるし(一部湘南ライフタウンや山崎団地の急行便運用があるが、これも終日ではない)、横浜市営バス「bAY SIDE BLUE」は観光需要特化の路線で、大量輸送を目的とはしていないのではないかと見える(神戸の神姫バス「PORT LOOP」も同じだろう)。
 個人的には、何度も書いてしまうが、連節バスの導入の妨げになるのはバス乗り場、しかも公道よりもバスターミナルだと思っている。「川崎BRT」も、川崎駅は乗り場の変更を伴っていて、鉄道からの乗り継ぎだと不便になっているのではないかと感じる。通勤特化だからまだ良いかも知れないが。地元の江ノ電バスに戸塚駅と明治学院大学を結ぶ路線があり、大学の授業がある日だとバス停からの列が、JRの駅の方にまで延びるほどで、連節バスが入ったら良いのかなあ、とは思う。が、戸塚駅東口の交通広場は狭隘なのに、江ノ電バスに加えて神奈中バスも多数乗り入れているため、乗降場所の確保自体が困難している(降車がやや危険ではないかといつも感じている)。そこに18m級の車両を発着させるスペースを確保するのは、現状の場所に固執する限りは、不可能ではないかと見ている。
 なので、やはりバス事業者だけでは連節バスの広範囲な普及は無理で、行政の後押しが、今まで以上に必要。バスターミナルの乗り場の確保と共に、日中の需要の喚起、マイカーからバス等の公共交通へ乗り換えさせる方策が、求められる。むろんバス事業者側も運行形態の見直し(既存の系統も含めて)が必要で、業界と行政の連携が、さらに強化されるべきではないか。
 車両そのものでは、日野自動車の不正燃費問題が影を落とさないか。
 川崎に関しては、日中の需要もなんだかんだ言って少なくはないと見ているので、是非運行時間帯の拡大を求めたいのと、今回は水江町系統だったが、他にも通勤時間帯に混雑が激しくなる路線があるから、導入路線も拡大されるのか、また、同様に東扇島など通勤時間帯に利用が高度に集中する川崎市営バスにも導入があり得るのか、今後の展開には注目したいと思う。
 私は今でも、連節バスは日本にはあまり合わず、シティバスに特化したダブルデッカー車(ロンドンや香港のような)が有効ではないかと思っているのだが、それはもう、非現実的か。

終点の情景を求めて
 船川タクシーの入道崎(男鹿半島)。男鹿半島も昔は入道崎を含めて秋田中央交通の路線網があったのに、現在、JTBの時刻表には、入道崎への路線は記されていない。当然時刻表もない。41年前(1982(S57)年11月)の時点では、秋田中央バスが男鹿駅・男鹿温泉から9往復乗り入れ、入道崎発秋田駅行も2便(片道のみ)運行されていらしいのだが。男鹿付近は秋田中央トランスポートに分社になったが、今回出てくる男鹿市営バス路線では、同社が受託する路線は出てこない。バス停が映っている所があるが、温泉中央や入道崎は、中央交通時代の流用なのだろうか?男鹿半島ではある程度著名な観光地へのバスさえ、一部便は予約が必要とは。しかもワゴン車だ。この連載、近年は聞いた事がないような事業者が運行・あるいは受託する路線が多くなった。観光地でさえ、楽ではないねえ。

平成初期のバスを振り返る
 函館バス。テキストにあるように、東急グループからの離脱と、函館市営バス路線の継承が、大きかったのではないか。「長万部急行」は、貸切転用車を使用していたのか。今は一般路線バスと同じエルガミオを使っているようだけれど。高速バスへの参入が遅かったのは、そもそも函館には高速道路がないからだろう(今でも道央道は大沼公園までで、函館市内には到達していない)。北海道新幹線が札幌まで延びる日が来たら、どう変わるのだろうか。

 足助からは、「とよだおいでんバス稲武・足助線」終点の稲武地域からの稲武地域バス根羽線が、県境を越えて長野県の根羽村に入り、根羽村の西部コミュニティバスと信南バスを乗り継いで、飯田に抜けられる。ダイヤは不便だが、ともかく豊田市から飯田まで一般のバス路線が繋がっているのは、今や奇跡的かも知れない。
 連節バスの普及、という点では、「東京BRT」プレ二次運行の開始は、今後に期待を抱かせると思う。
 次号は横浜市営バス登場か。ところで120号という事は、いよいよ創刊20周年が近い事になる(創刊は2003(H15)年9月)。何か大きな企画が、用意されるのだろうか・

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《What's New》
10日 北海道幕別町の大時計 修復完了 「時の記念日」に披露
11日 全日本大学野球選手権 青山学院大学 17大会ぶり5回目優勝
12日 奈良地裁に不審物送付 安倍元首相銃撃事件公判前整理手続き中止
 一昨日は羽田で旅客機の接触、今日はしなの鉄道で脱線と、落ち着きがないです。安全な運行(運航)を。
 小田急バスと東急バスは今日、新百合ヶ丘駅を発着する両社の共同運行系統が、9月より小田急バスの単独運行になると発表しました。東急バスは、新百合ヶ丘駅への一般路線乗り入れがなくなります(成田空港路線のみ残るが、現在運休継続中)。この両社では、渋谷駅~成城学園前駅間の〔渋23〕系統が、来月から東急バスの単独運行になります。横浜市営バスも先日、神奈中バスと共同運行していた系統からの撤退を発表していて、矢継ぎ早の共同運行終了の発表、やはり利用者の減少と、ドライバー不足が影響しているのでしょうか。