恒例の関西弾丸旅行の2日目、もう午後には帰り道の事を考えなければならなくなるのだが、精一杯、関西の鉄道を撮って、列車に乗り隊と思います。
ただ、朝方は、雨模様…。乗る方に重点を置く事になりました。
12月28日(月)
羽衣駅前の、南海線の踏切。先に下りが高架に切り替わっていて、上りは5月切り替えと発表になっています。
その踏切から見た、今の羽衣駅の上りホーム。左上に、今の下りホームが見えるが、上りの高架切り替え時には、上りホームに転用される事になる。
立体交差事業の概要。高石駅は地上時代同様2面4線。この羽衣は、これを見ると、現在は欠き取り式の3番線発着の高師浜線は、南海線上りの2番線の反対側に発着する事になる。
改めて、昨日降り立ったJR東羽衣支線の東羽衣駅。南海線の羽衣とは、歩道橋で連絡している。
上りホームの発車案内表示。
話が逸れるけれど、関東地方はどうも、「普通」と「各駅停車」がごっちゃになる傾向があって気になる(特に東武)。京急は「普通」で統一できているけれど。その目線で見ると、南海は「普通」と「各駅停車」両方があって、厳密に区別されているのが目を惹く。南海線が「普通」(今宮戎・萩ノ茶屋に停まらないから)、高野線が「各駅停車」。
5月に南海線の上りが高架に切り替わると同時に、高師浜線は約3年間の運休になり、バス代行輸送になります。そのお知らせ。道路事情もあってか、今の駅とはだいぶ違う所の発着になる。伽羅橋は2か所。
この高師浜線代行輸送の発表も、今回の関西詣で(+羽衣泊)の理由の一つになりました。バス代行になる前に乗っておきたいと。
現状は欠き取り式ホーム発着の、高師浜線。左側は南海線の9200系空港急行。
高師浜線の2200系。汐見橋線(高野線)・多奈川線などと共通運用になっているはず。元の高野線22000系からかなりの年月になっているので、数年のうちに2000系あたりに置き換えになりそうな気がするが、どうだろうか(再開時には?)。
端折ってしまったが、終点の高師浜駅のホーム。高師浜線自体は、既に高架線。
高師浜駅。南海線の駅はいい駅舎がとても多いが、高師浜も、その一つでしょう。手前の自動販売機がやや邪魔ではあるが。
ただ、改札から高架のホームへは、現状では階段しかない。電車運休の約3年の間で、この駅自体もバリアフリーの整備が進められるはず。
南海線の、大晦日の延長運転の取りやめのお知らせ。当初は、南海線は元日の3時頃までは延長運転を行うと発表していました(終夜運転は行わない)。
次の電車で羽衣に戻ります。伽羅橋も高架駅。
伽羅橋駅の、高師浜線の時刻表。高師浜線も、平成が始まった時点では日中15分間隔だったものが、20分間隔に削減されています。今の南海線が15分サイクルなので、本当は高師浜線も15分間隔が維持されれば、空港急行への接続が良くなるのだけれど、再開時に元に戻せませんかね?
羽衣駅到着直前の踏切。高師浜線の踏切は、南海線と共用のこの1か所だけ。南海線上り高架切り替えと、高師浜線休止で、この踏切も廃止になります。
羽衣から浜寺公園まで1駅だけ、普通電車で移動します。8300系のドア脇にはこんな表示が。
浜寺公園は年始に乗り降りした所だけれど、まだあの頃とは変わりがありません。浜寺公園の高架化は高石市内の事業とは別物で、まだ高架橋は姿を見せていないし、時間がかかりそう。変則欠き取り式の4番線に発着し、通過待ち。
旧浜寺公園の駅舎。
阪堺電軌の浜寺駅前。
石津北は6年前(2015(H27)年2月1日)に開業した駅だが、まだ乗り降りした事がなかった。去年の年始も降りていないから、今回初めて降りました。踏切で交差する泉北1号線の大きな通りを挟んで、点対称でホームがあります。これは上り天王寺駅方面。
これは下りの浜寺駅前方面。南海線の石津駅までは、歩いて10分程度かかります。
専用軌道上の駅です。下り電車が停車。
住吉大社の初詣の広告、なのだが、「Withコロナ」時代の注意事項が書き加えられていました。
「堺トラム」が来ました。年始には3編成とも撮ったが、乗るのは初めて。観察はまた別の機会にします。
その後に入ったNew Comer、1101形は、初めて見ました。
年始には乗らなかった恵美須町行に乗るので我孫子道で降りたが、「堺トラム」同士の出会いになりました。
住吉大社。年始の賑わいが思い出される。161形が3両全部出動していたのだが、今年始はどうなったのだろうか。
元々、こちらが阪堺線としてメインライン(恵美須町~浜寺駅前)だったはずだが、運転系統の変更の結果、恵美須町~住吉間は寂れてしまって、日中は24分間隔にまで削減されています。線路もあまり整備されていないようだし。上町線と南海線に挟まれ、地下鉄堺筋線もあるというロケーションもあるだろうが、このままではまずいと思う。「堺トラム」も入らないし。残すなら、何らかの手を打たねばなるまい。阪堺電軌だけではなく、大阪市の姿勢も問われる事になると思う。
朝っぱらは雨模様だったのに、急速に晴れてきました。今池町から、ビルの谷間に垣間見る「ハルカス」。
鉄橋の下は、旧南海天王寺線の跡です。
でも、大阪の、特にミナミのランドマークと言ったら、やっぱり通天閣、やろ?
仮設の印象が強い、今の恵美須町駅。
旧恵美須町駅の跡地。どうなるのか。阪堺電軌共々、気になる。
晴れてきたので、近鉄の電車、特に「ひのとり」を撮りたい。堺筋線と近鉄を乗り継いで行く。
近鉄と言っても、近鉄日本橋からの電車は阪神編成で、初詣の広告が、タカラジェンヌとタイガースの選手という、阪神と阪急が同じグループになった今を象徴したものになっています。
大阪線に乗り継いで、俊徳道で降りました。上りホームから撮る。
京都線から転用になった9200系。3両目のサ9310形の形状が異なるのですぐ解るが、近鉄はもう10年以上も通勤車の新造がないので、正直面白みがない。
1時間以上粘ってみたが、この「ひのとり」は回送電車と被ってしまった…。1時間前の列車は撮れているが、ただここは、沿線のビルとかが車体に反射してしまって、特徴的なワインレッドカラーがキチンと出ない。
30000系「ビスタEX」も3本通過したが、太陽が雲に被せられたり、このように上り電車に被せられたりで、キチンと撮れなかった。取り直したいが、次はもっと田舎で撮りたい。
もう少し粘っても良かったのだろうが、帰りも基本は「青春18きっぷ」使用で、そろそろ帰り道の事も考えなければならないので、ここで京都方面に向かう。
今の俊徳道は、近鉄とJRおおさか東線の乗換駅だが、両社の駅に挟まれた広場には、大阪バスの路線バスがいました。
布施まで戻っても良かったが、奈良線の河内永和駅も、歩いて10分程度。河内永和からの東花園行も、阪神電車でした。
若江岩田~河内花園間で近畿道と交差するが、この付近に、大阪モノレールの新駅ができる事になる予定。当然近鉄側も乗り換え用に駅を造るでしょう(近鉄は何の発表もしていないが)。この両駅間は900mしか離れていなくて、さらに間隔が近くなる事になる。
東花園で、後を追ってきた快速急行が通過。これも阪神。並びました。
後続の区間準急に乗り換え。
石切まで急坂を駆け上がり、大阪の街並みを見る。ハルカスも確認できます。
さらに石切で急行に乗り換えて、西大寺で京都線の普通電車に乗り換えます。
普通電車なので、通過待ち・待ち合わせが多い。高の原で特急通過待ち。
おお、12200系ともすれ違いました。何十年も見慣れたカラーだが、他の特急車が全部新カラーになると、古臭さはぬぐえないかなあ。引退までのカウントダウンは始まっているはずだが、今の所正式な発表はない。いつまで?
こんな感じで、京都に着きました。近鉄も、もっと時間が欲しい…。
この日は、「青春18きっぷ」は京都からスタート。京都15時00分発新快速3472M。
米原からの大垣行は230Fは、311系4連。315系が入って国鉄時代の211系などを置き換えると、311系がJR東海では最古参、となってしまうのか。いや、311系も置き換えの対象らしいが…。
前日は真っ暗だったから見られなかった伊吹山。雪を被っています。ちょうど新幹線が通過。
沿線には雪が積もっている。まだ大した事はなかった。新年になってから、豪雪で大変だったらしいが。
大垣からは、特別快速2106F。313系8連。
最初は名古屋で降りて、〔ひかり658号〕に乗り換えるつもりだった。しかし、この日の「青春18きっぷ」の出だしが遅く、もう少し有効活用したい。帰りが遅くなるが、豊橋から〔こだま
〕利用に変更、特別快速は、豊橋まで乗り通してしまいます。
岐阜を過ぎて、311系4連とすれ違うが、えっ、特別快速!?311系4連でなんてあったっけ?と一瞬慌てたが、岐阜止まりの普通347Fで、終点目前で行先・種別を切り替えている、その最中だったのでしょう。
名古屋を過ぎるとどっぷり暗くなって、特に記すような事はない。空いていました。年末だからか、コロナ禍があるのか、両方だろう。
豊橋は33分の乗り継ぎ時間があるが、駅弁は前日と同じものしか残っていない。「秘境弁当」も食べているしなあ。従って、在来線の駅のコンコースにあるうどん屋で、立ち食い(だったっけ?)のてんぷらうどんで夕食にして、列車を待つ。
18時41分発の〔こだま744号〕。
降りてくるお客さんは、多かったです。
この先、熱海以外は全て後続の〔のぞみ〕〔ひかり〕通過待ちがあり、小田原まで1時間33分かかりました。それでも在来線の普通電車と比べたら、圧倒的に早いのだが。
最後に、毎年恒例の南海「ご入学 学文路駅入場券セット」。今年はスタンド形式で、硬券5枚の台紙を差し込む形態。また、お年玉付き年賀はがきも付録でついています。裏面は絵馬で、願い事を書いて投函すると、学文路天満宮に届きます(ひょっとしたら、これもコロナ禍の対策なのかも知れない)、800円で、年賀はがきの63円はサービス。今年で発売開始40年になるそうだが、この入場券セットの発売がある限り、私の年末または年始の関西詣では、間違いなく続きます。
こんな感じで、2020(R2)年の関西弾丸旅行は終わりました。去年は年の初めも関西、最後も関西となりました。何度も書いてしまうが、本当にもっと、時間が欲しいです。
それにしても、列車の内も外も、再度の新型コロナウィルス感染禍の影響が、そこかしこに出ていて、少々気が重い部分もありました。今回はまだ良かったかも知れない。新年になって翌週、今度は北海道へ行く事になるが、もっと厳しい現実を見る事になります。来月書きます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
18日 「こどもホスピス」 横浜市金沢区で地鎮祭
(自賠責保険料6.7%引き下げ 審議会で決定 コロナ禍などで交通事故減少)
19日 横浜市林市長 左顔面まひで再度入院
(市民対象 1,000円でPCR検査 栃木県那須塩原市)
コロナ禍で1日の死者数が100人を突破、重症者数も1,000人突破と、いずれも過去最高となりました。世論調査などでは、「緊急事態宣言」発出が遅すぎたという声が多いそうだが、私が思うに、これって、ホンネ、なんですかね?でなければ、週末の行楽地等の人出が前回発出時より多くなるはずはない、と思うので。私も正直そうなので(遠出はしていないが)人の事をどうのこうのいう事はしない。前回、去年4月の発出時に外出自粛が強く要請されたが、その期間中の「巣ごもり」やら、「おうち〇〇」とかが、大半の国民にとって、精神的に極めて深刻なダメージを与えた、その反動なのだろうと思っています。「ステイホーム」の聞こえは良くても、それが現状では仕方のない事だとしても、閉鎖的な世界に閉じこもる事によって生じる心の苦痛には代えがたい、という事ではないですか?責任ある立場の人々は「とにかく外出自粛を」と叫ぶばかりで、確かにそれしかない、そう言わざるを得ない事も認めるが、どこか、「心」が感じられない気がしてなりません。その対策も結局は「カネ」しかない、その額が多いか少ないか、それだけ。初回の発出時にも思った事だけれど。金銭的な埋め合わせだけでなく、人の、精神的に抑圧された部分を健全に発散させる方法が見いだされないと、感染が収まったとしても、人々の日々の生活に、重苦しいものを残し続ける事になると思います。いつまでも。