№2372 バスジャパン・ハンドブックシリーズV106 西日本JRバス 中国JRバス

 なんだこの爆発的な感染者の急増は…。事前に専門家が予測したとおりになった、わけだが、東京とは昨日今日と、一日の感染者数が3,000人を超えてしまい、神奈川県も初めて1,000人を超えました。全国の感染者数は初の10,000人超、神奈川・埼玉・千葉・大阪の4府県が8月2日~31日の間、またも緊急事態宣言を発出、東京・沖縄も8月31日まで延長される事になりました。
 緊急事態宣言発出の度に議論は繰り返されるが、前回も少し書いたけれど、私自身を含めた人々の間では、今の感染状況に対する感覚が、上も下も右も左も、どこかマヒしているように感じられます。そうでなければ、外出するは増えないでしょ?怖くて。無論、去年のアメリカの「コロナパーティー」みたいな、刹那的な乱痴気騒ぎが起きたりはしないのだけれど、それだけ、今の「デルタ株」があまりに強力、という事もあるし、政治・行政が国民に信頼されていない、という事もあるだろう。私はこれまで、緊急事態宣言とか、まん延等防止措置とかが発出されたり、延長されたりした時には、「これっきりで終わって欲しい」と書いてきたけれど、ここに至っては、もうなるようにしかならないのではないか、とさえ、思えてきた。今の所の唯一の希望の星はワクチンで、接種率の向上を強く望みたいが(私は来月以降になる見込み)、どこまではっきりとした効果があるか未知数な部分もあるし、何度も書くが、何よりウィルスの感染は人の移動・行動とダイレクトに連動して起きる事なのだから、根本的には、移動そのものを強力に制限するしかない。でも、「自主的に」やってもらうのは、弊害が多すぎてもうムリ。しかし、公権力による強制は、許されない。では、どうしたら…。ともかく、自分の身は、自分で護る、今はそれ以外道はない。

「バスジャパン・ハンドブックシリーズ」(以下「BJシリーズ」)最新刊、「V106 西日本JRバス 中国JRバス」、5月の終わりには刊行されていたが、また遅くなってしまいました。

 この両社、共に元は国鉄バスで、1987(S62)年4月1日の分割・民営化の時点では、西日本旅客鉄道(JR西日本)直営のバスとなったが、翌年のバス分社は、既定路線でした。翌1988(S63)年4月1日、近畿・北陸ブロックの西日本JRバス(正確には西日本ジェイアールバス)と、中国ブロックの中国JRバス(正確には中国ジェイアールバス)に分社となり、今年で早くも33年経ちました。
 BJシリーズではハンドブック形態に移行して以降、割と早めに、当時のJRバス8社(四国と九州は一体で扱っていた)を取り上げており、西日本JRバスは1995(H7)年の春先にシリーズ3、中国JRバスは翌1996(H8)年の頭にシリーズ5と、別々に刊行されていました。しかし、両社ともこれ以降四半世紀で一般路線は壊滅状態に近くなり、高速が伸びるものの、全体的な台数は両社とも減少しました。これを踏まえて、今回は同じJR西日本傘下の2社を、一体で扱う事になったと思われます。
 表紙は中国JRバスデザインに、西日本JRバスのエルガの写真という、折衷した構成。

◆西日本・中国JRバスの車両たち
 西日本と中国で、別々に分析します。適宜シリーズ3・5との比較もします。

西日本JRバス
 1995(H7)年の時点では、金沢・穴水・近江今津・水口・京都・加茂・福知山・紀伊田辺と、高速専門の大阪の各営業所、金沢〔営〕の配下に福光〔派〕、穴水〔営〕の配下に能登飯田〔派〕、近江今津〔営〕の配下に小浜〔支〕・木ノ本〔派〕・敦賀〔派〕、水口〔営〕の配下に亀山〔派〕・京都〔営〕の配下に周山〔支〕・加茂〔営〕の配下に五条〔支〕・信楽〔派〕、福知山〔営〕の配下に桧山〔支〕・篠山〔支〕、紀伊田辺〔営〕の配下に新宮〔支〕があり、各事業所は10府県に分散して配置されていました。
 この中で現存しているのは、金沢・近江今津・京都・京丹波(福知山〔営〕廃止時に桧山〔支〕を格上げ)・大阪(→大阪高速)各営業所のみ、他はことごとく廃止になりました。代わって高速専門の大阪北〔営〕と神戸〔営〕が新設になっています。
(この他、京都市営バス受託専門の梅津〔営〕がある)

1.しかし「比較」と言っても、事業内容からして大幅に変わっていて、単純にはできない部分が多い。
 全体の車両数278台(西日本JRバスサービス(以下サービス)を含む)は、26年前の365台から23.83%の減少。特に一般路線車は198台(1995(H7)年3月まで運行されていた定期観光バス〔おくのと号〕専用車両を含むと思われる)→58台と、30%未満にまで激減。一般乗合の台数だけ見ると、もはや中小事業者のレベル。一方で高速車は88台→190台と倍以上。他に貸切が79台→28台(サービス含む)と1/3強に減少、今回は定期観光が独立して、2台が計上されています。
 この結果用途別割合は、乗合20.86%、高速68.35%、定観0.72%、貸切(サービス含む)10.07%となり、26年前が乗合54.24%、高速24.10%、貸切21.64%だったから、高速とそれ以外が完全に逆転、高速バスが西日本JRバスの主たる事業、と言い切っても良いかと思われます。

2. 事業所別の配置割合は、まず一般乗合車は金沢〔営〕が最も多くなった。それでも25台、26年前の42台(福光〔派〕含む)の6割弱。京都〔営〕は19台と思った以上に少ないが、しかし、周山〔支〕も含めた26年前よりは2台の減少に留まっています。一方、京丹波〔営〕は8台、近江今津〔営〕は6台しかありません(しかもこの両営業所は、配置が一般乗合車しかない)。ある程度は見込みがあると思われる事業所、特に比較的「網」として路線が残る金沢、立命館大学輸送もある京都に、一般乗合の資源を集中させているものと考えられます。
 高速車は、大阪高速〔営〕が71台で高速全体の37.37%、大阪北〔営〕が46台で24.21%、やはり大阪地区発着で全体の半分以上を占めています。26年前はなかった神戸〔営〕が28台で14.74%、京都〔営〕が21台で11.05%。金沢は24台で12.63%。
 貸切車は、サービスが11台、他は大阪の2営業所と京都・金沢のみの配置です。26年前は、廃止になった事業所にも分散して配置になっていました。地元発の団体がほぼなくなり、他地域からの受け入れが中心になっていると考えられます。

3.  平均車齢(2020(R2)年を0年として計算した)は、一般の乗合は5.64年と、相当若くなりました。2013(H25)年以降の導入車が58台中48台、一番若い近江今津〔営〕(3.00年)は、6台全てが2016(H28)~2018(H30)年の導入です。6.25年の京丹波〔営〕も、8台全てが2013(H25)~2015(H27)年の導入。京都〔営〕は3.95年と若いが、1台だけ、20世紀の車両(1999(H11)年式KC-MP717M)がいます。西日本JRバス全体でも最高齢。金沢〔営〕は7.36年と最も高齢、2005(H17)年式が6台残っています。
 高速車は7.00年。2013(H25)年式が23台で高速車全体の12.11%、2015(H27)年式が22台で11.58%。高速車は金沢〔営〕が一番若くなって6.17年、京都〔営〕が8.19年と一番経年化しているが、営業所による差はそれほど大きくはない。最古参は2003(H15)年式の7台。
 貸切車は5.89年。ここも金沢〔営〕が一番若く、3.33年。2018(H30)・2019(H31~R元)の両年に合計5台を集中的に導入したのが効いている。逆に大阪高速〔営〕は2008(H20)年式の2台しかないから12年となって再経年化。最古参はサービスの2004(H16)年式だが、リエッセ。
 定期観光は金沢の2002(H14)年式2台。西日本JRバス全体でも2番目の古参となるが、定期観光であれば、高速車のような厳しい走行条件にはならないだろうから、まだいけるのだろうか。

4. 26年前は、旧国鉄近畿自動車局からの名残で三菱ふそうが多かった、とされているが、今はいすゞが6割になるそうで、特に一般乗合は58台中53台がいすゞになりました。三菱ふそうは、先の京都〔営〕の最古参となるエアロスター1台のみ。北陸の各事業所(国鉄時代末期までは中部自動車局だった)に比較的多く在籍していた日産ディーゼルは、西日本からは全滅しました。全体でも、いすゞが確かに61.51%となり、日野は20.86%。三菱ふそうは12.58%にまで減少しています。2003(H15)年式のエアロキングが7台残っていて、そう遠くない時期にスカニア(現状では11台で3.95%)に置き換えられるのだろうから、いずれ1割を切る事になるでしょう。

5. 西日本JRバスの高速車は、座席数のタイプが13あり、最少が16席、最多が58席になります。基本的のどの路線に運用されるという事までは記されていないが、座席数が少なければ、基本的には夜行を中心とした長距離路線の運用、逆に多ければ、それほど距離が長くない昼行路線の運用が中心、と考えて良いでしょう。16・18席は「ドリームルリエ」、33・39席はダブルデッカー。
 一番多いのは、3列シートの28席仕様で56台、次いで50席仕様の45台で23.68%、40席仕様が30台で15.79%でした。

6. 一般乗合車は若返りという事もあり、ノンステップ率が87.93%と高率になりました。近江今津・京丹波両営業所は全車、京都〔営〕も最古参エアロスター以外の全車、金沢もエルガミオ6台を除いて、ノンステップ車です。
 ハイブリッド・CNG・EVなどの低公害車は、今の所高速・貸切等も含めて存在しない。

7. 本体→サービスの貸切車の移動、JRバス関東から移籍した「ドリームルリエ」の2台以外、他社局からの中古導入はない。

中国JRバス

中国ジェイアールバス.jpg
 1995(H7)年の時点では、岡山・出雲・(石見)川本・黒瀬・海田市・広島・岩国・大島・光・山口に営業所、出雲〔営〕の配下に赤名〔派〕、川本〔営〕の配下に浜田〔営〕・岩国〔営〕の配下に六日市〔派〕・山口〔営〕の配下に秋吉〔派〕がありました。
 現在、岡山・出雲(→島根)・黒瀬(→東広島)・広島・山口の各営業所が支店となり、浜田は島根支店配下の浜田営業所に、光は山口支店配下の周防営業所になっているが、一般路線車が配置されているのは、東広島・広島・山口の各支店と周防〔営〕のみ。他の営業所・派出所は全て廃止。代わって貸切専門の広島エキキタ支店が開設されています。他に広島駅営業所があるが、車両の配置はない。

1. 全体の車両数262台(西日本バスネットサービス(以下ネット)を含む)は、26年前の361台より100台近く、27.42%の減少で、3/4の規模となった。一般乗合車は、258台→111台(ネット含む)と半分以下に減少。逆に高速車は38台→99台とここも倍以上になりました。貸切は65台→47台で1/4以上の減少だが、西日本ほどは減少幅は大きくない。他に定期観光が3台、特定が2台計上されています。
 この結果用途別割合は、乗合42.37%(ネット含む)、高速37.79%、定観1.15%、貸切17.94%、特定0.76%。26年前は乗合71.46%、高速10.52%、貸切18.00%だったからここでも高速車の割合が高まっているが、台数の上では、まだ一般の乗合の方が割合が高くなっています。

2. 事業所別の配置割合は、一般乗合車で一番多いのは東広島〔支〕で42台。26年前の黒瀬〔営〕時代(36台)より増えています。広島〔支〕は40台で、広島県内2事業所で、一般乗合全体の3/4近くを占めている。山口〔支〕は20台、周防〔営〕はネットを含めても9台しかない。
 26年前の県別の配置台数は、は広島県が110台(42.63%)、山口県が79台(30.62%)、岡山県が38台(14.72%)、島根県が31台(12.01%)で、岡山・島根両県も決して低くはなかったが、一気に広島県中心にシフトしていった事がうかがえます。
 高速車は、広島〔支〕が43台(43.43%)と最も多いが、乗合車がなくなった島根〔支〕に22台(22.22%)、岡山〔支〕に14台(14.14%)と、まとまって配置されています。岡山〔支〕は、26年前は高速車がありませんでした。
 貸切車は、周防〔営〕以外の車両配置事業所に配置があります。貸切専門の広島エキキタ〔支〕が17台で36.17%と、最も多い。この他、周防〔営〕に特定車2台(高速からの用途変更と思われる)があります。

3. 平均車齢は、一般の乗合は11.12年と、こちらは比較的高い。2008(H20)年式が13台あり、11.71%を占めている。最高齢は東広島〔支〕に在籍する1994(H6)年式2台。これを含めて20世紀の車両が19台残り、最古参ではないが、登録番号2桁(広島22く・山口22う)が11台あります。営業所別では、周防〔営〕が19.43年とかなり高く(2010(H22)年以降の車両がない)、ネットが2台の平均で15.00年、山口〔支〕13.10年、広島〔支〕10.95年、東広島〔支〕はそれでも8.76年と一番若くなっています。
 高速車は8.40年で、2018(H30)・2019(H31~R元)年に14台ずつ導入があり、全体の28.28%を占めて、ある程度若返りが図られているようです。一方で2004(H16)年式が12台残っています。去年は高速車の導入がなかったようだが、コロナ禍の影響で見送られたと思われる。最高齢は広島〔支〕にいる2003(H15)年式だが、近距離路線用のスペースランナー。営業所別では、広島〔支〕が7.53年と最も若い一方、浜田〔営〕は10.78年と、唯一10年を超えています。
 貸切車は6.28年と、高速車より若くなりました。これも2016(H28)年式8台、2017(H29)年式7台の導入があって、全体の約32%、1/3近くを占めています。2019(H31~R元)年も6台導入があって、この5年間では24台の導入となって、全体の半分以上。近年は貸切事業にも力を入れようとしていた事がうかがえます(ただし、貸切も去年は新規導入がなかったようだ)。この24台のうち13台は広島エキキタ〔支〕に配置、それもあって、営業所別平均車齢は4.59年とかなり若くなっています。一方で2台のみの浜田〔営〕は10.00年。
 定期観光は計3台の平均で12.00年。周防〔営〕の特定は2台とも2005(H17)年式で車齢15.00年。

4. 旧国鉄中国自動車局も近畿と同じ傾向だったのか、26年前の時点では三菱ふそうが圧倒的に多く、8割方が三菱ふそうでした。現在はこちらもいすゞが主力となって、85.49%はいすゞになっています。逆に三菱ふそうは8.77%と、1割を切りました。日野の高速車がないのは、JRバスとしては珍しいかも。

5. 中国JRバスの高速車は、座席数のタイプが11あり、最少が3列シートの28席、最多が60席。島根〔支〕は22台中18台が28席仕様で、東京や関西に向かう、夜行を中心とした長距離路線が大半、という事だろう。一方で東広島・山口両支店はトイレがない55・60席仕様のみ。全て短距離の東広島〔支〕はともかく、山口~福岡線〔福岡・山口ライナー〕は最大で4時間かかるのに、トイレがなくて、大丈夫なのだろうか?(共同運行のJR九州バスにもない。トイレ休憩はあるはずだが、時刻表には記載が見当たらない)

6. 一般乗合車のノンステップ率は、こちらはまだ低くて20.72%。ネット以外には配置があり、周防〔営〕は7台中2台だから28.57%となって、結果的に一番高い。東広島〔支〕21.43%、広島・山口両支店が20.00%。
 こちらもハイブリッド・CNG・EVなどの低公害車は、今の所高速・貸切等も含めて存在しない。

7. こちらは、他社からの中古導入が若干あります。高速車2台をリースしている西日本JRバスを除くと譲渡元は6社。一般の乗合車は13台(本体→ネットの1台を除く)で、JR四国→ネットの1台を除いて他4社は全て関東地方。神奈中バスが8台で最も多い。国際興業は2台(+貸切登録1台)、東広島〔支〕の最古参2台は共に東武バス。ちばグリーンバスからの1台が異色。オープントップバスは元JR東海。

 なお、中国JRバスは今号刊行の直後、出雲・松江~東京線〔スサノオ〕への、スカニアのダブルデッカー(「InterCity DD」と呼称)の導入を発表、7月21日出雲市発より運用を開始しています。2階が3列クレイドルシート29席+1階が4列シート10席、合計39席仕様。〔スサノオ〕は以前エアロキングが導入されていた事があって、ダブルデッカーは復活になります。

◆西日本・中国JRバスのあゆみ

西日本ジェイアールバス.jpg

 鉄道の性格をバスにも持ち込んだのが旧国鉄バスで、それを受け継いだのが、JRバス各社、という事になるだろうか。それは国鉄バス五原則「先行・代行・培養・短絡・補完」に現れている。だから国鉄時代、鉄道と同じ性格の事業を優先して遂行せよ、という組織がバス事業を面的に展開しようとすれば、在来の民営事業者との軋轢も、生まれて当然だっただろう。貸切バスも、国鉄時代はほとんどできなかったし。
 国鉄時代末期にも多数の路線が廃止になったが、その中に大阪府内の路線(東大阪線)があったとは、若い人は驚くかも知れない。多少区間は異なるが、今のおおさか東線の先行という意味があった事になる。国鉄最終日を持って完全に廃止になったそうだから、それから32年経って、ようやく本来の役目が完遂できた、という事になるだろうか(区間が少し違うが)。あまりに長い空白期間ではあるが。ちなみに、交通公社の時刻表1987年4月号には、まだ掲載がありました。吹田~門真間に短縮されていた。
 なお、西日本では2004(H16)~2007(H19)年の越美北線一部区間不通時に、美山に派出所を置いて代行輸送を行っていた事、中国では2012(H24)年の呉市営バス民営化の際、引き受けに名乗りを挙げていた、というあたりは記されていなかった。

◆西日本・中国JRバスのいる風景
 JRバスという事もあるのか、「駅」がらみの写真が目立つ。一般路線が少ないのが、少々寂しい。路線「網」からして、そうならざるを得ないだろうか。

◆西日本・中国JRバスで巡る 富山・岐阜・広島の世界遺産
 シリーズ3の西日本JRバスの紀行は、「秋」をテーマに、ドリーム京都号+京鶴線(現高尾京北線)、定期観光バス「若狭国宝巡り」、定期観光バス「おくのと号」の3ルートでした。
 シリーズ5の中国JRバスは、大阪を起点に高速・長距離バス〔くにびき〕〔スーパーみこと〕〔江の川〕〔いさりび〕の乗り歩き。一般の乗合バスは出てこなかった。
 今回の谷口 礼子さんの紀行は、(富山・)金沢~広島間の夜行高速バス〔百万石ドリーム広島号〕を中心に、その前後は定期観光バスという、至極単純なコース。それにしても富山・金沢・福井~岡山・広島間直行のバスとは、最初に聞いた時は利用者いるの?と思った。旧国鉄の全盛期でさえ、両都市を結ぶ直通列車はなかったし。定員28人という小回りの利くバスだからできたのだろう。コロナ禍の現在でも運休にはなっていないようだから、安定した利用があるという事か。
「3つ星街道バス」は、パンデミックの前は、外国人も多かったりしたのだろうか。名金線は、民営化の時点ではすでに路線が南北で途切れてしまって、岐阜県側はJR東海バスの運行になったが、現在は、美濃白鳥からは完全にバス路線が途切れてしまっている。白川郷の公式Webでも、公共交通の場合は皆高速バス、と記されていて、一般のバスはないのか。
 金沢では酒がずいぶん入ったようだが、このご時世ではどう?石川県ならOKか。
(まん延等防止措置が石川県も適用になるので、お酒はどうなりますかね?)
 今年の12月は太平洋戦争勃発から80年にあたり、この先2025(R7)の原爆投下80年までの4年間、広島・長崎を中心に、戦争と平和について様々議論される事になるだろう。パンデミック前は外国人の来訪もかなりあった原爆ドームだが、ともかく終息して、インバウンドが広島に戻ってきた時、どのような感慨を受ける事になるのだろうか。
 金沢も広島も、定期観光車はラッピングの専用車で、西日本・中国とも割と力を入れている事がうかがえました。

◆終点の構図
 シリーズ3の西日本JRバスは、兵庫県の火打岩(ひうちわん)でした。当時のローカル路線の主力のいすゞP-MR112Dが回転場で待機している。現在は日本交通の乗合タクシーが篠山市役所方向から、平日3往復・土休日2往復運行されています(土休日は事前予約が必要)。
 シリーズ5の中国JRバスは、山口県・周防大島の東端に近い、周防油宇。やや離れた丘の上から、古びた集落の中にある回転場で待機するJRバスの姿がある。やや解りづらいが、三菱ふそうK-MK116J、だろうか?JRバスを引き継いだ防長交通バスは周防平野までになり、その先はスクールバス油田森野線に乗り換え(土休日も数便運行があり、一般客も利用できる)。周防油宇より先、馬ヶ原まで入る便もあるようです。
 西日本も中国も路線が極端に少なくなり、純粋な終点がほとんどなくなって、今回はどこになるかと思っていたが、同じ山口県、周防油宇からそんなには遠くない、室積公園口になりました。純粋な回転場はなく、普賢寺・普賢菩薩堂を周回する道路を走行して折返しとなる形態のよう。後白河法皇、平清盛と聞くと、9年前の大河ドラマを思い出す。後白河法皇は松田 翔太で、平清盛は松山 ケンイチだった。来年の大河ドラマも同じ時代が描かれる事になり、後白河法皇も平清盛も出てくるそうだから、あるいはこの普賢寺が、脚光を浴びる事になるのかも知れない。
(2桁ナンバーのエアロスターMだ…)

◆西日本JRバスの路線エリア 中国JRバスの路線エリア
「エリア」と謳ってはいるものの、一般路線バスに関してはもはや「網」と呼べるものはほぼなく、一部を除けば、それぞれの拠点となる営業所あるいは支店から、1~数本の、比較的短距離の路線が延びているにすぎなくなっています。
 そこで今回は「あゆみ」の補完も兼ねて、26年前に刊行された各シリーズに掲載されていた「路線略図」と重ねる形で、一般路線バスの衰退がどれだけ進んでしまったか(新規に運行を開始している区間もないわけではないが)、図を作成する事で、26年前と現状を比較できるようにしてみました。なお、ハンドブックシリーズそのままの写しでなく(現在の地図では、中国の広島~高陽団地間路線が抜けてしまっていた)、JRバス各社の公式Webなどを参考に、私自身で追加して記載した区間もあります。鉄道網は26年前を基本としているが、一部簡略化しています。

路線エリア比較 西日本JRバス.JPG

路線エリア比較 中国JRバス.JPG

 26年前は、西日本も中国も、現状とは比較にならない路線網があったが、これでもJRバス発足時点からの数年で、最初の大幅な整理が断行された直後のものになります。
 1987(S62)年4月1日の民営化の時点では、両社ともJR西日本のバス部門だったが、この時点で、JR西日本の在来線がある府県で、JR西日本の一般路線バスがなかったのは、大阪府・新潟県・長野県・鳥取県だけでした(大阪府と鳥取県は、国鉄時代は路線があった)。26年前の時点でも、縮小はあっても、全体的なエリアは、何とか維持されていました。
 西日本は、特に滋賀県は琵琶湖を囲むようにして各地に路線があったが、若江線の本線を除いて全滅。紀伊半島にもある程度網があったが、廃止の結果、東海道本線より南側は、JRバス路線は完全になくなってしまいました。
 能登半島の路線は、むろん需要の減退が一番大きいだろうが、加えて穴水で接続していたJR七尾線が、第3セクターののと鉄道に転換されたので、本来のJRの鉄道を補完するという使命を失ってしまった事が、全線廃止の理由の一つとなったかも知れない。それなら無駄な競合を避ける意味でも、北陸鉄道のバスに任せればよいだろうから。
 中国では、島根県はまだこれだけの路線が残っていたのに、一気にJRの一般路線バスの空白県になってしまいました。旧三江線と接続する路線が多かったので、もし三江線廃線までJRバスが維持されていたのなら、代替バスは全区間JRバスが引き受ける事になったのだろうか、そんな事も考えたりします(考えてもあまり意味がなさそうだが)。
 すべての国鉄→JRバスについて言えるが、他のJRバス路線との接続がない、比較的短距離の「落下傘路線」1~2路線程度だけを運行するための事業所(支所・派出所)が多く、ここでは西日本でいくつか見られるが、効率的な運用という点では、弱点になるだろう。乗客の減少→便数の減少が起こるならなおさら。
 それと、県境を越える路線がことごとく廃止になっていて、今回の2社で県境を超えるのは、西日本の名金線(石川県・金沢~富山県・福光)と若江線(滋賀県・近江今津~福井県・小浜)のみとなった。どちらも、鉄道では遠回りになる区間の短絡の性格が強い。JRバスに限らないが、元々地方では一般的に都府県境を超える輸送は少なくなり、近年では全くバス路線がなくなるケースが多い。JRバスでも、例えば亀草線(三雲~亀山)の廃止区間のうち、滋賀県の甲賀市、三重県の亀山市のそれぞれの市内の区間では、程度の差はあってもコミュニティバスがカバーしている。が、県境となる鈴鹿峠を越える区間は、完全にバスが走らなくなっている。結局、JRバスは旧国鉄バスの性格を受け継いだ事業者なので、バス事業としては不利になる条件を様々抱える事になり、民営企業に転換の後は、経営上受け入れがたくなる部分が、多々あったという事では、ないでしょうか。

 これを踏まえて今後の展望、と言っても恒常的な利用者ではないからあまりどうのこうの言えないが、まず一般路線バスは、残存路線のうち、西日本の金沢・京都両営業所、中国の広島・東広島・山口各支店に関しては、当分安泰かと思われる。金沢や東広島はある程度ネットワークが維持されており、京都は路線・便数が多くはないものの、京都市営バスとの関係が良好で、観光地の高雄・栂ノ尾も控えているから、これをうまく活かしたい所。広島も「めいぷる~ぷ」が支える構図が固まりつつあり、団地輸送もある上、在来の民営バスとの関係も良く、共通ICカードにも参加しているのは、好材料と言える。
 問題は、高速バスも貸切バスもなく、一般乗合車の配置が一桁だけ、という、西日本の近江今津・京丹波両営業所と、中国の周防〔営〕。特に近江今津〔営〕は、十数年以上は先になるとはいえ、北陸新幹線が敦賀から小浜・京都経由で新大阪へ延伸したら、鉄道線短絡の意味がほぼ失われる事になる。また周防〔営〕は、ほぼ全線が防長交通の路線と被っており、どこも見直しの対象になっても、おかしくはないと言えます。最低、現状の利用者はつなぎとめておきたい。
 高速バスはコロナ禍の影響もあるので、しばらくは現状の確保に腐心する事になるのだろう。西日本では、スカニア製ダブルデッカーの導入は夜行バスで引き続き進められると思われるが、高需要の昼行路線への導入は、ないだろうか。
 貸切は両社とも、需要拡大への取り組みが進められていた中のコロナ禍は痛いはず。特にジェイアール西日本バスサービスの発足は、たぶん関西空港からのインバウンド需要の取り込みが視野に入っていたはずなので、やはり堪えているのではないか。高速も貸切も、今は耐えるしかない、というのが正直な所だろう。
 あとは、どの分野においても、在来の民営バス事業者との協調関係は、キチンと築いておきたい。国鉄時代でも既に、中国高速線では神姫バスなどと最初から良好な関係を作れていたので大丈夫だろうとは思うが、金沢では中心部の周遊バスで、北陸鉄道との確執もあったと聞いているので。金沢ではICカードも共通化できなかった。こういう事が、他の地域では起きないように。
 ともかく今は耐えるしかないが…「なるようにしかならない」では困ってしまうが…、その先の両社の活躍には、期待したいと思います。

 ところで今回、確認のためにJTB時刻表を広げてみたら、なんと、中国JRバスの一般路線は全て、時刻の掲載がなくなっていました。何を今さら、なのだが、2018年6月号から掲載をやめています。小規模ローカルエリアの周防〔営〕あたりはまだしも、山口~東萩間、山口~秋芳洞間の観光にも利用されそうな路線も消えていて、最初は廃止になったのか?と慌ててしまったほど。なぜなのだろう?中国JRバスの意向なのだろうか?

 次回刊は、誌面では予告がないが、公式Webによれば次は北陸鉄道とそのグループ会社となり、9月上旬刊行の予定との事。北陸鉄道は1998(H10)年のNEW26で取り上げられていて、23年ぶりになります。石川県全体というエリアは変わっていないが、分社の再編成が短期間で繰り返されていて、今年の5月には北鉄白山バス(加賀白山バス+北陸交通)と、北鉄加賀バス(加賀温泉バス+小松バス)が発足したばかり。終点は未定だそうだが、「花咲くいろは」の舞台のモデルとなった湯涌温泉、小松バスの前身の軽便鉄道の終点だった尾小屋、どちらかだったら面白いかなあ、とか思っています。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
28日 愛媛新聞社 社説は新聞倫理違反と結論 社長ら処分
(グーグル・フェイスブック 全従業員にワクチン接種義務化 方針表明)
29日 沖縄防衛局 普天間沖のサンゴ移植作業開始
(福岡県「コロナ警報」発動 外出自粛など要請)