№2608 バスジャパン・ハンドブックシリーズV110 神奈川中央交通(星雲社)

「バスジャパン・ハンドブックシリーズ」(以下「BJシリーズ」)最新刊、「V110 神奈川中央交通」、去年の10月には刊行されていたが、今度はだいぶ遅くなってしまいました。

神奈中バスかなみん号.jpg
 当ブログで何度も書いている通り、戸塚在住の私にとって、神奈中バスは地元中の地元です。毎日乗る、という事もないが、当然その動向にはいつも注目していました。それ故、この5~10年位の動き(特にダイヤ面)は、少々心配でもあります。
 BJシリーズでは、1997(H19)年のNEW23、2006(H18)年のR57で取り上げられており、3回目になります。16年ぶりという事になるが、この間は組織面でかなりの変動がありました。イイワケになってしまうが、それがデータ分析の作業にも若干影響しました。

 その変動を整理しておくと、

NEW23 横浜・舞岡・戸塚・藤沢・茅ヶ崎・平塚・秦野・伊勢原・厚木・綾瀬・大和・町田・相模原・津久井の14営業所体制。いわゆる「観光バス」は神奈中ハイヤーの営業で、戸塚・平塚・町田の3営業所。さらに当時既に湘南神奈交バスがあり、秦野と相模原に営業所があった。

R57 湘南・津久井・横浜・藤沢・相模の各神奈交バスがあり、湘南は平塚・秦野、津久井は津久井、横浜は舞岡、相模は相模原、厚木、町田、藤沢は大和、藤沢に営業所があった。神奈中本体では、藤沢・津久井は神奈交委託が完了した状態でそれぞれ茅ヶ崎・相模原〔営〕配下の操車場になり(津久井→三ケ木)、厚木〔営〕配下の上荻野操車場、相模原〔営〕の峡の原操車場、大和〔営〕配下の中山操車場があった。また、多摩〔営〕が新設になっている。「観光バス」は神奈中観光(以下「観光」)が運営。

V110 分社が神奈川中央交通東(以下「東」)・神奈川中央交通西(以下「西」)に再編されたほか、横浜神奈交バスは神奈中本体に戻った。東は藤沢・厚木・厚木北(旧上荻野操車場)・相模原・橋本(旧峡の原操車場)・大和、西は平塚・秦野・伊勢原・津久井(旧三ケ木操車場)に営業所がある。本体は横浜・舞岡・戸塚・中山(旧中山操車場)・藤沢・茅ヶ崎・平塚・秦野・伊勢原・厚木・厚木北・綾瀬・大和・町田・多摩・相模原・橋本・津久井の17営業所体制。観光は戸塚〔営〕が廃止になり、平塚→神奈川・町田→東京と改称。

と、平成の30年の間に相当大規模な再編成が繰り返されていて、ここには書ききれない変化もありました。なので、単純な比較はできていない部分はお断りしておきます。

◆ 神奈中バスの車両たち

 まず、「現有車両一覧表」の文字が小さい。神奈中はBJシリーズが扱ってきた事業者では最多級の台数であり、R57は76ページだったが、今回は72ページなので、こうしないと全てを収めきれなかったのだろう(西鉄の時は2冊に分けられていた)。1行で50台記されている(通常は40台)。正直少々読みづらかった。

1.グループ4社全体の台数2,141台は、16年前は2,246台だったから、95台の減少。NEW23では2,148台で、四半世紀前のレベルに戻ってしまった事になります。
 まず用途別では、乗合車は1,923台で16年前より62台、3.24%の減少。この10年位の規模縮小(路線廃止・減便など)の影響が出ているだろう。グループ全体の89.86%、約9割を占めていて、やはり一般路線バスが神奈中バスの経営の主力になっています。
 高速車は22台。16年前より3台増。グループ全体の1.03%。夜行路線車両はなくなりました。
 特定車は88台あり、16年前より31台のマイナス。それでもグループ全体の4.11%と決して低い割合ではなく、用途は様々だが、神奈中の営業において一定の地位を保っています。
 貸切車は107台で、16年前より13台のマイナス。グループ全体の5.00%。ただし神奈中では、乗合車からの用途変更車両が多く、いわゆる「観光バス」は観光のみの77台。観光に限ると、16年前より21台の減少です。

2. グループ全体の乗合車の配置を、多少強引だがナンバープレートの登録地名(横浜・湘南・相模・多摩+八王子(以下「東京」)によるエリア分けで、地区別の割合の算出を行ってみました。横浜29.21%(504台)・湘南29.17%(561台)・相模32.76%(630台)・東京11.76%(288台)で、神奈川県の中央部(おおざっぱに言って、小田急小田原線より北)が、乗合車全体の約1/3を占めています。この割合は、16年前とほぼ変わらない。
 営業所別では、舞岡〔営〕が179台で最も多く、神奈中本体の9.57%を占めています。次が戸塚〔営〕の165台で8.82%、この両営業所で神奈中本体の1/5弱になります。戸塚区・泉区を中心とした横浜市西部の需要の高さを反映しています。最少は、本体では津久井〔営〕の50台、西の分を足しても61台で、ローカル線中心になるので(決してそれが全てではないが)、台数も少なくなるようです。相模や湘南のエリアは、台数は多くても「広く薄く」の傾向があると言えるだろう。
 分社・営業所の再編が大規模だったので16年前との単純比較はできないが、それでも厚木〔営〕は145→108台と、大幅な減少になっています。一方で厚木北〔営〕は41(上荻野操車場時代)→64台と増加していて、厚木市付近ではトータルでは減少傾向の中、北部へのシフトが行われているという事だろうか。

3.平均車齢は、今回は刊行時点の2022(R4)年を0年として計算。

① 乗合車は、グループ全体では9.96年となり、16年前(6.74年)より大幅に経年化しました。昔の神奈中バスは比較的早めに新車両に置き替える傾向だったのに、「時代が変わったな」の印象があります。
 年式別では、2010(H22)年式が200台ちょうどで10.56%、次が2006(H18)年式で194台、10.24%になります。2006(H18)年式が多いのは、この頃横浜市内では横浜市営バスからの系統の移譲が進められていて、その対応のためと考えられる。特に舞岡〔営〕では翌年2007(H19)年にYAMATE LINER(これも元横浜市営)車が集中して導入されていて、この2年間で55台、営業所全体の乗合車の30.72%になる。という事もあってか、舞岡〔営〕の乗合車の平均車齢は9.89年となり、横浜市内としては(他事業者を含めても)かなり高齢化している方だと言えるだろう。
 エリア別では横浜8.97年、湘南10.29年、相模10.56年、東京10.04年。そうは言っても、横浜エリアが一番若い。一方で横浜〔営〕が7.72年と、全営業所で最も若い事があるだろう。
 また、分社が本体より高齢化しているのは神奈中も同じで、本体9.22年に対し、東15.88年、西13.40年。最高齢は東の大和〔営〕で、15.88年。8台の最若は2007(H19)年式。西の津久井〔営〕も、11台の平均車齢が14.55年になります。
 最高齢は2005(H17)年式の合計17台で、この中には綾瀬〔営〕配置の、ネオプランの連節車があります。R57の時点ではデビューしたばかりだったのに、連節車ももうそれだけの年月を重ねてきたのかと、感慨深いです。

② 高速車は、本体の舞岡〔営〕・東の平塚〔営〕・西の相模原〔営〕に配置されています(ただし舞岡〔営〕は、昨年の戸塚・港南台~羽田空港路線の廃止以降稼働していない)。平均車齢は5.09年だが、最高齢の2012(H24)年式3台は舞岡〔営〕に配置されています。西・相模原〔営〕が3.29年、東・平塚〔営〕が4.92年。

③ 特定車は用途が様々なので単純計算はできないと思うが、本体11.60年、東13.50年、西13.19年という数字が出ました。最高齢は東・相模原〔営〕にいる、2001(H13)年のエアロスター2台。

④ 貸切車は、純粋な「観光バス」は観光のみ。観光の平均車齢は6.60年で、16年前(6.06年)と大差はない。最高齢は神奈川〔営〕の、2006(H18)年式のメルファ(写真がない)。グループ全体では9.06年。

 グループ全体の2021(R3)年の導入は8台、2022(R4)年は1台に留まりました。乗合はシターロG4台とポンチョ2台(共にコミュニティバス用)のみ。貸切も神奈川県の福祉バス「ともしび」だけ。他に特定のコースター2台。一般的な乗合車、貸切車の導入が全くなく、間違いなく、コロナ禍による需要の大幅な減少の影響が出たはずです。この事も、平均車齢を引き上げている要因になっていると思われます。

4.乗合車のノンステップ率は65.71%となり、16年前の8.31%から大幅に上昇して、1/3近くにまでなりました。エリア別では東京が99.56%。多摩〔営〕は全車ノンステップ化。町田も非ノンステップはエルガミオ1台のみ。他地域は横浜67.66%、湘南59.54%、相模56.19%。神奈中本体では津久井〔営〕が46.00%、伊勢原〔営〕が48.99%と5割に満たない。分社でノンステップ車があるのは、東・橋本〔営〕のみ。この他特定7台・貸切1台がノンステップ車(特定のうち3台はポンチョ)。

5.グループ全体を用途に関係なく、中小型・大型・高速貸切型式・その他(ダブルデッカー・連節車)で分けてみると、中小型313台(14.62%)・大型1705台(79.64%)・高速貸切型式97台(4.5%)・その他26台(1.21%)。本体の厚木北〔営〕は全車両が乗合の大型車。横浜〔営〕も、大型車は全て乗合車。一方大和〔営〕は103台中47台、45.63%と半分近くが中小型車。しかも貸切登録1台を除いて乗合車(うち6台はコミュニティバス)。綾瀬〔営〕は全体の10.66%、1割以上が連節車なのが目を惹く。
 三菱ふそうのQKG-MP38FKは348台でグループ全体の16.25%、2PG-MP38FKは318台で14.85%、この両型式だけで、グループ全体の1/3近くを占めています。
 ハイブリッド車は、先代のエルガ・ハイブリッドと現行のブルーリボン・ハイブリッドが各2台のみ。20世紀の頃にはノンステップ化以前の三菱ふそうMBECSなどの導入も見られたもので、総数としてはむしろ減少している。またCNG車は全滅しました。リフト車も乗合車からはなくなり、むしろ観光の貸切車に導入が見られる。
 自家用の引継ぎと思われるガーラミオを除くと、他事業者からの移籍はない。中古車両の供給元、という性格は昔から変わらないからねえ。

 今回は、メルファ2型式と、エアロスター1型式(茅ヶ崎〔営〕の特定車)の画像の掲載がありませんでした。

◆神奈川中央交通のあゆみ
 まず、藤沢神奈交バスの写真があったが、かつての神奈交5社で皆オリジナルのカラーを採用していたものの、残念ながらBJシリーズにおいて、カラーで見る事ができなかった(R57にも掲載されていない)のは残念。
 戦時統合の時に、旧相模鉄道のバス部門も統合しているが、当時の相模鉄道は、今のJR相模線と、戦後の相鉄本線となる旧神中鉄道から成り立っていて、バスは元々の相鉄線(相模線)を培養するもののようだった。今の相鉄バス路線網とは異なる。
 神奈中バスは戦後、「大東急」から分離された時点で小田急の系列になったが、これを読むと、今の井の頭線である帝都電鉄を京王に移管した、その代償だという。これは興味深い話だ。
「整理券方式」「深夜バス」で先鞭をつけた神奈中だったが、今、両方とも岐路に立たされているようだ。深夜バスは廃止・減便が相次いでいるし、整理券方式(=後払い)はICカードの普及もあるが、乗降時間短縮という点でどうなのかという議論もあるようだ。郊外→駅行だと信用方式の先払いを採用している系統も多くなり(神奈中に限らないが)、今後全面的な見直しも、あるかも知れない。

◆神奈中バスのいる風景
「かなみん号」のデザインは、営業所によって「山」「海」「街」「横浜」と描き分けられています。その意味では、「海」がないのは残念かな。まあ江ノ電バスや京浜急行バスのような、波打ち際のすぐそばを走る区間というのはあまりないから、難しいか。

◆東海道“格宿停車”の旅
 NEW23は種村 直樹氏による相模川バス紀行で、相模川の河口に近い須賀港から、相模湖にほど近い千木良へ、相模川をさかのぼっていく日着の旅。相模川沿岸でもこの後路線の廃止が相次いで、本厚木から相模大橋を渡って左岸に出る路線は全てなくなっています。一方で、最後の乗車となった桂橋行は、この後三ケ木へ延長される事になります。バスカードの方式がエリアによって混在していた頃の様子も記されています。三ケ木でのだらしない高校生にあきれる話も。
 R57は富田 康裕氏による、横浜から大山ケーブルまで、県内の古刹を巡る1泊2日の旅。わが街戸塚も出てくるが、駅東口からバスセンターまで迷ったと書いてある。そんなに複雑だったっけ?と、地元民としては思ってしまうのだが(この後の西口再開発で、より駅西口に近い場所に移転する。旧ターミナル跡地はマンションになった)。金目駅、大山駅と「駅」がつくバス停があって何で?と疑問を投げかけていたりもした(名称は今も変わっていない)。
 種村氏も富田氏も、都会から地方へ、賑やかな方から静かな方へ、という流れになっていました。過去のBJシリーズの紀行はほとんどがそうです。だから、今回の谷口 礼子さんの紀行が小田原から始まり、横浜が終点となるのは、極めて異例でした。むろんそれは、小田原から平塚へ向かう〔平45〕系統が、今は土曜日ダイヤの早朝1本しか運行がないからで、逆方向だと平塚駅発は6時40分となって、「紀行」には利用できない。平成が始まった頃は毎日、日に5往復は走っていたものだったが。国府津駅までは箱根登山バスが頻発(もっともこちらも減便が相次いでいるが)しているものの、今は国府津駅から先でさえも、平塚駅へ行くバスはこの〔平45〕系統のみになってしまった。前は30分間隔で走っていたのに(二宮駅発着に短縮されている)。
 旧相模川大橋は、「源 頼朝が落馬した橋」だったのか?去年の大河ドラマで頼朝が馬から落ちる所が描かれていたから興味深かった(劇中では山の中の田舎道だった)。
 宿場町を辿る旅でもあり、ここでも戸塚が出てくる。八坂神社の「お礼まき」の日には駅近くから神社までの国道などに露店がいくつも並んでいて、私も学生だった頃は足を運んだものでした。
(藤沢の遊行寺は、富田氏の紀行でも出てきた)
 神奈中バスの紀行では、3人とも平塚駅を経由しました。神奈中の本社がある平塚は外せない、という所か。去年、七夕まつりができて良かったねえ!

◆終点の構図 日向薬師
 NEW23はみくるべ(秦野市)、R57は和田(藤野町 現相模原市緑区)でした。みくるべは元々は箱根登山バスの終点で、バス停の標識が箱根登山時代のまま。車内販売を行っていたという、当時の湘南神奈交バスの様子も記されています。現在は廃線となり、地元タクシー会社に委託する路線固定型乗合タクシーに移行。路線は延長され、みくるべは終点ではなくなっています(土休日運休)。和田への路線は、先の「神奈中バスのいる風景」でも出てきました。
 今回の日向薬師は、伊勢原駅北口からだと平日は60分間隔、土休日は30分間隔になる時間帯もあるが、やはり昔よりは減っている。ここは大山への登山口の一つでもあるが、ここにも源 頼朝も来た事があるのか(これはドラマの劇中では描かれなかった)。「マイカーの利用が多い」ね…。

◆神奈中バスの路線エリア
 全体的な構図は、26年前から変わっていない。他事業者のエリアである川崎市東部から横浜市東部、三浦半島、箱根を除いた神奈川県の全域と、町田市・多摩市を中心とした東京都多摩地域。横浜市にポッカリ空白域があるが、横浜市営バスや相鉄バスのエリアになる。先の紀行にも出てきた小田原の他、調布や登戸も、「免許維持路線」としての乗り入れ(土曜ダイヤでのみ運行)。一方で16年前と比較すると、新松田への乗り入れがなくなるとか、宮ケ瀬で本厚木方面と三ケ木方面の路線が繋がらなくなるなった、一方で新横浜駅に乗り入れるようになった(横浜市営バスの代替)など、細かな所では変化も見られる。なお、相鉄バスと共同運行の寒川駅~海老名駅路線が記されていないが、あくまで「コミュニティバス」の位置づけだからなのか。
 江ノ島に乗り入れ、さらに国道143号を西下する路線の存在が目を惹くが、現在は毎年7月「海の日」の限定運行。
 旧藤野町の路線は、R57刊行の時点では町営バスに転換されていたが、その後の市町村合併によって相模原市緑区になった事で、神奈中(津久井神奈交バス)の運行が復活した。しかし数年しか持たずに廃止になり、現在は乗合タクシーなどに転換されています。だからBJシリーズにこの変化は現れないが、ここからも、神奈川県といえども、地方は相当厳しい事が窺えます。
 
 という事で神奈中バスの現状を、車両のデータを中心に見てきたが、個人的にはやはり昨今の、ダイヤ改正の度に相次ぐ減便が心配です。10年位前からこの傾向がみられるようになり、それはドライバー不足が主な理由だったが、このコロナ禍でさらに加速してきているように見える。私は高校生の時には神奈中バスを乗り継いで通学していたのだが、その当時は8分間隔だったはずの系統が、今は20分間隔と半分以下に減少してしまったりしています。地方部の路線は何とか維持されているようにも見えるが、当然先行きは不安視されます。都心部でさえ運行の維持が難しくなるようだと、ちょっと…、という感はあります。
 一つ挙げさせてもらうと、神奈中バスの路線バスの運行形態は、「わかりづらい」というのが実感としてあります。特に系統番号は、神奈中では運行区間ごとに別々に付与されているため、途中まで利用者が多い幹となる区間でも複数の系統が走る事になり、これ〇〇に行くの?と不安になったりもします。公式WEBでダイヤ改正のお知らせを読んだりしても、「×〇〇系統は運行回数を変更」とか記されていても、それが何を意味するのか解らない(改正内容の詳細を書かない事もあるし)。現状では運行区間の短縮や経由地の変更、という事が多いが、すぐには理解できない。バス停の時刻表に記されている系統番号も小さい上にすべてまとめて記されているため、この時刻・この行先は「×〇〇」系統だとは解らない。なので、あまり利用者には浸透していないのではないか。ここではあまり長々と書けないが、単なる運行回数の変更などにとどめるのではなく、他事業者との協議のうえで、思い切った運行形態、さらには運行系統付与方法の全面的な変更、という道を探るべきではないか。特に神奈川県では系統番号の付与方法が各者でてんでバラバラなのだが、別に事業者間の仲が悪いわけではない(と思うので)、どこかで県全体の運行体制(決して会社の再編ではない)の抜本的改革を行うべき時だと思う。できれば神奈中がそのリーダーになって欲しい。
 都市路線でさえ減便というのは不安、とは書いたが、一方で3年前の2020(R2)年9月には横浜市と基本協定を結び、戸塚区西部におけるバスの利便性向上(連節車導入による路線再編成が想定されているようだ)で連携するとしている。自治体との協力関係の構築による利便性維持にも期待したい。むろん横浜市以外でも。
 その連節バスはエリア各所で運行されているが、(神奈中に限らないが)基本的に大学や企業の輸送のピークに対応するものであって、団地輸送も含めて、終日フリークエントサービスを提供する系統は、今のところはない。特に団地輸送では、日中も含めてそれほど待たずに乗れるフリークエントサービスの提供を期待したい。むろんそれも、自治体の協力が欠かせなくなるが。
 その他の車両面は、どうだろう?今後積極的導入を迫られる事になるEVだが、神奈中の主力である三菱ふそうでは、今のところEVバスに関する動きがちょっと見られない。ハイブリッドさえないし。JBUSが間もなく発表するEVノンステップ車を、神奈中も導入するのか、他メーカーに乗り換える事がないのならどうするか、この点にも注目したい。
 コロナ禍とはいえ、正直他事業者以上に元気がないように見える近頃の神奈中バスだが、やはり神奈川県においては、期待は小さくないはず。どこかで反転攻勢に転じて、再び県内の公共交通をリードする役目を担って欲しいと、強く願います。

 あと、話が変わってしまうが、今の戸塚〔営〕は戸塚区ではなく泉区、しかも大和市との市境に近い所にあり、実態に合っていない。名称を変えた方が良いのではないか?まだ立場にあったNEW23の時点ですでに、分区により戸塚区ではなくなっていたのだから、移転を機に変えておけば、良かったのではないだろうか?
 旧津久井町の鳥屋は、リニア中央新幹線の車両基地が建設されるが、これって、神奈中バスに何か影響を与えるものだろうか?
 なお、先に「稼働していない」と記した舞岡〔営〕のエアロエース3台は、今日現在ではナンバープレートを外され、側面に書かれていた文字も全て消された状態で、なお車庫内に留置されています。少なくとも神奈中からは去る事になりそうだが、その先は?

 次回刊V110は、宮城交通が予告されています。1999(H11)年のNEW29以来、24年ぶりになります。当然東日本大震災は避けて通れないし、他に地下鉄東西線開通など、相当環境が変化しているはずです。現状はいかに。
 BJエディターズ公式WEBでは2月上旬刊行、としているが、その先についてはコロナ禍の動向を見て事業者を決定するとしています。とりあえずその次は神姫バス、さらにその次は関東または中部の事業者になるとしています。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


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