№2345 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 16.富山県(1)

 毎日毎日、どうも明るい話題というものがないですよねえ。ネガティブな話ばかり(特にオリ・パラ)。震災や豪雨災害などとは違い、「パンデミック」というものは、ダイレクトに人々の日常の営みと連動して拡大していくものなので、どうしてもそうなってしまう。命に関わる感染症がまん延する世界で生きるとはこういうものなのか、大げさかもしれないけれど、今さらながらにしみじみ思い知らされます。

「平成の鉄道回顧」、今回は富山県です。

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北陸新幹線開通 一変した県内交通事情
LRT先進県として全国をリード


北陸新幹線開業 富山の交通に革命
 2015(H27)年3月14日に開業した北陸新幹線は、富山県の鉄道、そして交通を大きく変える事となった。
 速達タイプの〔かがやき〕と主要駅停車の〔はやぶさ〕、加えて富山~金沢間には、在来線特急接続の区間運転〔つるぎ〕が設定された、3本建てのダイヤになっている。県内にはとやまの他、黒部宇奈月温泉、新高岡の駅が設けられた。「温泉」の2文字が入る新幹線の駅は、全国初である。新高岡は、交差する城端線にも駅が設けられ、高岡市への接続の便が図られた。
〔かがやき〕は東京~富山間を最速2時間08分で結び、開通前の在来線特急〔はくたか〕+上越新幹線(越後湯沢乗り換え)と比較し、1時間以上の大幅な短縮となった。この結果、富山からの対東京の所要時間が、対大阪より短縮される「逆転」が起きる事となった。また、競合していた航空にも影響を与え、羽田~富山路線に就航していたANAは、新幹線開通時より機材の小型化を実施、翌年には2往復4便の減便に追い込まれた。

北陸新幹線 開業前夜
 新幹線開業前の北陸本線は、近畿圏や首都圏と北陸を結ぶ特急街道だった。大阪~富山・新潟間〔雷鳥〕と、名古屋~富山間〔しらさぎ〕が、フリークエントサービスを提供しており、〔雷鳥〕を補完する形で福井・金沢~新潟間〔北越〕の運行があった。また、対東京で新幹線に接続する長岡行〔かがやき〕が、専用色をまとった485系グレードアップ編成により運行されていた。
〔雷鳥〕は、平成最初の1989(H元)年3月改正で、主要駅のみ停車で、大阪~富山間を3時間20分台で結ぶ〔スーパー雷鳥〕が設定された。パノラマグリーン車とラウンジカーを連結した485系の専用編成を投入、一部区間では、当時の在来線最高速度の130㎞/h運転を行っている。多客期には長野へ直通した実績もあった。
 1992(H4)年4月、681系先行試作車両がデビューした。485系置き換えを見据えた、JR西日本初の新型特急型電車である。試験を繰り返した後、年末に営業運転を開始。下り〔雷鳥85号〕は、大阪~富山間を3時間17分で結んだ。
 この経験を活かし、1995(H7)年に量産車の製造が始まった。試作車の9両固定に対して6+3連の分割編成となり、3連は電化が完成していた七尾線の他、富山地方鉄道への直通でも使用された。当初は〔スーパー雷鳥〕の愛称に「サンダーバード」の副称がついていたが、1997(H9)年3月、正式に〔サンダーバード〕となって、485系と差別化される事になった。
1997(H9)年3月に北越急行が開業、上越新幹線接続ルートが北越急行経由にシフトされると、新設の特急〔はくたか〕にも681系が導入された。〔はくたか〕では北越急行も681系を保有、JR西日本編成と共用され、越後湯沢~金沢・和倉温泉間を結んでいる。2002(H14)年3月改正では北越急行線内で当時の在来線最高速度の160㎞/h運転が始まり、新幹線接続で東京~富山間は最速3時間11分で結ばれる事となった。2001(H13)年には後継の683系がデビュー、〔サンダーバード〕〔はくたか〕の他、〔しらさぎ〕にも導入され、485系を置き換えて行った。〔雷鳥〕は2011(H23)年3月改正で愛称が廃止、〔サンダーバード〕に統一されている。
 北陸本線ではこの他、昼行では最長となる大阪~青森間〔白鳥〕も富山県内を経由していたが、2001(H13)年3月改正で廃止、金沢と新潟で分断された。〔雷鳥〕の新潟発着列車も系統分断により、共に金沢~新潟間は〔北越〕となった。北陸本線昼行特急のこの体制は、北陸新幹線開業まで続く事になる。
東京方面では、信越本線経由の特急〔白山〕が上野~金沢間を結んでいた。「ラウンジ&コンビニエンスカー」を連結するなどサービス向上も図られたが、1992(H4)年3月改正で3往復から1往復に減便、のちの北陸新幹線となる長野行新幹線開業時に廃止となった。
 夜行では、大阪と東北・北海道を結ぶ寝台特急〔日本海〕〔トワイライトエクスプレス〕が富山に停車していたほか、大阪~新潟間の急行〔きたぐに〕も経由していた(1994(H6)年廃止の寝台特急〔つるぎ〕は、愛称とはウラハラに富山県には停車していなかった)。しかし〔日本海〕は2012(H24)年3月改正で、〔きたぐに〕は臨時格下げの後2013(H25)年1月を持って廃止となった。対東京では長岡経由の寝台特急〔北陸〕と、信越本線経由の急行〔能登〕があったが、〔北陸〕は2010(H22)年3月改正で廃止、〔能登〕は碓井峠区間廃線と共に長岡経由に変更になったが、やはり2010(H22)年3月改正で臨時格下げ、事実上廃止の道を歩む。この結果、富山県では夜行列車は全て廃止となって、北陸新幹線開業を迎える事になる。

JR在来線 新幹線開業後の動静
 北陸新幹線開業と同時に、並行在来線となる北陸本線・金沢~直江津間は、県単位で第3セクター鉄道に移管され、JR特急は全て廃止となった。大阪方面は〔つるぎ〕が金沢で在来線特急に接続、新潟方面は上越妙高で特急〔しらゆき〕に接続する形態となった。
 富山県内区間は、全区間があいの風とやま鉄道の運営となった。自社新製及びJR西日本から移籍の521系の他、413系もJR西日本から購入し、ラッシュ時を中心に運用している。413系は1編成が「とやま絵巻」として改装され、2019(H31)年には1編成が観光列車「一万三千尺物語」として改造されている。一般列車は普通列車を基本としているが、平日の朝夕には有料の〔あいの風ライナー〕を設定している。なお、新潟県の市振までがあいの風運営だが、泊~市振間は一部の糸魚川直通を除き、えちごトキめき鉄道のDC列車が泊まで乗り入れ、あいの風の列車と接続する形態になっている。一方、富山~金沢間はIRいしかわ鉄道との相互乗り入れ運転を行っている。JR時代から工事が進められていた富山駅の高架化は、2019(H31)年3月に完成した。
 高岡で北陸本線から分岐していた氷見線・城端線は、北陸本線のあいの風とやま鉄道移管により、在来線としては、他のJR線からは孤立する事になった。城端線は引き続き、富山直通列車も設定されている。新幹線開業時より、観光列車〔ベル・モンターニュ・エ・メール〕(略称「べるもんた」)を運行している。
 高山本線は、富山県内区間はJR西日本が運営しているが、JR東海から特急〔ひだ〕が直通する。北陸新幹線開業後は、県内唯一の在来線の優等列車となった。富山市主導の社会実験が2006(H14)年から2011(H23)年にかけて行われ、列車の増発や最終列車繰り下げ、婦中鵜坂臨時駅の開設などが行われた。列車増発は実験終了を持って終わったが、婦中鵜坂駅が一般駅に昇格し、一定の効果が見られた。9月初めに八尾市で開催される「おわら風の盆」では、最大級の旅客輸送が行われる。

日本発 ローカル線のLRT転換
 富岩鉄道を始祖とする富山港線は、北陸本線から独立して直流電化されたローカル線で、国鉄時代の73系から、交直両用の急行形に交代していたが、輸送量は減少し、日中には高山本線と共用のDCが使用される時間帯もあった。2003(H15)年、JR西日本は富山港線をLRTに転換する活用策を提案。富山市が乗り、第3セクター会社、富山ライトレールが設立。2006(H18)年4月に、JR西日本から引き継いで営業を開始した。路線の大半は富山港線をそのまま活用しているが、富山駅北まで、併用軌道を新設してアクセスする新ルートを建設。超低床車両の導入と超低床ホームへの転換、新駅の建設、フィーダーバスやパークアンドライドの設定など、利用の向上を図る試みが取り入れられ、大幅な増発もあって、利用の大幅な増加をもたらした。富山ライトレールの成功は、日本のLRTの先駆けとして全国的に注目され、各地にLRTの計画が相次いで持ち上がる事になる。
 一方、市内線を運行していた富山地方鉄道は、2009(H21)年12月に富山都心線が開業し、市中心部の環状運転が復活した。「セントラム」の愛称がある。新設区間は富山市が保守・管理を行い、実際の運行を富山地鉄が行う上下分離方式を採用、新規採用の超低床車両も、富山市が購入して富山地鉄に貸与している。2015(H27)年3月には、新幹線の開業に合わせた在来線高架化工事の進捗に合わせ、高架下に富山駅電停を新設して、JRやあいの風とやま鉄道の駅と直結した。富山駅の高架化が完成した時点で富山ライトレールと直結、相互直通運転が予定されている。これとは別に、在来路線でも超低床車両の導入が進み、体質改善が進みつつある。
 加越能鉄道は、高岡軌道線・新湊線を一体で、「万葉線」の愛称で運営していたが、利用の減少と車両・施設の老朽化で、廃止を表明していた。これに対応して、沿線自治体主導で市民も出資した第3セクター鉄道が設立され、愛称をそのまま社名にした万葉線株式会社が、2002(H14)年より加越能鉄道の鉄軌道路線を引き継いで運営を開始した。2004(H16)年には、新潟トランシス製の超低床車「AI-TRAM」MLRV1000形を導入。同車は後の富山ライトレールや、「セントラム」の基礎となった。1編成は2012(H24)より「ドラえもん」電車として運行されている。2014(H26)年には路線の延伸により高岡駅が移転、北陸本線(現あいの風とやま鉄道)の駅と直結し、利便性の向上が図られている。
 過去に名鉄からの〔北アルプス〕直通の実績もあった富山地方鉄道では、1990(H2)年7月、大阪から立山・宇奈月温泉へのJR直通運転が始まった。当初はDC車両が大阪~富山間で〔雷鳥〕に連結される形態で、後に〔スーパー雷鳥〕の付属編成が直接乗り入れた。1995(H7)年の681系量産車導入後も続けられたが、新幹線工事の影響もあり、1999(H11)年を持って廃止されたている。
 車両面でオリジナル指向が強かった同鉄道だが、1991(H3)年より京阪3000系が大量に導入され、非冷房の旧型車両を置き換えて行った。1995(H7)年には元西武特急レッドアローを購入、主に快速急行として運用されていたが、2011(H23)年には1編成が「ALPS EXPRESS」として再生した。中間車両はカフェコーナーを設けたオープンスペースとし、土休日を中心に連結している。また、京阪で使用されていた2階建て車両を購入し、旧3000系車両の1編成に組み込んでいる。北陸新幹線開業に対応し、2015(H27)年には黒部宇奈月温泉駅に隣接した新黒部駅が開業、観光客の誘致に努めている。
 黒部峡谷鉄道は、下津井電鉄(岡山県)廃止の後は、四日市あすなろう鉄道(三重県)開業まで、日本唯一の軽便専門の鉄道だった。春~秋の季節限定運行で、特に秋の紅葉シーズンには大勢の観光客を惹きつけている。2011(H23)年にはバリアフリー対策を施した新型車両がデビューした。
 立山・黒部アルペンルートを構成する、黒部ダム~扇沢(長野県)間の関西電力トロリーバスは、2018(H30)年シーズンの営業終了を持って、トロリーバスとしては廃止となった。2019(H31)年シーズンより、EVバスへの転換が行われる。1996(H8)年にディーゼルバスから転換した立山黒部貫光の立山トンネル内路線が日本最後のトロリーバスとなったが、数年の内に方向性が見極められる事になると思われる。

 次回はデータ編です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
23日 大相撲夏場所 大関照ノ富士 二場所連続優勝 
(プロ野球ロッテ 清田 育宏を契約解除 緊急事態宣言下外出など球団に「背信行為」)
24日 アウン・サン・スー・チー氏 拘束後初 弁護士と直接対面
(米国務省 日本向け渡航情報「渡航中止」に引き上げ)
25日 プロレスラー 武藤 敬司 横浜市山手署で一日警察署長
(神戸市 独自の大規模ワクチン接種会場 運用開始)

 コロナ禍を除いても明るい話が、世界的にほとんどない(ロープウェイの落下事故とか、アフリカの火山噴火とか)のだけれど、ベラルーシ政府が旅客機(ライアン航空)を自国に強制的に着陸させて、機内の反体制活動家を拘束したとは、そこまでやるのか?と思った。ルカシェンコ大統領の独裁に反対する勢力の活動と、それを抑え込もうとする体制側の対決は去年から聞かされているけれど、ルカシェンコさんはもう27年、大統領をやっているんですよね(この間日本の首相は12人、米大統領は6人、北朝鮮の最高指導者でさえ(世襲とはいえ)3人)。ここまでして長期に渡る独裁体制を堅持したいというのは、ベラルーシの大統領って、そんなに「うまみ」がある立場なのですかね?むろんそれは「汚職」というレベルのものに過ぎないはずだが。コロナ禍に関してはいろいろな立場の人が、ああでもないこうでもないと、好き勝手な事を喋りまくっている気がするが、こういう事こそ、キチンと解説してくれる人って、どこかにいませんかね?