2回間が空いたが、南東北のJR線の旅、続けます。
仙台に投宿した翌日、メインの目的は、3月に全線の運行を再開した、常磐線の全区間を乗り通す事でした。
しかし、再開区間(富岡~浪江間)を含む原ノ町~いわき間の運行本数は、現状では普通列車は11往復と限られており(他に特急〔ひたち〕3往復)、仙台から乗り継いでいく場合、仙台発7時19分発の次は、10時17分発まで、原ノ町からの接続がありません。
そこで、朝方は、これも何十年も乗っていない、東北本線の利府支線に乗り、その後常磐線で南下、というプランニングで行ってみようと思います。
画像が多くなるので2回に分けて、今回は原ノ町までです。
10月5日(月)
仙台8時25分発の利府行1427M。岩沼始発で、701系の6連。
元々遅れて着いたうえに、やはり遅れ気味の仙石東北ライン5545Dを先発させ(始発なのだが)、その後小牛田からの2528Mの到着を待って、結局10分遅れで仙台出発。
岩切で本線から分岐して、利府支線へ。左側に、東北新幹線の総合車両センター。
「EAST-i」の姿もありました。
利府に到着。ここも、何年ぶりだったっけ。もう完全に、忘却の彼方。
遅れはほとんど取り返せず、折り返し4430Mの出発時刻を過ぎての到着。慌ただしく仙台へ折り返していきました。
利府駅は、今は完全に行き止まりだけれど、1962(S37)年の岩切~品井沼間ルート変更までは、こちらが本線として、北へ路線が繋がっていました。でももう58年も前で、もはや見る影もない。
利府駅。
オリンピックの幟。
道端には、サッカーボール形のモニュメントが並んでいます。
利府駅は、オリンピックのサッカーの会場の一つ、宮城スタジアム(今年4月からキューアンドエースタジアム宮城と呼称。なお、ベガルタ仙台のホームは、地下鉄泉中央駅に隣接するユアテックスタジアム仙台)の最寄り駅(と言っても結構遠い)です。2002(H14)年にはサッカーW杯も行われました。来年は7月21日の女子2試合を皮切りに、男女合わせて10試合が行われる予定です。
今の利府駅は、相対式の2面2線。通常は駅舎側の1番線発着で、2番線の発車は朝の1本だけ。ホームは6連分。
このたたずまいを見ると、内も外もごく普通の、郊外の住宅地にある駅の装い。オリンピック会場の最寄り駅という雰囲気は、幟などを除くと正直あまりない。本当なら今年の夏は、外国からも含めて大勢の人々で賑わったはずだけれど、逆にキチンとさばけたのかな、という気もしました。来年の仕切り直しでは、利府駅はどのような賑わいを見せるのだろうか。
1本後の4432Mで、仙台に戻ります。701系の4連。この列車も、仙台からやや遅れて着いた。
新幹線の基地はよく見ると、E7系の姿が数本見られました。一方で「EAST-i」は姿がなかった。仕事に出ていったようだ。
岩切。左は行き違いとなった、利府行4435Mで、E721系4連。右は通過の仙石東北ライン特別快速5527D。E721系とHB-E210系、顔つきはほぼ同じだ。
仙台駅に戻ってきました。駅ビルのコンコースでは、「仙台ノウフクマルシェ」を開催中。障害者の福祉事務所が作った物産を販売してます。私もお菓子を数点購入させていただきました。
前にも見て頂いたと思うが、コインロッカーは石ノ森章太郎デザイン。サイボーグ009が中心だが、さるとびエっちゃん、ロボコン、ゴレンジャーも描かれている。
石巻に関わる小展示も。
主に常磐線が発着する5・6番線ホームへの階段には、〔ひたち〕の装飾が張り巡らされていました。仙台では〔北斗星〕廃止以降、久しぶりの在来線定期特急になります。
発車案内表示。〔ひたち14号〕が出発間近だが、「品川」の2文字が、仙台では違和感ありあり。震災前、仙台では見なかった行先だから。
その、〔ひたち14号〕。
側面の表示。
その直後の原ノ町行236Mに乗車するが、始発で出庫と思われるのに、遅れて入線してきた。何回か訪ねて感じるのは、どうも仙台という場所はローカル列車の遅れが、小さいけれど出やすい気がする。首都圏ほど本数は多くないのに。線路の配線、とかが影響しているのだろうか?E721系2連+701系4連。
車内には、津波警報発表時の、列車からの脱出の手順が記されていました。
岩沼から常磐線に入ると、特に踏切で、「避難場所まで〇〇m」の表記が目立つようになる。
浜吉田を過ぎると、高架の新線になります。津波で被災した在来線より、山側に迂回する事になる。
山下駅。ここで折り返す列車もあるが、新駅は単純な1面2線。
新線は、トンネルを突っ切っていく。名前が記されていない(第2戸花山トンネルらしい)。
坂元が間近。コンクリートトラス橋を渡って到着した坂元駅は、行き違いができない棒線構造。
高架線からの、海側の眺め。これを見る限り、高架線のあたりまでは、津波の直接の被害は及んでいないように見えたが、実際はどうだったのだろうか。
坂元から新地にかけて、県境を跨いで直線が続く。
原ノ町に着きました。E721系はここで切り離されて入庫、701系4連が、折り返し245Mとなります。
ここでいわき行に乗り換えて、再開区間を行く事になるが、次回です。原発事故被災地の厳しい現実を、ほんの少しでしかないが、垣間見る事になります。
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