№2432 鳥取・島根 ローカル鉄道とバスの旅 1.智頭急行・若桜鉄道・三朝温泉・倉吉線跡
先月後半、鳥取・島根へ、夜行込み2泊3日の旅に出ました。今回は、現地のバスもいくつか乗車しています。帰りは出雲から飛行機。画像が多いので、一気に行きます。駆け足になってしまうが、ご勘弁。
11月23日(火)
姫路まで〔サンライズ〕。熱海から、〔出雲〕の12号車に乗車。
「ノビノビ座席」は、見た限りはいつもと変わらないように見えました。コロナ禍だからどう変わった、という事は感じなかった。
通路にあるコンセントは、乗客がスマホの充電に使っていました。本来は業務用(清掃とか)のはずだが。ただ実際問題として、他交通機関の動向も見ると、「ノビノビ座席」でも、そろそろ1区画に1つは、コンセントが整備されるべき時期だと思いました。
11月24日(水)
前回乗った時は大幅な遅延になったものだが、今日は定刻に、姫路に着きました。さすがにまだ真っ暗。
岡山行1301M。115系3連。岡山も新車導入が発表になって、いつまで乗れるか。MT54モーターの甘美な音色を、いつまで聴いていられるか。
上郡で、智頭急行に乗り換え。右には出庫を待つ223系の姿があり、下り貨物列車2本通過の後に入れ替えられる。
智頭行初列車725Dは、HOT3521「あまつぼし」だった。智頭急行も、久しぶりだなあ。
車内。ロングシートなんだね。
智頭急行のコロナ対策。
上郡は暗くても快晴、だと思ったのに、河野原円心に差し掛かると、急に霧が濃くなった。見通しが良くない。
大原は晴れた。11分停車し、〔スーパーはくと2号〕待ち合わせ。
大原駅の時刻表。全国版時刻表にはないが、〔スーパーはくと6・9号〕は春から運休になっている。智頭急行でも主要駅のはずだが、朝方は駅員がいない。
あわくら温泉でも〔スーパーいなば2号〕の通過待ち。
乗客は少ない。学生がチラホラ乗るが、普通の平日だから、通学の学生がもう少し乗るかと思っていたのだが。久崎で行違った722D、佐用の724Dは2連だったが、3つの県にまたがっている路線だから、日常の利用は少なくなってしまうのかも知れない。
千代川沿いの集落。しかし、全体的に長いトンネルがとても多い。景色を存分に楽しむ、とは行かないが、この位の高規格でないと、鉄道は生き残れないだろう。
智頭到着。右は入れ替わりに出発する728D上郡行。
智頭駅はJRと智頭急行で別々になっていて(ホームはつながっている)、こちらがJRの智頭駅。
山陰地方は、雲が多くなった。
因美線656Dで鳥取に向かうが、キハ47の4連!655Dで到着するが、この列車は学生が多かった。右は〔スーパーいなば1号〕。
若桜鉄道に乗る事になっているが、いったん鳥取まで乗り通す。どのみち郡家からの列車は同じになるので。
若桜鉄道は5年ぶり、2016(H28)年9月7日以来。今日は若桜まで単純に往復するだけで終わりになります。
鳥取からの若桜鉄道直通若桜行1333D。WT-3001。水戸岡デザインに改修され、「八頭」の愛称がついた。郡家で鳥取直通1336Dと交換。向こうはWT-3301で「隼」ラッピング。
その車内。サロン風という感じだが、観光列車と違って日常の普通列車で使われる車両だから、レイアウト自体は大きく変わっていない。
プレート。ドーンデザインもプレートも貼られている。もうすぐ平成も終わり、の時期だ。
若桜鉄道のコロナ対策。
八頭高校前を過ぎて、八東川の橋梁を渡る。
大きく変わったのがこの八東駅で、交換設備が復活している。5354D(土休日運休)と行き違い。旧若桜線は、「よんさんとお」の頃には既に線内の(少なくとも旅客列車の)行き違いはなくなっていたようだ。
若桜駅。
駅前の、登録有形文化財のプレート。
若桜駅の駅舎も、水戸岡デザインで改修されている。残念なのは、左手のカフェが、前日の祝日の振替で休業になっていた事。開いていれば、ハンバーガーくらいは食したはずだ。何しろ朝飯食べていないので…。なお、グッズ類は販売していなかった。
ラウンジ風の待合室。こうしてみると、コンセプトは先のWT-3001と共通と思える。
ホーム。
5年前は「入構券」を買って近くまで見に行った、C12 167と、DD16 7。残念ながら今日に至るまで、一般的な営業運転は実現していない。やはりコストがかなりかかりそうだから…。
さて、折り返し1338D鳥取行ですぐ帰る…のだが、運賃表の表示が「郡家行」になっていた。最初は設定ミスかと思った。ところが、発車間際に乗り込んだ、車掌役の若い男性職員(下りも郡家から乗っていた)が、この列車は郡家行で、郡家で乗り換えになるとアナウンスしていた。どんな列車に乗り換えになるんだ?
5年前降りた徳丸駅だが、デザインが変わっている。八頭高校前も同じで、他の駅と合わせて変えた、のだろうか?
八東駅で交換した、先の5354Dの折返し、5355D。WT-3004「若桜」。
こうなるとまた、時間を作って若桜鉄道の撮影に行きたくなってしまう、のだが…。
郡家に着いたら驚いた。乗り換えの列車はJRの126系2連、しかも「コナン」ラッピングだ!因美線に126系、それも「コナン」ラッピングなんて、どのくらい入る機会があるものだろうか?
この列車は9338Dとしての運行となり、車掌も乗務している。それにしてもなぜJRで代走なのか?津ノ井からの乗車が多かったようだが、それが理由なのだろうか?こんな事はたびたびあるのだろうか?
鳥取からは、そのまま快速〔とっとりライナー〕3425Dとして、米子へ直通する。倉吉に行く事になっていたから、結果的に乗り換えなしになった。この先はワンマン。
右に、郡家で行き違いだろうと思っていたWT-3301が、1337Dとして出発を待っている。
鳥取からは大荷物の旅行者、次の停車駅の鳥取大学前からは帰宅の高校生の乗車が多かった。
末恒では、「コナン」同士の行き違いになった。3423D。「コナン」ラッピング編成は両方とも、5年前とはデザインが変わったようだ。
浜村で〔スーパーはくと8号〕通過待ち。
さらに松崎で〔スーパーまつかぜ8号〕通過待ち。
今回は倉吉で途中下車して、バスに乗ります。
まず、三朝温泉に向かう、日ノ丸自動車。
この13時20分発は三朝温泉から三徳山を経由して上吉原まで行くが、三徳山(駐車場)~上吉原間はデマンド運行という事になっていて、事前に申告しておかないと上吉原までは行ってくれない。ドライバーに、上吉原まで乗り通して、折り返して三朝温泉まで行くと申告しておく。
三朝温泉を過ぎると急に勾配やカーブが多くなり、人里がまれになる。三徳山を過ぎたら、ほぼ人家がなくなった。終点の上吉原はスイッチバックで折り返すが、折返し時間がなくて(14時03分着・発)、わざわざ上吉原まで走ってくれたドライバーの方にも申し訳ないように思えて(自分が乗らなかったら、三徳山で休息も取れただろうから)、外に出る事なく引き返しました。なので画像がありません。悪しからず。
三朝温泉(温泉南口)で途中下車して、少し歩いてみました。三朝神社。
三朝温泉。三徳川の両岸に温泉宿があります。川辺にも足湯が。
川にかかるかじか橋のちょうど真ん中に、「かじかの湯」という足湯がありました。次のバスまで、しばし足を浸してくつろいでみたりします。
「かじかの湯」を囲むように立つ欄干には、与謝野 晶子らの短歌が刻まれています。
上流の橋を、倉吉駅に向かう日ノ丸自動車バスが渡ってきました。でもかじか橋のすぐ脇がバス停(温泉入口)なので、焦る必要はない。
今回はもう一か所、旧倉吉線の跡を少しだけ訪ねます。倉吉線は倉吉から分岐して山守まで走る特定地方交通線のローカル線だったが、1985(S60)年3月一杯で廃線になっています。
旧打吹駅の跡に保存されている、C11 75。残念ながら状態は今一つ。「倉吉線鉄道記念館」もあるが、残念ながら時間が無くなった。
旧打吹駅に一番近いバス停はこの赤瓦・白壁土蔵(明治町)になるが、英・中・韓に加えてロシア語も書かれている。5年前の鳥取市内もそうだったが、パンデミック前はロシア人の訪問が多かったのだろうか?
倉吉線の終点、山守駅の跡地に一番近いバス停・今西上へ行くのは、日本交通バスの明高行になる。帰宅の学生などが乗っていた。曇り空という事もあり、16時30分を過ぎたらどんどん暗くなる。跡地訪問としては、ギリギリのタイミングになった。
今西上バス停に降り立つが、山守駅の跡は少し離れているようだ。線路跡は遊歩道になっているが、ここが駅だ!というしるしは見つからない。太陽光発電パネルが並んでいたあたり、だろうか?
ここから関金まで歩く。でないとバスが18時過ぎまでないので(ちなみに最終バスになるが、休日運休)、関金バスセンター始発便を捕まえる。しかし、乗ってみた感触では、関金~山守間は思った以上に距離がありそうで、17時35分発車の倉吉行は、少し気張って歩かないと間に合わなさそうだ。
泰久寺との間にあった鉄橋は既に撤去されているが、取りつきの築堤は残されていた。
歩いている間、先に乗ってきた日本交通バスの回送に抜かれる。
線路を残している部分もあった。わざと残しているらしく、この反対側には説明書きもあるのだが、もう読んでいる時間はない。街路灯なんて気の利いたものもなく、(画像ではそうと解らないだろうが)完全に真っ暗になった道をひたすら歩く。バス発車2分前になって、あ、バスが見えた。間に合った…。
やはり、先に今西上まで乗った明高行から折り返して回送してきたバスで、ドライバーが驚いていました。だろうね。関金~山守間の営業キロが約5㎞、だったので、普通に歩いていたら、到底間に合わなかった。関金は、「バスセンター」とは称しているが、現状はただの待ち合わせ場所しかない。窓口の跡があり、かつてはバスの路線も便も数多くあり、窓口も営業していて、地域のバス路線網の拠点として、活気にあふれていた時期も、あったのだろうか。
途中、関金温泉を過ぎた先に「耳」というバス停があって、ちょっと驚かされる。「生田日ノ丸前」という、(かつての)ライバル事業者の社名が付いたバス停もあったりした。それにしても乗客は少ない。駅へ向かうこの便はまだしも、駅方面から来るバスも、日交も日ノ丸も皆ガラガラだ。首都圏なら帰宅ラッシュなのに、地方都市のバスは厳しい。コロナ禍もあるし、ちょっと心配です。
倉吉駅に着いたら、ちょうど米子行普通列車が出てしまった後。おとなしく1時間後の列車を待つ事になる。が、この時間を使って夕食にしたかったのに、駅付近は居酒屋とかはあるものの、普通の食堂・レストランの類は見当たらなかった。倉吉駅は、市の中心部から離れた位置にある、という事もあるかも知れない。「よんさんとお」の頃は上井駅と称し、先の倉吉線打吹駅が倉吉駅と称していた(1972(S47)年に、そろって改称)。
駅のコンコースのベンチで待つ事になるが、倉吉駅も合理化が進み、駅員はいるが、窓口業務が大幅に縮小されたばかりのようだった。「10.2」と書かれたポスターが貼られているのが、以前の窓口か。一応みどりの窓口がある駅、だが、指定券の購入は例によって券売機。紙の時刻表の配布もなくなって、「アプリを利用してください」みたいな事が、ホワイトボードに書かれているが、こういうのを見ていると、JR西日本に限らず鉄道業界全体が、いい方向には向かっていないように、思えてならないです。コロナ禍の影響も、あるのだろうけれど。
19時17分発257Dで倉吉を発つ。一番左の、キハ47×4連。下り〔スーパーまつかぜ11号〕・上り〔スーパーまつかぜ12号〕の行き違いの後に出発する。この先は完全に真っ暗なので見るべきものはなく、ひたすら米子まで揺られるだけ、になったのでした。海に近いところもあるのだが。今日は仕方がない。
米子では駅からやや離れた真新しいホテルに投宿し、明日に備えます。明日は松江・出雲市へ。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
関西の方も、年末年始の計画が出そろいつつあります。近鉄も、一部路線を除いて終夜運転があります(阪神との相互直通運転は行わない)。「ひのとり」が、宇治山田方面まで乗り入れます。大阪難波→宇治山田及び五十鈴川→大阪難波・大阪上本町間各3本、名古屋→宇治山田及び五十鈴川→名古屋間各3本。京阪・阪急・阪神は終夜運転は行わない。京阪は1月1~3日は正月ダイヤ。JR西日本や大阪メトロはまだ発表はない。
(12月14日追記:JR西日本は発表がありました。スミマセン。12月31日~1月1日は、主要線区で3時頃まで運行)。
《今日のニュースから》
12日 天皇杯サッカー準決勝 大分・浦和勝利 コロナ禍後初観客数上限なしで開催
今月に入って、全国的に地震が多いですよねえ。今日も栃木の方で比較的大きな地震があり、帰りの足にちょっと影響が出ました。