昨日の晩は床に就いて間もなく、大きな揺れに出くわしました。あの時は金縛りみたいな感じで、パッと飛び起きるという事はなかったが、翌朝になって、東北新幹線やまびこの脱線を知りました。新幹線で犠牲者が出なかったのは幸いだが、ニュース画像を見た感じだと、どうも全面復旧までは、少なくとも今月一杯はかかりそうです(JR東日本は、全線再開は今月中は厳しい、としている)。東日本大震災以降、東北新幹線は地震で大きな被害を受ける事が多くなりました。在来線も被害が大きいようで、今日現在では、鉄道で仙台に行く事が出来なくなっています。
(〔こまち〕も直通運行できないので、〔いなほ〕1往復が酒田~秋田間を臨時快速として延長運行を行っている。利用すると、東京~秋田間は新潟経由で約6時間)
「バスジャパン・ハンドブックシリーズ」(以下「BJシリーズ」)最新刊、「V108 那覇バス 琉球バス交通」は、先月末には発売になっていたが、また少々遅くなりました。
BJシリーズで沖縄の事業者が出てくるのはもちろん初めてで、少々意外なチョイスになりました。どちらも今は北九州に本社を構えるタクシー事業者・第一交通産業の傘下になり、那覇バスの市内線を除くとカラーも共通になって、かなり共通化された印象があります。なので、基本的には琉球・那覇で統一して、データを分析します。
◆ 那覇バス・琉球バス交通の車両たち
多少、ここは違うんじゃないの?と思える部分が、データを整理して感じられました。その部分を私なりに整理した結果で、両社の車両の傾向を分析します。
(なのでテキストと若干数値が食い違う所があります)
1.グループ全体では、乗合は390台。那覇が147台、琉球が243台で、ほぼ1:2の割合になります。高速は17台(那覇6台・琉球11台)、貸切は154台(那覇68台・琉球84台)、定期観光は那覇の4台のみ。
両社合計で565台になるが、全体から見た用途別割合は、乗合69.03%(那覇65.33%・琉球71.47%)・高速3.01%(那覇2.67%・琉球3.24%)・貸切27.26%(琉球30.22%・25.29%)・定観0.71%(那覇のみ)となり、貸切車が全体の1/4以上となりました。過去のBJシリーズで、グループ全体で貸切車の割合がこれだけ高い事業者は、初めてです。
一方で高速は少ないが、①当然他県への展開はない ②県内に高速道路が沖縄道1本しかないし、高速バスの行先として有力な目的地は限られている ③メインの那覇~名護路線は他に沖縄・東陽も交えた4社共同運行の上、近年は他事業者の新規参入もあり、独力の開発は難しい という事が挙げられると思われます。
2.まず事業所そのものでは、琉球は、那覇市内には営業所・出張所という、車両を配置した事業所がない。那覇も石嶺と具志しかないが、基本的に市内路線中心の那覇、郊外線がメインの琉球、という構図になるかと思います。琉球の具志川〔営〕はうるま市にあり、那覇市内にある那覇の具志〔営〕とは全く違う場所。
沖縄県は那覇市一極集中の傾向があるので乗合は当然、那覇市内及び脇を固める市町にある事業所への配置が多くなります。琉球は新川〔営〕55台・具志〔営〕50台で、この両営業所で、全体の71.42%になります。乗合は全体の61.97%(88台)が市内線仕様。
那覇は豊見城〔営〕89台・具志川〔営〕77台、合計166台で、この両営業所で、全体の68.31%と7割近くになりました。那覇から結構遠い具志川〔営〕に配置が多いのは、那覇市内とうるま市を結ぶ便が、やや長距離ながら比較的多い、という事でしょうか。あとは配下の出張所に12~20台の配置と、そんなに多くはない。名護〔出〕以外は皆南部に立地しています。
高速は、那覇は具志〔営〕のみ、琉球は名護〔出〕の6台が一番多く、琉球便は名護をベースにしたダイヤ・運用になっていると考えられます。
貸切は、那覇は観光部のみ。琉球は豊崎〔営〕が貸切専門で、あとは具志川〔営〕・名護〔営〕に配置があります。郊外が少ないのは、本土からの入り込みが中心になっているから、当然の傾向でしょう。
3.平均車齢を、用途別に出してみました(2021(R3)年を0年とします)。
① 乗合車は、グループ全体では14.01年と、やはり高齢化している傾向で、那覇15.97年・琉球12.83年と、琉球の方がやや若い。
年式毎で見ると2つの山があり、1993(H5)~2008(H16)年と、2012(H20)~2021(R3)年と別れていて、間の2009(H21)~2011(H23)年式が存在しない(2019(H31~R元)年式もない)。やや極端な傾向が見られ、前半の山は224台中、自社導入は11台しかない。対して、後半の山は166台の内1台を除いて、全て自社導入。後半の山は圧倒的に琉球が多く、那覇は43台だけ。両社合わせると、2016(H28)年式が55台で圧倒的に多く、両社合計の乗合車の14.10%を占める。次いで2014(R26)年度の44台(11.28%)で、2010年代に入って、ノンステップ車を相当強力に導入した結果と言えます。ただし、大型車は2018(H30)年を最後に導入がなく、令和になってからの3台は、沖縄市コミュニティバス用のポンチョと、北中城村観光周遊バス用のコースター(共に琉球)。前半の山では、1998(H10)年式が38台で、両社合計の乗合車全体の9.74%。
事業所別では、琉球は具志川〔営〕が8.69年と相当若返った。63台が2013(H25)年以降の導入で全体の81.82%。豊見城〔営〕も12.63年で、89台中45台が2012(H24)年以降の車両。逆に出張所は高齢化の傾向があって、百名〔出〕は21.42年。一番若くて2005(H17)年式。那覇は全て平均に近く、営業所による差はあまり大きくない。
最古参は、那覇の西原〔営〕2台・石嶺〔営〕1台の1993(H5)年式。乗合では「沖縄22」が両社合わせて6台残っています。
② 高速車は、両社合計17台の平均が17.35年で、一般の乗合より高齢化している。那覇と琉球で大きな差はない。1998(H10)~2010(H22)年の間に集中していて、17台中自社発注は2台のみ。最古参は琉球・名護〔営〕に配置されている1998(H10)年式で、日デの自社発注車。
③ 貸切車は両社合計の平均が13.55年。逆に乗合車より若くなりました。全体には経年化しているが、乗合車より若いのは本土ではほとんどないはずで、この辺も沖縄らしいのかなあ。
ただ、年式のバラつきが割とあって、2005(H17)年式が25台(16.23%)、2016(H28)年式が22台(14.29%)、2009(H21)年式が20台(12.99%)になっています。
那覇と琉球の差は大きくはない。琉球・名護〔出〕が23.55年と図抜けて高く、一番若い車両が2005(H17)年式。貸切の最古参もここ(ただし名護市コミュニティ)。名護は本土からの入り込みを受け入れる事はあまりないだろうと思われるので、こうなっているのか。貸切では、「沖縄22」が両社合わせて27台残っています。
4.乗合車のノンステップ率は、グループ全体では59.49%と、結構高い。琉球は65.43%と、2/3に近づきました。那覇は49.66%で半分近く。2社合計で117台が2013(H25)年以降の自社導入で、ノンステップ車全体の半分を超えている。近年の大量導入は効果があったようです。琉球・糸満〔出〕が84.62%(13台中11台だが)、具志川〔営〕が84.42%。逆に百名〔出〕は2007(H15)年式エルガの1台のみ。
ハイブリッド・CNGなどの低公害車は導入がない。
5.中古車両は、両社合計で252台。全体の44.60%と、半分近い。
譲渡元は27者(茨城急行と国際十王は共に元は東武バスだが、別々にカウント)。京浜急行バスが図抜けて多い。乗合111台は乗合の中古車全体(214台)の51.87%で半分以上、自社導入まで含めた乗合車全体でも28.46%と1/4を上回り、グループ全体の一大勢力になっています。次に多いのは東急バスで、53台、乗合の中古車全体の24.77%。他の譲渡元は全部一桁。関東地方が多い。
高速車も17台中14台は元京浜急行バス。
貸切車は、譲渡元は全て貸切専業で、ケーエス北の星観光バスが7台と最も多く、次がニッコー観光バスの6台。札幌第一交通からも2台譲渡があり、北海道からはるばる渡ってくる車両があるのが面白い。琉球バスも夏には稚内に貸し出されるそうで、車両面で北海道と沖縄の行き来が多いのが興味深い。
こうしてみると、グループ外事業者も含めてだが、沖縄のバス事業もまた、那覇市一極集中になりがちな傾向にあると言えます。車両面でも、特に乗合は自社導入ノンステップバスは、那覇市近郊の事業者に集中して導入しているし、貸切も若年車は那覇市近郊に集められている。那覇市が沖縄県で一番人口が多い県庁所在地で、本土からの玄関口も那覇空港であれば、当然ではあるでしょう。
◆那覇バス・琉球バス交通のあゆみ
沖縄のバスの歴史についてはこれまでにもバス趣味各誌で何度か取り上げられている所だが、やはり一番の転機は「730」という事になるか。直接的な車両の運行方や代替だけでなく、この時に生じた出来事(バス業界外も含めて)が、後々何年、何十年と沖縄のバス事業全体に(あまりいい方向ではない形で)影響を与え続けたという事だろう。
今回は、特に1980年代以降繰り返された労働争議に、だいぶテキストが割かれている。一つは、沖縄のバス全体を巻き込んだ、再編成(統合合併)を模索する経営側と、それに反発する労働組合、もう一つは「ゆいレール」開業以降の、特に旧那覇交通の本土資本(第一交通産業)による救済策と、それに反発する労働組合の闘争に分けられる。経営が悪化すると労使の関係が悪くなるのは本土も同じだが、特に沖縄は米軍基地を多数抱えているので、政治的な意味も込められるのかも知れない(特に旧琉球バスは米軍輸送も大々的にやっていたので)。
第一交通産業は、今でも労働側にはイメージが良くない。検索すれば、第一交通産業を批判する記事は、いくらでも出てくる。特に旧那覇交通引き受けの際には、一時ドライバー不足に陥ったりもして、労働側の抵抗が激しかった事が伺え、その影響を引きずっているのだろう。ただ、沖縄のバスに限らないが、最初の内は労働側もそれなりに激しく抵抗していても、いよいよ会社が進退窮まってくると、実は労働側には選択肢がほとんどなくなってくる、というのが本当の所ではないだろうか?沖縄のバスに限らず、上は日本航空から下は中国バスまで、みんなそう。最終的には、雇用を護る事が絶対条件だから、どこかで妥協を強いられる事になる。労働側の「負け戦」となっても。それが、第一交通産業グループとなった那覇バス・琉球バス交通の闘争の結末では、なかっただろうか。
(こんな事を書いたのは、私が私鉄勤務時代、同僚が労組の役員でもあって、何度か沖縄にも行って、話を聞かされもしていたので)
那覇の新バスターミナルは、もう少し大きく書かれても良かったかも知れない。
◆那覇バス・琉球バス交通のいる風景
やはり、海!特に辺士名の路線の沿線はきれいだなあ。街もそうだけれど、やはり沖縄は本土とはまるで違う、東南アジアの香りがプンプンする土地なのだと、実際に数度足を運んでみても、実感する所です。海だけでなく、街の、特に民家の造りなんてそう。読谷〔出〕は配置台数は少ないが、新ブルーリボンも見えたりして、乗合車の車齢は12.65年だから豊見城〔営〕とそんなに違いはない。那覇市内に向かうバスが1時間に4本はある(沖縄バスと共同運行)。1時間30分はかかるが。ダイバーが路線バスを利用してくれると良いのだが。
◆“琉球の風”を感じに行こう!
谷口さん、沖縄は初めてですか。11月23~24日は、沖縄もそれなりに寒かったらしい。この先もそうで、無論本土ほどではないだろうが、海からの風が涼しい、という事だろうか。
東洋バスの「730」車にあったのは運が良かったのか、初めから会えるように行程を組んだのか。何度か書いているが、那覇・琉球がそろって「730」車を全部処分してしまったのは、両社ともたぶん、「しまった」と思っているのではないかと。「730」は、返還などと並ぶ沖縄の歴史の一大事であるし、動態保存している沖縄バス・東洋バスは経営資源にもなっているので、やはり「もったいない」事をしたのではなかったか。
「ジンベエザメ」を見られたのはうらやましい。飛行機の「ジンベエ」は見た事あるけれど。
この期間はちょうど、コロナ禍の「第5波」と「第6波」の谷間になり、沖縄県内の感染者数「0」の日が続いていたので、幸運だったと思います(昨日3月16日は817人)。
◆終点の構図
名護の北、屋我地島の運転原。屋我地島の観光って、何だろう?と調べてみたら、やはりビーチリゾート。それと、オシャレなカフェの激戦区、なんて書かれたWebサイトもありました。白黒なのでイメージがつかみづらいが、「共同売店」もまた、沖縄チックな印象。名護からの路線はやはり沖縄バスとの共同運行らしいが、検索した時刻表では、運行会社は解らなかった(沖縄バスも同じ)。平日6便・土休日5便。名護BTから40分で行けるよう。
◆那覇バス・琉球バス交通の路線エリア
当然、那覇市を中心とした南部に集中している。北部は辺士名が琉球としては最北だが(これも沖縄バスと共同運行)、この先国頭村営バスが辺土岬を経由して、奥まで運行されている(宮脇 俊三氏が乗られた事がある)。
むろん沖縄のバスはほとんど乗る機会がないからああだこうだは書けないが、何度も他誌の所で書いているように、沖縄のバスは、実は一つのきっかけですごく良い方向に変われる要素がたくさんあると思っています。本格的な鉄道はないからバスが公共交通の主役だし(ゆいレール開業後もそれは変わるまい)、長距離路線でも本数は決して少なくなく、利便性は、決して低くはない。さすがに近年は減少傾向にあるようだが、ともかく何とか現状を維持して欲しい。あとは特にインフォメーションの充実に力を入れて欲しいかなと思う。那覇バスターミナルや那覇空港はあるものの、鉄道のターミナル駅はなくて、公共交通の「核」がぼやけている所は感じられるので。本土のICカードの受け入れも、沖縄としては、本土他地域以上に急務だと思う。
車両面では、今はコロナ禍もあるのか新車導入がやや停滞しているが、ノンステップ率は決して低くはなく(本土のもう少し大きな都市だって、沖縄より低いところはいくらでもある)、この点でも変われる所。EVなど低公害車も、積極的な導入が期待されるが、中国製は、政治的にはどうかな…(本島からは遠いが、尖閣諸島の問題もあるので。貸切バスでは伊江島にBYDのC9があるが)。長距離路線や観光路線は、ノンステップバスをベースにしながらも、長距離の乗車にふさわしい車両の導入も期待されます。
ともかく、グループ外の沖縄バス・東陽バスとも、かつての敵対関係は忘れて(もうないだろうと思うが)連携を強化し、ゆいレールと共に、沖縄の公共交通を大いに盛り上げる方向に行って欲しい。コロナ禍はまだ心配だが、「まん延防止」は沖縄県は既に終わっていて、今後は観光客が戻って来る事が期待されます。インバウンドは当分望み薄だが、是非とも観光客には大いにバスに乗ってもらって、本島以外も含めて、沖縄のバスの活性化につなげたい。そのための施策の充実も、期待したいと思います。
なお、那覇バスの貸切バス事業は今月一杯を持って、琉球バス交通に譲渡、那覇・琉球グループの貸切バス部門は琉球バス交通に一本化される事になります。乗合バスも両社で重複する部分が少なくないので、今後は経営形態の見直し、そこまで行かないとしても、運行路線・エリアの調整が行われる事に、なるのだろうか。
次回刊は、東急バス(+1社は東急トランセのはず)。旧東京急行電鉄から分社して早30年、都内でも有力なバス事業者に成長したが、コロナ禍で一般路線にもだいぶ影響が出ています。深夜バスや深夜急行バスは相変わらず全て運休中だし。特に東京都内では路線・系統の縮小も見られます。高速は「ミルキーウェイ」がなくなって久しいが、最近は中近距離路線を数多く開設しています。前回R69で取り上げられていて、№143で書いたが、12年間でどう変わったのか。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
予告です。BIGLOBEの「ウエブリブログ」が、来年2023(R5)年1月一杯でサービスを終了します。当ブログは来月・4月以降どこかの時点、少なくとも半年以内には、「Seesaaブログ」に移転する予定です。BIGLOBEから移行用のツールが提供されるとの事だが、またいろいろ面倒な設定の変更とかをやらなければならないのかと、今から憂鬱です。移転を行う時期になったら、改めてお知らせします
《今日のニュースから》
16日 広島カープ鈴木 誠也 MLBカブスと5年契約で合意
17日 京都国際高校 センバツ出場辞退 PCR検査で13人感染確認
ウクライナ危機に地震と慌ただしい最中だが、「まん延等重点措置」が、21日を持って全て解除される事になりました。まずは明るい、のだが、センバツ辞退の報もあるように、減少傾向とはいえ、まだまだ感染者数は、少なくありません。今回の決定も、太鼓判を押して解除OK、という感じではなさそうだし、22日以降ももうしばらくは、不自由さを感じる事になるのでしょう。とりあえず、マスク付けなくてもいいよ、となるのは、いつの日になるのでしょうかねえ。何度でも繰り返すが、政治や行政などの思惑はどうでもよく、まずは我々自身の行動に、少なくとも日本のコロナ禍の行方がかかっています。我が身と自由な暮らしを護るためにも、もうしばらく心して行動しましょう。