前回更新の直後、宮城県沖で大地震がありました。ちょうど床に就いた直後で、だんだん揺れが大きくなって、床の中で青ざめていました。何しろ、10年前の大震災が頭をよぎったので。他の多くの皆さんも、そうだと思います。今回は津波の発生はなかったし、ケガ人は多数出ているものの、今の所は人的な犠牲が出ていなくて、それは何よりでしょう。ただ、東北新幹線は設備に損害が出て、今後10日程度は、那須塩原~盛岡間は不通になるようです(東京~那須塩原間は〔なすの〕を1時間に1本程度運行。明日は下り23本・上り20本+小山始発1本)。他に高速バスの増便や、航空の臨時便就航、機材大型化で対応がなされる見込み。在来線でも、臨時列車の運行が検討されているそう(在来線は、明日全線再開の見込み)。ともかく、できるだけ早く完全な形に戻したうえで、3月11日を迎えられれば、と思います。
今日は、今回の旅のメイン、日高本線の代替バスの乗車です。
その日のうちに苫小牧から様似まで往復して戻ってくるためには、苫小牧を7時52分に出発する鵡川行に乗らなければならない。そうでないと、鵡川→静内間は午前中はほとんど便がないので、次に静内行代行バスに接続する鵡川行は12時25分になってしまい、様似から折り返しても、もう苫小牧に戻って来れなくなるのです。やはり地元優先、何だろうね。ダイヤ上は、長距離の移動は、あまり考えられていないように思えました。そうならざるを得ないだろうな、というのは、この代行バスの往復で感じる事になります。
1月 4日(月)
9年ぶりの苫小牧、南口は様々変わった所がありました。
こんなビルあったっけ?の「苫小牧ふれんどビル」。前回来た2年後にオープンしたらしい。
一方で、「苫小牧駅前プラザ egao」は、閉鎖されていました。
手前の道南バスは、旧市営バス色のまま(前夜には、道南色になった車両も見た)。
その市営バスのターミナルも、閉鎖されていました。一部が公道として利用されているよう。乗り場は、駅前3か所に分散されています。3か所で済むんだ、という事。
夜が明けて、朝陽が苫小牧の駅舎をオレンジに染めつつある。
駅の通路から線路を見ると、キハ40とH100が並んでいました。苫小牧も間もなく、新旧交代が始まる。日高本線残存区間はまだ、だが。
改札の、出発案内表示。日高本線は、代行バスで乗り継いで行けるからか、行先表示が最初から「様似」。
鵡川行2225D。キハ40 354(日高色)+キハ40 1785(北海道色)の2連。ワンマン。
しばらくは室蘭本線と並走し、別れると右手は工業地帯。
基本的に、ずーっと直線が続く。
突然汽笛が何度も鳴らされ、減速。鹿だ。6月の石北本線を思い出すわけだが、正直、山は遠くて、工場や海が近いこの地にも現れるとは思わなかった。
凍り付いた、厚真川。
この列車は、浜田浦は通過。ホームだけの、簡素な駅。ここもいつかは廃止になってしまうのか。
様似到着。結局、乗客は苫小牧からの、自分を含めた5人だけ。途中2駅の乗降は、全くなかった。
様似方を見る。もう列車が走る事はないが、赤信号が点灯したままだった。
代行バスの時刻表。鵡川~静内間はJHBの他、地元の貸切専業の事業者による便もあります。静内~様似間はJHBのみ。
2225Dから接続する、8時32分発静内行は、JHBのエルガ。531-4909。代行バス運行にあたって、札幌地域から車両を集めてきたようで、この車両は、以前は長沼〔営〕にいたらしい。後方は静内から着いた、むかわ観光バス。
出発して、しばらくは国道235号を行くが、やがて右折し、海岸の方向に向かっていく。乗客は6人、うち5人は自分も含めた、列車からの乗り継ぎ。
この付近は、鉄道と国道が大きく離れているので、汐見駅は遠く寄り道する事になる。踏切を横断して駅をやり過ごし、その先の小屋の傍らにポールが立つバス停で乗降を扱う。このバスは、列車からの乗り継ぎ客の他、地元の人が一人乗っていたが、ここで降りて行った。ここは降車のみ。
いったん遠ざかって、海岸の近くで方向転換、今度は乗車専用のバス停に停まって、もう一度踏切を渡る。その傍らの、汐見駅のホーム。
富川、日高門別を過ぎて、内陸を走っていた国道も、太平洋を見る事になります。まぶしい。
鉄橋。「跡」と、もう言ってしまって良いのか?
厚賀駅。駅付近は、真新しい住宅が多いようだったが。
ここと、次の大狩部との間に、「大狩部(高台)」というバス停があった。鉄道の駅とは連動していない。いくつか民家が見られるので、便宜を図ろうという事なのか。もっとも、乗降はなかった。正式なバス転換後に、バス停も正式なものとなるのか。
凍った厚別川。鉄橋も。
節婦駅付近では、現在は日高厚賀まで開通している日高自動車道の延長工事が進行中。高規格の高速道路が伸びたら、やはり貧弱な鉄路では、太刀打ちできなかったのではないか。
静内駅に到着しました。
駅舎のトイレの窓から見た、静内駅のホームと線路。
ここは道南バスのターミナルになっていて、町内循環線などのローカル便もあるが、一番便数が多いのは、札幌行の高速バス〔ペガサス号〕。ただし金曜日のみ運転の最終札幌行は、コロナ禍で運休中。
駅舎内には、一昨年(2019(R元)年)のダービー馬、ロジャーバローズの展示があります。令和最初のダービー馬だが、日高らしい展示。静内駅がある新ひだか町内の牧場の生産(既に引退)。
静内まで乗ってきたバスが、引き続き様似行となります。乗客も車内に留まれます。ドライバーは交代。
静内を発ってすぐ、静内行のJHBとすれ違う。
途中、幅がやや広いところで一旦停止、後を追ってきた、札幌ナンバーの道南バス〔ペガサス号〕に道を譲る。静内出発時に、入れ替わるように駅前に着いた便でした。
日高本線は海岸沿いばかりでなく、内陸を走る区間もあるので、バスも時々内陸に入ります。日高三石の先、蓬莱駅に向かう途中の踏切。その向こうに三石川。
本桐駅の構内。
荻伏は、国道から離れて、さらには駅からも離れた位置にある回転場で乗降を扱う。JHB日勝線で、上野深に向かう支線のバス停が見られる。
端折ってしまうが、帰り道にまたご覧いただくので、いきなり終点の様似駅になります。
ここに来たのは、また数十年ぶりだ。平成になってすぐ、キハ130形が導入されて間もない頃以来。
もう列車が来る事がない、様似駅の構内。
駅舎内には、普通のJHB日勝線の路線図もあります。襟裳岬・広尾へ行く路線もあるが、やはり近年は便数も減少傾向。
滞在時間わずか30分。あまりに慌ただしすぎ、飲み食いする時間もないが、12時45分発静内行のバスで、様似を後にしなければなりません(次の15時50分発でも、その日のうちに苫小牧には戻れるものの、早々に暗くなってしまうはず。しかもこの日は苫小牧からさらに、室蘭まで行かなければならない)。
往路同様、最後部に陣取る。
代行バスの車内。531-1961も札幌地域からの転属だが、鉄道代行バスらしく2人掛けシート中心のワンロマ的な仕様が選ばれている。この車両は厚別〔営〕にいた、いすゞエルガLKG-LV234Q3。なお、運転席付近はビニールシートが張られていいるが、この車に限らずJHBは元々、前輪タイヤハウス上は、左も右も座席を設置していない。往路の車両もそうだった。
鉄道は鵜苫まで内陸を走るが、バスは海岸沿いを行きます。親子岩。
塩釜ローソク岩。列車では車窓から見る事が出来なかった奇岩で、今後の代替バスの、隠れた魅力になりそう。
東町は、そのまま国道を走っても良さそうなものだったが、常磐公園を囲むように迂回するルートを走る。東町駅のバス停はその途中、浦河赤十字病院の前に設けられているので、代替バス本格運行を見据えているのかも知れない。
浦河の市街地は、意外と小ぎれい。すれ違うのは普通のJHBバス日勝線。
曇り空の下でもあり、寒々とした太平洋。でもこれはこれで、旅情を感じる気がする。
日高幌別川。
再び内陸へ。もう閉まる事がない踏切。
見どころは海だけではない。日高山脈も。
蓬莱駅。
行きの便は、日高東別は経由しませんでした。春立~日高三石間は、国道は海岸沿いに走るが、鉄道のルートは内陸寄りになり、日高東別~日高三石間は並行する道路がありません。この便は経由しました。国道から分かれ、一旦バス停を大きくやり過ごして、布辻川を渡った先で回転して、戻る形になります。バス停は、駅から離れています。せっかくの迂回なのに、乗降がなかった。
今走ってきた道を戻って、再度国道に出る。その途中に牧場があって、サラブレッドが草を食んでいました。
再び、荒々しい海。往路もそうだったが、青空がのぞいたと思ったら、雪が降りしきる。この繰り返し、という感じ。これが北海道なのだろう。
再び陽が照らす太平洋と、朽ち果てようとしている鉄路。
静内駅に到着。この便は、一旦交通広場の脇の駐車場に留置されます。
駅舎内の、北海道新幹線の幟。しかし順調に事が運んでも開通は10年も先だし、新幹線のルートから遠い日高地方には、どれだけの恩恵がもたらされるのだろうか。苫小牧経由だったら、また違ったはずだが。
鵡川行は、結局静内まで乗ってきた車両が、再び乗り場に据え付けられます。
再び、線路跡。
再び、厚別川。
だいぶ暗くなってきて、この先は車窓については、書く事はない。この便は逆に、行きは経由した汐見は立ち寄りませんでした。
沿道は人家が少ないから、対向車線のクルマの明かりが、よりまぶしく感じられる。駅は乗降がなくても全部停車していくが、それ以外は信号待ちもほとんどない、もちろん渋滞もないから、この点では、運転に関するストレスはなさそうだ。
17時39分、鵡川駅到着。まだ夕方、のはずなのに、完全に真っ暗になってしまった。
2236Dは、行きと同じ、キハ40 1785+キハ40 354。この2連が、日中ずっと往復していたのだろうか。
行きの2225Dが通過した浜田浦も停車したが、結局中間の3駅は、全く乗降がなかった。
苫小牧到着。左側は手稲行2799M。
こうして、日高本線の鉄道+代行バスの長ーい往復の旅は終わりました。鉄道に乗りたかった、というのがホンネだが、バスの旅も、悪くはなかったです。何より、粗削りな太平洋が、魅力的なものに感じられました。親子岩・塩釜ローソク岩なんて、列車からは残念ながら見られないものも見られたし。
しかし、今回合計実質4便乗車した代行バスは、不便なダイヤをものともしない同行の士が数人見られたものの、地元の乗客は少なかった。4便とも、乗客数が10人に達した事は、ありませんでした。新年早々だし、学校もまだ冬休み、という時期という事もあるが。一方、往路の節婦で見たような、日高自動車道の延長工事が進んだら、残念ながら高規格の高速道路相手に、貧弱な鉄道では、災害の被災がなくても、どの道立ち行かなくなっていただろうと思われる。バスでさえ、苦しくなると思われるのだから。
日高本線沿線から対札幌は、完全に高速バスが主役となり(道南バスの他、JHBも〔えりも号〕を1往復運行)、4月からの代替バスは、完全に地域の足としての役割が中心になるはずです。今日現在では、鉄道として残存する区間も含めて、まだ具体的な運行内容は示されていないが、いずれにしろ、遠くからの旅人にとっては、正直簡単には利用できない(特に運賃面で)路線となるだろうと思われます。個人的には、夏休みシーズンだけでも、苫小牧~襟裳岬間直通バスが走ったら良いのではないかと、思っているのですが、いかがでしょうか?
「青春18きっぷ」は、今年の発売が発表になりました。3月中は「青春18きっぷ」で代行バスに乗れる、最後のチャンスとなるはずです。鉄道でなければ…という方も多いはずだが、このラストチャンスに、代行バスの旅も、良いのではないでしょうか。
今日は東室蘭に泊る事になり、室蘭行448Dに乗車。しかし、理由は解らなかったが、下りの441Dが遅れて到着、そのため折返しとなる448Dも、6分位遅れての出発になった。キハ143ー152+102の2連。
この列車も、車窓については書く事がない。9年前に711系で走っているし。座席が8割程度埋まるくらいの乗車で、駅に停車するたびに乗客は減っていく。
登別では、14分も停車。まずフレートライナーの通過待ち。
そして、〔北斗22号〕の待ち合わせ。しかし、先頭のグリーン車は、完全に乗客がいなかった…。指定席も、1/5程度しかいないように見えた。うわあ、〔北斗〕でこれでは…。それでも、自由席車から3人、こちらに乗り換えてきたのだが。
この間、下りの〔北斗17号〕も着いたが、19時を過ぎたばかりなのに、もう駅員がいない。
一旦東室蘭をやり過ごして、終点の室蘭を極める。駅舎は、斬新になった。
しかし、室蘭もまた、駅員がいない…。しかも、元々夜間は駅員がいなくなっていたが、4月1日よりさらに駅員配置時間が短縮されていた。
改札口も、改札上の発車案内表示は消され、夜間~早朝の列車の時刻を書いた張り紙を掲げた看板が、改札のブースに置かれているだけ。
ホーム。行きの列車で折り返す事になるが(2823Dで、札幌直通)、室蘭でさえ、夜間は無人駅だとは。確かにローカル列車しか発着はなく(〔すずらん〕も、東室蘭~室蘭間は普通列車)、乗降も少なさそうだが、登別のケースも合わせて、正直ため息…。
折り返して戻ってきた東室蘭は、橋上駅舎。駅前には、苫小牧と同様のイルミネーションが、光を放っていました。
とにかく、氷点下の寒さです。さっさと駅前のホテルにチェックイン、明日に備えます。
明日は室蘭本線と函館本線の普通列車を乗り継いで、新函館北斗から〔はやぶさ〕に乗ります。長万部の待ち時間が、かなり長いのだけれど…。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
13日 調布市道路陥没 独立した第三者機関の調査要求 住民グループ声明
(「冬まつり」中止 子供達には雪だるまプレゼント 旭川市)