№2524 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 24.三重県(1)

「平成の鉄道」を回顧するシリーズ、中部地方最後は、三重県です。これで全47都道府県の半分を超える事になります。近鉄が主役の県だが、本線はビジネスよりは観光が中心になる部分が大きく、その時々の景気の動向に左右されやすい面はあります(令和になってからコロナ禍でより顕著になるが)。

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近鉄電車 観光特急と支線分離の明暗
四日市の新鉄道 開業2年目の快挙


伊勢志摩観光開発と新特急車
 2016(H28)年のG7サミット開催で、世界的にその名が知れ渡る事になった伊勢・志摩。三重県では随一、日本においても、そして世界的にも著名な観光地である両地域は、近鉄にとって長年、経営の行方をも左右する存在であり、それゆえ、自らの観光開発も積極的に行われ、アクセスとして、私鉄界を代表する特急車両が導入され続けてきた。
 1994(H6)年の志摩スペイン村オープンに合わせてデビューした23000系「伊勢志摩ライナー」は、1988(S63)年デビューの名阪特急「アーバンライナー」をベースとしつつ、デラックスカー・レギュラーカーに加えて、グループ客の利用を想定したサロンカーを設定、車内販売を行う「シーサイドカフェ」や、運転室の直後に全面展望を楽しめる「パノラマデッキ」を設けるなど、観光客を楽しませる仕掛けが各所に施されている。また、近鉄では初めて130㎞/h運転を実現している。3月15日ダイヤ改正で、大阪~賢島間(阪伊甲)・名古屋~賢島間(名伊甲)ノンストップ特急のうち、各2~3往復に導入された。その後、京都~賢島間(京伊)特急にも進出している。
 志摩スペイン村へのアクセスとなる志摩線は、昭和の終わりから、複線化を中心とした積極的な改良が進められていた。志摩線は元々、軽便鉄道の志摩電気鉄道を始祖としているため規格が低く、白木~五知間は、全長2,700mの青峰トンネルを含んだ複線の新線に切り替えられ、白木駅は新線途上に移転を行った。穴川駅付近も新線に切り替わり、駅も移転している。一連の改良で、鳥羽線は全長が0.7㎞短縮され、うち82.4%に当たる20.2㎞が複線となった。スペイン村は、当初は志摩磯部駅が最寄り駅となり、全特急列車が停車。駅はアンダルシア地方をモチーフにした意匠に改装された。

減量傾向の中 「しまかぜ」デビュー
 しかしこの直後から、伊勢志摩の観光に陰りが見え始める。1997(H9)年には、「伊勢志摩ライナー」以外の阪伊甲・名伊甲列車は、平日は特定日のみの運行となり、翌1998(H10)年には23000系では初めて、主要駅停車タイプの阪伊乙・名伊乙特急の運用が始まっている。
 近鉄では2002(H14)年より、特定区間フリーの乗車券(特急券引換券込み)に沿線のバス・船舶乗り放題、観光施設入館フリー、各種特典を盛り込んだ企画乗車券「まわりゃんせ」を発売、観光利用のテコ入れを図っている。志摩スペイン村のアクセスは2007(H19)年より、鵜方駅に変更となった。
 2010(H22)年以降は近鉄全体で輸送量の減少が顕著になり、2012(H24)年3月改正では、全体で10%とされる大幅な減量ダイヤが実施された。既に2003(H15)年改正より日中に阪伊甲特急との併結運転を行っていた京伊特急は朝夕の4往復まで削減、2010(H12)年3月改正で行われていた阪伊甲・名伊甲特急の削減(平日廃止)、阪伊乙・名伊乙特急の閑散期の運行区間短縮に続く、伊勢志摩地域の特急の縮小となった。
 62回目を迎える伊勢神宮の式年遷宮を控えた2013(H25)年の3月、新たな観光特急「しまかぜ」50000系がデビューした。在来の特急車よりランクを上げたアコモデーションを誇り、沿線の食材を使用した軽食を提供する、ダブルデッカー構造のカフェカーを連結する。大阪・名古屋~賢島間で運行を開始、翌年には増備の上、京都~賢島間にも導入された。リニューアルを行った「伊勢志摩ライナー」と共に、伊勢志摩地域の特急輸送を支えていく事になる。

名阪特急と通勤電車
 名阪ノンストップ特急(名阪甲)は1988(S63)年に21000系「アーバンライナー」がデビューしていたが、三重県内の停車はなかった。しかし2003(H15)年3月改正より、朝方の大阪行・夜間の両方向の一部列車が初めて津に停車、津~難波間は最速1時間20分強で結ばれる事になった。2012(H24)年には、全列車が津停車になっている。2018(H30)年1月には、名阪甲特急への新車両の導入が発表されている。
 一般の特急は、通勤利用の需要に対応するため、1990(H2)年より、通勤時間帯の一部列車が新たに桔梗が丘に停車、伊賀神戸や久居に停車する列車も増加しつつある。一方で、湯の山線の特急は2004(H16)年3月、廃止になった。
 一般列車は、1998(H10)年の鈴鹿線、1999(H11)年の湯の山線に続き、2001(H13)~2004(H16)年にかけて、幹線区の名古屋本線の白塚以南から山田・鳥羽・志摩線にかけて、順次ワンマン化が実施されている。2015(H27)年には2000系を改造した観光列車「つどい」がデビュー、当初は伊勢市~賢島間を走り、その後は足湯を設けるなど再度のリニューアルを経て、湯の山線中心の運行になった。
 大阪線の青山峠以西は大阪の通勤圏に位置し、ラッシュ時には名張を中心に長編成の通勤列車が多数発着するが、2012(H24)年3月改正では区間快速急行を快速急行に統合して廃止、その後も快速急行の急行への変更など列車の統合が進み、輸送力は減少傾向にある。
 参宮急行電鉄として開業した当時の面影を残す宇治山田駅は、2001(H13)年、国の登録有形文化財に指定された。リニューアルも行い、駅自体を観光資源として活用している。

ナロー新鉄道 ローレル賞受賞
 一方、県内には本線と軌間など規格が異なる支線が5路線あり、いずれも経営の重荷となっていた。21世紀を迎えた頃から、存続に関わる議論が本格化に繰り広げられ、結果的に全て、近鉄の手を離れる事になる。
 最も早かった北勢線は、1992(H4)年に、北勢鉄道製造の戦前製モニ220形を淘汰してワンマン化を行っていたが、2000(H12)年に策定された近鉄グループ経営改善計画には、北勢線の廃止が盛り込まれていた。2002(H14)年になって近鉄は、鉄道事業の廃止を届け出たが、沿線の自治体は、員弁川の対岸で鉄道を運行する三岐鉄道に財政支援を行う形で、鉄道を存続させる道を選んだ。北勢線は2004(H16)年4月より三岐鉄道の運営となり、以降、車両の高性能・冷房化、駅配置の見直しを行い、近代化が進められている。阿下喜駅に隣接した「軽便鉄道博物館」に、モニ220形が静態保存されている。
 北勢線以外の4路線は、「公設民営」への道を歩む事になった。伊賀線は21世紀に入って、近鉄と関係自治体による協議が重ねられてきたが、2007(H19)年10月より、線路は近鉄が保有、近鉄に加えて伊賀市が2パーセントを出資した第3セクター鉄道・伊賀鉄道が行う事となった。近鉄時代から使用されていた860系は、元東急1000系を導入して置き換える事になり、受け入れのための工事を行ったうえ、2009(H21)年に全車両の置き換えを完了している。近鉄時代からの「忍者列車」が、車両置き換え後にも運行されている。この年の4月、線路の保有が伊賀市となり、伊賀鉄道の伊賀市の出資比率も25%に引き上げられ、近鉄色は薄れつつある。
 岐阜県にまたがる養老線は、平成の世が始まった時点で使用されていた旧型車両は、1992(H4)年より名古屋線や南大阪線から転用の冷房通勤車両によって置き換えられ、車両面では近代化が図られたが、2004(H16)からの協議の結果、上下分離方式によって路線の維持を図る事になり、近鉄は線路を引き続き保有するが、運営は2007(H19)年10月より、近鉄100%出資の養老鉄道が担う事になった。2018(H30)年1月より、一般社団法人養老線管理機構が近鉄から線路施設の譲渡を受けている。同機構は養老鉄道にも一部出資している。平成最末期の元東急7700系導入は注目を集めた。
 残る内部・八王子線は、近鉄では最も早く、平成の世が始まって間もない1989(H元)年6月にワンマン運転が開始されていた。近鉄は2012(H24)年に両路線を廃止、線路跡をバス専用道として活用するBRTへの転換を表明。その後、四日市市との協議により、2015(H27)年4月、線路と車両は四日市市が保有、運営は近鉄75%・四日市市25%出資の四日市あすなろう鉄道が行う上下分離方式に移行した。通年運行のナロー専門の鉄道は、下津井電鉄(岡山県)廃止以来25年ぶりである。移行後四日市市は車両のリニューアルに着手、近鉄時代からの260系は新車同様の姿に生まれ変わり、冷房も搭載されて大幅にサービスが向上している。これが評価され、2016(H28)年の鉄道友の会ローレル賞を受賞している。開業2年目の快挙であった。

俊足快速で近鉄に対抗 JR東海
 近鉄特急の前に劣勢だったJRの伊勢・志摩輸送だったが、1990(H2)年3月、新規に快速〔みえ〕が設定された。当初から1時間間隔のフリークエントサービスで、指定席を設定、車内では名古屋からの新幹線の指定券も発券するサービスを行っていた。名古屋~松阪間の運行が中心(1往復は〔南紀〕を建て替え、紀伊勝浦発着で2年間運行された)で、行楽シーズンの土休日に一部が鳥羽へ直通する形態だった。翌1991(H3)年改正では、大半の列車が鳥羽・伊勢市まで毎日運転となり、1993(H5)年8月改正で、全列車が名古屋~伊勢市・鳥羽間の運行に統一されている。運行開始当初のキハ58・65形リニューアル編成は、新造のキハ75系に置き換えられ、名古屋~鳥羽間の最速は1時間36分と、7分の短縮が図られた(現在の最速は1時間43分)。
 関西本線では、〔みえ〕と同時に、朝夕に電車快速が設定されていたが、2009(H21)年3月改正より日中にも増発され、名古屋~四日市間は〔みえ〕と合わせ、快速毎時2本体制となった。この他、1996(H8)年3月~2011(H23)年3月の間、四日市→名古屋の片道のみ、〔ホームライナー四日市〕が運行されていた。
 特急〔南紀〕は、1990(H2)年改正で定期4往復体制が定着したのち、1992(H4)年よりキハ85系に置き換えられ、名古屋~紀伊勝浦間で40分前後の大幅な所要時間の短縮が図られた。キハ82系は〔南紀〕を最後にJRの全特急から撤退し、ナゴヤ球場輸送などで余生を送る事になる。キハ85系の〔南紀〕は、当初は座席配置2-1のグリーン車を先頭車に配していたが、需要が低迷したため、〔ひだ〕で使用されていた合造車タイプの中間車と差し替えられている。2017(H29)年6月にJR東海から製造が発表された、ハイブリッド特急車は、試験走行車HC85系が2019(R元)12月にお披露目された。2022(R4)年製造予定の量産車の、〔南紀〕への展開も期待される。
 名松線は、国鉄時代末期に特定地方交通線に指定されながら、代替道路の未整備を理由に廃線とはならず、今日では唯一、JRが運営を継続する特定地方交通線となっている。2009(H21)年10月の台風18号襲来で、家城~伊勢奥津間が甚大な被害を受け、JR東海では、同区間の廃線の検討もされた。結局沿線の自治体の支援もあり、2016(H28)年3月、6年半ぶりに運行を再開している。JR全社でも最後の、タブレットを使用した閉塞方式(松阪~家城間票券閉塞式・家城~伊勢奥津間スタフ閉塞式)を用いる路線である。
 JR西日本が運営する関西本線亀山以西は、2006(H8)年に急行〔かすが〕が廃止になり、以降は他線区への直通もなく、非電化区間(亀山~加茂(京都府))のみのワンマン運転が行われている。

伊勢鉄道と三岐線
 国鉄時代末期に第3セクター鉄道として、伊勢線から転換されて開業した伊勢鉄道は、〔みえ〕設定、〔南紀〕高速化に対応し、線内の最高速度を引き上げた上、1993(H5)年に河原田~中瀬古間が複線化された。JRの特急・快速等の通過料が収入の大半であり、線内の利用は稀少だが、沿線に隣接する鈴鹿サーキットで大レース(夏の「8耐」、秋のF1など)が行われる際は、鈴鹿サーキット稲生駅に特急・快速の臨時停車が行われ、臨時列車の運転や、線内の普通列車の増結も行われる。鈴鹿駅は、2006(H8)年より全特急・快速の停車駅となった。
 北勢線を近鉄から引き継いだ三岐鉄道の三岐線は、従来から旅客輸送と共に、石灰石の貨物輸送が経営の柱となっていた。加えて中部新空港(セントレア)建設工事用の輸送が2000(H12)年7月~2002(H14)年12月の間行われ、輸送力増強のため、東武からELの購入を行った。旅客車は、1992(H4)年以降は西武からの中古車両で統一され、以降は西武中古同士で置き換えが繰り返されている。日本の鉄道による貨物輸送開始130年を記念した貨物鉄道博物館が2003(H15)年、有志の手によってオープン、毎月1回公開を行っている。

 次回はデータ編です。

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 JR北海道は今日、11月一杯を持って、自社線内及びJR東日本と連絡の普通回数券の発売を終了すると発表しました。今年9月いっぱいで北海道以外のJRの普通回数券は全廃、北海道が終了すれば、JRの普通回数券は全てなくなる事になります。今のJR北海道⇔JR東日本間の連絡の回数券は必ず北海道新幹線がからむ事になるが、どの程度発売があったものなのだろう?留萌本線に関しては、公式な発表は今日現在、JR北海道からも、留萌市など関係自治体からもありません。

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