「平成の鉄道」滋賀県編、2回目はデータ編です。新線の開業も廃線もなかったが、特に近江鉄道で新駅の積極的な開業が目立ちました。
◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕
1989(H元)年4月5日
近江鉄道 本線 水口松尾/水口城南
1990(H2)年3月29日
近江鉄道 本線 大学前
1991(H3)年3月16日
西日本旅客鉄道 東海道本線 栗東
近江鉄道 本線 京セラ前
1994(H6)年9月4日
西日本旅客鉄道 東海道本線 南草津
2004(H16)年3月13日
近江鉄道 本線 河辺の森
2006(H18)年3月18日
近江鉄道 本線 フジテック前
2008(H20)年3月15日
近江鉄道 多賀線 スクリーン
2009(H21)年4月8日
近江鉄道 本線 ひこね芹川
◆平成時代の改称駅
1994(H6)年9月4日
西日本旅客鉄道 湖西線 比叡山坂本(←叡山)
1998(H10)年4月1日
近江鉄道 八日市線 太郎坊宮前(←太郎坊)
2008(H20)年3月15日
西日本旅客鉄道 湖西線 大津京(←西大津)
おごと温泉(←雄琴)
2018(H30)年3月17日
京阪電気鉄道 石山坂本線 びわこ浜大津(←浜大津)
大津市役所前(←別所)
京阪大津京(←皇子山)
坂本比叡山口(←坂本)
◆平成時代の電気方式変更路線・区間
1991(H3)年9月14日
西日本旅客鉄道 北陸本線 米原~長浜
(直流1500V←交流25000V)
※交直切り替えは長浜~虎姫間
2006(H18)年10月21日
西日本旅客鉄道 北陸本線 長浜~敦賀(福井県)
湖西線 永原~近江塩津
(直流1500V←交流25000V)
※交直切り替えは敦賀~南今庄間
滋賀県の歴代知事
稲葉 稔→(1998(H10)7月20日~)國松 善次→(2006(H18)年7月20日~)嘉田 由紀子→(2014(H26)年7月20日~)三日月 大造
令和以降の三重県の鉄道
コロナ禍は滋賀県の鉄道にも多大な影響を与えた。JRでは琵琶湖線(東海道本線)・北陸本線の新快速が昨2022(R9)年3月改正時より、日中の長浜~米原~草津間で1時間間隔に間引きされた他、湖西線や草津線でも減便や運行区間短縮、草津線では最終列車の繰り上げも行われた。特急〔サンダーバード〕〔しらさぎ〕は一部列車が運行日限定の臨時列車となった。京阪大津線でも減便・運行区間短縮などが行われている。石山坂本線では、学校休校日ダイヤを設定した。
JR西日本は2022(R4)年4月、「ローカル線に関する情報開示」を行った。滋賀県では草津線・貴生川~柘植(三重県)間が、輸送密度4,000人/日未満(2019(H31~R元)年度)とされている。
近江鉄道では、2020(R2)年3月に当面存続の方針を打ち出した後、上下分離方式への移行が決定され、昨2022(R4)年12月27日、設備を管理・運営する一般社団法人「近江鉄道線管理機構」の設立総会が開催された。同管理機構は滋賀県と沿線の10市町の出資により構成され、東近江市の副市長が代表理事を務める。今月中に法人登記を行った後、4月より業務を開始。2024(R6)年度に近江鉄道が第2種鉄道事業者・同機構が第3種鉄道事業者となる新体制に移行する見込み。
「平成の鉄道回顧」、次回は京都府です。
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当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
近江鉄道と言えば、去年2月7日に高宮駅構内で発生した脱線事故に関する調査報告書が、昨日公表されました。結論としては線路の整備が不良で、その背景には点検方法や判定基準が明確化されていなかった、2018(H30)年に出された運輸安全委員会の意見に対応した対策が不十分だった、としています。これは、今後線路等の設備を保有する事になる「近江鉄道線管理機構」にとっては、大変重大な課題のはずです。この事故では幸いけが人も出ていなかったが(21時過ぎの米原行ながら乗客が100人も乗っていたが、企業からの帰宅客だったのか)、すぐ隣の信楽高原鐵道の31年前の大惨事はもちろん、そこまでは行かなかったとしても、何かしらの大きな事故を引き起こすようだと、小規模ローカル鉄道はその時点で終わる事になりかねません。当然近江鉄道だけの話ではなく、ほとんど全てのローカル(に限らないが)鉄道事業者について言える事です。大々的な宣伝で外部から利用を獲得する事で収入を増やそうとする事業者も多いが(むろんそれは否定しない)、一つの事故で、いやインシデントであっても、全てが水泡に帰す事にもなります。線路の保守も大変なコストと手間がかかる話なのは分かるが、まず線路という足元をキチンと固める事から始めるべきでしょう。
《What's New》
19日 NZアーダーン首相 辞意表明
20日 海上自衛隊特定機密漏洩問題 衆議院情報監視委員会 実態調査を勧告
新型コロナウィルスへの対策は、感染症法上の扱いを「5類」に移行するかどうか、検討が始まる事になりました。今春に結論が出される見込みだが、いろいろな立場の人の話を聞いてみても、慎重な言い回しをする人がほとんどだと思いました。少なくとも、「絶対賛成」も「絶対反対」もいなかった。災害や戦争と違って、日常生活にダイレクトに関わる事だから当然だろう。移行した場合、交通機関にはどのような影響があるのか。良い方向に向かってもらいたい。
№2603 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 25.滋賀県(1)
平成の30年間の鉄道を回顧するシリーズ、今回から近畿地方に入ります。今回は滋賀県です。JR西日本の在来線では新型車両の積極的な導入により増発、スピードアップ、アコモデーション向上が図られ、さらに琵琶湖を囲む在来線の電化方式の変更により、両岸とも京阪神直通の新快速が、輸送の主役となったのですが…。
琵琶湖東岸 京阪神通勤圏の仲間入り
北陸本線は、1957(S32)年に田村~敦賀間が電化、1960(S35)年には米原~田村間も電化されたが、当時は交流20,000Vで米原~坂田間に交直切り替えのデッドセクションを設置、米原への直通には、交直両用の車両を必要としていた。特急は483系や485系など、急行は475系などを使用していたが、普通列車は長らく客車列車が中心で、国鉄時代末期になって、特急形改造の419系や、廃止となった急行から転用の急行型などに置き換えられていたが(一部DCも併用)、京阪神方面へは米原での乗り換えが必要だった。
このため、琵琶湖湖東の自治体、特に長浜市より新快速電車の直通の要望が出されるようになり、これに応えるべく、1991(H3)年9月、米原~長浜間は直流1500Vに転換、東海道本線から直流近郊型の直通運転が始まった。
琵琶湖線(東海道本線)の新快速は、平成最初の改正が行われた1989(H元)年3月、JR西日本初の新型近郊電車となる221系の導入により、それまでの草津まで30分間隔、米原または彦根まで60分間隔だったダイヤが、一挙に米原まで30分間隔と大幅に増発。最高速度120㎞/h運転により、それまでの117系に対して、京都~米原間は2分の短縮を見た。長浜延長時には日中の全列車を含む大半の新快速と、一部の普通(京阪神区間快速)が長浜に延長され、新快速は大阪~長浜間を、最速1時間32分で直通した。
一方、湖西線は交直切り替え区間が永原~近江塩津間にあり、直流電車は永原まで乗り入れ、京阪神方面からの新快速は近江舞子まで直通運転を行っていた。線内は各駅に停車していたが、1996(H8)年3月改正で近江今津まで延伸されるとともに、山科~近江舞子間は西大津・比叡山坂本・堅田のみの快速運転となり、大阪~近江今津間は最速1時間19分で結ばれている。
一方、永原~近江塩津間の普通列車は8往復の運行にとどまり、北陸本線同様、419系や急行型電車などが用いられていた。近江今津~近江塩津~長浜間の直通運転も設定されている。
新快速 琵琶湖両岸でパワーアップ
2006(H8)年9月、北陸本線・湖西線の直流電化区間が福井県の敦賀まで延伸、滋賀県内のJR在来線は、全区間が直流電化となった。翌10月の改正で、湖東区間、湖西線双方の新快速が敦賀まで延長され、琵琶湖北部から福井県嶺南にかけて、「アーバンネットワーク」と称される、京阪神の通勤圏に組み込まれる事になった。直流で統一された永原~近江塩津間は新快速が1時間間隔で運行され、地域輸送も改善されている。
新快速は、1995(H7)年より導入された223系に統一された1999(H11)年より130㎞/hを開始し、大阪~米原間の所要時間は1989(H元)年3月改正時最速1時間27分→現行1時間23分に短縮された。2010(H22)年には225系も導入され、大半の列車が12連運転に増強された。琵琶湖線では1994(H6)年に開業した南草津駅が、周辺の開発と立命館大学の進出により利用者が増加、2011(H23)年3月改正時より、新快速の停車駅となっている。2019(H31)年3月改正時より、野洲発着の一部列車に「Aシート」車が連結されている。
通勤特急スタート JRネットワーク
米原駅は、東海道新幹線と北陸本線の接続駅で、主に東京方面⇔北陸方面の中継駅としてにぎわっている。1時間に1本停車する新幹線〔ひかり〕に接続して、北陸本線〔しらさぎ〕〔加越〕が接続する形態で、加えて1988(S63)年3月改正で、午前米原着、深夜米原発のビジネス特急〔きらめき〕の設定もあった。〔きらめき〕は、北越急行が開業した1997(H9)年3月に〔しらさぎ〕に統合、2003(H15)年には米原折り返しの〔加越〕も〔しらさぎ〕と改称、米原からの北陸本線特急は〔しらさぎ〕に一本化されている。同時に683系への置き換えが完了した。〔しらさぎ〕は、七尾線電化時に和倉温泉への直通も設定されたが、北陸新幹線開業の2015(H27)年3月改正で、金沢発着に統一されている。
一方湖西線は、一部〔雷鳥〕の西大津(現大津京)・堅田・近江今津停車があったが、大半の特急は滋賀県内への停車がない。東海道本線は、関西空港の開港により運行を開始した空港特急〔はるか〕のうち、1往復が1995(H7)年7月より臨時列車として草津まで延長、後に定期化の上、2003(H15)年6月には、米原発着2往復を設定、空港アクセスのみならず、京都・大阪方面への通勤の足としても利用されている。同時期に、ライナー列車という形で運行されていた〔びわこライナー〕を格上げする形で、米原~大阪間に特急〔びわこエクスプレス〕が設定された。2014(H26)年には、〔はまかぜ〕用キハ189系使用の2号が、大阪→草津間の片道のみ増発されている。一方で、JR東海区間から乗り入れていた〔しなの〕1往復は、2016(H28)年3月改正で名古屋~大阪間が廃止になっている。JR東海からは高山本線の急行〔たかやま〕も乗り入れていたが、1999(H11)年3月改正でキハ85系に置き換えられ、特急〔ひだ〕に格上げされた。〔しなの〕廃止後は、JR東海区間から湖南を経て京都・大阪に直通する、唯一の昼行優等列車である。
寝台特急は、平成の世になった時点で既に、東海道本線・北陸本線(湖西線)とも、滋賀県内への停車がなかった。夜行急行は寝台専用の〔銀河〕、中央本線からの客車急行〔ちくま〕、それに米原経由で運行されていた〔きたぐに〕があったが、〔ちくま〕は1997(H9)年に〔しなの〕と共用の383系に置き換えられたが、臨時格下げの後、2005(H17)年秋に廃止となった。〔銀河〕は2008(H20)年3月に廃止、〔きたぐに〕も臨時格下げの後、2013(H25)年に廃止されて、県内に停車する定期夜行列車は消滅した。〔きたぐに〕は、寝台電車583系最後の定期旅客列車であった。
草津線は、全線電化後もDLけん引の客車列車が京都~柘植間で2往復残されていたが、1989(H元)年3月改正で電車化された。朝夕は引き続き京都への直通列車を設定、新快速から撤退した117系も戦列に加わっている。なお、栗東市内の東海道新幹線との交差地点(草津~手原間)に、東海道新幹線の新駅の建設が一時決定していたが、2006(H18)年7月就任の新知事の公約により計画は撤回、とん挫した。
北陸新幹線の敦賀~大阪間は、2017(H29)年、福井県小浜経由での建設が発表になった。今後の滋賀県のJR各線は、並行在来線とみなされる可能性がある湖西線の行方を含めて、北陸新幹線の動向に左右される事になると思われる。
運行形態一新 京阪大津線
「大津線」と総称される、京阪京津線と石山坂本線は、小型車両により共通運用がなされていた。石山坂本線は1997(H9)9月に穴太~坂本(現坂本比叡山口)間が複線化され、京阪電鉄は全路線が複線以上となった。
直後の10月12日は、大津線にとって転機となった。路面区間を含んでいた京津線の京都市内区間は、京都市営地下鉄東西線開通のため前日限りで廃止、御陵駅より東西線に直通して地下鉄に直通する形態となった。同日に600V→1500Vに昇圧、京津線は東西線直通対応の800系が導入されている。石山坂本線は京津線と運用が分離され、近年はアニメのラッピング電車でファンの注目度が高まっている。
近江鉄道 経営危機表面化
近江鉄道は、昭和末期より閑散線区対策として、電化鉄道でありながら、2軸レールバスLE10形を導入していた。しかし、時間帯によっては輸送力不足で、1991(H3)~1996(H8)年にかけて、モハ220形を導入した。同社初の電車の冷房車でもある(2015(H27)年まで使用)。LE10形は、実働わずか10年程度で終わった。その後は西武鉄道から中古車両を多数購入し、自社のオリジナル車両を更新して体質改善を行った。1編成は開業100周年記念として大幅に改造された、転換クロスシート車の「あかね」号である。また、企業の立地場所を中心に平成の30年間で8駅を開業させ、通勤などの利用の増加を図ってきた。
しかし、開業120周年を迎えた2018(H30)年12月、近江鉄道は経営状況を公表し、事業の単独継続は困難として、沿線自治体に今後の在り方を問う事となった。時を同じくして、2007(H19)年に彦根駅構内に開館していた「近江鉄道ミュージアム」が閉館、戦前製のELなど、展示されていた貴重な車輛群が失われる事となった。この状況を受けて設立された「近江鉄道活性化再生協議会」では、令和の世になった2020(R2)年3月に、当面は存続の方向性を打ち出した。しかし、廃線の可能性が全くないわけではないともしており、動向は予断を許さない。
上下分離方式導入 信楽高原鐵道
1987(S62)年7月に特定地方交通線信楽線からの転換で開業した信楽高原鐡道は、陶芸の街として知られる信楽と、草津線の貴生川の間を結ぶ小鉄道だったが、1991(H3)年には信楽で世界陶芸際が開催される事になり、来場客輸送のため信号所を増設した上で、JRから多数の直通列車を受け入れていた。
しかし、会期中の5月14日、JRからの直通列車と自線内の列車が正面衝突を起こし、42人死亡、628人負傷の大惨事となってしまった。通常の信号機の故障による代用閉塞方式の施行時に、列車の存在の確認を失念した事が直接の原因とされたが、この事故のため、運行は12月半ばまで停止され、信楽高原鉄道は、遺族補償など、重い負担を背負わされる事になった。1995(H7)に事故車両の補充で導入されたSKR300形は、事故の遺族を中心に発足した安全推進会議の提言を基に、事故防止対策を盛り込んで設計されている。
その後、2013(H25)年4月に上下分離が行われ、線路施設は甲賀市(2004(H16)年に沿線の5町が合併して成立)が保有する方式になった。この直後の9月、台風被害で杣川橋梁が流出し、翌2014(H26)年11月まで、1年以上の運休を余儀なくされる事となる。上下分離がなされていなければ、路線の存続は難しくなっていたと思われるが、大惨事と水害による2度の長期不通は、小規模第3セクター鉄道の経営の脆弱性を思い知らせる事ともなった。
次回はデータ編です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《What's New》
18日 三苫 薫 2022年年間最優秀選手 日本プロサッカー選手会選出
琵琶湖両岸 アーバンネットワーク組み込み完了
大惨事と水害 第3セクター鉄道の苦難
大惨事と水害 第3セクター鉄道の苦難
琵琶湖東岸 京阪神通勤圏の仲間入り
北陸本線は、1957(S32)年に田村~敦賀間が電化、1960(S35)年には米原~田村間も電化されたが、当時は交流20,000Vで米原~坂田間に交直切り替えのデッドセクションを設置、米原への直通には、交直両用の車両を必要としていた。特急は483系や485系など、急行は475系などを使用していたが、普通列車は長らく客車列車が中心で、国鉄時代末期になって、特急形改造の419系や、廃止となった急行から転用の急行型などに置き換えられていたが(一部DCも併用)、京阪神方面へは米原での乗り換えが必要だった。
このため、琵琶湖湖東の自治体、特に長浜市より新快速電車の直通の要望が出されるようになり、これに応えるべく、1991(H3)年9月、米原~長浜間は直流1500Vに転換、東海道本線から直流近郊型の直通運転が始まった。
琵琶湖線(東海道本線)の新快速は、平成最初の改正が行われた1989(H元)年3月、JR西日本初の新型近郊電車となる221系の導入により、それまでの草津まで30分間隔、米原または彦根まで60分間隔だったダイヤが、一挙に米原まで30分間隔と大幅に増発。最高速度120㎞/h運転により、それまでの117系に対して、京都~米原間は2分の短縮を見た。長浜延長時には日中の全列車を含む大半の新快速と、一部の普通(京阪神区間快速)が長浜に延長され、新快速は大阪~長浜間を、最速1時間32分で直通した。
一方、湖西線は交直切り替え区間が永原~近江塩津間にあり、直流電車は永原まで乗り入れ、京阪神方面からの新快速は近江舞子まで直通運転を行っていた。線内は各駅に停車していたが、1996(H8)年3月改正で近江今津まで延伸されるとともに、山科~近江舞子間は西大津・比叡山坂本・堅田のみの快速運転となり、大阪~近江今津間は最速1時間19分で結ばれている。
一方、永原~近江塩津間の普通列車は8往復の運行にとどまり、北陸本線同様、419系や急行型電車などが用いられていた。近江今津~近江塩津~長浜間の直通運転も設定されている。
新快速 琵琶湖両岸でパワーアップ
2006(H8)年9月、北陸本線・湖西線の直流電化区間が福井県の敦賀まで延伸、滋賀県内のJR在来線は、全区間が直流電化となった。翌10月の改正で、湖東区間、湖西線双方の新快速が敦賀まで延長され、琵琶湖北部から福井県嶺南にかけて、「アーバンネットワーク」と称される、京阪神の通勤圏に組み込まれる事になった。直流で統一された永原~近江塩津間は新快速が1時間間隔で運行され、地域輸送も改善されている。
新快速は、1995(H7)年より導入された223系に統一された1999(H11)年より130㎞/hを開始し、大阪~米原間の所要時間は1989(H元)年3月改正時最速1時間27分→現行1時間23分に短縮された。2010(H22)年には225系も導入され、大半の列車が12連運転に増強された。琵琶湖線では1994(H6)年に開業した南草津駅が、周辺の開発と立命館大学の進出により利用者が増加、2011(H23)年3月改正時より、新快速の停車駅となっている。2019(H31)年3月改正時より、野洲発着の一部列車に「Aシート」車が連結されている。
通勤特急スタート JRネットワーク
米原駅は、東海道新幹線と北陸本線の接続駅で、主に東京方面⇔北陸方面の中継駅としてにぎわっている。1時間に1本停車する新幹線〔ひかり〕に接続して、北陸本線〔しらさぎ〕〔加越〕が接続する形態で、加えて1988(S63)年3月改正で、午前米原着、深夜米原発のビジネス特急〔きらめき〕の設定もあった。〔きらめき〕は、北越急行が開業した1997(H9)年3月に〔しらさぎ〕に統合、2003(H15)年には米原折り返しの〔加越〕も〔しらさぎ〕と改称、米原からの北陸本線特急は〔しらさぎ〕に一本化されている。同時に683系への置き換えが完了した。〔しらさぎ〕は、七尾線電化時に和倉温泉への直通も設定されたが、北陸新幹線開業の2015(H27)年3月改正で、金沢発着に統一されている。
一方湖西線は、一部〔雷鳥〕の西大津(現大津京)・堅田・近江今津停車があったが、大半の特急は滋賀県内への停車がない。東海道本線は、関西空港の開港により運行を開始した空港特急〔はるか〕のうち、1往復が1995(H7)年7月より臨時列車として草津まで延長、後に定期化の上、2003(H15)年6月には、米原発着2往復を設定、空港アクセスのみならず、京都・大阪方面への通勤の足としても利用されている。同時期に、ライナー列車という形で運行されていた〔びわこライナー〕を格上げする形で、米原~大阪間に特急〔びわこエクスプレス〕が設定された。2014(H26)年には、〔はまかぜ〕用キハ189系使用の2号が、大阪→草津間の片道のみ増発されている。一方で、JR東海区間から乗り入れていた〔しなの〕1往復は、2016(H28)年3月改正で名古屋~大阪間が廃止になっている。JR東海からは高山本線の急行〔たかやま〕も乗り入れていたが、1999(H11)年3月改正でキハ85系に置き換えられ、特急〔ひだ〕に格上げされた。〔しなの〕廃止後は、JR東海区間から湖南を経て京都・大阪に直通する、唯一の昼行優等列車である。
寝台特急は、平成の世になった時点で既に、東海道本線・北陸本線(湖西線)とも、滋賀県内への停車がなかった。夜行急行は寝台専用の〔銀河〕、中央本線からの客車急行〔ちくま〕、それに米原経由で運行されていた〔きたぐに〕があったが、〔ちくま〕は1997(H9)年に〔しなの〕と共用の383系に置き換えられたが、臨時格下げの後、2005(H17)年秋に廃止となった。〔銀河〕は2008(H20)年3月に廃止、〔きたぐに〕も臨時格下げの後、2013(H25)年に廃止されて、県内に停車する定期夜行列車は消滅した。〔きたぐに〕は、寝台電車583系最後の定期旅客列車であった。
草津線は、全線電化後もDLけん引の客車列車が京都~柘植間で2往復残されていたが、1989(H元)年3月改正で電車化された。朝夕は引き続き京都への直通列車を設定、新快速から撤退した117系も戦列に加わっている。なお、栗東市内の東海道新幹線との交差地点(草津~手原間)に、東海道新幹線の新駅の建設が一時決定していたが、2006(H18)年7月就任の新知事の公約により計画は撤回、とん挫した。
北陸新幹線の敦賀~大阪間は、2017(H29)年、福井県小浜経由での建設が発表になった。今後の滋賀県のJR各線は、並行在来線とみなされる可能性がある湖西線の行方を含めて、北陸新幹線の動向に左右される事になると思われる。
運行形態一新 京阪大津線
「大津線」と総称される、京阪京津線と石山坂本線は、小型車両により共通運用がなされていた。石山坂本線は1997(H9)9月に穴太~坂本(現坂本比叡山口)間が複線化され、京阪電鉄は全路線が複線以上となった。
直後の10月12日は、大津線にとって転機となった。路面区間を含んでいた京津線の京都市内区間は、京都市営地下鉄東西線開通のため前日限りで廃止、御陵駅より東西線に直通して地下鉄に直通する形態となった。同日に600V→1500Vに昇圧、京津線は東西線直通対応の800系が導入されている。石山坂本線は京津線と運用が分離され、近年はアニメのラッピング電車でファンの注目度が高まっている。
近江鉄道 経営危機表面化
近江鉄道は、昭和末期より閑散線区対策として、電化鉄道でありながら、2軸レールバスLE10形を導入していた。しかし、時間帯によっては輸送力不足で、1991(H3)~1996(H8)年にかけて、モハ220形を導入した。同社初の電車の冷房車でもある(2015(H27)年まで使用)。LE10形は、実働わずか10年程度で終わった。その後は西武鉄道から中古車両を多数購入し、自社のオリジナル車両を更新して体質改善を行った。1編成は開業100周年記念として大幅に改造された、転換クロスシート車の「あかね」号である。また、企業の立地場所を中心に平成の30年間で8駅を開業させ、通勤などの利用の増加を図ってきた。
しかし、開業120周年を迎えた2018(H30)年12月、近江鉄道は経営状況を公表し、事業の単独継続は困難として、沿線自治体に今後の在り方を問う事となった。時を同じくして、2007(H19)年に彦根駅構内に開館していた「近江鉄道ミュージアム」が閉館、戦前製のELなど、展示されていた貴重な車輛群が失われる事となった。この状況を受けて設立された「近江鉄道活性化再生協議会」では、令和の世になった2020(R2)年3月に、当面は存続の方向性を打ち出した。しかし、廃線の可能性が全くないわけではないともしており、動向は予断を許さない。
上下分離方式導入 信楽高原鐵道
1987(S62)年7月に特定地方交通線信楽線からの転換で開業した信楽高原鐡道は、陶芸の街として知られる信楽と、草津線の貴生川の間を結ぶ小鉄道だったが、1991(H3)年には信楽で世界陶芸際が開催される事になり、来場客輸送のため信号所を増設した上で、JRから多数の直通列車を受け入れていた。
しかし、会期中の5月14日、JRからの直通列車と自線内の列車が正面衝突を起こし、42人死亡、628人負傷の大惨事となってしまった。通常の信号機の故障による代用閉塞方式の施行時に、列車の存在の確認を失念した事が直接の原因とされたが、この事故のため、運行は12月半ばまで停止され、信楽高原鉄道は、遺族補償など、重い負担を背負わされる事になった。1995(H7)に事故車両の補充で導入されたSKR300形は、事故の遺族を中心に発足した安全推進会議の提言を基に、事故防止対策を盛り込んで設計されている。
その後、2013(H25)年4月に上下分離が行われ、線路施設は甲賀市(2004(H16)年に沿線の5町が合併して成立)が保有する方式になった。この直後の9月、台風被害で杣川橋梁が流出し、翌2014(H26)年11月まで、1年以上の運休を余儀なくされる事となる。上下分離がなされていなければ、路線の存続は難しくなっていたと思われるが、大惨事と水害による2度の長期不通は、小規模第3セクター鉄道の経営の脆弱性を思い知らせる事ともなった。
次回はデータ編です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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18日 三苫 薫 2022年年間最優秀選手 日本プロサッカー選手会選出
№2602 名鉄 3月18日ダイヤ改正
名鉄は今日、3月18日のダイヤ改正についてリリースしました。JR東海などJRグループと同日です。
名鉄は2011(H23)年12月以降の10年間、本格的なダイヤ改正を行ってきませんでした。パンデミック以降の輸送量の減少に伴い、本線を中心に便数を間引く形でのダイヤ変更は行われてきたが、ダイヤのパターンにまで関わるような改正は、約11年ぶりになるのではないかと思われます。
内容を見ると、やはり厳しいなあの印象があります。朝ラッシュ時の幹線まで含めて全体的な減便になるほか、ワンマン区間の拡大も行われます。
① 平日・土休日共 朝方の輸送力の適正化
平日 名古屋本線・知多新線・犬山線・広見線・各務原線・瀬戸線で24本の削減・17本の運行区間短縮を行う。名古屋本線の特急上下各1本を、急行に変更する(特別車連結)。新木曽川・笠松は全特急列車停車。
土休日 名古屋本線・常滑線・河和線・知多新線・津島線・尾西線・広見線で8本の削減・18本の運行区間短縮を行う。新可児始発特急3本を新鵜沼始発に変更し、広見線は全列車普通列車で運行する。
※ 一部特別車の急行は既に、犬山線の上りで平日朝方に2本運行中。
② 平日・土休日共 日中の運行本数を見直し
名古屋本線…岐阜発着急行(2本/h)を一宮発着に短縮し、一宮~岐阜間優等列車は毎時4本/hに削減。豊明~須ヶ口間の準急を新規設定する(土休日は国府~一宮間急行からの変更)。
河和線・知多新線…内海発着の特急・急行を河和発着に変更。河和・内海発着の普通は知多半田折返しに短縮し、急行は知多半田以南を普通で運行。知多新線は線内折返しの普通列車のみ2本/h運行。
③ 平日・土休日共 21時以降の運行本数削減
全線(蒲郡線・豊田線・築港線・空港線・小牧線を除く)合計で、平日は31本の削減・41本の運行区間短縮、土休日は23本の削減・33本の運行区間短縮を行う。
④ ワンマン運転区間の拡大
各務原線・犬山線(岐阜~犬山間)…終日全列車(全列車折り返し運転に変更)
知多新線…9~22時台
⑤ その他
土休日、中部国際空港19時以降発の準急を6連に増結。
この他、一部列車の時刻・行先・両数の変更がある。
以上、本当におおざっぱに名鉄のリリースからまとめてみました。
特に知多新線は、実は昨年末に乗る機会がありました。今回は記事にはしていないのだけれど、名古屋からの直通特急で乗車。特急と言っても特別車がない、3500系の4連だったが、寂れているなあの印象が否めませんでした。終点の内海からして無人駅だし。知多新線は1980(S55)年6月5日に全線開業、当時は観光開発が期待されて、観光特急8800系「パノラマDX」も走ったものでした。全区間で複線の用地が確保され(トンネルも複線断面)、野間~内海間には新駅の設置も想定された構造物が今もあるのだが、残念ながら期待通りには成長してくれなかった、の印象が否めません。
これでJRグループや関東大手も含め、3月18日改正ダイヤが大方出そろったと言えるが、これに11月の京急や京成、12月の関西各社も加えると、大都市部を貫く幹線でさえ例外なく、しかも朝ラッシュ時まで含めての、減量傾向が鮮明になったと言えます。ラッシュ時の混雑の緩和は歓迎かも知れないが。コロナ禍前には想像できなかった状況だが、残念ながら、反転攻勢の兆しが、鉄道に関してはちょっとうかがえない。どうにかコロナ禍が何らかの形で終息しても、リモートワークの定着や地方移住、何より「三密」から来る公共交通の敬遠で、相当長期間、利用の低迷が続くと思います。クルマ社会に生きる名鉄あたりは、特に。幹線はまだしも、支線区はどこまで現状が維持されるのか、非常に懸念されます。最低、今の利用が繋ぎ止められないと。
ところで名鉄もまた、全線の時刻表の刊行がなくなりました。現地のポケット時刻表もなかった。一昨年10月の知立の工事による三河線の時刻の変更時に、全線の時刻表(路線別)がPDF形式でダウンロードできるようになったが、今改正でも提供してくれるでしょうか?
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今日は航空各社からも、3月26日から航空輸送事業計画がリリースされています。ANA・JALの2社のみ、本当に簡単にまとめてみます。
ANA … 国内線は一部の路線で増便・期間運行・減便・運休を行う。国際線は羽田~ミュンヘン線・羽田~ブリュッセル線(定期運航)が再開し、ウィンタースケジュールから成田~パース線が再開する。また、暫定的に成田発着だったシアトル・ワシントンDC・ヒューストン・バンクーバー路線を羽田発着に変更する。中国メインランド路線は全路線調整中で別途通知(深圳路線は羽田→成田発着に変更)
JAL … 国内線のみの発表。B777-200ERが全機退役する(詳細は後日通知)。一部の路線で増便・減便・運休を行う。JTAの関空~宮古線は通年運航になる。また、JALの羽田~小松・岡山路線の一部便で、共同引き受けによる運航をおこなう(JAL便名)。HACは4機目のATR42-600を導入する。国際線はリリースがないが、A350-1000導入と絡めた発表になるのかも知れない。
《What's New》
15日 台湾民進党 頼 清徳副総統を新主席に選出
16日 れいわ新選組 水道橋博士氏 参議院議員辞職
17日 ウクライナへのODA 返済期限延期 政府決定
今日は阪神・淡路大震災から28年でした。私としては、犠牲となられた方々のご冥福を改めてお祈りする、としか言えない。この震災もまた、兵庫県の鉄道を中心とした交通網に、直接の被害だけでなく、ダイヤや営業政策など、現在に至るまでの多大な影響を与えているのは間違いないと思う。
ネパールの旅客機墜落事故は、今の時点では何とも言えないと思う。元々気象条件などが影響して事故が多い国とされているが、映像を見た限りでは真昼間の快晴で、しかも地形が険しいとかいう感じには見えなかった。事故現場近くの空港は最近開港したらしいが、何か影響を与えているのか。