成田空港アクセス鉄道 整備進む
ニュータウン開発鉄道は軒並み不振
ニュータウン開発鉄道は軒並み不振
成田空港アクセス 京成vsJR
1978(S53)年5月開港の成田空港は都心から遠く、公共交通・特に鉄道のいち早い整備が求められていた。このため、本来メインのアクセスとして想定され、一部工事も行われながら挫折した、成田新幹線の施設を活用する案が浮上した。京成線に加えてJR線も空港アクセスに参入する事となり、JRは成田の東で分岐、高架線を経由してターミナル新駅へ、京成は東成田へ向かう路線の中間で分岐し、ターミナル新駅へ向かう路線を新設する計画となった。この新線はどちらも上下分離方式となり、成田空港高速鉄道㈱が線路を建設・保有して第3種鉄道事業者となり、JR・京成が線路を借り受けて営業を行う第2種鉄道事業者、という形になった。軌間の違いから、両社の路線が合流する地点から成田空港駅までは単線並列となっている。JR・京成同時に、1991(H3)年3月19日に開業した。
開業に合わせて、JRは新特急車253系を新造、ネットワークを活かして、東京からさらに新宿・横浜方面への直通運転を設定した。東京~成田空港間では2方向併結の列車が大半で、253系は貫通型となり、きめ細かく増結が出来るようになっていた。東京~成田空港間は最速で53分で結ばれている。他に総武快速線の快速など、一般の列車も乗り入れを行っている。この他、一時期は臨時特急の乗り入れも行われた。
一方京成は、それまでアクセスの重責を担ってきたAE形に代わり、スピードアップも想定した新特急車AE100形を新造、順次AE形を置き換えていった。全車置き換えが完了した時点で、京成上野~成田空港間では最速59分(途中日暮里・京成成田に停車)に短縮している。一般の列車は特急が新ターミナル駅発着に変更の上、20分間隔に増発された。JR・京成共に、1992(H4)年12月には、第2ターミナル開業に伴い空港第2ビル駅が新設されている。
その後、国際線旅客の需要の増大に対応し、さらにスピードアップを図る必要があり、京成では北総線経由で新線を建設、最高速度160㎞/h運転と合わせて、東京~空港間で40分を切るダイヤの実現を目指す事になった。合わせて空港特急としては3代目となる(新)AE車を新造、2010(H22)年7月より、新たに「成田スカイアクセス」の愛称が付いた、北総線経由の新線に経路を変更して運行を開始した。160㎞/h運転は国内在来線では2例目、北越急行の特急が廃止になった現在では唯一である。一般列車では「アクセス特急」を新設、日中を中心に、京急線の羽田空港ターミナル駅まで直通運転を行っている。なお、新規開業区間は成田高速鉄道アクセス㈱が、第3種鉄道事業者として線路を保有する。
AE100形は引き続き船橋経由の〔シティライナー〕として運行を継続していたが、利用は芳しくなく、東日本大震災による節電ダイヤで長期運休となった影響もあり、2016(H28)年に全車引退となった。
対するJRは2009(H21)年、成田アクセスとしては2代目となるE259系を導入し、253系を置き換えていった。E259系は全編成6連に固定され、引き続き東京~成田空港間では併結運転を行う。近年は外国人旅客の増加に対応して、富士急行直通臨時河口湖行の運行実績もあった。
成田空港では、格安航空LCCの就航の増加により、二次アクセスも低コストを要求する層が増えており、高速バスでは安さを売りにした路線も相次ぎ開設されている。今後も鉄道同士に加えて、バスなど他交通機関との競争にさらされ続ける事になる。同空港では第3滑走路建設による便数増加が視野に入ってきており、今後の対応が注目される。
京葉線全通 房総特急は縮小
東京に隣接する北部のJR線では、1991(H3)年、京葉線が新木場~東京間開業により全線開通、東京~蘇我間で快速が設定された。当初は平日と土休日で停車駅が異なり、土休日は〔マリンドリーム〕と称していた。平日朝夕には新木場~蘇我間ノンストップの通勤快速も運行され、一部は内房線、外房線へ直通。また、武蔵野線電車が東京及び新習志野(後に海浜幕張)まで直通する事となった。東京直通は当初は京葉線内快速だったが、後に各駅停車に改められている。この他、特急〔さざなみ〕〔わかしお〕も、京葉線経由に変更となった。また、東京ディズニーランドを控えている事から遠方からの臨時列車の直通も多く、急行型改造の「シャトル舞浜」が運行されていた事もあった。583系などの入線も話題となった。
一方で房総半島の各線、特に南部や下総はローカル色が濃いままで、東関東自動車道路・館山自動車道路、なにより東京湾アクアラインが開通・延伸し、高速バスが多数設定されるようになると、各線区の特急列車は、存在が厳しくなってきた。1993(H5)年には255系〔ビューさざなみ〕〔ビューわかしお〕がデビュー、2004(H16)年以降はE257系500番台が、房総特急運行開始以来の183系を置き換えたが、外房線の高速化事業により〔わかしお〕はほぼ現状を維持しているものの、2015(H27)年改正で〔あやめ〕は廃止、〔さざなみ〕は東京~君津間で平日通勤時間帯のみ運行の、ライナー列車的な性格に変わっていった。土休日には、新宿から中央本線経由の〔新宿わかしお〕〔新宿さざなみ〕が運行されている。なお、中央線特急〔あずさ〕が一部、千葉までの乗り入れを継続している。
普通列車は長らく、「スカ色」113系の独壇場だったが、211系を経て、京浜東北線から改造転用された209系が置き換え、千葉以南の電化全線区で運用されている。4連1編成は、自転車と共に旅をする旅客に向けた「B・B・BASE」に再改造された。
総武線快速もグリーン車を組み込んだ113系が、横須賀線への直通運転に運用されていたが、1994(H6)年以降、E217系に置き換えられていった。普通車は4ドアとなり、大半の車両がロングシートと、通勤輸送に振れた仕様となった。2020(R2)年以降、E235系への置き換えがアナウンスされている。中央・総武緩行線は209系500番台及びE231系が導入され、103系・201系を置き換えていった。209系には6ドア車が組み込まれているが、JRでは最後となった。京葉線・武蔵野線では、行楽地が多い沿線のロケーションを意識し、正面のデザインを変更した205系が103系を置き換えていったが、京葉線では2010(H22)年よりE233系が導入され、再度の置き換えが行われている。
常磐線の快速は、長らく使用されていた103系が、2002(H14)年デビューの231系に順次置き換えられていった。成田線(我孫子~成田間)にも引き続き乗り入れている。緩行線は203系に代わり209系500番台、2009(H21)年にはE233系2000番台が導入され、現在JR編成はE233系に統一されている。2018(H30)年改正より小田急との3社直通運転が始まり、小田急4000形が千葉県内でも見られるようになった。
千葉県で唯一、非電化のJR線となった久留里線は、長らく国鉄型キハ30系やキハ37・38形を使用、タブレット閉塞も残り、近代化が遅れていたが、2012(H24)年になって信号の自動化、キハE130形導入が行われて、一応の近代化を見た。一方、久留里~上総亀山間は、大幅に減便されている。
京成の躍進 新京成からの直通開始
京成の長年の懸案、京成船橋駅の高架化は、1983(S58)年より工事が始まったが、完成したのは2006(H18)年になってであった。完成後はJRの船橋駅とペデストリアンデッキで結ばれ、乗換の利便性が向上した。一時期は〔スカイライナー〕の停車もあり、現在は〔モーニングライナー〕〔イブニングライナー〕の停車駅となっている。これより先、1993(H5)年には宗吾参道~京成成田間の線形が改良され、所要時間の短縮が図られた。翌年には公津の杜駅が開業している。1998(H10)年の京急線羽田空港新駅開業は、京成にとってもビジネスチャンスとなり、羽田空港直通列車を多数設定している。2017(H25)年9月、本社が押上から市川市の京成八幡駅前に移転した。
首都圏の外環状線としての重要性が増していた東武野田線(2014(H26)年に「アーバンパークライン」の愛称制定)は順次複線区間が延長され、増発が図られていった。2013(H25)年には、野田線初の新型車両60000系が導入された。逆井~六実間の複線化工事が進行中で、完成時には県内の運河~柏~船橋間の急行運転開始がアナウンスされている。
もう一つの外環状線的な路線、新京成電鉄は、平成の世になり北総線や東葉高速線が相次いで開業、交差地点に駅が開業した事で、松戸と新津田沼に集中していた利用が分散されるようになった。最大8連が運行されていた同鉄道も、編成の組み替えにより、全列車6連に統一されている。北総線との相互直通は1992(H4)年に終了、一方で2006(H18)年12月より、京成千葉線への直通運転が始まった。2014(H26)年に新CIを導入、車両もブラウン+クリームから、ピンク+白に衣替えしていった。
ニュータウン新線・モノレール相次ぎ開通
平成の世になった時期はバブル経済の末期にあたり、大規模ニュータウン開発が、関東地方東部にあたる千葉県北部などに広がりつつあった時期だった。北総ニュータウン開発のために建設された北総開発鉄道(後に北総鉄道)は、都内の工事の大幅な遅れにより、新鎌ヶ谷(当時は信号場)から新京成線北初富の連絡線を建設し、松戸まで新京成との相互直通を行っていた。1991(H3)年、ようやく京成高砂~新鎌ヶ谷間が開業、京成線・都営地下鉄浅草線・京急線との相互直通が始まった。東側も2000(H12)年、印旛日本医大まで開通、北総鉄道としては全線の開通を見ている。新京成への相互直通は1992(H4)年に終了し、北初富~新鎌ヶ谷間は廃止となった。
しかし、開発の遅れもあって需要は伸び悩み、建設費の償却の遅れもあって、運賃の高止まりを招く事になった。利用者は増加傾向ではあるものの、運賃額を巡って、沿線との軋轢も生んでいる。なお、小室~印旛日本医大間は、住宅都市整備公団が第3種鉄道事業者となっていた。同公団は組織再編成で都市基盤整備公団となった後、2004(H16)年には京成100%子会社の千葉ニュータウン鉄道に譲渡された。住宅公団時代から自社の車両を保有し、北総鉄道に一切を委託している。北総・千葉NT鉄道は、京成成田スカイアクセスの第3社鉄道事業者でもあり、〔スカイライナー〕やアクセス特急も経由する。北総鉄道の不振を受け、本八幡~千葉ニュータウン間に計画されていた千葉県営鉄道の計画は、取りやめとなった。1989(H元)3月に本八幡に到達した、都営地下鉄新宿線と相互直通を行う計画だった。
平成の世が始まった当時、3つの鉄道路線がありながら駅が全くなかった新鎌ヶ谷だったが、1990年代に相次いで新駅が開業、他鉄道への直通運転もあり、県内の主要都市や東京の都心、そして羽田・成田両空港に直通する、県北部の鉄道ネットワークのハブとして、21世紀になって急速に発展する事となる。
東葉高速鉄道は、営団地下鉄(現東京メトロ)東西線の延長として計画されたが、紆余曲折のすえ、第3セクター鉄道方式の鉄道として、1996(H8)年4月に開業をみた。開業時から東西線と相互直通を行い、開業時は営団からの譲渡車両を改造して使用したが、2004(H16)年に、東京メトロ05系と同型の2000系を導入している。こちらも高額の運賃設定が、悩みのタネとなっている。一時はラッシュ時の快速運転もあったが、現在は全列車、線内は各駅停車である。
また、千葉から小湊鐵道の海士有木を目指した千葉急行電鉄は1992(H4)年に千葉中央から大森台まで開業、1995(H7)年にはちはら台まで延伸したが、利用は伸びず、経営難から1998(H10)年に京成電鉄に譲渡され、同社千原線となった。車両は終始全車両、京成からのリースであった。海士有木までの延伸は、ほぼ見込みがない。
一方で2005(H17)年に開業したつくばエクスプレスは、流山市・柏市北部と都心を高速で結ぶ事から利用は順調に伸び、首都圏でも有数の混雑路線に成長した。その影で、流山と馬橋を結んでいた総武流山電鉄(2008(H16)年に流鉄と社名変更)は利用が減少し、ラッシュ時の3連運転がなくなった。平成以降数度の車両の置き換えが行われたが、全て元西武の車両である。編成毎にカラーが異なるマルチカラーになっている。
芝山鉄道は、成田空港建設に関する見返りという性格が濃い。京成線東成田から延伸する形で、芝山千代田駅まで開業したのは、2002(H14)年10月になっての事であった。京成線と相互直通運転を行うが、車両は京成からのリースに拠っている。全線2.2㎞の、日本一短い鉄道である。成田空港運営会社が、株式の7割近くを保有している。
奮闘する 千葉のローカル私鉄
房総半島の中央部を、小湊鐵道といすみ鉄道の2社の路線が横断している。小湊鐵道は、五井と上総牛久の間は光風台団地もあり、通勤・通学輸送も多く、比較的頻繁に本数があるが、上総牛久以南は本数が一桁に減少する。上総鶴舞駅舎など、2017(H29)年に国の登録有形文化財に指定された施設が数多く残り、ローカル線の原風景がふんだんに残された沿線風景と合わせ、路線そのものを観光資源として売り出している。上総牛久~養老渓谷間では2015(H27)年より、SLを模したDLが小型客車を牽引する「里山トロッコ」の運行を開始した。
特定地方交通線・木原線を転換したいすみ鉄道は、一時存続の危機に陥ったが、再生委員会が指名した公募社長の手腕により、再生が図られている。大糸線で使用されていたキハ52形の購入は話題となり、その後キハ28形との2両編成となって、主に土休日運行の座席指定制急行で使用されている。毎年の菜の花シーズンには、各地から大勢の観光客でにぎわう。上総中野で小湊鐵道と連絡するが、線路は繋がっていない。
銚子電気鉄道は、長年に渡り、経営が不安定な状況が続いている。千葉交通から県内の工務店に傘下が移ったが、オーナーの不祥事なども発生、さらに車両検査の費用の捻出も困難になる事態も起きた。現在も本数の減便などの苦難を抱えつつ、運行を続けている。旧型電車が使われ続けてきたが、営団地下鉄銀座線の中古改造車両を経て、現在は伊予鉄道から購入した元京王車両を使用している。
モノレール・新交通システム
昭和の終わりに動物公園~千城台間が開業し、都賀でJR総武本線と接続していた千葉都市モノレールは、1991(H3)年に千葉まで到達した。当時は仮駅で、1995(H7)年8月の千葉みなと延伸と同時に本駅に移った。1999(H11)年には千葉~県庁前間が開業、日本の懸垂式モノレールでは初めて、複数の路線を持つ事になった。合計の営業距離15.2㎞は、懸垂式モノレールでは世界最長となり、2001(H13)年にギネス世界記録に認定された。
2001(H13)年に開業した舞浜リゾートラインは、JR舞浜駅に隣接したリゾートゲートウェイ・ステーションを基点に、東京ディズニーリゾートの敷地を一周する。反時計回りの一方向運転で、運転は無人だが、最後部に「ガイドキャスト」と称する乗務員が乗務する。かつてのモノレールの「遊園地の乗り物」のイメージを抱かせるが、全国相互利用ICカードで利用できるなど、一般鉄道的な性格も持つ。
山万は、ユーカリが丘の宅地開発に関わったディベロッパーが運営する新交通システムである。開業以来、大きな運行形態の変化がないまま、今日に至る。
次回はデータ編です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
15日 足利市山火事 鎮火確認と発表
(JR東海 一時帰休 1ヶ月延長)
16日 浄土ヶ浜の元遊覧船 小豆島に出発
(低所得子育て世帯に給付金支給決定 子供1人に5万円)