№2648 私鉄名車列伝 154.西武鉄道2000系(1)

「私鉄名車列伝」、今回は西武鉄道2000系です。1977(S52)年、新宿線向けの通勤車として製造された、4ドア通勤車です。
 西武ではこの2000系デビュー後もしばらくは101系、後に3000系と3ドア車の製造が続いて3・4ドア車の併用が続いたが、2000系は結果的に、現代の西武通勤車の基礎になったと言えます。

西武鉄道2000系.jpg

車体:当時の西武は、他社に先駆けて10連の列車の運行が始まっていた事もあって、3ドア車でもラッシュ輸送に対応できていた。しかし当時の新宿線の各駅停車は6両編成が限界であり、乗降時間短縮を狙って4ドアとなったものである。戦後間もなく一時期使用された、国鉄の事故車割り当ての初代401系以来で、自社新造では初、またカルダン駆動でも初となった。また、初めてレモンイエローの単色を採用。1300㎜幅のドアを片側に4か所、その間にバランサー付きの2段サッシの窓を2つ並べるスタイルで、戸袋窓は省略された。正面は貫通扉が設けられたが、分割・併合運用は考慮されていない。上部には種別幕・行先表示幕の他、もう一つ運行番号の表示を想定した幕が用意されたが、実際には使用された事はない。
機器:界磁チョッパ制御・電気指令式ブレーキはいずれも、西武では初採用となった。主電動機の出力は101系(150kw)より低い130kw。ぺデストリアル台車を履いている。
運転席:運転席は一般的な2ハンドルマスコン、計器類はコンパクトにまとめられている。バケットシートが採用され、運転士の居住性が向上している。前面窓はパノラミックウインドウが採用された。
車内:車内はオーソドックスな通勤車のスタイル、座席の袖仕切りが握り棒、荷物棚と一体になった。座席は一人当たりの幅101系より35㎜広い435㎜となり居住性が向上した。モケットはレンガ色、化粧板も当初は茶系で、クラシックな印象を与える。天井にはラインデリアを装備している。貫通路は狭幅となった。

 当初は西武新宿~田無間の各駅停車専用と位置付けられ、6連のみが製造され続けたが、8連運転開始に伴い、6連2編成の中間車ユニットを他編成に転用して組み込み、8連4編成を組成した。残存の先頭車は新造車のMc車と組み、増結用の2連を製作している。長編成組成のため、先頭部は電気連結器に交換された。1983(S58)年まで4次に渡って、106両が製造されている。

 1988(S63)年に田無駅構内で発生した追突事故では、合計16両の廃車が発生し、5次車16両が代替車両として新造された。既に「2000N系」が製造過程にあったため、全体的な仕様は在来車両に基づいているものの、機器類は「2000N」に準じたものになった。外観的には、通風機がグローブ型から箱型になった事が大きな相違点である。2000系は5次にわたり、合計122両全車が西武所沢工場で製造された。

西武鉄道2000系車内.jpg
 1999(H11)年より、更新工事が継続して行われた。主な点として、先頭部にスカート取り付け、パンタグラフをシングルアーム式に交換、側面に行先表示装置を新設、座席をバケットシート化し、車内の化粧板を交換、先頭車に車いすスペース設置、などがあげられる。8連は後にパンタグラフの数が半分に削減(1ユニット2基→1基)された。さらに5次車の更新は101系ワンマン車に準じたものとなり、座席はブルー系となったほか、ドア上部にLED表示器を設置した。行先表示装置は後に3色LED、さらにフルカラーLEDに交換された車両も存在する。
 新製から現在に至るまで、一時的な貸し出しや野球輸送による乗り入れ以外は、一貫して新宿線系統で運用され続けたが、2015(H27)年より本格的な老朽取り替えが始まった。2022(R4)年4月1日現在では38両にまで減少しており、後に8連は消滅している。


【編成】
←西武新宿方     本川越・拝島方→
 Tc1 2001 - *M1 2101* - M2 2101 - *M3 2101* - M4 2101 - Tc2 2001
 *Mc 2401* - Tc2 2401
 Tc1 2001 - *M1 2101 - M2 2101 - *M3 2101 - M4 2101 - *M5 2101 - M6 2101 - Tc2 2001

(* パンタグラフ(8連は削減後))

 2000系がデビューした1977(S52)年、20m級通勤車を導入していた他事業者は既に、4ドアを基本としていました。国鉄は101・103系がとっくに主力の座についていたし(横浜線や南武線などでは73系がまだ残っていた)、私鉄でも東武は8000系、小田急は2600系に始まって5000系、東急も8000系が主役になりつつありました。京王や相鉄も、車両の大型化と同時に4ドア車を導入していた。関西でも近鉄や南海は4ドア車が中心になっていた。だから西武の4ドア導入は確かに、相当遅い方だったとは言えます。しかも1983(S58)~1987(S62)年の4年間は、4ドア車の導入が一時中断します。平成の世になるのと前後して、一部の鉄道事業者では混雑緩和対策として、5ドア・6ドアと言った多扉車を使用する事になるが、西武において、導入当時の2000系は似たような性格の位置づけ、だったのかも知れません。

今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1992年5月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」「同2002年4月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」「同2013年12月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「DJ鉄道ダイヤ情報2011年2月号」「同2019年6月号」「西武鉄道の世界」「新しい西武鉄道の世界」(交通新聞社)
「私鉄車両年鑑2022」(イカロス出版)等
を参考にさせて頂きました。


 次回は京王電鉄、「京王ライナー」「Mt.TAKAO」で活躍する、5000系(2代目)の予定です。

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 今日は福知山線の事故から18年でした。毎年同じ事しか書けないが、私の立場としては、亡くなられた方々の冥福をお祈りする、それだけです。鉄道先進国のはずの日本で二度と、一度に100人も犠牲になるような事故など、起こらぬよう。