№2600 「日本列島改造論」と鉄道 田中角栄が描いた路線網(小牟田 哲彦/交通新聞社新書)
「日本列島改造論」という名前は何度も聞かされているし、良くも悪くも戦後の日本の政界を席巻した田中 角栄元総理大臣が執筆した、国策に関する持論、というのも何となく知っている。が、実際に読んだ事はないし、田中 角栄自身の「ダーティ」なイメージ(ロッキード事件など)も重なって、あまり良い印象は持たれていないかも知れない。私もその一人だが、昨2022(R4)年は、「日本列島改造論」(以下「改造論」)が刊行されてちょうど50年の節目を迎えた。前後して、「改造論」の中の、鉄道関係に関わる部分に特化した評価と、その後の展開をまとめた親書が、昨年秋に刊行されました。だいぶ遅くなってしまったが、簡潔に読んだ印象を記してみます。
全体的には、好意的、とまでは言えなくても、肯定的にとらえた論調が貫き通されていると思えた。今の整備新幹線の根拠となる「全国新幹線鉄道整備法」は「改造論」をなぞるように田中内閣によって策定された新幹線計画が、今もなお根幹となっている事はもっと国民に知られても良い事だとか、「北海道の鉄道は民営にはできないから公社がやるべき。国鉄の赤字は税金で賄えば良い」とまで主張して国が鉄道を支えるべきという「改造論」の本意は、現状を見た時に傾聴すべき点を含んでいるというくだりは、典型だろう。
現代のイメージからすれば、提言全般が実は意外に「自民党らしくない」のかも知れない。特にローカル線は、後の国鉄分割・民営化と同時に断行された特定地方交通線整理とは真逆だ。中曽根政権の国鉄改革や、小泉政権の郵政民営化(どちらも「官」の役割を低く抑えようという話だ)とは正反対ともいえる。だから当時の野党の批判も具体的な数値を基にしたものではなく、当時の社会党や共産党は、自党の行動原理となるイデオロギーを持ち出さなければ、反論を成り立たせる事ができなかったのではないか。
ただ、「改造論」に対する肯定的な面が出過ぎて、現代の鉄道が抱えるもっと深刻な問題に関しては、やや遠慮がちとも読めた。新幹線並行在来線問題もそうだし、夕張線より先、兵庫県の三木鉄道は、廃線を公約に掲げた三木市長の出現で廃止に追い込まれた。この辺、「赤字ローカル線擁護論が実験的に復活しつつある」という分析は、少し違う気もする。「地方分権」であれば、逆に地方の鉄道の生き死には地方自治体の政策あるいは思惑にかかっていると言えるわけで、国全体でローカル線を守ろうという「改造論」とは、違う方向ではないだろうか?
また、「改造論」では「新幹線を地域開発の先兵にする」という思想があったが、現状はどうだろうか?「かえって東京一極集中を招いている(「ストロー効果」)」という評価は本文でもある程度触れられているが、在来線併設ではない駅、例えば北陸新幹線の安中榛名や、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅などの現状はどうなのか。まだ開業から間がないから評価を下しにくいかも知れないが、そこにも焦点を当てるべきだったろうと思う。
結びの章で「公共交通機関に再び一定限度の公的関与を認める方向性への揺り戻しが起きている」と記されているが、本当にそうなのか?という気がしないではなかった。何より、国鉄分割民営化(と、そこに至るまでの過程)が、日本の鉄道(を含めた交通)政策の「官から民」への転換を肯定する流れを決定的にしてしまった。大都市の公営地下鉄(大阪市)まで完全民営化されてしまった。日本航空も高速道路公団も、地方部にネットワークを持つ郵政までも民営に移行し、純民間企業との競争にさらされる事になったし、地方でも小規模な公営バス事業者はその全部、あるいは一部でも民営に移行している(今は民営側も体力がないから動きは止まっているが)。国鉄改革が特に都市部で歓迎されたのは、私鉄に比べて運賃が高いわりにサービス水準が低くい事が都市部の有権者の不満を招き、高水準の運賃は地方路線を支えるために必要、という考え方は見事に拒絶された事実(1986(S61)年衆参ダブル選挙)を忘れてはならない。「改造論」の根底の思想(新幹線の整備も、ローカル線の維持も、国が面倒を見るべき)が、少なくとも鉄道政策においては否定されたと言ってよいだろう。
田中 角栄という政治家は、戦後の高度経済成長と時を同じくして台頭してきた政治家であり、「改造論」もそれをベースに、高成長が続く事を前提として生み出されたものと言えた。その後オイルショックと前後してスキャンダルにより退陣、そして国鉄改革の先鋭的な闘争の最中に病に倒れ、「闇将軍」とも称された政治的影響力をも失った軌跡は、日本経済の動向と 見事に一致している。だから、発表当時はそれなりの説得力を持って受け入れられた「改造論」だが、田中 角栄亡き後の日本経済の低成長が慢性化し、特に整備新幹線はもはや「厄介者」とみなされる(少なくとも都市部では)現代では、相当な違和感を持って受け止められる存在になってしまったのではないか、そんな印象を抱きました。
なお、「改造論」の鉄道政策そのものと直接は関係ない第1章には、考えさせられる内容が含まれていたと思う。というのは、「政治主導」というセリフを、特に野党は簡単に使うが、官僚や役人との「付き合い」を積み重ねる事で議員立法を多数成立させ、「改造論」に結びつけたという田中 角栄の手法から見ると、2009(H19)~2012(H24)年の民主党・特に鳩山政権が掲げた「政治主導」が、あまりに稚拙に思えたからだ。田中 角栄という人物そのものを見る目で「改造論」を安易に論じるべきではない、という主張は、その通りかも、とも思いました。
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京急は今日、10月実施を目標とした運賃改定の申請を行ったとリリースしました。特徴は全体的な値上げ、ではなく、初乗り運賃は140円(IC136円)→150円(IC同額)となるが、以降長距離になるほど値上げ率が低くなり、41㎞以上は逆に値下げするというもの。「需要創出と沿線活性化を目的としている」としています。品川~横浜間310円(IC303円)→350円(347円・実際には320円(IC313円)となる見込み)・品川~羽田空港間300円(IC292円)→330円(IC330円・いずれも加算運賃含む)となるが、一方で品川~横須賀中央間は650円(IC同額)→620円(IC同額)・品川~三崎口間は950円(IC943円)→740円(IC同額)になります。大幅な値下げだが、京急は元々やや運賃が高めで、品川~三崎口間(65.7㎞)とほぼ同距離の小田急小田原線・新宿~渋沢間(65.6㎞)は690円、東武東上線・池袋~小川町間(64.1㎞)は820円です。JR東日本の電車特定区間61㎞~70㎞の1,100円に比べれば安いのだが。特に京急久里浜~三崎口間は、平日の日中が減便になるほど利用が少なくなっていて、それでも京急にとって三浦半島は今でも重要な観光資源だから、何か手を打たなければならないと思ったのだろう。通勤定期も値上げするが、通学定期は値上げ率を割引率引き上げで相殺する形で、実質の値上げはない。なお、鉄道バリアフリー料金は導入しないようです。
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