№2438 バスジャパン・ハンドブックシリーズV107 北陸鉄道

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「バスジャパン・ハンドブックシリーズ」(以下「BJシリーズ」)最新刊、「V107 北陸鉄道」、10月には刊行されていたが、例によって遅くなりました。なんとか今年中に書けて良かったです。

 北陸鉄道は、金沢市内からの鉄道2路線を運営する事業者だが、現在では、グループ全体を見ると、バス事業の方が圧倒的に規模が大きく、分社も含めれば、石川県内全域にエリアがあります。
 BJシリーズでは、23年前の1998(H10)年のNEW26で、一度取り上げられています。分社化の経緯がなかなか複雑で、23年前は北陸鉄道のバス部門を中心に(当時は能登地域も一部直営だった)、能登中央バス・七尾バス・能登西部観光バス・加賀温泉バス・加賀白山バス・北鉄金沢中央バス(貸切オンリー)の分社がありました。同じ地域でも複数の分社があったりしたが、その後再度分社の再編が進み、さらに今年になって、小松バス(旧尾小屋鉄道)と北陸交通を合併し、ようやく落ち着いた感があります。石川県は、西日本JRバスの他、加越能バスがJRとの共同運行の形で金沢駅に乗り入れているが、基本的に石川県のバスは、北陸鉄道グループの独占に近いと言えます。
 表紙は、一般乗合車の新カラーをベースに、新ブルーリボンをあしらっています。

◆ 北陸鉄道グループの車両たち

 適宜23年前と比較しながら、車両の傾向を分析してみます。

1. まず、グループ全体で601台、と記されているが、602台ではないだろうか?他にも多少数値が違っている所もあるようで、ここでは自ら整理して得たデータを基に分析します。
 まず、600台以上の車両を保有する、日本でも有数のバス事業者でありながら、いすゞが今も23年前も、1台もないのは今どき珍しい(さらに昔はあったらしい)。日野が313台で全体の51.99%、三菱ふそうが259台で43.02%。23年前は日野が46.39%・三菱ふそうが49.68%だったから逆転はしているが、この2社でほぼ2分されていると言っていい。なぜだろう?北陸に日野・三菱ふそうに関連する有力な企業が立地しているからだろうか?しかし、一方で日産ディーゼルも少数ながら導入している(現在は3.98%・23年前も3.91%)。末期のスペースランナーA(エアロスターのOEM)もある程度入れているのだから、少々理解が難しい。
 28年前はグループ全体で638台だったそうだから、今は小松バス・北陸交通を加えながら、相当数減少している。一般の乗合車は、分社の変遷が複雑なので単純な比較は難しいが、金沢市周辺のエリアからして、28年前(北陸鉄道(以下「鉄道」)の金沢・西部・柳橋・東部・南部各営業所)368台→現状(鉄道+北鉄金沢バス(以下「金沢」))287台、奥能登エリアが28年前(能登中央バス+鉄道輪島〔支))49台→現状(北鉄奥能登バス・(以下「奥能登」))46台、能登エリア(七尾を中心とした、能登半島の中央部)が28年前(能登西部バス・七尾バス+鉄道能登〔営〕)64台→現状(北鉄能登バス(以下「能登」))42台、加賀エリアが28年前(加賀温泉バス)22台→現状(北鉄加賀バス(以下「加賀」)29台、白山エリアが28年前(加賀白山バス)7台→現状(北鉄白山バス(以下「白山」))29台。金沢エリアが1/5以上と、意外に大幅な減少になっている。一方で、北鉄白山バスが4倍以上になっているのは意外だが、29台中17台は、白山市・能美市のコミュニティバス。(今の白山は本社が鶴来から移転し、鉄道の南部〔支〕と同じ場所なので、白山も金沢市内の運行の一翼をになっているかと思ったが、金沢市中心部への乗り入れ回数は希少)。
 グループ全体では、一般の乗合車が441台で全体の73.26%、高速車が51%で8.4%、定観車が7台あって1.16%、貸切車は103台で17.11%。23年前は乗合が517台で83.65%、高速が28台で4.3%、貸切が90台で14.10%だったので、一般乗合が減少、高速が増加しているものの、他事業者ほどは、高速の割合は高くない。しかも高速は県内路線も含まれるので、県外へ行く路線の車両の割合は、グループ全体でも、そんなに高くないと言える。
(28年前は他に特定が3台あったが、定観は独自には計上されていない)

2. グループ各社の現状の割合は、乗合は鉄道29.02%・金沢36.05%・奥能登10.43%・能登9.52%・加賀6.58%・白山8.39%。当然金沢市を中心としたエリアに2/3に近くが集中する、一極集中の傾向にあります。加賀は、小松バス吸収で小松市に路線網を広げながら、割合は高くはならなかった。
 事業所別では、金沢の北部〔営〕が59台で最も多いが、金沢市外になる金沢・野々市〔営〕(野々市市)が51台、鉄道・南部〔支〕(白山市)が金沢・中央〔営〕と並ぶ49台で、金沢市の衛星都市と、金沢市中心部を結ぶ便の割合が高いものと見る事が出来る。最少は能登・富来〔車〕で6台に過ぎない。かつての鉄道・能登線の代替バスの運行があったはずで、23年前は独立した営業所として、16台の配置があったのだが。富来以北も門前へ路線が繋がっていて、支線も相当数あったのに、今は、北陸鉄道グループとしては、行き止まりの終点になってしまいました。
 高速車は白山を除く4社・9事業所に配置され、鉄道・金沢〔営〕が最も多いが、奥能登・輪島〔営〕も9台と比較的多いのが目を惹く。金沢と奥能登地域を結ぶ県内高速の割合が高いと言えます。
 定観車は、金沢・中央〔営〕に5台と、能登・七尾〔営〕に2台の配置があります。
 貸切車は、北陸交通を加えた白山が25台と、一番多くなりました。

3. 平均車齢を、用途別に出してみました。今年2021(R3)年を0年とします。

① 乗合車は、グループ全体では9.45年。やはり金沢エリアと地方では差があり、鉄道は3事業所が全て7年台(東部〔支〕が7.31年で最若)、金沢も3事業所全てが8~9年台だが、奥能登・能登・加賀は全て10年以上になりました。一番高いのは富来〔車〕の15.83年で、最も若くて2006(H18)年式。白山が8.14年と相当若いが、2008(H10)年以降、白山市・能美市コミュニティ用のポンチョやハイエースを継続的に導入している事が、理由になると思われます。
 年式別では、2006(H18)年式が33台で7.48%、2012(H24)年式が32台で7.26%だが、極端に導入が多い、あるいは少ないという年は、これまでは基本的にはなかった。それが去年(2020(R2))年が9台、今年(2021(R3)年)が3台と少ないのは、やはりコロナ禍の影響が出たと考えて間違いないでしょう。
 最高齢は輪島〔営〕の2000(H12)年式の、中古導入のトヨタハイエースで、唯一の20世紀の車両になります。
② 高速車は5.82年。2018(H30)年に8台導入されて、全体の15.69%になっています。最高齢は奥能登・飯田〔支〕の2005(H17)年式1台。
③ 定観車は、7台の平均がちょうど10.00年。
④ 貸切車は7.06年で、小松バスが前身となる加賀・小松〔営〕が5.94年、北陸交通が加わった白山が6.28年と、比較的若い。北陸交通は当然、小松バスも、合併前は貸切が営業の主力になっていたと考えられます。金沢・中央〔営〕で5.23年と最も若いが、同じ金沢の北部〔営〕は11.60年と最も経年化している。2016(H28)年・2018(H30)年に13台ずつの導入があり、共に12.62%。これらを含めて2015(H27)年以降に合計53台の導入があり、全体の半数以上になっています。やはり有名な観光地の上、北陸新幹線延伸後でもあるから、ある程度新車の導入を多くして、若返りを図る必要があった、という判断もあったと思われます。最高齢は、鉄道・南部〔営〕と金沢・中央〔営〕に合計4台ある、2006(H28)年式。
 したがって、28年前のNEW26時点で在籍した車両は、少なくとも北陸鉄道グループには現存しない。

4. 乗合車のノンステップ率は、グループ全体では60.77%で、2/3近くになりました。ここはむしろ地方の方が高くなり、奥能登は4事業所が全て、グループ平均を上回っています。宇出津〔支〕は100%。加賀・加賀〔営〕が90.91%、奥能登・飯田〔支〕が90.00%です。奥能登の乗合車は1台を除いて中小型車だが、中古導入だけでなく、新車でもノンステップの新車の直接導入が、案外多いようです。一方で金沢・北部〔支〕は35.59%にしかなりません。

5. 他事業者からの中古導入は、公表されている分で(元自家用を含めて)27者から48台(他に譲渡元を公表していない車両が2台ある)。全車両が地方部の分社。一番多いのが奥能登の26台で、全体の4割に近いが、地方であっても中古導入車両が主力、ともなっていない。譲渡元では、岐阜バスが6台で一番多いが、どこかが図抜けて多いという事はない。驚いたのは、北海道からの移籍車が3台(北紋バス・道北バス)ある事。福島交通から白山に移籍したエアロミディは2017(H29)年式だから、相当若い。福島交通で何があったのだろう。

6. 型式毎に中小型、大型、貸切高速で分類して集計すると、中小型が147台で全体の24.42%、大型が296台で49.17%・貸切高速が159台で26.41%。金沢市を運行する鉄道・金沢は大型が全体3/4以上で、中小型は鉄道6台(金沢ふらっとバス用ポンチョ)・金沢2台のみ。逆に地方の4社は全て、中小型が半分以上。加賀は、貸切高速が44.23%で、50%ちょうどの中小型に肉薄している。
 一時は「ふらっと」でポンチョのCNG改造車も在籍したが、現在はCNG・ハイブリッド・EV等の低公害車両は存在しない。それと、NEW26と今号の間で「ふらっと」にクセニッツの導入があったが、現在は再び全部国産。

 ところで、現在の「城下まち金沢周遊」は、大型のブルーリボンⅡ・新ブルーリボンになっているが、登録番号は希望ナンバー。しかし、右回り(赤系)が709、左回り(緑系)が1225で統一されているが、どのような意味があるのだろうか?城下町だから歴史に関係があるのかといろいろ調べてみたが、ちょっと解りませんでした。

◆北鉄バスのあゆみ
 戦前は個人・小規模事業者が乱立し、競争に疲弊して合併、という流れになった事、戦後は経営難から労働争議が先鋭化し、それに付け入るような形で公営や他県資本が参入しようとして、対抗するために大手私鉄の支援を仰いだ、という流れは、他の事業者でも見られる事で、北陸鉄道も例外ではないなあ、という感じ。当然バスが中心になるが、鉄道も残っていればなあ、という路線が多かったようで、特に加南線(大聖寺~山中間)は、戦後に転換クロスシートの高性能車両が導入されていた。廃線後は大井川鉄道に移籍し、21世紀になるまで走っていたそうで、乗った事がなかったのはもったいない(今は山中温泉に戻って、有志の手によって静態保存されているそうだ)。
 バス部門の分社は1989(H元)に始まるが、NEW26の時点では、社名が皆、北鉄のグループである事が希薄に思えた。しかもNEW26以降も奥能登観光開発とかほくてつバスとかのバス事業が始まって、地方部の利用が少なさそうな能登半島でも多数分社があり、しかも北鉄との関連性がなさそうに思える社名なので、前述の通り、何か整理できていない印象がありました。現在は本体を含めて6社に集約され、分社も全て頭に「北鉄」とついたので、ようやくスッキリした感があります。
 一つだけ、多少気になったのは、今回合併して北鉄加賀バスとなった小松バスの前身、尾小屋鉄道についてほとんど触れられていなかった事。北陸鉄道は、鉄道も石川県内各地に点在していた私鉄が、太平洋戦争末期の頃までに合併し、「石川県全県の鉄軌道・バスの一元化が完成した」と記されているが、当然この中に、尾小屋鉄道は含まれない。762㎜軌間の軽便鉄道だから、他路線とは規格が違い過ぎ(他の路線は全て1,067㎜軌間)、それが一元化から除外された理由にもなるだろう。列車の写真1枚くらいは欲しかった。
 金沢市内路線には、モノコックなのに中ドア4枚折戸が入っていた。
 
◆北鉄バスのいる風景
 金沢駅は新幹線開業、いや、北陸本線高架化前の旧駅舎時代にも数回来ているが、すごく変わった、の印象が強い。ここは、旧尾小屋鉄道路線の写真が1枚あるが、このバスの道路が廃線跡、ではないだろう。

◆金沢と能登の“暮らし”を訪ねる
 NEW26の紀行は、池袋から出発、金沢から能登を訪ねたのち、和倉温泉に宿泊するまでが芳賀 郁雄氏、和倉温泉から金沢経由で山中温泉に抜け、大聖寺からTDLへ帰るまでが富田 康裕氏によるリレー形式でした。往復とも、今はなき東京への夜行路線でした。
 今回の谷口 礼子さんの紀行は、23年前は富田氏が定期観光バスで回った金沢市内を一般の路線バスで巡り、その後は能登へ、という行程になっています。金沢、というと、前号「V106 西日本JRバス・中国JRバス」で来たばかりだ、と思ったが、あの時は定期観光バスで白川郷を周遊していて、金沢市内は回っていない。8月なので緊急事態宣言の真っただ中、「城下まち金沢周遊」は運休になっていたそうだ。運行されていれば、当然利用したはずだが。
 のと鉄道の能登線は、乗った事はあったけれど、跡がまだ相当残っているのか。「1964年開業」(松波~蛸島間)という事は、廃線になったのが2005(H17)年3月なので、能登線は、最端の区間では41年にしかならず、短命だった(全線が戦後の開業)。もう少し、能登半島北部の基幹交通として生かす道はなかったのかと、ちょっと思いました。
 後半の「隣の芝生は青く見える」的な会話は、ちょっと考えさせられた。私はたぶん、谷口さんと同じ意見になると思うが、田舎の人にも当然、都会への憧憬というものは、昔も今も、あるものだろう。都会と田舎、優劣つけて対立するのではなく、自然を生かしつつ、両者の折り合いをつける術が欲しいと感じます。

◆終点の構図
 NEW26は、中宮温泉でした。鉄道の石川線・鶴来駅からの路線の終点だったが、現在は瀬女から先は廃線になり、その先は白山市コミュニティバス「めぐーる」(北鉄白山バスが受託)に乗り換えが必要。しかも大半の便は遥か手前の白山一里野が終点で、中宮温泉に入るのは日中の1往復だけ、それも土休日と冬季は運休。公共交通で行くのは、極めて難しい場所になってしまいました(JTB時刻表にも掲載)。
 今回は、「花咲くいろは」の舞台のモデルとなった湯涌温泉、尾小屋鉄道の終点だった尾小屋、どちらかだったらいいなと思っていたがどちらでもなく、同じ旧小松バスでも、ハニベ前になりました。この路線も元北陸鉄道小松線の代替バスで、JTB時刻表の索引地図にも記されているから、ハニベとはどういう意味なのかと、少々気になる場所ではありました。ここには記されていないが、公式Webサイトに拠れば、ハニベとは「土で彫刻をつくる人=土部師(はにべし)」で、現代の彫塑家の事を言うのだそう。山の中腹に大仏様の頭部がデンと控えているのは、なかなかシュールな光景です。近年は若者の来訪が少なくないそうで、バスで来てくれると嬉しいのだが、残念ながらバスは平日7往復・土休日5往復のみ(元気な人なら軽海まで歩けば、もう少し本数が多くなるが)。

◆北鉄バスの路線エリア
 NEW26は高速・特急なども同列に記されていたから単純な比較はできないが、石川県全県を網羅しているのは変わっていないものの、地方は支線がだいぶ少なくなりました。金沢を中心としたエリアと、奥能登、能登、それに加賀の加賀〔営〕は、一般の路線ではつながりがなくなっている。一方で、能登半島北部の穴水~宇出津にかけて、及び小松市の中心部に、ある程度の網が出来ています。前者は西日本JRバスの代替、後者は小松バスの吸収(小松付近は、NEW26より前に、一度小松バスに移譲しているらしい。北鉄に戻った事になる)。一路線だけ、能登の七尾駅から富山湾沿いに南下する路線が、富山県に越境して脇に達しています(加越能バスと接続)。
 鉄道を代替したバスも数路線あるが、寺井(現能美根上)~鶴来間の能美線は、北鉄のバスとしてはなくなってしまい、能美市のコミュニティ「のみバス」(北鉄白山バスが受託)が、鶴来駅→能美根上駅間を2本運行するだけ(反対側は先端大学まで1本のみで、鶴来駅には入らない)。能美市側は比較的路線・便数はあるが、鶴来は白山市なので、能美市との交流がほとんどなくなってしまった、という事だろう。

 北陸鉄道のバスも、日常的に利用するわけではないからあまりアレコレは書けないが、今後ともJRの鉄道やのと鉄道を補完しつつ、自社の鉄道と共に、石川県の交通事業の主役を担っていくものと期待されます。気になるのは西日本JRバスとの関係があまり良くなさそうな事で、戦後の経営混乱期に乗じて当時の国鉄が市内路線の参入をもくろんでいた、なんて事が「あゆみ」にも記されていたが、ひょっとしたらそれを未だに引きずっているのか(考えすぎか?)例えばICカードはJRバス(PiTaPa)との互換性がないし、従ってJRやIRいしかわ鉄道が導入しているICOCAや、相互利用している全国の交通系ICカードでは利用できない。観光の利用が相当数あったはずなのに、これはプラスではないだろう。自社の電車に入っていないのも、ちょっと?JRバスとは、金沢市内のコミュニティバスにおいても軋轢があったと聞いていて、どこかの機会で関係の改善が図られる事が望まれます。
 地方部はやはり、現状の利用を何としてもつなぎとめる、事に尽きるのだろう。全国レベルの著名な観光地は全県にあるし、新幹線や空港(小松・能登)と有効に組み合わせて、観光客の誘致にも努めたい(そのためにも、地方部にも全国相互利用受け入れのICカードシステムが欲しいと思うのだが)。
 新幹線と言えば、北陸新幹線の敦賀延伸が、資金面のゴタゴタの影響で遅れているが、それでも2023(R5)年度末の開業が見えてきました。あと2年あるが、延伸区間では小松と加賀温泉に停車するので、特に北鉄加賀バスには大いに影響が及ぶはず。新幹線や、並行在来線として北陸本線を引き継ぐ事になるIRいしかわ鉄道との連携で、観光客の誘致を図りたいところ。また、これはいつになるか現状では解らないが、敦賀より先、京都・大阪に延伸した時には、グループ全体にはどのような影響が出るのだろうか。
 ともかく、石川県のみならず、北陸全体の交通のリーダーとして、交通のレベルアップの先頭を走ってくれる事が、大いに期待されます。

 次回刊は、ちょっと驚きだったのだが、沖縄の那覇バスと、琉球バス交通。沖縄県のバス事業者が取り上げられるのは、(前身の「バス・ジャパン」シリーズからカウントしても)当然初めて。元々は別々の企業グループだったと思うが、共に経営破綻の後、福岡県の第一交通の下で再建された事業者です。個人的には私鉄勤務時代に、特に那覇バス(当時は那覇交通)の先鋭的な労働争議について労組幹部だった同僚から聞かされたりしたものだったが。その後何度か沖縄にも行って、両社のバスにも乗っているが、モノレールの開通も見た現状はどうなのだろうか、大いに興味がもたれるところです。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 一昨年の京急線の神奈川新町踏切事故については、今年2月に運輸安全委員会からの報告書が出ているが、今日は事業用自動車事故調査委員会からの報告書が出ました。トラック側が、予定していた運行経路の急な変更が遠因になっているとして、適切な指示ができる運行管理者の選任を、事業者に求めています。

《今日のニュースから》
23日 香港大学 天安門事件追悼の像 撤去
24日 入管施設スリランカ人死亡事件 法務委員会理事らに映像開示

 オミクロン株、市中感染拡大…か…?息をひそめる暮らしは、もうしたくないのだけれど…。