№2289 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 9.栃木県(1)

 久しぶりに「平成の30年 都道府県別鉄道回顧」です。今回は栃木県です。いち早く緊急事態宣言が終わって、良かったです。
 前回書いた茨城県と入れ替わって「魅力度」最下位に転落した栃木県だが、何がいけないのかねえ。世界遺産と豊かな自然を誇る日光、全国的にも有名な鬼怒川温泉があり、インバウンド(今はいないけれど)にも、それこそ昭和の昔から人気があるスポット、のはずなのだが。鉄道ファンにも魅力的な県、だと思うのだけれど。東京~日光間の東武vs旧国鉄の競争も、日本の鉄道史の1ページを飾るものだし、現代の栃木の鉄道にもつながる部分は多々あるはずなので、ほんの少しだけ昭和にさかのぼって書きます。

東武鉄道100系.jpg

JR⇔東武 直通特急スタート
烏山線には蓄電池電車デビュー



東武特急・急行 進むグレードアップ
 世界的な観光地、日光を目指す鉄道は、浅草から直通する東武日光線と、宇都宮で東北本線から分岐する旧国鉄日光線があった。東武と旧国鉄は首都圏~日光間の輸送で覇を争ったが、東武が1960(S35)年、デラックス特急車DRCの導入により、旧国鉄に対して勝利を収め、デラックス準急〔日光〕を運行していた国鉄日光線は、ローカル線に転落する事となった。
 平成の世になった時点でも、DRCは東武の看板であり続けていたが、既に30年近くの使用で、老朽化・陳腐化が否めなかった。1990(H2)年、新特急車100系がデビュー、DRCを順次置き換えていった。ホテルのコーディネーターが監修したインテリア、JRのグリーン車並みの大型リクライニングシートに加え、私鉄では初のコンパートメント車両を連結、アテンダントによるサービスやビュフェ営業もあり、私鉄特急の最高峰に君臨する。公募で「スペーシア」の愛称を与えられ、1992(H4)年より、最高120㎞/h運転を開始。在来私鉄では名鉄に次ぎ、関東では初の快挙となり、浅草~東武日光間(途中下今市のみ停車)は最速1時間38分運転を実現した。
 日光・鬼怒川方面へはこの他、6050系による快速電車、また全車指定制の快速急行〔だいや〕〔おじか〕があった。快速は大半が東武日光行と、鬼怒川温泉経由で野岩鉄道・会津鉄道に直通する編成を併結し、下今市で分割・併合を行った。快速急行は後に、伊勢崎線急行〔りょうもう〕で使用されていた1800系を改造・転用した急行〔南会津〕〔ゆのさと〕〔きりふり〕に格上げされている。
 足利市を経由する伊勢崎線、佐野でJR両毛線と接続する佐野線には、急行〔りょうもう〕が運行されていたが、1991(H3)年に新車両200系がデビューし、グレードアップが図られた。200系に置き換えられた1800系はは300・350系に改造されて日光線急行に転用された他、一部は通勤車に改造され、佐野線などで運用された。〔りょうもう〕は1999(H11)年、特急に格上げされる。
 1993(H5)年、鬼怒川線の沿線に「東武ワールドスクエア」がオープン、鬼怒川の新しい観光の目玉となった。当初は小佐越駅が最寄となり、ワールドスクエアに合わせた改装が行われたが、2017(H29)年に東武ワールドスクエア駅が開業した。特急や、後の「SL大樹」も停車する。

「宇都宮線」 新都心直通開始
 JR東北本線は、東北新幹線開業後も夜行の寝台特急〔北斗星〕〔はくつる〕〔あけぼの〕、急行〔津軽〕、昼行の特急〔つばさ〕〔あいづ〕が運行を続けていたが、後には北海道直通寝台特急を残して廃止・経路変更の道をたどり、かつての特急街道の面影は薄れていた。代わって、主要駅にこまめに停車するタイプの〔新特急なすの〕が上野~黒磯間で運行されていたが、平成の世が始まった時点では、朝夕のみの設定に減少していた。東北新幹線の通勤・通学の需要が高まり、1995(H7)年改正による再編で〔なすの〕〔MAXなすの〕が新設されると、〔ホームタウンとちぎ〕〔おはようとちぎ〕と愛称が代わり、2010(H22)年12月改正で廃止となった。
 代わって東北本線では、快速〔ラビット〕と〔スイフト〕(後に通勤快速)が新設された。この他土休日には、上越線で運行されていた夜行快速〔ムーンライトえちご〕編成を利用した全車指定制快速〔フェアーウェイ〕の運行も見られた。
 上野~黒磯間は1990(H2)年より、宇都宮線の愛称が用いられるようになり、以降、首都圏~栃木間の通勤路線の名称として定着していく。2001(H23)年12月、新宿を経由し、神奈川県の東海道本線・横須賀線へ直通する湘南新宿ラインの運行がスタートした。すでに池袋発着の設定があったが、これをさらに延ばした形である。当初は日中のみ1時間に1本程度で、211系や115系が使用されていたが、池袋・新宿付近の改良工事が完成した2004(H16)年改正ではE231系に統一され、運行本数・時間帯も大幅に拡大した。宇都宮線の列車の直通先は横須賀線となり、大船・逗子まで運行される。快速〔ラビット〕は大半が、湘南新宿ライン直通列車に建て替えられた。同時に、上野発着列車で使用される211系を含め、全ての快速・普通列車にグリーン車が連結されるようになった。

相互直通特急と 東武の運転形態の変化
 日光への競争で圧倒的優位に立った東武だったが、21世紀を迎える頃には、日光・鬼怒川への観光輸送自体が頭打ちになってきた。特急はノンストップ運転を取り止め、全列車の新栃木・新鹿沼への停車を開始。後にJR両毛線も含めた栃木駅の高架化完成により、新栃木停車は栃木に変更となった。先行して1999(H11)年には、埼玉県の春日部への停車も始まっている。
 一方で1999(H11)年、東照宮を筆頭とする日光の社寺が世界文化遺産に登録されていた事もあり、観光輸送活性化のため、東武とJR東日本の間で直通特急を運行する話になった。両社が接続する栗橋駅(埼玉県)に連絡線を建設し、両社の車両が2往復ずつ、合計4往復が、新宿~東武日光・鬼怒川間で相互直通運転を行う形態になる。JRと大手私鉄の特急の相互直通は、JR東海・小田急の〔あさぎり〕に次ぐ2例目である。東武はスペーシアの一部編成をJR直通対応に改造し、JR側はリニューアルされた485系を、磐越西線から転用改造した。2006(H18)年3月改正より、〔日光〕〔きぬがわ〕(東武編成は「スペーシア」を頭に付ける)の愛称でスタートした。〔日光〕の名は、165系による急行が国鉄時代の1982(S57)年に廃止されて以来、24年振りである。JR編成は2011(H23)年6月より、〔成田エクスプレス〕から転用の253系に置き換えられた。多客期には増発の他、JR編成では多摩地域・神奈川・千葉からの直通列車の設定も行われる。
 その後、東武では2017(H29)年に新特急車500系「リバティ」がデビュー、日光と鬼怒川方面の2方向に向かう特急列車を中心に運用している。〔リバティ会津〕は野岩鉄道・会津鉄道への直通運転を行い、会津田島での接続により、福島県西部への新しいチャンネルが整備される事になった。野岩鉄道では2005(H13)年に廃止された急行〔南会津〕以来の優等列車である。その影で、長年運行されてきた快速は年々縮小傾向となり、2017(H29)年に廃止。南栗橋で系統が分断され、栃木県側は急行・区間急行の種別で運行を継続している。
 鬼怒川線では同年、「SL復活プロジェクト」の一環として、SL列車〔大樹〕の運行が始まった。C11 207号をJR北海道から貸与、その他客車・車掌車(ATS搭載のため)・補機のDLを他のJR各社の協力の下に譲受したほか、転車台の設置や、下今市駅のレトロ調への改装も行った。同線では2012(H24)年より、会津鉄道の快速〔AIZUマウントエクスプレス〕の東武日光直通運転も行われており、今後も東武の日光と鬼怒川を一体とした観光開発計画に乗って、輸送形態が変わる事も予想される。
 東武の宇都宮線は、350系の急行〔しもつけ〕(2006(H18)から特急)の他は、浅草からの準急の直通の他、旧型電車を改造した3000系や5000系が線内ローカル輸送に当たっていた。しかし老朽化のため、ワンマン対応に改造した8000系に置き換えられ、大半が宇都宮線内(栃木まで直通)折返し運転となった。2018(H30)年からは、日比谷線直通から転用した20400形への再度の置き換えが始まっている。

JR在来線 21世紀の動向
 JR宇都宮線では、2015(H27)年の上野東京ライン開業に伴い、大半の列車が東京を経由して、東海道本線へ直通運転を開始した。211系は、2013(H25)年には上野発着の列車から、2015(H27)年には黒磯発着の末端運用からも外れ、代わってE233系の導入が進められた。上野東京ライン開業後には、E231系との併結運用も見られるようになった。
 宇都宮~黒磯間と日光線は、115系や211系の短編成による折返し運転が中心となっていたが、2013(H25)年より、京葉線から転用された205系に置き換えられていった。日光線では、205系のうち1編成を、観光列車「いろは」に改造している。2ドアセミクロスシート車に改造され、日光を意識したレトロ調のインテリアになった。日光線内の普通列車を中心に運行されている。
 東北本線の黒磯以北は交流区間となり、黒磯駅構内で交直の地上切替を行っていたため、普通電車は仙台・福島地域の交流電車が乗り入れていた。しかし、交直切り替え設備を黒磯~高久の駅間に移設し、車上切り替えに変更した事により、2018(H30)年より、朝夕はE531系、日中は110系DCによる黒磯~新白河間の区間運転に変更している。同区間のDC列車は、東北新幹線開業による急行の廃止以来である。なお、2016(H28)年の寝台特急〔カシオペア〕廃止により、栃木県内を走るJR在来線の定期特急・急行は、全て消滅した。
 烏山線は、栃木県内のJR線では唯一の非電化路線であり、キハ40形が使用されていた。置き換えにあたり、日本初の蓄電池式電車、EV-E301系が導入された。直通区間の宇都宮~宝積寺間では通常のパンタグラフによる集電を行い、烏山線内では、蓄電池に充電された電力で走行、終点の烏山駅構内には充電設備が新設され、パンタグラフを上昇させて急速充電を行う。2014(H26)年に試作車が製作された後、翌2015(H27)年には、全列車を置き換えた。
 両毛線は、栃木県側は普通列車のみの運行で、一部宇都宮線への直通も設定されている。1998(H10)年12月までは、水戸線からの直通も設定されていた。2018(H30)年4月、あしかがフラワーパーク駅が開業した。

観光に活路見出す 第3セクター
 真岡鐵道は茨城県の下館から、わたらせ渓谷鉄道は群馬県の桐生から分岐する特定地方交通線転換の第3セクター鉄道で、栃木県内での他鉄道路線との直接の接続はない。真岡鐵道では、1994(H6)年よりSL列車の運行を開始、C11 325号またはC12 66号の牽引により、基本的に毎週土休日に運行される。牽引される50系客車は、国鉄時代末期に多数見られた近代形客車だったが、現在、原型を留めるのはここのみとなった。真岡駅は1997(H11)年にSLを模した新駅舎となり、2013(H25)年には、市内で保存されていた9600形の運転体験が出来る「SLキューロク館」がオープンした。
 わたらせ渓谷鉄道は、平成の世になって間もない1989(H元)年3月、JR足尾線を転換して開業した。トロッコ列車の運行で観光需要に活路を見いだそうとしている。開業当時予定されていた、間藤~足尾本山間の旧貨物線の旅客線化は頓挫した。現在でも鉄橋や踏切などの線路跡が残る。足尾町は「平成の大合併」により日光市の一部となり、町営バスを継いだ日光市営バスが、足尾と日光の間を結んでいる。
 20世紀の終わりになり、宇都宮駅東口と、芳賀町の清原工業団地・本田技研を結ぶLRT計画が浮上。2013(H25)年に基本計画を策定、運営に当たる「宇都宮ライトレール株式会社」が、2015(H27)年11月に設立された。2018(H30)年5月に工事が着手され、2022(R4)年度の開業を目指す。日本初の本格的なLRT新鉄道として、今後が注目される。

 データは次回、火曜日です。

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《今日のニュースから》
 7日 「北方領土の日」住民大会 オンライン配信 
(宮崎県独自の緊急事態宣言 今日終了)

「北方領土の日」と言えば、今日乗った相鉄12000系のドア上の液晶画面に、北方領土の返還を訴える広告が流れていました。他鉄道でもあったのか。旧島民らの苦しみは正直解らないから軽々しくは言えないが、現実問題として、ロシアの力があまりに強いし、相当数の住民が居住する「既成事実」もあるので、交渉でなんとかなるというレベルにはない。いつぞや、どこかの若手議員が叫んだような武力行使だって、許されない事でしょう?(どの道ロシアに勝てるはずもない)返還は極めて難しいのではないか?と思わざるを得ません。