№2407 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 阪急電鉄・3 京都線
ひと昔、ふた昔前の阪急の駅、最終回は京都線です。
京都線は、阪急の主要3路線の中で、最も華やかな路線と言えます。40㎞以上あり、目的地に観光資源が数多くある京都を控えている事もあって、それこそ戦争前から高速電車が多数走り、国鉄→JR西日本、京阪と三つ巴の競争を繰り広げていました。関西の鉄道の特徴を最も体現している区間と言えます。全車クロスシートの編成が導入されているのも、阪急では京都線だけです。建築限界の微妙な違いから、神戸線・宝塚線(以下神宝線)とは、基本的には同型でも、寸法が若干異なる形式が配置されるのも、京都線の特徴です。生い立ちの違いもあるでしょう。
京都本線は本来、京都→大阪方向が下りだが、神宝線に合わせて、大阪→京都の順に並べます。撮影はやはり、一部例外を除いて、1995(H7)年です。
京都本線 十三~河原町
京都本線は正確には、梅田~十三間は宝塚線の線路増設という形で、終点は十三になります。一般の人はほとんど意識しないでしょう。
一番上の画像は、梅田駅の1~3号線、京都線の乗り場になります。
京都線の発車案内表示。
京都線は、平成が始まった頃の日中は特急・急行・普通・千里線直通が15分サイクルで回っていたものが、撮影時点では平日のみ、20分サイクルで特急1:急行2:普通2:千里線直通1のダイヤになっていました。この頃から、京都線のダイヤ形態が大きく変わりつつありました。当時の特急は十三~大宮間ノンストップで、隔世の感があります。
中津は、京都本線は通過。十三は神戸本線で出しました。
南方 みなみかた
地下鉄御堂筋線西中島南方駅に隣接。
崇禅寺 そうぜんじ
淡路 あわじ
京都本線と千里線が平面で交差する駅で、どちらも本数が多いものだから、ダイヤ編成・運行はタイトなはず。現在連続立体交差工事が進んでいて、その時点で上下が分離される事になるが、あと何年かかるのか。
上新庄 かみしんじょう
相川 あいかわ
2面4線の退避駅。
ここと正雀の間、南側に地下鉄堺筋線の南吹田検車場があります。東京の竹ノ塚や鷺沼同様、直通先の他社の沿線にある、飛び地という形です。上下線間の渡り線はなく、正雀方向からの入庫、相川方向への出庫しかできません。
正雀 しょうじゃく
阪急の検車区と工場があり、神宝線車両の入場もあります。2面4線の退避駅。
今はここと南茨木の間に、摂津市駅が開業しています。
南茨木 みなみいばらき
大阪モノレールの接続駅。
茨木市 いばらきし
高架化したばかりでした。2面4線の退避駅。
総持寺 そうじじ
富田 とんだ
京都方面のみ、通過線があります。次の高槻市が高架化工事で待避線が使えなくなっていたため、その代替だった、という話だが、完成後も現在に至るまで使用されています。
高槻市 たかつきし
まず、1991(H3)年に撮影した、高架化工事真っただ中の頃です。
そして高架化完成後。2面4線で、雰囲気は茨木市に近くなりました。
上牧 かんまき
上牧から大山崎にかけては、東海道新幹線と並走します。新幹線開業直前、一時阪急が新幹線の線路を利用して運行を継続していたという逸話もありました。
水無瀬 みなせ
大山崎 おおやまざき
今はここと長岡天神の間に、西山天王山駅が開業しています。
長岡天神 ながおかてんじん
2面4線の退避駅。
西向日 にしむこう
東向日 ひがしむこう
今はここと桂の間に、洛西口駅が開業しています。京都本線は撮影以降、平成の間に駅が3つ開業しました。
桂 かつら
嵐山線分岐駅。京都本線では2面4線の退避駅。検車区があります。
西京極 にしきょうごく
西京極球場(わかさスタジアム京都)の最寄り駅。たまにプロ野球の試合が行われる事もあったが、今は女子プロ野球リーグや、アマチュアの試合が行われているようです。
この先から地下線に入ります。
西院 さいいん
以下、京都市中心部各駅の入り口、「〇〇方面行」の文字が、本当に関西していると感じる。なお、近くにある京福電気鉄道の同名の駅は「さい」と読みます。
大宮 おおみや
烏丸 からすま
地下鉄烏丸線との接続駅(地下鉄は四条)。
河原町 かわらまち
ホームは地下だが、阪急百貨店も立つ、京都のターミナルです。
現在は改称して、京都河原町。
1・3号線の他、欠き取り式の2号線ホームがあります。京阪の淀屋橋・中之島と形態が近いが、2号線は現在は、「京とれいん」「京とれいん雅洛」のみ使用の模様。
千里線 天神橋筋六丁目~北千里
千里線も本来、下りは北千里→天神橋筋六丁目になるが、京都本線と合わせます。
天神橋筋六丁目 てんじんばしすじろくちょうめ
地下鉄堺筋線との共同使用駅で、大阪市交通局(今はOsaka Metro)に委託しています。
柴島 くにじま
下新庄 しもしんじょう
吹田 すいた
豊津 とよつ
関大前 かんだいまえ
千里山 せんりやま
南千里 みなみせんり
山田 やまだ
大阪モノレール接続駅。
北千里 きたせんり
相対式ホームで、上下線ともさらに引き上げ線が延びていました。
嵐山線 桂~嵐山
上桂 かみかつら
松尾 まつお
嵐山 あらしやま
これで、当時の阪急の駅(88駅)は全て出しました。阪神大震災の爪痕は特に兵庫県ではっきり残っていたが、それでも懸命に立ち直ろうとする姿が、見て取れました。
阪急に代表される関西と、関東の鉄道のそれぞれの気質の違いというのはいつでも鉄道趣味の中では話題の種に、時には論争の基にもなったりするのだが、それぞれの都市・地域の成り立ちや特性、輸送量や必要な輸送形態を反映するものなので、単純な「良い・悪い」「レベルの高い・低い」というランク分けは、できないと思っています。ただ、私自身が阪急の駅を撮り歩いて、ここは関東もやって欲しい、やるべきだと感じたのは、①ハード面では、柔軟なダイヤ編成を可能にする、余裕のある線路容量(前述の北千里の引き上げ線は典型)、②ソフト面では、改札口で、カウンター形式で改札の駅員が直接旅客と接する事が出来る「有人ブース」の存在。この2点でしょうか。②はこの後関東でも徐々に広がっていくが、①は、後の京急の羽田空港(現第1・第2ターミナル駅)もこうだったら、と思うんですよ…。
阪急というと、やはり関西の私鉄の中でもリーダー中のリーダーで、輸送量も多いし(たぶん関西5社では、輸送密度は一番高いと思う)、やはり京都・神戸・宝塚のイメージから、華も感じられる鉄道だと思います。それは、駅の姿からも感じられると思いました。この先も四半世紀の間で、駅の姿が大きく変わっていきます(特に立体化が進んだ宝塚線)。コロナ禍の打撃は阪急も例外ではなく、「京とれいん」の運休もあったりするし、今後の輸送動向には多少の懸念もあるが、阪急の力なら耐えきって、また華やかな姿を見せてくれるでしょう。そんな阪急の新しい駅の姿を、もう一度訪ねて、見てみたいと思っています。西山天王山駅に、まだ降りていなんですよねえ…。
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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
20日 阿蘇山で噴火発生 噴火警戒レベル3に引き上げ
(米FDA モデルナ・J&J製新型コロナワクチンの追加接種許可)
21日 韓国 初の国産衛星「ヌリ号」打ち上げ
(塩野義製薬 国産ワクチン臨床実験開始を発表)
軽井沢のスキーバス事故の公判が始まりました。当事者ではない私にはとりあえずどうのこうのいう資格はなく、まずは裁判の行方を見守る以外ないと思っています。実は去年、一度コロナ禍が落ち着いた7月、横川→軽井沢間のJRバス関東便に乗る機会があったが、峠を越え、県境を過ぎた先に、事故の慰霊碑が建てられているのを見ました。風化は許さない、という意思が反映しているかのような、大きな慰霊碑でした。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。バスの惨事は、少なくとも日本では、これっきりで終わってもらいたい。