№2502 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 23.岐阜県(1)

「平成の鉄道」を回顧するシリーズ、今回は岐阜県です。
 以前にも何回か独自に書いているが、名鉄は、特に岐阜県下に、ほとんどローカル私鉄そのものという路線を多数抱えていました。小私鉄の合併を繰り返した歴史上の経緯があったし、ファンの目から見れば古豪も多数あって楽しい路線が多かったが、裏を返せば、純粋な私鉄としては経営上、荷が重い路線が相当数あったという事でした。平成前半は何とか近代化の道を探りながら持ちこたえていたが、21世紀に入って、相次いで力尽きていきます。

名古屋鉄道22-13黒野03駅構内新型車両導入後.jpg

県内の名鉄線 大幅路線縮小を断行
レストラン列車の元祖は 美濃の第3セクター鉄道


ローカル線大挙整理 名鉄 私鉄第3位に後退
 濃尾平野に広大な路線網を持つ名鉄は、平成の世になった時点では、近鉄に次いで私鉄では2位、537.4㎞の営業キロを誇っていた。しかし、マイカーやJR東海などとの競争、中部国際空港「セントレア」の空港アクセスや、名古屋圏の都市輸送の拡充の一方で、21世紀に入ると、一気に路線の整理を進める事になる。特に岐阜県内での路線の廃止が目立った。
 岐阜駅前からの西に向かう岐阜市内線と、終点の忠節から先の揖斐線、その支線の谷汲線、一方で徹明町から東に延びる美濃町線と、新岐阜への直通の目的で整備された田神線は、電圧が600Vと、本線(1500V)より低い事から「600V」線区と総称される事が多かった。揖斐線では早くから岐阜市内線への直通急行を設定、美濃町線では田神線を介して復電圧車両を導入した直通電車を設定するなど、ダイヤ面での改善を図っていた。だが平成に入った時点では、これらの線区で冷房車は、岐阜市内線~揖斐線直通用の770形連接車のみで、揖斐・谷汲線では戦前製の車両も残っており、また一部の区間ではタブレット閉塞区間が残るなど、近代化がかなり遅れていた。
 揖斐・谷汲線では770形をベースに、単行運転も可能とした780形を1997(H9)年より導入、旧型車を淘汰すると共に、忠節折り返し列車の岐阜市内線延長を行った。美濃町線でも在来車両の冷房化を行ったうえ、2000(H12)年6月には部分超低床車の800形を導入し、車両面での近代化と、岐阜市内直通運転の強化を図った。
 しかし、輸送量の減少が続いたうえ、これらの線区の存続の条件とされた岐阜市内線の近代化に、地元行政が積極的でなかった事もあり、急激な縮小の道を歩む事になる。美濃町線では、800形の導入を待たず、1999(H11)年3月いっぱいで、長良川鉄道に並行する、新関~美濃間が廃止となった。代替として長良川鉄道への接続を図るべく、新関から関への区間が短期間敷設された。その後自動信号化やワンマン運転が開始されるものの、減便を経て、結局2005(H17)年3月いっぱいをもって、田神線と共に全線廃止となった。800形は、名鉄では5年弱の短命で、豊橋鉄道や福井鉄道に譲渡されていった。
 揖斐・谷汲線は、2001(H13)年9月をもって、谷汲線全線と、揖斐線・黒野~本揖斐間が廃線となった。両区間とも輸送量が極めて少なく、全列車が区間運転になっていた。廃止時に代替バスが設定されたものの、谷汲線は代替時点で既に便数が鉄道時代を下回っており、4年後には廃止になった。終点の谷汲駅は1996(H8)年に、新駅舎に改築されたばかりであった。ホーム跡には、同線で運用されていたモ755号と、全線廃止後には直通急行用として人気があったモ514号が静態保存されている。揖斐線の残存区間では全列車を黒野発着にしてフリークエントサービスの向上を図ったものの、岐阜市内線の近代化のめどが立たなかった事で、ついに全線廃止が決断され、美濃町線と同じく、岐阜市内線と共に、2005(H17)年3月いっぱいで全線廃止となった。770形は福井鉄道へ、780形は豊橋鉄道へ譲渡された。
 一方、本線の路線も経営状態の良くない路線が少なくなく、八百津線と、竹鼻線・江吉良~大須間は、2001(H13)年9月いっぱいで廃止になっていた。八百津線は1984(S59)年、コストダウンを図ってレールバスに転換した路線だった。竹鼻線は笠松~大須間の路線だが、笠松発着列車の大半は、新幹線岐阜羽島駅に隣接する、羽島線新羽島への直通列車で、廃止区間は、運行上は実質支線の扱いだった。残存区間は羽島線と一体で、事実上一本の路線として運行が続けられている。
 以上の結果、名鉄は岐阜県内だけで73.4㎞(新関~関間0.3㎞を含む)の路線が6年間で廃止になり、愛知県内の三河線とモノレールを加えると100㎞近い路線が廃止になった。これは平成が始まった当時の営業キロ数の18.5%にもなり、名鉄は営業キロ数で、関東の東武を下回る大手私鉄3位となった。残存路線も、特に広見線・新可児~御嵩間は存続が危惧される区間とされ、今後の行方が注視される。

名鉄特急整備 セントレア直通運行開始
 名古屋本線は、平成が始まった時点では、新名古屋経由で豊橋まで、全車指定席の特急と、全車自由席で特急に相当する高速を交互に設定していたが、JR東海の快速運転の拡大に対抗し、1990(H2)年10月より両者を統合、指定席と自由席を連結した特急を毎時4往復設定し、フリークエントサービスを向上させる策に出た。翌1991(H3)年には、「パノラマスーパー」1000系の編成替えにより、名古屋本線専用の編成が組成されている。後に名鉄全体の特急の施策の変更を促す事になり、セントレア開港時には新鵜沼を発着する犬山線特急にも導入され、2008(H20)年に全車特別車特急からの置き換えを完了した。
 2005(H17)年2月、知多半島の常滑沖に開港した中部国際空港「セントレア」のメインアクセスとして、全車指定席の快速特急「ミュースカイ」が設定された。車体制御装置を搭載した2000系が導入され、新岐阜~中部国際空港間は、最速54分で結んだ。2008(H20)年には、「ミュースカイ」がそのまま、空港アクセス列車で最上級の種別となった。空港線開通に合わせて、新岐阜駅は名鉄岐阜と改称している。

JR東海 ダイヤの整備と新車両
 JR東海道本線は、名古屋~岐阜間は、豊橋方面から直通する快速電車が毎時2本運行されていたが、1989(H元)年3月改正で、民営化後初の新形式近郊型となる311系による新快速が設定され、快速毎時4本運転が確立した。新快速は名古屋~岐阜間を最速24分で結び、名鉄特急と激しい競合を繰り広げる事になる。1999(H11)年12月改正では後継系列の313系もデビュー、朝夕に特別快速も設定されている。一方で岐阜~大垣間の新快速・快速は普通列車と統合、各駅停車に改められた。特別快速も当初から、同区間は各駅停車である。
 昼間の特急列車は、JR西日本車両によって名古屋と富山を結ぶ〔しらさぎ〕が経由しており、2003(H15)年3月改正より683系に置き換えられてグレードアップされたが、北陸新幹線開業により名古屋~金沢間に短縮され、金沢で〔つるぎ〕に乗り換える形態となった。一部の列車は和倉温泉直通車両を併結していたが、同時に廃止になっている。名古屋~大垣間で平日に運行される〔ホームライナー大垣〕は、〔しらさぎ〕編成で運行されている。この他、中央本線〔しなの〕の内1往復が大阪発着で運行、岐阜駅にも停車していたが、2016(H28)年3月改正で廃止となった。
 高山本線の特急〔ひだ〕は、平成の世になった直後の1989(H元)年2月、新特急車キハ85系が導入された。JR東海初の特急用の新形式となるキハ85系は、カミンズ製の高性能エンジンを搭載して出力が向上、ステンレス製の車体は窓を大きくとり、観光地を走る特急らしく、展望を向上させている。この車両から列車名には(カッコ書きで)「ワイドビュー」の名前が付いた。以降、JR東海の昼行特急車両(〔あさぎり〕の371系を除く)の統一した愛称として、営業の案内上で活用される事になる。キハ85系が導入された〔ひだ3号〕は名古屋~高山間を2時間34分運転で結び、それまでのキハ80系と比較して23分の短縮を実現した。
 翌1990(H2)年3月改正では、残る〔ひだ〕の他、急行〔のりくら〕にも特急格上げの形で導入され、〔ひだ〕は8往復体制が確立した。国鉄時代末期に取りやめになっていた、高山~富山間の運行も、再び設定されている。また、大阪~高山間で運行されていた急行〔たかやま〕も、1999(H11)年12月改正で特急に格上げされ、〔ひだ〕の一員に組み込まれる事になった(岐阜~高山間は名古屋発着列車と併結)。〔ひだ〕は、平成の終わりの時点では、定期列車のみで10往復となり、名古屋~高山間の最速は、2時間13分にまで短縮されている。2017(H29)年6月、JR東海は、85系の後継車となるハイブリッド式特急車両の製造を発表した。HC85系と称される同形式の試験走行車は、2019(R元)12月に披露された。量産車は2022(R4)年に製造される計画で、〔ひだ〕への展開が期待される。
 高山本線にはこの他、名鉄から直通する特急〔北アルプス〕があった。準急時代からのキハ8000系を、平成が始まった時点でも使用しており、高山~富山間では唯一の特急列車だった。1991(H2)年3月、キハ8500系に置き換えられ、運行区間を新名古屋~高山間に短縮している。1000系「パノラマスーパー」並みの車体に、キハ85系と同じカミンズ製エンジンを搭載、美濃太田~高山間では、JR東海の臨時〔ひだ〕と併結して走るシーンも見られた。しかし、時間帯もあって利用が伸びなかった上、東海北陸自動車道の開通に合わせて、名鉄自らが名古屋~高山間に高速バスの運行を始めた事もあり、2001(H13)年10月に廃止となった。キハ8500系は、名鉄の車両としては10年の短命に終わり、会津鉄道に譲渡された。
 高山本線は、〔ひだ〕の増強に見られるように、高山の他、下呂温泉・北アルプス・白川郷などの著名な観光地を控える事で、通年観光客の利用で賑わうが、一方で大規模な災害に見舞われ、長期間の不通を余儀なくされる事が多くなった。近年では2004(H16)年10月の台風23号の被害が大きく、高山~猪谷間が長期に渡って不通となり、最後の角川~猪谷間が復旧したのは、3年後の2007(H19)年9月になってであった。直近では、2018(H30)年6月にも集中豪雨によって一部区間が不通となり、〔ひだ〕は下呂折返し(一時は全列車運休)を余儀なくされている。全線復旧は5か月後の11月になっての事だった。
 中央本線の特急〔しなの〕は、1995(H7)年4月、制御付き振り子機能を搭載した383系が導入、臨時列車に先行して運用された後、翌1996(H8)年には定期全列車が383系使用となった。一般列車は、中津川を境に西側は名古屋の通勤圏となり、民営化後は211系や313系を相次ぎ導入して、国鉄時代の113系や103系を置き換えていった。1999(H11)年12月には、有料の快速〔セントラルライナー〕が、名古屋~中津川間で運行を開始。名古屋駅「セントラルタワー」のオープンに合わせ、買い物客等の利用を狙った列車であった。313系の内、独自のデザインの8000番台を専用、日中に1時間間隔で運転、停車駅は快速より少なく、乗車整理券を必要としていた。2013(H25)年まで運行された。
 高山本線と中央本線を直結する太多線は、日中でも1時間に1~2本の運行が確保され、ローカル線としては比較的利用者が多い。1990(H2)年3月改正で、岐阜直通列車と、名古屋発着〔ホームライナー〕が設定された。岐阜直通は改正毎に増強されていくが、〔ホームライナー〕は2012(H24)年3月改正で廃止されている。

衰退する 夜行列車
 東海道新幹線は、1993(H5)年3月より運行開始の〔のぞみ〕は、岐阜羽島には停車がない。〔ひかり〕も朝夕の一部列車のみの停車に留まっていたが、1996(H8)年3月改正で〔こだま〕の半数が名古屋発着に短縮された事で、日中も〔ひかり〕の毎時1本停車が実現した。
 東海道本線の寝台特急は、〔はやぶさ〕〔みずほ〕(廃止後は〔さくら〕)の岐阜停車があったが、2000(H10)年3月改正で両者が統合された上、2005(H17)年3月改正では〔さくら〕廃止による再編成(〔はやぶさ〕〔富士〕統合)の結果、上りの停車列車がなくなり、2009(H21)年の東京発着寝台特急全面廃止で、岐阜停車の寝台特急も消滅した。また、東京~大垣間には165系を使用した夜行の普通列車が運行され、「大垣夜行」の愛称で、安価な足を求める旅人の足として走り続けていた。1996(H8)年3月には特急車両373系に置き換えられ、全車指定席の〔ムーンライトながら〕に発展したが、21世紀に入ると利用の減少が顕著になり、定期列車は2009(H21)年3月に廃止、JR東日本の特急車両を使用した、シーズン中の臨時列車のみの運行となった。その臨時列車も、平成末期には運行期間が縮小傾向にあった。中央本線には大阪~長野間の客車急行〔ちくま〕があり、1997(H9)年には〔しなの〕との共通運用化で383系に置き換えられたが、2003(H15)年には臨時格下げとなり、2005(H17)年秋を持って廃止となった。

養老線 実質公営化
 近鉄養老線は、平成の世が始まった時点では、元名古屋線特急車両などの旧型車両が使用されていたが、1992(H4)年より名古屋線や南大阪線から転用の冷房通勤車両によって置き換えられ、車両面では近代化が図られた。
 しかし21世紀になると近鉄による運営が困難になり、2004(H16)からの協議の結果、上下分離方式によって路線の維持を図る事になった。近鉄は線路を引き続き保有、運営は2007(H19)年10月より、近鉄100%出資の養老鉄道が担う事になり、近鉄本体からは分離。さらに2018(H30)年1月より、一般社団法人養老線管理機構が近鉄から線路施設を譲渡、事実上の公有民営の形態に移行した。同機構は養老鉄道にも一部出資している。平成最末期には、元東急7700系を導入して、注目を集めた。

第3セクター4社の苦闘
 岐阜県内の特定地方交通線4路線は、昭和末期には、全て第3セクター鉄道に転換されていた。県内で最も早く、1984(S59)年に樽見線から転換した樽見鉄道は、小型レールバス導入で列車の増発を行った事などで利用は好調裏に推移。これを受けて、国鉄時代に凍結されていた、神海~樽見間の建設に着手、平成の世になった直後の1989(H元)年3月、全線が開業した。樽見駅近くの根尾谷の薄墨桜が貴重な観光資源となり、毎春には特別ダイヤを布いて観光客をさばいている。セメント輸送を行っていた事から、DLけん引の客車列車が通学時間帯に運行されていた事も特徴で、全線開通時にはトロッコ風列車も運行を開始した(2005(H17)年まで運行)。JR東海からの直通列車が運行されていた事もある。
 しかし、経営を支えていたセメント輸送は2006(H18)年3月に廃止となり、客車列車もDCに置き換えられた。以降沿線自治体から財政支援を受けつつ、全列車DC車両で運行を継続している。沿線の商業施設「モレラ岐阜」に隣接した新駅を建設するなどして、需要の掘り起こしを図っている。
 1985(S60)年11月に明知線を転換した明知鉄道は、1987(S62)年には早くも、車内で寒天料理を提供する「ヘルシートレイン」(貸切)を運行していた。2011(H23)年3月運行開始の急行〔大正ロマン号〕でも、四季の料理をふるまう「食堂車」(予約制)を連結している。一連の動きは、現在日本各地の地方鉄道で見られる「レストラン列車」の走りと言える。沿線は急こう配が多く、1991(H3)年10月に開業した飯沼駅は、33‰の急こう配上にあり、普通鉄道の駅としては最も急である。
 長良川鉄道は、越美南線が1986(S61)年に転換して開業し、その後昭和の末期に新駅を増設した。美濃市以北は長良川に沿って走り、風光明媚な車窓が繰り広げられる事で、早くから観光列車の運転に乗り出しており、1992(H4)年4月にはトロッコ列車の運行を開始。除雪用のモーターカーを機関車とし、無蓋車と車掌車を客車に改造して列車を組成した。トロッコ列車は国鉄時代の1985(S60)年にも運行の実績があり、7年ぶりの復活だった。脱線事故を機に廃止となる2003(H15)年まで、11年間走り続けた。その後は、一般の列車を景勝地で減速させる、〔ゆらーり眺めて 清流列車〕を運行。2016(H28)年4月に運行を開始した観光列車「ながら」は、地元のシェフによる、地元の食材を使用したランチや弁当、スィーツを楽しめる各種プランを用意した、レストラン列車となった。開業当時のレールバスは、2009(H12)月以降、軽量型DCへの置き換えが進められた。
 富山県の猪谷から分岐していた神岡鉄道は、1984(S59)年10月に神岡線から転換して開業。三陸鉄道(岩手県)に続く全国2番目の、第3セクター鉄道転換の事例となった。しかし、元々硫酸輸送の安全確保が鉄道としての存続の理由であり、旅客輸送量は終始希少だった。2004(H16)年10月に硫酸輸送が終了すると存在意義が失われ、2006(H18)年11月いっぱいで廃線となった。開業当時用意された「おくひだ号」(KM-100・KM-150形)2両が、22年間の旅客輸送を支えた全てだった。

 次回はデータ編です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 BIGLOBEの「ウエブリブログ」が、来年2023(R5)年1月一杯でサービスを終了します。このため当ブログは今月以降どこかの時点、少なくとも半年以内には、「Seesaaブログ」に移転する予定です。その時期になったら、改めてお知らせします。


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 13日に東急、17日には京成の、今年度の設備投資計画が発表になり、関東大手は全社が出そろいました。

東急 … 東急らしく?割と大層なフレーズも目立つ気もするが、まず車両面では、田園都市線2020系を1編成導入し、いよいよ8500系の置き換えが完了する。目黒線の東急所属26編成は、新横浜線開業までには全編成8連化する。大井町線「Qシート」のような有料着席サービスの、他線への展開を検討する。また、東横線のワンマン運転を早期に実現させるための、車両の改修を行う。車内防犯カメラは、高機能化を図る。田園都市線の地下区間(旧新玉川線区間)各駅のリニューアルを進め、第一弾として着手済みの、駒沢大学駅の工事を本格化する。この他、踏切障害物検知装置の高度化、自然災害対策の推進などを実施。旅客トイレは、今年度中には全駅で洋式化(TOTOウォシュレット)を完了する。投資総額444億円。

京成 … 今回は、車両に関してはほとんどない。車内への防犯カメラの設置と、駅と共に照明のLED化を進めるだけ。京成立石駅付近の連続立体交差事業を推進、仮下り線工事を進めるほか、本線の荒川橋梁架け替え工事に着手する。デジタル方式の列車無線への更新は、今年度中に全列車で完了する。ホームドアは、押上駅への設置工事を推進する(東京都交通局との共同事業)。宗吾参道~公津の杜間の法面補強工事や、駅舎・高架橋柱の耐震補強工事を推進する。京成大久保・西登戸両駅の駅舎改修工事は今年度中に完了し、千葉中央駅は引き続きホームのリニューアル工事を行う。投資総額167億円は関東大手(相鉄はバスも含む)では最少だが、前年度比31億円・23%の増加。

 只見線・会津川口~只見間が、10月1日運転再開と発表になりました。詳細なダイヤはこれからだが、リリースを見た感じでは、会津若松~小出間全線通し3往復の列車が設定される模様。3往復という数字自体は豪雨被災前と同じだが、やはり少ないなあの印象は拭えない。観光客を呼び込む工夫などこれから考えるのだろうが、地方鉄道路線の存続の在り方に関する議論が一気に活発化している最中(昨日はJR四国も各線区別の収支と営業係数を公表した)、相当な金をかけてでも再開にこぎつけるのだから、鉄道を中心に据えた街づくり・暮らしの在り方もまた、模索されるべきではないだろうか。

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