「平成の鉄道回顧」静岡県編、今回はデータ編です。今の東海道本線が地域輸送が主になっていると前回書きましたが、それは、駅の数にも現れています。昭和も60年代になった国鉄時代末期より、東海道本線では新駅の開業が相次ぎ、1985(S60)年3月14日の安倍川を皮切りに、1986(S61)年4月26日の六合、国鉄があと10日で終わろうという1987(S62)年3月21日には片浜・西焼津の両駅が開業しました。これに平成の3駅、令和になってからだが去年の御厨を加えると、県内には8つの新駅が、この40年の間に開業しました。現在の静岡県内の東海道本線は41駅なので、1/5近くが、近年の開業になります。
◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕
1990(H2)年10月2日
大井川鉄道 井川線 長島ダム/ひらんだ/奥大井湖上
1991(H3)年12月14日
東海旅客鉄道 東海道本線 豊田町
1996(H8)年3月18日
天竜浜名湖鉄道 掛川市役所前/フルーツパーク
1998(H10)年10月30日
東海旅客鉄道 東海道本線 東静岡
2001(H13)年4月22日
東海旅客鉄道 東海道本線 愛野
2002(H14)年9月7日
東海旅客鉄道 御殿場線 長泉なめり
2003(H15)年10月25日
大井川鐡道 千頭線 横岡(仮) ※水害による代行輸送対応
2009(H21)年4月1日
天竜浜名湖鉄道 大森
2015(H27)年3月14日
天竜浜名湖鉄道 森町病院前
◆平成時代の改称駅
1990(H2)年10月2日
大井川鉄道 井川線 アプトいちしろ(←川根市代)
接岨峡温泉(←川根長島)
1990(H2)年11月1日
静岡鉄道 静岡清水線 県総合運動場(←運動場前)
2003(H15)年10月1日
大井川鐡道 千頭線 川根温泉笹間渡(←笹間渡)
2005(H17)年4月1日
岳南鉄道 ジャトコ前(←日産前)
2007(H19)年4月1日
遠州鉄道 遠州病院(←遠州病院前)
2007(H19)年8月1日
遠州鉄道 美薗中央公園(←北浜中学校前)
◆平成時代の廃止駅 〔廃線に伴わない単独廃止駅〕
1991(H3)年10月1日
大井川鉄道 井川線 川根唐沢/犬間
2004(H16)年3月19日
大井川鐡道 千頭線 横岡(仮) ※水害による代行輸送対応
◆平成時代の事業者名称変更
2000(H12)年10月2日
大井川鐡道(←大井川鉄道) ※会社再編
2013(H25)年4月1日
岳南電車(←岳南鉄道) ※鉄道部門分社
静岡県の歴代知事
斉藤滋与史→(1993(H5)8月3日~)石川嘉延→(2009(H21)年7月7日~)川勝平太
令和以降の静岡県の鉄道
かねてより予告されていた、JR東日本の新特急車261系〔サフィール踊り子〕が、2020(R2)年3月14日、運行を開始した。全てグリーン車で、プレミアムグリーン車と個室グリーン車、カフェテリアを連結し、カフェテリアは「ヌードルバー」として、麺類を中心としたメニューが提供される。東京~伊豆急下田間で毎日1往復、週末には新宿~伊豆急下田間でも運行され、首都圏~伊豆方面間の特急の新たなフラッグシップとなった。長年の顔だった〔スーパービュー踊り子〕は退役、〔伊豆クレイユ〕も運行を終了し、伊豆方面へのJR東日本の列車は、新たな展開を迎えた。
JR東海では、東海道本線・袋井~磐田間に御厨駅が開業した。令和の静岡県では、初の新駅である。
しかしこの頃から、新型コロナウィルス感染禍が、静岡県内の各鉄道に重大な影響を与え始めた。特に中小私鉄への影響が大きく、2020(R2)年4~5月の初回の緊急事態宣言発出期間中には、大井川鐵道では井川線が全列車運休となり(バス代行)、大井川本線でもSL急行が運休になった他、GW明けには普通電車が大幅に減便された(バス代行)。静岡鉄道・遠州鉄道でも減便が行われ、静岡鉄道ではラッシュ時の急行・通勤急行が「密」回避の意味もあって運休となった。各駅停車は今年になってある程度復便しているが、急行・通勤急行は運休のままである。遠州鉄道も12分間隔が20分間隔に削減され、土休日は今年に入って以降も、長く20分間隔減便ダイヤが続けられていた(今月1日より12分間隔に復便)。伊豆急行・伊豆箱根鉄道駿豆線でも減便が行われ、駿豆線の最終電車は現在も繰り上げが続いている。
JR東海では、御厨駅開業記念の臨時特急〔御厨〕と、同じく臨時特急〔富士〕の運行が取りやめになった他、JR東日本では臨時〔踊り子〕が運休するなど、特に観光需要を当て込んだ列車が、大きな打撃を受ける事になった。
(東海道新幹線は〔のぞみ〕臨時列車の大半が運休となったが、静岡県内に停車する〔ひかり〕〔こだま〕は、全列車の運行が維持された)
JR東日本ではこの改正から〔踊り子〕の一部が、中央本線から転用改造されたE257系に置き換えられた上、今年の3月13日改正で全列車の置き換えが完了。房総から転用の5連が、新たに伊豆箱根鉄道駿豆線への直通運用に加わっている。同日より、普通車も全車両が指定席となって、新たな着席サービスが提供される事になった。40年以上伊豆特急の顔だった185系は、全ての一般旅客列車から撤退している。
大井川鐵道では2020(R2)年11月12日、門出駅が開業した。SLソフトクリーム専門店も入った体験型フードパーク「KADODE OOIGAWA」、観光案内所・物産販売所「TOURIST INFORMATION おおいなび」と一体で整備されている。また、隣接する五和駅を「合格」と改称し、門出とセットで売り出している。
岳南鉄道の岳南富士岡駅構内には、貨物営業廃止以降も電気機関車等が留置され、劣化が進んでいたが、再整備の上、今年の8月21日より、「がくてつ機関車ひろば」として公開された。夜間にはライトアップが行われ、週末などの指定日には、現役の運転士によるガイドなどのイベントも行われる。
建設中のリニア中央新幹線は県北部を通過するが、南アルプストンネルが大井川の水量に影響を与えるとして、静岡県とJR東海の対立が表面化、静岡工区では未だに工事に着手できていない。このためJR東海は、当初予定していた2027(R9)年の開業は難しくなったとしている。今春の県知事選挙では、建設反対を唱えている現職の知事が再選されていて、先行きはさらに不透明になった。
次回は来年になるが、愛知県です。3回に分けます。
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各社の年末年始の運行計画の発表が相次いでいるが、大手私鉄では、京成は終夜運転、やるんだねえ。運行区間は一昨年と同じで、〔シティライナー〕も運行。JR東日本は今日現在は発表なし。大手では京王・東急、他に東京メトロと都営地下鉄もまだ確認できません。関西では、京阪・阪急・阪神は終夜運転をやらないと発表しているが、JR西日本と近鉄はまだ(南海は南海線・難波~高石間のみ2時台まで運行と発表済み)。
《今日のニュースから》
8日 インド軍ヘリコプター墜落 国防参謀長ら13人死亡
9日 恒大グループ「部分的債務不履行」 大手格付け会社認定
№2429 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 21.静岡県(1)
長らくお休みしていた、「平成の鉄道回顧」、今回から東海地方に移り、まずは静岡県です。思えば静岡県って、農業に工業に産業は極めて盛ん、静岡市(2005(H17)年に政令指定都市)と浜松市(2007(H19)年に政令指定都市)、2つの大都市を抱える「太平洋ベルト地帯」の要と言える県、なのだが、鉄道に関していうと、関東と中京・関西に挟まれて、旅客・貨物とも単なる通過地点という印象もあります。かつてのほとんどの〔ひかり〕、そして今の〔のぞみ〕全列車は静岡県は完全に素通り、という東海道新幹線のダイヤが、それを体現しているように感じられます。ひょっとしたら、「リニア中央新幹線」を巡るJR東海と県の確執には、この点も影を落としているのかも…。やはり考えすぎ、ですかね?
夜行列車 相次いで廃止
静岡県を東西に貫く東海道本線は、日本を代表する鉄道の大幹線であるが、旅客輸送においては、東海道新幹線の開通以降、長距離輸送の比重は低下していった。
それでも平成が始まった時点では、東京~九州・山陽・山陰・四国・近畿地方を結ぶ寝台特急・急行が毎日10往復運行され、臨時列車の設定もあった。静岡県内でも熱海に全列車、沼津・富士・静岡・浜松に一部列車が停車していた。この他、東京~大垣間には夜行の普通列車が設定され、特に「青春18きっぷ」のシーズンには大勢の乗客がごった返し、夜行ながら途中駅からでは座席にありつけない事が、少なくなかった。
しかし、21世紀を迎える頃から、夜行列車は退潮の道をたどる。まず、1993(H5)年までには、寝台特急の食堂車が全列車休止となった。1994(H6)年12月に〔みずほ〕が廃止、1998(H10)年7月には、〔出雲〕1往復が〔サンライズ出雲〕に立て替えられ、〔瀬戸〕改め〔サンライズ瀬戸〕と併結される形となって削減されている。1999(H11)年には〔さくら〕と〔はやぶさ〕の併結運転開始、21世紀に入って、2005(H17)年には〔さくら〕〔あさかぜ〕が全廃、〔はやぶさ〕の併結相手は〔富士〕となって、寝台特急は〔サンライズ瀬戸・出雲〕を含めても2往復体制と、20年足らずで大幅な減少となった。国鉄時代末期には個室寝台・リニューアルされた食堂車の導入などのてこ入れも行われていたが、航空輸送や、高速化が進む新幹線に太刀打ち出来なくなったのである。
2006(H18)年には客車〔出雲〕、2008(H20)年には急行〔銀河〕、そして2009(H11)年には〔富士〕〔はやぶさ〕が廃止となり、これで東京を発着、静岡県を経由する「ブルートレイン」は、全て廃止となったのである。鉄道業界の時代の節目として、一般にも大きく取り上げられる事となった。
電車寝台特急の〔サンライズ瀬戸・出雲〕は、2016(H28)年3月の急行〔はまなす〕廃止以降、日本で唯一の定期夜行列車となった。個室中心ながら、「ノビノビ座席」の設定などエコノミー嗜好の乗客も取り込んでおり、時間帯の良さもあって、堅調に推移している。静岡県内では熱海・沼津・富士・静岡・浜松(下りのみ)停車している。
165系が使用されていた東京~大垣間の夜行普通列車は、1996(H8)年3月より、〔ふじかわ〕〔伊那路〕と共用の373系に置き換えられ、一部区間全車座席指定の快速〔ムーンライトながら〕となった。しかしこちらも21世紀に入ると、休暇シーズン以外の利用の減少が目立つようになり、定期列車は2009(H21)年3月廃止、シーズン中に設定されていた臨時列車のみの運行となった。その臨時列車も、平成の末期には運行期間が縮小されつつあり、存続が懸念されていた。
JR東海在来線 地域輸送が主体に
昼行列車では、伝統の愛称を受け継ぐ急行〔東海〕が、東京~静岡間2往復残されていた。また、身延線直通の急行〔富士川〕も、165系で運行されていた。1996(H8)年3月、これらの置き換えのための新特急車373系が導入され、同時に特急に格上げされた。〔富士川〕は〔ふじかわ〕と改称している。同時に飯田線の臨時急行も、定期特急〔伊那路〕に格上げされ、2往復に増発された。373系は東京~静岡間の普通列車への運用も見られた。しかし〔東海〕は2007(H19)年3月改正で廃止、新幹線開業前の準急時代から静岡県内を走り続けたその名は、55年で幕を下ろす事になった。
御殿場線には、小田急線から直通する急行(小田急線内は連絡急行)〔あさぎり〕が新宿~御殿場間で運行されており、小田急のロマンスカー3000形SE車が乗り入れていた。老朽化もあり、1991(H3)年3月には20000形RSEに置き換えられた。JR東海も371系も導入、相互乗り入れの形で特急に格上げ、同時に沼津まで延長された。沼津延伸は、小田急グループによる伊豆半島西海岸観光ルートの整備の意味もあり、沼津で接続する小田急系列の東海バスには、RSEと371系、両方のカラーが施された。しかし利用は伸びず、車両のハイデッカー構造のバリアフリー対応の問題もあって、2012(H24)年3月を持って沼津発着は廃止、再び御殿場発着に短縮、車両も小田急の60000形MSEに統一されている。RSE及び371系の一部車両は富士急行に譲渡された。〔あさぎり〕の名は、2018(H30)年に〔ふじさん〕と改められた。
この結果、静岡県内でJR東海が運営する在来線を走行する優等列車は、〔サンライズ〕の他は、373系の〔ふじかわ〕と〔伊那路〕、JR東日本の185系で運行され、伊豆箱根鉄道駿豆線に直通する〔踊り子〕、そして〔ふじさん〕のみとなった。快速の設定もほとんどなく、「ホームライナー」が東海道本線の一部区間で運行されているのみで、普通列車への依存度が極めて高い。なお、静岡より東側では東京直通列車が、民営化以降もJR東日本との相互直通の形態で多数残されていたが、21世紀に入り大幅に整理、2012(H24)年まで運行された373系の列車を除くと、JR東日本車両による沼津折り返しの9往復のみとなり、他は熱海で乗り換えの形態になった。
飯田線は、静岡県内区間を中心に乗降が極少の「秘境駅」が多く、近年では鉄道ファンの来訪が多くなっており、「秘境駅」のみに停車する臨時急行の運行も行われている。佐久間駅構内には1991(H3)年、「佐久間レールパーク」がオープン。飯田線などで活躍した旧型電車やELなど、国鉄時代の貴重な車両が多数展示されていたが、名古屋市の「リニア・鉄道館」オープンに先立ち、2009(H21)年11月1日に閉園、18年の歴史に幕を下ろしている。
東海道新幹線は、1992(H4)年運行開始の〔のぞみ〕は静岡県内の停車はなく、毎時1本静岡・浜松に、その他一部が熱海・三島に停車する〔ひかり〕が、今でも静岡県内の東海道新幹線、ひいてはJR東海の最優等列車であり続けている。
JR東日本が運営する伊東線は、国鉄時代より多数の観光特急が設定されていた。1990(H2)年、〔スーパービュー踊り子〕が運行を開始。専用車251系は観光需要に特化した、リゾートを連想させる仕様となった。ダブルデッカー車・ハイデッカー車で構成され、先頭車の展望席や、グループ客を意識したボックスシート、幼児向けのプレイルームなどを備え、歴代の伊豆特急の中で、最もハイグレードな列車となった。
この他にも各種臨時列車の運行が多数あり、近年では成田空港特急E259系を使用した〔マリンエクスプレス踊り子〕が設定されている。また、箱根~伊豆間を回遊する観光客の誘致を狙い、常磐線〔スーパーひたち〕用651系を改造した観光列車「伊豆クレイル」が、小田原~伊豆急下田間臨時快速として運行されている。2018(H30)年5月、JR東日本は、全車グリーン車の新型特急列車の運行を発表した。2020(R2)年3月の運行開始を予定している
普通列車は、伊豆急行との相互直通の形態を取っていたが、近年では朝夕に東海道線直通列車が設定されている他は、伊豆急行の車両によって運行されている。
県東部の私鉄 観光に通勤に
伊豆急行は、東急グループが伊豆半島東岸の観光開発のために建設した鉄道であり、開業当時から伊東線との相互直通運転を行い、東京からの優等列車を多数受け入れていた。海岸の展望を考慮した大胆なデザインとアコモデーションで話題を集めた「リゾート21」は最大で5編成となり、一時はトンネル区間で天井に星空を投影する「ロイヤルボックス」車両(グリーン車扱い)の連結もあった。東京直通の臨時特急〔リゾート踊り子〕に使用された事もある。
しかし、一般の利用者は減少傾向にあり、21世紀に入ると、開業時からの100系、発展形の1000系は相次いで廃止、元JRの113・115系を経て、2004(H16)年からは元東急から8000系の譲渡を受けている。セミクロスシートに改造された上、ワンマン運転対応となった。「リゾート21」も2編成が引退、1編成は「黒船電車」、1編成は「キンメ電車」に改装されている。最終の「アルファ・リゾート21」は2017(H29)年、観光列車「THE ROYAL EXPRESS」に改造された。横浜~伊豆急下田間で、募集旅行の列車で運行されている。
伊豆箱根鉄道駿豆線は、特急〔踊り子〕の直通の他、1991(H3)~1998(H10)年の間、新造車両7000系を使用し、座席指定車両を連結した快速列車が設定されていた。2018(H30)に開業120周年を迎え、記念として3000系1編成に、三島~沼津間で運行されていた軌道線の塗色を復刻している。近年はアニメ・ゲーム等とのタイアップが多い。
岳南鉄道は、かつての主力だった貨物輸送が2012(H24)年に全廃、路線廃止の意向が表明された事もあった。結局富士市の公的支援もあって存続が決定、2013(H25)年には岳南鉄道が設立した岳南電車に運営が移行した。富士急行のグループであり、2018(H30)年には、富士急行線から車両が移籍した。最近は「夜景遺産」に認定された工業地帯を夜間に走る「夜景電車」など、観光需要に活路を見いだそうとしている。
静岡鉄道静岡清水線は、並行するJR東海道本線の増発により速度面で見劣りするようになり、1996(H8)年には急行運転を取り止め、駅間距離の短さを生かして、沿線の需要をこまめに取り込む戦略に出た。1994(H6)年に導入した磁気カードは、地方私鉄では初のストアードフェアシステムとなった。2011(H23)年10月、新静岡駅の再開発により、ショッピングセンター「CENOVA」がオープン。同時に行われたダイヤ改正で、平日朝方のみ急行運転が復活している。2019(R元)年5月、前身の駿遠電気設立から100周年を迎え、記念事業の一つとして2016(H28)年には、43年ぶりの新形式・A3000形がデビューした。一編成毎にカラーが異なるマルチカラーとなる。
路線そのものが観光資源 大井川鐵道
SL列車の動態保存で知られている大井川鉄道だが、2000(H12)10月には大鉄技術サービスに合併され、同社は大井川鐵道と改称して、鉄道事業を引き継ぐ事になった。大井川本線のSL列車は、1996(H8)年より原則毎日最低1往復の運行に増強。2007(H19)年には日本・タイ修好120周年を記念して、C56 44号機がタイ国鉄時代の姿を再現して運行された。2014(H26)年より、「きかんしゃトーマス」を模した列車が運行されている。
一般の電車は南海や近鉄、京阪の特急車両などを購入し、旅客の誘致に努めた。しかし、沿線の人口は稀少で元々一般の利用が少ない上、SL列車も利用の減少があり、近年は普通電車の大幅な削減や、十和田観光電鉄からの単行運転が可能な元東急車の購入など、運営コストの削減を迫られている。
井川線は、長島ダムの建設に伴い、1990(H2)年10月に一部区間でルートを変更、新ルート上のアプトいちしろ~長島ダム間には90‰の急勾配が存在するため、車両の歯車と、線路間のラックレールをかみ合わせるアプト式を採用した。旧信越本線碓氷峠区間の旧ルートが1963(S38)年に廃止になって以来、日本では27年ぶりの復活となった。同区間は電化され、アプト区間専用の補機ED90型が導入されている。同時に井川線には「南アルプスあぷとライン」の愛称が付き、アプト式鉄道そのものを観光資源として売り出している。大井川本線・井川線とも、近年は頻発する自然災害により、たびたび長期の不通の発生に悩まされるようになった。大井川本線では2003(H15)年8月~2004(H16)年3月にかけ、金谷~福用間が7ヶ月の間不通になり、復旧工事の過程で、五和~神尾間に横岡(仮)駅が、全線再開まで設置された。最近では井川線・閑蔵~井川間が、2018(H30)年7月~2019(H31)年3月の10ヶ月にわたり不通となっている。
天竜浜名湖鉄道は、平成の世になって間もない1989(H元)年3月、全線の特殊自動閉塞化が完了し、タブレットが姿を消した。1996(H8)年3月改正では、2往復の快速列車が設定されたが、3年後には1往復に削減され、2001(H13)年3月改正で廃止された。2000(H12)年3月からは、遠州森~三ヶ日間でトロッコ列車〔そよかぜ〕が運行されたが、こちらも7年後には廃止になっている。沿線には駅舎など、開業当時の面影を残す施設が数多く残されており、2011(H23)年1月までに合計36施設が、国の有形登録文化財に指定された。天竜二俣駅構内の転車台や扇形車庫では、見学ツアーも催行されている。沿線が大河ドラマの舞台となった2017(H29)年は、臨時快速の運転などで賑わった。
遠州鉄道が2004(H16)年に導入したICカード「nice-pass」は、日本で初めて、鉄道・バスの相互利用を可能としたICカードとなった。浜松市中心部の連続立体交差化が進められ、第2期工事は2012(H24)年11月までに、事業区間が全て完成した。車両は1000形と、1999(H11)年デビューのVVVF車2000形に統一され、吊り掛け駆動の車両は、2018(H30)年4月の運行を最後に引退した。
次回はデータ編です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
7日 大型クロマグロ漁獲枠 中西部太平洋で15%増加 正式合意
この事は、近年三崎港のマグロも観光資源にしている京急あたりには、何か良い影響が出るものですかね?
普通列車への依存度高まる JR東海在来線
アプト式鉄道 日本では27年ぶりの復活
アプト式鉄道 日本では27年ぶりの復活
夜行列車 相次いで廃止
静岡県を東西に貫く東海道本線は、日本を代表する鉄道の大幹線であるが、旅客輸送においては、東海道新幹線の開通以降、長距離輸送の比重は低下していった。
それでも平成が始まった時点では、東京~九州・山陽・山陰・四国・近畿地方を結ぶ寝台特急・急行が毎日10往復運行され、臨時列車の設定もあった。静岡県内でも熱海に全列車、沼津・富士・静岡・浜松に一部列車が停車していた。この他、東京~大垣間には夜行の普通列車が設定され、特に「青春18きっぷ」のシーズンには大勢の乗客がごった返し、夜行ながら途中駅からでは座席にありつけない事が、少なくなかった。
しかし、21世紀を迎える頃から、夜行列車は退潮の道をたどる。まず、1993(H5)年までには、寝台特急の食堂車が全列車休止となった。1994(H6)年12月に〔みずほ〕が廃止、1998(H10)年7月には、〔出雲〕1往復が〔サンライズ出雲〕に立て替えられ、〔瀬戸〕改め〔サンライズ瀬戸〕と併結される形となって削減されている。1999(H11)年には〔さくら〕と〔はやぶさ〕の併結運転開始、21世紀に入って、2005(H17)年には〔さくら〕〔あさかぜ〕が全廃、〔はやぶさ〕の併結相手は〔富士〕となって、寝台特急は〔サンライズ瀬戸・出雲〕を含めても2往復体制と、20年足らずで大幅な減少となった。国鉄時代末期には個室寝台・リニューアルされた食堂車の導入などのてこ入れも行われていたが、航空輸送や、高速化が進む新幹線に太刀打ち出来なくなったのである。
2006(H18)年には客車〔出雲〕、2008(H20)年には急行〔銀河〕、そして2009(H11)年には〔富士〕〔はやぶさ〕が廃止となり、これで東京を発着、静岡県を経由する「ブルートレイン」は、全て廃止となったのである。鉄道業界の時代の節目として、一般にも大きく取り上げられる事となった。
電車寝台特急の〔サンライズ瀬戸・出雲〕は、2016(H28)年3月の急行〔はまなす〕廃止以降、日本で唯一の定期夜行列車となった。個室中心ながら、「ノビノビ座席」の設定などエコノミー嗜好の乗客も取り込んでおり、時間帯の良さもあって、堅調に推移している。静岡県内では熱海・沼津・富士・静岡・浜松(下りのみ)停車している。
165系が使用されていた東京~大垣間の夜行普通列車は、1996(H8)年3月より、〔ふじかわ〕〔伊那路〕と共用の373系に置き換えられ、一部区間全車座席指定の快速〔ムーンライトながら〕となった。しかしこちらも21世紀に入ると、休暇シーズン以外の利用の減少が目立つようになり、定期列車は2009(H21)年3月廃止、シーズン中に設定されていた臨時列車のみの運行となった。その臨時列車も、平成の末期には運行期間が縮小されつつあり、存続が懸念されていた。
JR東海在来線 地域輸送が主体に
昼行列車では、伝統の愛称を受け継ぐ急行〔東海〕が、東京~静岡間2往復残されていた。また、身延線直通の急行〔富士川〕も、165系で運行されていた。1996(H8)年3月、これらの置き換えのための新特急車373系が導入され、同時に特急に格上げされた。〔富士川〕は〔ふじかわ〕と改称している。同時に飯田線の臨時急行も、定期特急〔伊那路〕に格上げされ、2往復に増発された。373系は東京~静岡間の普通列車への運用も見られた。しかし〔東海〕は2007(H19)年3月改正で廃止、新幹線開業前の準急時代から静岡県内を走り続けたその名は、55年で幕を下ろす事になった。
御殿場線には、小田急線から直通する急行(小田急線内は連絡急行)〔あさぎり〕が新宿~御殿場間で運行されており、小田急のロマンスカー3000形SE車が乗り入れていた。老朽化もあり、1991(H3)年3月には20000形RSEに置き換えられた。JR東海も371系も導入、相互乗り入れの形で特急に格上げ、同時に沼津まで延長された。沼津延伸は、小田急グループによる伊豆半島西海岸観光ルートの整備の意味もあり、沼津で接続する小田急系列の東海バスには、RSEと371系、両方のカラーが施された。しかし利用は伸びず、車両のハイデッカー構造のバリアフリー対応の問題もあって、2012(H24)年3月を持って沼津発着は廃止、再び御殿場発着に短縮、車両も小田急の60000形MSEに統一されている。RSE及び371系の一部車両は富士急行に譲渡された。〔あさぎり〕の名は、2018(H30)年に〔ふじさん〕と改められた。
この結果、静岡県内でJR東海が運営する在来線を走行する優等列車は、〔サンライズ〕の他は、373系の〔ふじかわ〕と〔伊那路〕、JR東日本の185系で運行され、伊豆箱根鉄道駿豆線に直通する〔踊り子〕、そして〔ふじさん〕のみとなった。快速の設定もほとんどなく、「ホームライナー」が東海道本線の一部区間で運行されているのみで、普通列車への依存度が極めて高い。なお、静岡より東側では東京直通列車が、民営化以降もJR東日本との相互直通の形態で多数残されていたが、21世紀に入り大幅に整理、2012(H24)年まで運行された373系の列車を除くと、JR東日本車両による沼津折り返しの9往復のみとなり、他は熱海で乗り換えの形態になった。
飯田線は、静岡県内区間を中心に乗降が極少の「秘境駅」が多く、近年では鉄道ファンの来訪が多くなっており、「秘境駅」のみに停車する臨時急行の運行も行われている。佐久間駅構内には1991(H3)年、「佐久間レールパーク」がオープン。飯田線などで活躍した旧型電車やELなど、国鉄時代の貴重な車両が多数展示されていたが、名古屋市の「リニア・鉄道館」オープンに先立ち、2009(H21)年11月1日に閉園、18年の歴史に幕を下ろしている。
東海道新幹線は、1992(H4)年運行開始の〔のぞみ〕は静岡県内の停車はなく、毎時1本静岡・浜松に、その他一部が熱海・三島に停車する〔ひかり〕が、今でも静岡県内の東海道新幹線、ひいてはJR東海の最優等列車であり続けている。
JR東日本が運営する伊東線は、国鉄時代より多数の観光特急が設定されていた。1990(H2)年、〔スーパービュー踊り子〕が運行を開始。専用車251系は観光需要に特化した、リゾートを連想させる仕様となった。ダブルデッカー車・ハイデッカー車で構成され、先頭車の展望席や、グループ客を意識したボックスシート、幼児向けのプレイルームなどを備え、歴代の伊豆特急の中で、最もハイグレードな列車となった。
この他にも各種臨時列車の運行が多数あり、近年では成田空港特急E259系を使用した〔マリンエクスプレス踊り子〕が設定されている。また、箱根~伊豆間を回遊する観光客の誘致を狙い、常磐線〔スーパーひたち〕用651系を改造した観光列車「伊豆クレイル」が、小田原~伊豆急下田間臨時快速として運行されている。2018(H30)年5月、JR東日本は、全車グリーン車の新型特急列車の運行を発表した。2020(R2)年3月の運行開始を予定している
普通列車は、伊豆急行との相互直通の形態を取っていたが、近年では朝夕に東海道線直通列車が設定されている他は、伊豆急行の車両によって運行されている。
県東部の私鉄 観光に通勤に
伊豆急行は、東急グループが伊豆半島東岸の観光開発のために建設した鉄道であり、開業当時から伊東線との相互直通運転を行い、東京からの優等列車を多数受け入れていた。海岸の展望を考慮した大胆なデザインとアコモデーションで話題を集めた「リゾート21」は最大で5編成となり、一時はトンネル区間で天井に星空を投影する「ロイヤルボックス」車両(グリーン車扱い)の連結もあった。東京直通の臨時特急〔リゾート踊り子〕に使用された事もある。
しかし、一般の利用者は減少傾向にあり、21世紀に入ると、開業時からの100系、発展形の1000系は相次いで廃止、元JRの113・115系を経て、2004(H16)年からは元東急から8000系の譲渡を受けている。セミクロスシートに改造された上、ワンマン運転対応となった。「リゾート21」も2編成が引退、1編成は「黒船電車」、1編成は「キンメ電車」に改装されている。最終の「アルファ・リゾート21」は2017(H29)年、観光列車「THE ROYAL EXPRESS」に改造された。横浜~伊豆急下田間で、募集旅行の列車で運行されている。
伊豆箱根鉄道駿豆線は、特急〔踊り子〕の直通の他、1991(H3)~1998(H10)年の間、新造車両7000系を使用し、座席指定車両を連結した快速列車が設定されていた。2018(H30)に開業120周年を迎え、記念として3000系1編成に、三島~沼津間で運行されていた軌道線の塗色を復刻している。近年はアニメ・ゲーム等とのタイアップが多い。
岳南鉄道は、かつての主力だった貨物輸送が2012(H24)年に全廃、路線廃止の意向が表明された事もあった。結局富士市の公的支援もあって存続が決定、2013(H25)年には岳南鉄道が設立した岳南電車に運営が移行した。富士急行のグループであり、2018(H30)年には、富士急行線から車両が移籍した。最近は「夜景遺産」に認定された工業地帯を夜間に走る「夜景電車」など、観光需要に活路を見いだそうとしている。
静岡鉄道静岡清水線は、並行するJR東海道本線の増発により速度面で見劣りするようになり、1996(H8)年には急行運転を取り止め、駅間距離の短さを生かして、沿線の需要をこまめに取り込む戦略に出た。1994(H6)年に導入した磁気カードは、地方私鉄では初のストアードフェアシステムとなった。2011(H23)年10月、新静岡駅の再開発により、ショッピングセンター「CENOVA」がオープン。同時に行われたダイヤ改正で、平日朝方のみ急行運転が復活している。2019(R元)年5月、前身の駿遠電気設立から100周年を迎え、記念事業の一つとして2016(H28)年には、43年ぶりの新形式・A3000形がデビューした。一編成毎にカラーが異なるマルチカラーとなる。
路線そのものが観光資源 大井川鐵道
SL列車の動態保存で知られている大井川鉄道だが、2000(H12)10月には大鉄技術サービスに合併され、同社は大井川鐵道と改称して、鉄道事業を引き継ぐ事になった。大井川本線のSL列車は、1996(H8)年より原則毎日最低1往復の運行に増強。2007(H19)年には日本・タイ修好120周年を記念して、C56 44号機がタイ国鉄時代の姿を再現して運行された。2014(H26)年より、「きかんしゃトーマス」を模した列車が運行されている。
一般の電車は南海や近鉄、京阪の特急車両などを購入し、旅客の誘致に努めた。しかし、沿線の人口は稀少で元々一般の利用が少ない上、SL列車も利用の減少があり、近年は普通電車の大幅な削減や、十和田観光電鉄からの単行運転が可能な元東急車の購入など、運営コストの削減を迫られている。
井川線は、長島ダムの建設に伴い、1990(H2)年10月に一部区間でルートを変更、新ルート上のアプトいちしろ~長島ダム間には90‰の急勾配が存在するため、車両の歯車と、線路間のラックレールをかみ合わせるアプト式を採用した。旧信越本線碓氷峠区間の旧ルートが1963(S38)年に廃止になって以来、日本では27年ぶりの復活となった。同区間は電化され、アプト区間専用の補機ED90型が導入されている。同時に井川線には「南アルプスあぷとライン」の愛称が付き、アプト式鉄道そのものを観光資源として売り出している。大井川本線・井川線とも、近年は頻発する自然災害により、たびたび長期の不通の発生に悩まされるようになった。大井川本線では2003(H15)年8月~2004(H16)年3月にかけ、金谷~福用間が7ヶ月の間不通になり、復旧工事の過程で、五和~神尾間に横岡(仮)駅が、全線再開まで設置された。最近では井川線・閑蔵~井川間が、2018(H30)年7月~2019(H31)年3月の10ヶ月にわたり不通となっている。
天竜浜名湖鉄道は、平成の世になって間もない1989(H元)年3月、全線の特殊自動閉塞化が完了し、タブレットが姿を消した。1996(H8)年3月改正では、2往復の快速列車が設定されたが、3年後には1往復に削減され、2001(H13)年3月改正で廃止された。2000(H12)年3月からは、遠州森~三ヶ日間でトロッコ列車〔そよかぜ〕が運行されたが、こちらも7年後には廃止になっている。沿線には駅舎など、開業当時の面影を残す施設が数多く残されており、2011(H23)年1月までに合計36施設が、国の有形登録文化財に指定された。天竜二俣駅構内の転車台や扇形車庫では、見学ツアーも催行されている。沿線が大河ドラマの舞台となった2017(H29)年は、臨時快速の運転などで賑わった。
遠州鉄道が2004(H16)年に導入したICカード「nice-pass」は、日本で初めて、鉄道・バスの相互利用を可能としたICカードとなった。浜松市中心部の連続立体交差化が進められ、第2期工事は2012(H24)年11月までに、事業区間が全て完成した。車両は1000形と、1999(H11)年デビューのVVVF車2000形に統一され、吊り掛け駆動の車両は、2018(H30)年4月の運行を最後に引退した。
次回はデータ編です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
7日 大型クロマグロ漁獲枠 中西部太平洋で15%増加 正式合意
この事は、近年三崎港のマグロも観光資源にしている京急あたりには、何か良い影響が出るものですかね?
№2428 バスマガジンvol.110 (講談社ビーシー/講談社)
「バスマガジンvol.110」、取り上げるのが少々遅くなってしまいました(しかも本当は昨日アップするはずが、一日遅れ)。
表紙は京成のブルーリボンハイブリッド連節バス。№2318で書いたとおり、何一つ予備知識がないまま海浜幕張駅に降り立ったら、いきなり乗務員の訓練で現れたので、ビックリしたものでした。
おじゃまします!バス会社潜入レポート Vol.110 京成バス
京成バスは、2007(H19)年3月刊行のVol.23で取り上げられていて、今回2回目。この14年間で、特に船橋から千葉市北部にかけてが様変わりして、船橋〔営〕がなくなり、新都心〔営〕・新習志野高速〔営〕が開設されています。海浜幕張を中心とした京葉線沿線の開発が進んだ事、船橋市内の路線が京成バスシステムにほぼ全面的に移管された事があるでしょう。奥戸〔営〕は高速専門になっていたところ、コミュニティバスを受託して、一般路線車が再配置されている。また本社が電鉄と同じく、押上から市川市に移転になっています。
「8つのグループ会社」は、全て元京成電鉄のバス部門で、だから範囲が極めて広い。京成の電車とはあまり関係がなさそうな成東にまで、「京成」の路線が広がっていた事になる。今でも松戸〔営〕は、京成電鉄からは遠い、JR常磐線より北側(東武の江戸川台駅)まで路線が延びているし、埼玉県の八潮市や三郷市にも乗り入れがある。この辺、歴史をもっと研究すれば面白そう。
何度か書いているが、分社や、あるいはこの後出てくる京成グループの関連事業者のすみわけ・役割分担がはっきりしていて、各社の独立色が極めて高いというのが、京成バスのグループの特色だと思う。京成バスから子会社・分社への委託が一切なく、一時の他事業者で多く見られたような、「車体には京成バスと書かれているが、ドライバーは分社の社員」みたいな事は、京成バスでは一切ない。
成田空港の現状は、写真を見るだけでも寒々とする。特に成田は国際線への依存度が極めて高いので、しばらくはこのような状況が続いてしまうのだろう。一方で早速、東京駅~柏・流山路線の写真もあるが、TX開通前は東京駅~江戸川台駅路線が運行されていたものだが(JR関東・東武2社の運行)、この路線はどのような利用状況になっているのだろうか。
車両面では、「シャトル☆セブン」用のBRCハイブリッドの置き換えがずいぶん早かったように思うのだが、どうしてだろう。また、代替車両は普通のディーゼルバスになったが、ハイブリッドの選択肢はなかったのか?高速バスは、アストロメガの導入が未だに1台のみで、本当はもっと高需要の、東京~鹿島神宮路線あたりは効果が高いと思うのだが、どうだろう?(今は減便までやっているので、追加導入する状況でもないだろうが)
ところで、「ファイターズタウン鎌ヶ谷」の写真、古くありません?陽 岱鋼は2017(H29)年に巨人に移籍している(先日自由契約になった)。マリーンズラッピングの車両の画像が数点あったが、京成バスは千葉ロッテ・北海道日本ハム、どちらを応援すれば良いのやら?
バス作りの新勢力から
オノエンスターのEV9.0。個人的にはEVというより、「9mクラスのノンステップ車」という所に注目します。日本では20世紀の終わりくらいまで、各社でディーゼルエンジンの9mクラスが作られていたが、ノンステップ化はされなかった。電力供給事情さえクリアできれば、導入に手を挙げる事業者は、いるのではないだろうか。第一号はどこになる?
帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.42 千葉県 Part 2
Part2は、基本的には千葉市から延びる、JR総武本線・成田線沿線より南側、となろうか?(山万は少し違うが)。
テキストにある通り、資本の大小、直接・間接の違いはあっても、京成の息がかかった事業者がほとんど、というのが特色だろうか。孫会社というのもあるし、京成グループのタクシー会社のバスもある。
このエリアで前回(Vol.108・109)と比較すると、日東交通が再び一社体制になり、都自動車が廃業(路線はこの後HMC東京に引き継がれるが短期間で終わり、現在は小湊鐵道が運行)、代わって山万となの花交通が参入している、という事だろうか。なの花交通は佐倉市のコミュニティバスも1コース運行している。
特に内房地域は、アクアラインと、館山自動車道の開通は極めて大きかったと言える。JRにとっては〔さざなみ〕が実質ライナー化するなど痛手だったが、バス事業者にとっては、プラス面が大きかっただろうと思われる。あとは、この効果が一般の路線バスにまで波及されるか、というのが課題ではないでしょうか。
ここでは取り上げられていなかったが、北総鉄道沿線の鎌ヶ谷観光バスが、「生活バスちばにう」の愛称で、千葉ニュータウン~新鎌ヶ谷駅間の直行バスを運行しています。北総鉄道の運賃問題と絡んで一般でも大きく取り上げられてきた事もあるのだが(だから出して欲しかったのだが)、北総鉄道は来年10月、運賃の値下げを行うと発表しています。どう影響するか。
この他、銚子に関東鉄道、布佐に大利根交通、佐原に桜東バス(晃進物流)のバスが入って来るが、いずれもなかった。皆、茨城県の資本だからか(大利根は本数も極めて少ないし)。
鈴木 文彦が斬る!バスのいま 第36回
再び、コロナ禍にあえぐバス業界。新型コロナウィルスに限らず、ウィルスの感染(特に空気感染)が、市井の人々の、ごく普通の日常の暮らしとダイレクトに連動して起こるものである以上、バスに限らず、交通はどうしても弱い。これが、自然災害や戦争などと、根本的に異なる部分だ。
長電バスの例が記されているが、一般の路線バスで2018年度比の67.6%とは、1/3の減少になる。一部バス路線が間引きになった事は、この前実際にバス停の時刻表を見て、当ブログでも書いたが、この数字を見たら、そうなるだろうなあと思ってしまう。他社・他地域でもそうだが、客足が戻る事がもうない(という分析)なら、単なる間引きでなく、この機にいっそ、(業界全体で)全面的な路線・ダイヤの再編成という所まで行くべきだろうと、最近は考えるようになりました。無論、利用者の不便が必要以上に増大してもいけないので、運賃などの制度面の改革もセットで行われる必要があるが。運賃というと、「PASMOの『バス特』が大半の事業者で中止となったが(今日現在では関東鉄道(分社含む)と関越交通が継続)、利用者の苦情はほとんどない」というのは、多少意外とも思った。紙の回数券や、磁気券のバスカードの代替で導入されたはずなので、運賃値上げと捉えられるのではないかと、心配がありました。今年に入って、実際に運賃の値上げが各地で見られるようになったので、こちらの方が問題になるかも知れない(特定の区間、というのが大半)。
このテキストは当然、「オミクロン株」出現を反映していない。最後には、「感染対策を徹底した上で、人を動かし、経済を回す方向に進むべきだ」と締められており、私もそうだと思うが、「オミクロン株」の存在が、何としても心配の種。昨日の時点で日本の感染者数は全体で115人、去年の今頃とか、今年の夏場を思い返すと信じがたい数字だが、他国の状況を見ると、逆に不気味。群馬県ではクラスターが発生したと聞いているし(オミクロン株ではなさそうだが)、バス業界・交通業界には辛い日々が続くが、もう少し辛抱しなければ、ならないのでしょうか。事業者だけでなく、行政・国家の支援が必要だと思う(財政面の支援だけでなく、環境やエネルギー問題の観点からも、公共交通への転移を促す政策が必要。これもまた、今は難しいのだろうが)。
終点の情景を求めて
丹後海陸交通の亀山。といっても丹海バスが受託する、伊根町コミュニティバスになるが、ただし土休日・お盆・年末年始は運休(今年の最終運行は12月29日)。この亀島日出線は、そんなに距離はなさそうで、元気な人なら歩いてもそんなにかからんだろうと思うが、やはり高齢者などの弱者を対象としているのだろう。亀山は亀島という地域にあるが、なぜ亀山を名乗るのだろうか。やや混乱する。海の向こうには青島があり、神社はあるようだが、無人島でアクセスはなさそうだ。それにしても伊根の集落は、今の日本ではなかなか見られないよなあ、という感じで魅力的です。天橋立から足を延ばす観光客が、日本の原風景を求めて訪れるのだろうか。
「よんさんとお」の頃には、伊根や経ヶ崎へのバス路線は開通していなかったようです。伊根亀島へは宮津から船便が日に3往復、1時間30分かかったらしい。
平成初期のバスを振り返る
那覇交通(現那覇バス)。「730」のいすゞモノコックがあり、私も乗った事はあったが、今は現存しない。沖縄バス・東洋バスが「730」車を動態保存して人気になっているから、内心「しまった…」と思っているのではないかと思うのだが、どうだろう?経営再建の過程の混乱は、私も私鉄在職時代に見聞きしていて(労働組合の幹部だった同僚からも聞かされていた)、一時ドライバー不足(辞めてしまった人が多くなったから)で減便、とか言う事もあったそう。コロナ禍が落ち着いたらまた、沖縄も行ってみたいなあとは思うが、いつになるやら。
次号、全方位レポートは鳥取県、ですか。鳥取県というと、基本的には日ノ丸自動車と日本交通が分け合っていて、一時は大変な対立関係にあったとも聞くが(雪解けに向かうきっかけになったのが、前号まで短期連載されていた夜行高速バス〔キャメル〕だった)、ちょうど私は先月鳥取県に行って、両社のバスにも乗ってきたところです。どんな状況になっているのか。今号では掲載がなかった「移籍バスの行方の追跡」は、次号は神奈中バスが増ページだそう。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
5日 プロ野球選手会 年棒事前交渉巡りロッテに抗議文
6日 キリンHD ミャンマー合弁事業 第三者機関に仲裁申し立て
表紙は京成のブルーリボンハイブリッド連節バス。№2318で書いたとおり、何一つ予備知識がないまま海浜幕張駅に降り立ったら、いきなり乗務員の訓練で現れたので、ビックリしたものでした。
おじゃまします!バス会社潜入レポート Vol.110 京成バス
京成バスは、2007(H19)年3月刊行のVol.23で取り上げられていて、今回2回目。この14年間で、特に船橋から千葉市北部にかけてが様変わりして、船橋〔営〕がなくなり、新都心〔営〕・新習志野高速〔営〕が開設されています。海浜幕張を中心とした京葉線沿線の開発が進んだ事、船橋市内の路線が京成バスシステムにほぼ全面的に移管された事があるでしょう。奥戸〔営〕は高速専門になっていたところ、コミュニティバスを受託して、一般路線車が再配置されている。また本社が電鉄と同じく、押上から市川市に移転になっています。
「8つのグループ会社」は、全て元京成電鉄のバス部門で、だから範囲が極めて広い。京成の電車とはあまり関係がなさそうな成東にまで、「京成」の路線が広がっていた事になる。今でも松戸〔営〕は、京成電鉄からは遠い、JR常磐線より北側(東武の江戸川台駅)まで路線が延びているし、埼玉県の八潮市や三郷市にも乗り入れがある。この辺、歴史をもっと研究すれば面白そう。
何度か書いているが、分社や、あるいはこの後出てくる京成グループの関連事業者のすみわけ・役割分担がはっきりしていて、各社の独立色が極めて高いというのが、京成バスのグループの特色だと思う。京成バスから子会社・分社への委託が一切なく、一時の他事業者で多く見られたような、「車体には京成バスと書かれているが、ドライバーは分社の社員」みたいな事は、京成バスでは一切ない。
成田空港の現状は、写真を見るだけでも寒々とする。特に成田は国際線への依存度が極めて高いので、しばらくはこのような状況が続いてしまうのだろう。一方で早速、東京駅~柏・流山路線の写真もあるが、TX開通前は東京駅~江戸川台駅路線が運行されていたものだが(JR関東・東武2社の運行)、この路線はどのような利用状況になっているのだろうか。
車両面では、「シャトル☆セブン」用のBRCハイブリッドの置き換えがずいぶん早かったように思うのだが、どうしてだろう。また、代替車両は普通のディーゼルバスになったが、ハイブリッドの選択肢はなかったのか?高速バスは、アストロメガの導入が未だに1台のみで、本当はもっと高需要の、東京~鹿島神宮路線あたりは効果が高いと思うのだが、どうだろう?(今は減便までやっているので、追加導入する状況でもないだろうが)
ところで、「ファイターズタウン鎌ヶ谷」の写真、古くありません?陽 岱鋼は2017(H29)年に巨人に移籍している(先日自由契約になった)。マリーンズラッピングの車両の画像が数点あったが、京成バスは千葉ロッテ・北海道日本ハム、どちらを応援すれば良いのやら?
バス作りの新勢力から
オノエンスターのEV9.0。個人的にはEVというより、「9mクラスのノンステップ車」という所に注目します。日本では20世紀の終わりくらいまで、各社でディーゼルエンジンの9mクラスが作られていたが、ノンステップ化はされなかった。電力供給事情さえクリアできれば、導入に手を挙げる事業者は、いるのではないだろうか。第一号はどこになる?
帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.42 千葉県 Part 2
Part2は、基本的には千葉市から延びる、JR総武本線・成田線沿線より南側、となろうか?(山万は少し違うが)。
テキストにある通り、資本の大小、直接・間接の違いはあっても、京成の息がかかった事業者がほとんど、というのが特色だろうか。孫会社というのもあるし、京成グループのタクシー会社のバスもある。
このエリアで前回(Vol.108・109)と比較すると、日東交通が再び一社体制になり、都自動車が廃業(路線はこの後HMC東京に引き継がれるが短期間で終わり、現在は小湊鐵道が運行)、代わって山万となの花交通が参入している、という事だろうか。なの花交通は佐倉市のコミュニティバスも1コース運行している。
特に内房地域は、アクアラインと、館山自動車道の開通は極めて大きかったと言える。JRにとっては〔さざなみ〕が実質ライナー化するなど痛手だったが、バス事業者にとっては、プラス面が大きかっただろうと思われる。あとは、この効果が一般の路線バスにまで波及されるか、というのが課題ではないでしょうか。
ここでは取り上げられていなかったが、北総鉄道沿線の鎌ヶ谷観光バスが、「生活バスちばにう」の愛称で、千葉ニュータウン~新鎌ヶ谷駅間の直行バスを運行しています。北総鉄道の運賃問題と絡んで一般でも大きく取り上げられてきた事もあるのだが(だから出して欲しかったのだが)、北総鉄道は来年10月、運賃の値下げを行うと発表しています。どう影響するか。
この他、銚子に関東鉄道、布佐に大利根交通、佐原に桜東バス(晃進物流)のバスが入って来るが、いずれもなかった。皆、茨城県の資本だからか(大利根は本数も極めて少ないし)。
鈴木 文彦が斬る!バスのいま 第36回
再び、コロナ禍にあえぐバス業界。新型コロナウィルスに限らず、ウィルスの感染(特に空気感染)が、市井の人々の、ごく普通の日常の暮らしとダイレクトに連動して起こるものである以上、バスに限らず、交通はどうしても弱い。これが、自然災害や戦争などと、根本的に異なる部分だ。
長電バスの例が記されているが、一般の路線バスで2018年度比の67.6%とは、1/3の減少になる。一部バス路線が間引きになった事は、この前実際にバス停の時刻表を見て、当ブログでも書いたが、この数字を見たら、そうなるだろうなあと思ってしまう。他社・他地域でもそうだが、客足が戻る事がもうない(という分析)なら、単なる間引きでなく、この機にいっそ、(業界全体で)全面的な路線・ダイヤの再編成という所まで行くべきだろうと、最近は考えるようになりました。無論、利用者の不便が必要以上に増大してもいけないので、運賃などの制度面の改革もセットで行われる必要があるが。運賃というと、「PASMOの『バス特』が大半の事業者で中止となったが(今日現在では関東鉄道(分社含む)と関越交通が継続)、利用者の苦情はほとんどない」というのは、多少意外とも思った。紙の回数券や、磁気券のバスカードの代替で導入されたはずなので、運賃値上げと捉えられるのではないかと、心配がありました。今年に入って、実際に運賃の値上げが各地で見られるようになったので、こちらの方が問題になるかも知れない(特定の区間、というのが大半)。
このテキストは当然、「オミクロン株」出現を反映していない。最後には、「感染対策を徹底した上で、人を動かし、経済を回す方向に進むべきだ」と締められており、私もそうだと思うが、「オミクロン株」の存在が、何としても心配の種。昨日の時点で日本の感染者数は全体で115人、去年の今頃とか、今年の夏場を思い返すと信じがたい数字だが、他国の状況を見ると、逆に不気味。群馬県ではクラスターが発生したと聞いているし(オミクロン株ではなさそうだが)、バス業界・交通業界には辛い日々が続くが、もう少し辛抱しなければ、ならないのでしょうか。事業者だけでなく、行政・国家の支援が必要だと思う(財政面の支援だけでなく、環境やエネルギー問題の観点からも、公共交通への転移を促す政策が必要。これもまた、今は難しいのだろうが)。
終点の情景を求めて
丹後海陸交通の亀山。といっても丹海バスが受託する、伊根町コミュニティバスになるが、ただし土休日・お盆・年末年始は運休(今年の最終運行は12月29日)。この亀島日出線は、そんなに距離はなさそうで、元気な人なら歩いてもそんなにかからんだろうと思うが、やはり高齢者などの弱者を対象としているのだろう。亀山は亀島という地域にあるが、なぜ亀山を名乗るのだろうか。やや混乱する。海の向こうには青島があり、神社はあるようだが、無人島でアクセスはなさそうだ。それにしても伊根の集落は、今の日本ではなかなか見られないよなあ、という感じで魅力的です。天橋立から足を延ばす観光客が、日本の原風景を求めて訪れるのだろうか。
「よんさんとお」の頃には、伊根や経ヶ崎へのバス路線は開通していなかったようです。伊根亀島へは宮津から船便が日に3往復、1時間30分かかったらしい。
平成初期のバスを振り返る
那覇交通(現那覇バス)。「730」のいすゞモノコックがあり、私も乗った事はあったが、今は現存しない。沖縄バス・東洋バスが「730」車を動態保存して人気になっているから、内心「しまった…」と思っているのではないかと思うのだが、どうだろう?経営再建の過程の混乱は、私も私鉄在職時代に見聞きしていて(労働組合の幹部だった同僚からも聞かされていた)、一時ドライバー不足(辞めてしまった人が多くなったから)で減便、とか言う事もあったそう。コロナ禍が落ち着いたらまた、沖縄も行ってみたいなあとは思うが、いつになるやら。
次号、全方位レポートは鳥取県、ですか。鳥取県というと、基本的には日ノ丸自動車と日本交通が分け合っていて、一時は大変な対立関係にあったとも聞くが(雪解けに向かうきっかけになったのが、前号まで短期連載されていた夜行高速バス〔キャメル〕だった)、ちょうど私は先月鳥取県に行って、両社のバスにも乗ってきたところです。どんな状況になっているのか。今号では掲載がなかった「移籍バスの行方の追跡」は、次号は神奈中バスが増ページだそう。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
5日 プロ野球選手会 年棒事前交渉巡りロッテに抗議文
6日 キリンHD ミャンマー合弁事業 第三者機関に仲裁申し立て