「バスマガジンvol.109」、予定通りの刊行だったが、こちらが先週出かけていたので、取り上げるのが少々遅くなってしまいました。
表紙は、入ったばかりらしい、最新のブルーリボン。
おじゃまします!バス会社潜入レポート Vol.109 長電バス
長野は7月半ば、神奈川県独自の「緊急事態宣言」が出される前に行ってきて、時間は短かったけれど、長電バスの写真も少し撮ってきました。2年前の2019(R元)年にも行って、飯綱のバスも見てきています。飯綱町のデマンドバスの写真もありますね…。
一般路線や高速バスの車両は、日野と三菱ふそうが拮抗していた感があり、ごくわずかに高速車で日産ディーゼル車があったが、今は中古導入ながらいすゞが入っている。FHIボディが長野にあるそうだが、見る、撮る機会がなかったのは、残念でした。
7月に出かけた時にも書いたのだけれど、長電バスもご多分に漏れずこの所は減便が相次いでいるようで、長野駅発着路線でも減便(間引き)が行われているのは残念。コロナ禍という事もあるが、親会社の長野電鉄の電車も、近年急速に本数を減らしてきていて、懸念材料だと思う。事業者側だけでなく、自治体や利用者も、もっと積極的に長電グループ(に限らず、アルピコのバスやしなの鉄道、JRもだが)の活用を考えて欲しい。長野に限った事ではないが。あと、今の所はICカードという話はないようだが、導入するなら他事業者と共通利用できるものを望みたい。
東京線60周年復刻色は、それこそ長野~東京間の高速バス車両に施しても、良かったのではないか?(東急バスが何というかだが)
バス作りの新勢力から 1965年のUSAから コンニチワ!!
「スピード」は見た事がないが、外国のクラシックバスを見る事が出来るのは嬉しい。特にアメリカのバスは、日本のバス趣味界では、意外に取り上げられる機会が少ないように思えるので。20年前にはLA、6年前にはNYとボストン、2年前にはハワイの一般路線バスに乗る機会を得られたが、徹底的な「クルマ社会」と言われるアメリカでも、市内バスに関しては存在感もあり、もっといろいろな面から取り上げて欲しいと思う。ホノルルはハイウェイの渋滞に引っかかったりして多少大変ではあったが。
日本の感覚では、一昔前まで地方路線で見られた、観光タイプ車両にドアを増設した一般路線転用車、なのか?と思うが、最初からこのスタイルで作られたらしい。引き違い窓が平行四辺形なのは日本でも見られてレトロ感を醸し出すが、非公式側、中ドアの反対側の、幅の狭い窓の傾きが逆なのは、なぜだろう?
窓部のヒモを引いて降車を知らせる、のはホノルルでもそうだったし、アメリカは東も西も、ハワイもアラスカ(行った事はないが)も、どこもそうなのだろうか?運転は相当きついらしい。近年はアメリカでも女性ドライバーが少なくないようだが、この車両の当時は、男でないと、そもそも肉体的に無理だったのかなあ、と思われます。
移籍バスの行方を追跡
第6回は神戸市営バス。ツーステップの時代は前後ドアがほとんどで、その点を買って購入した事業者が、少なくなかったように思えます。伊豆箱根バスなんて意外だ。これもその口なのか。といって長距離路線には使われず、三島・沼津などの短距離の市内バス運用だけだったように見えるが。
帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.41 千葉県 Part 1
前回は2008(H16)年11月刊行のvoL.32で取り上げられていました。当時も千葉県は2回に分分けられていて、今回も2回に分かれるが、13年前とは分け方が異なっていて、千葉市内と、千葉市の北西部、東京都に東京都に隣接するエリアになっています。従って、比較的新しい車両の画像が多い。
13年前と比較すると、習志野新京成バスは、松戸新京成バスと合併し、同社の習志野営業所となっている。ただし、カラーは習志野オリジナルで、松戸も含めて、営業所間の車両の移動が起きた時には、問題になったりはしないのだろうか?また、タクシー会社だった市川自動車交通(市川ラインバス)が京成バスの一部路線を引き継いでいたが、現在は京成トランジットバスに譲渡しているという違いがあります。それ以外は、基本的に変化がない(13年前は同時に取り上げられていたちばレインボー・ちばグリーン・ちばフラワー・阪東自動車は次回か。逆に13年前は千葉シーサイドとは別だった東洋バスが今回取り上げられ、モノクロページには車両一覧が掲載されている(嬉しいけれど、シーサイドバスがないのは残念))。
県の代表駅は千葉だが、乗降客数は船橋の方が多い、というのはトリビアかも知れない。JR東日本の2020(R2)年度乗車人員は、船橋が103,879人で17位、対して千葉は81,445人で30位(どちらも前年度比で1/4も減少しているが)。船橋は東武アーバンパークライン(野田線)接続の上、京成線からの流入が多い事があるかも知れない。
(ちなみに、千葉県では西船橋が一番多くて、103,947人で16位。ただし、武蔵野線・京葉線の存在もあるが、メトロ東西線への乗り換えが多いのではないか)
京成バスは、TDRに入る「環7シャトル」の画像があったら、良かったかも。あとは京成タウンバスが市川駅に入るが、これも画像がない。分社ではあるが、東京の資本という位置づけなのか。
特集 いまの電気バスの様子について考えてみよう
やはり何度も書いてきた事の繰り返しになるが、そもそも路上交通、バスだけでなくトラックもタクシーも、マイカーまで全部内燃を止めてEVにするんだとしたら、電力の供給は大丈夫なのか?という懸念は消えない。まして化石燃料も原子力もNO!というのなら、なおさら。バスを中心とした公共交通に優先的に配分される仕組みが欲しい。
ドライバーのフィーリングとか、バスファンが現行のディーゼルバスから受ける「個性」をEVに見いだせるのか、という部分は、これはもう時の流れと割り切り、受け入れる以外ないと思う。鉄道の世界だって、SLからディーゼル、電気運転と移り変わる中で、フィーリングの変化を受け入れてきているはずだから。環境的にも、静かな方が一般には歓迎なはず。どこまで現行のディーゼルバスに近い、そして全く同じ運用ができるようになるか、見届ける方が健全だと思う。
短期集中連載 キャメル号 33年の変遷
3号車以降の続行便車両に注目すると、他社・他路線では、初期には貸切バスで、高速バス続行便への運用をある程度想定した仕様(特にトイレ)の車両を導入した事業者もいくつか見られたが(相鉄など)、〔キャメル〕に関しては、京急バスのスーパーエアロⅡがそれに相当するのだろうか。日の丸・日交にはなかったようだが、別に高速・長距離バス路線があったので、そこから転用するケースが多かったようだ。
私が所有する、キャメルカラーの京浜急行バスのトミカです。エアロバスだが、H2345という番号は、実在しない(そもそも千の位が2は、京急ではいすゞだ)。京急バスのカラーについても触れられているが、このカラーは後に夜行高速だけでなく、狭隘路線向けの小型車(リエッセやポンチョなど)にも採用されています。今後はこのカラーが受け継ぐと思われる、のだが、最近はポンチョでも一般京急路線バスカラー車があるので、継続されるか、少々不安も。
加西SAで休憩する京急バスのセレガの写真があるが、このすぐ後からの〔キャメル〕の展開を思うと、少々悲しくも思えました。
鈴木 文彦が斬る!バスのいま 第35回
以前、これやって欲しいとリクエストも書いた、バス停の問題。
実は、私の自宅の近くでも、「危険なバス停」と判定された所がありました。神奈中バスの舞岡中学校前(〔戸22〕系統・戸塚駅東口~舞岡 他)で、危険度のランクがBと判定され、去年の2月に、エアロスターが停車している場所に約20m移動しました。撮影のために立っている場所が元々バス停があった所で、名残のベンチがそのままになっています。
海外、特に欧州だと、日本で言う「危険なバス停」というのがほぼ見られない。郊外の住宅地も、少なくともバスが走る道路の事情は良好に見えたし(去年行ってバスに乗ったノルウェーのボーデーも、そう思えた)。その点で、日本のバス停は、幹線区はまだしも、ちょっとした支線に入ると、設置場所(ひいてはバスの走行条件)に恵まれないなあ、という印象があります。上の舞岡中学校前も、道路自体、大型車が走るにはやや狭い。しかし〔戸22〕系統で日中は10分間隔で便があるし、終点には舞岡営業所があるので、回送車両の往来もかなりある。遠い昔、宅地開発が行われる前はローカル線に近い路線だったはずなのに、急激に人口が増えたのでバスの便数も、さらにはマイカーの往来も急増、しかし道路事情はあまり変わっていないので、その分、バス停の危険度が増す、という構図になっているのではないか。他地域も多分、同じだろうと思う。
鈴木氏は、バス停そのものが危険だったわけではない。きっかけとなった死亡事故は、第一義的にはマイカーのドライバーの過失だったはずで、そこを忘れたセンセーショナルなメディアの報道姿勢にも疑問を呈している(メディアってそんなものだろ?とも思っているが)。バス停云々に限った事ではないが、私は一時車の免許を保有していた事があったが、教習所では、「横断歩道に人がいたら、必ずとまれ」と教えられたもので、教本にもそう書いてある。しかし、ほとんど守られていないなあ、というのが実感としてあって、バスターミナルへのマイカー進入とかもなのだが、マナーキャンペーン的なものでは解決にならず、もっと本腰を入れて指導、さらには「取り締まり」(…あまり使いたくない言葉ではあるが)も必要なのではないかと思っている。警察がやるとなると、一般の人はいい顔しないだろうが。
バス停の移設・新設も簡単ではなく、先の「危険なバス停」では、移転先が見つからず、結局廃止になった所も、いくつかあるようです。物理的に一般的なポール式が立てられない所もあって、以前旧呉市営バスの音戸地域のバス停で標識・時刻表が駐車場のネットに括りつけられていたとか、旧鳴門市営バスの標識がカーブミラーに括りつけられているのを見たとか書いた事があるが、今は江ノ電バスにもそういう所があったりします(藤沢市内の「郵便局前」)。また、一部のバス停では「住民の好意によって設置されているので、ゴミを捨てたり、煙草を吸ったりしないで」と書かれている所も、少なくない。
そうは言っても、バスが横断歩道を塞ぐ形で停車せざるを得ない形態はやはり望ましいものではないと思うので、今後もバス停の移動は全国各地で行われる事になるだろう。とにかくバス事業者だけ、あるいは自治体だけでは解決できない部分が多々あり、警察から住民・利用者まで、多様な立場の人々が一堂に会して話し合う場が必要だと思うし、メディアも、そういう方向に誘導すべきではないか。
なお今後は、バス停にはどの程度のインフォメーションが必要か?という事も、提言して頂けると、ありがたいです。
終点の情景を求めて
信南交通の「かぐらの湯」。飯田より南、となると、長野県の南の果て、という感じ。平岡線は学生の利用があるという事だったが、朝の1往復だけでは、帰宅はどうしているのかと思う(マイカーで迎えに来てもらうのか)。かぐらの湯に入る遠山郷線も、平日は1往復(他に区間運転あり)・土休日2往復だけ。風光明媚な車窓は魅力だが、乗るのも一仕事という感じ。長距離だし、観光の要素もあるようだが、交通公社の時刻表には記載がない。先日発売の「よん・さん・とお」復刻号にも、国鉄の分割・民営化の時点の1987(S62)年4月号にも記載はなく、路線自体が昔から「秘境」的存在なのだろう。森林鉄道が保存されているのは、知らなかった。
平成初期のバスを振り返る
川中島バス。ここは昭和の終わりには、日野車体のいすゞ車があったはずだが、平成になった時点ではもうなくなっていたのか。長野~更埴~上田間で1時間毎に運行があったのが、今では信じがたい。元々川中島バスは旧松本電気鉄道とはつながりがなく、破綻直前に陥った経営の再建の過程で松電の資本が入った事で、カラーデザインの共通化が進んだ所があります。その松電グループになる前のカラーが近年、復刻して走った事があった。もう一度、やってもらえないですかねえ。川中島バスに限らず地方では良く見られたが、ホイールベース間に大きく直に描かれた広告が、昭和らしい。
「あの日のバス」は、小机駅!?何度かこのブログで書いてきたところで、私が幼少期に住んでいた場所から一番近い駅でした。昔の地方路線の面影の木造駅舎(+ホームもまた、そんな雰囲気)だったが、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の開場で、完全に姿を変えました。昔の方は、バス停の標識が横浜市営デザインだが、市営バスは平日の朝方、39系統の区間運転が1往復入って来るだけだった(今はない)。また、東急バスの綱島駅行もあったが、これも今はない(新横浜駅発着に統一されている)。なお、相鉄バスが横浜線沿線で見られるのは小机駅1か所、というのは誤りで、中山駅も昔から、鶴ヶ峰からの路線があります。
前号で予告されていた「業界のウラ話」的な記事は、読んだ限りではなかったようだった。
次号は、バス会社は京成バス、全方位レポートは千葉県のPART2で、大好きな千葉の田舎を走るバス、になりそう。運営は大変だけれどね。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
10日 台湾 「双十節」式典 軍事パレード挙行
(コロナ禍で延期 成人式開催 鳥取県米子市)
11日 プロ野球ドラフト会議 西日本工業大 隅田 知一郎(ちひろ)投手 西武が交渉権獲得
(オーストラリア・シドニー 飲食店店内営業 3カ月半ぶり再開)
12日 名古屋市 河村市長の給与返上条例案 市議会反対多数で否決
(奈良県 3か月振りに対面の合同企業説明会開催)