宮城県も今月頭、JR線と地下鉄線に乗ってきました。と言っても仙台は、今回はほぼ泊っただけで終わっているが、それでもかなり久しぶりに、利府支線に乗ってきました。また、震災後初めて、常磐線で上野を目指しました。後日書きます。
東北随一の大都市 鉄道サービスの改善進む
震災乗り越え 仙石東北ラインスタート
震災乗り越え 仙石東北ラインスタート
平成前半の東北新幹線
東北新幹線は、平成の世が始まった時点では通過駅がある速達タイプの〔やまびこ〕と、各駅停車タイプの〔あおば〕の2本建てだった。しかし〔やまびこ〕は、列車によって停車駅がかなり異なり、東海道・山陽新幹線〔ひかり〕〔こだま〕ほど明確ではなかった面もあった。
民営化以降の各新幹線は、しばらくは質的なサービスの改善に力が注がれていたが、東北新幹線では1990(H2)年、2階建て車両が当時の主力の200系の一部編成に、2階建て車両が組み込まれた。先行して導入された249形は、2Fはオープンタイプのグリーン室、1Fは1人及び2人のグリーン個室と、4人掛けのコンパート普通席、後から導入の248形は、1Fはカフェテリアを設けた。2階建て車を組み込んだ編成は、〔あおば〕から転用の車両も組み込んで16連となった。単独編成では今でも、JR東日本の新幹線では最長である。10月1日にはくりこま高原駅が開業。民営化後のJR東日本の新幹線では初の新駅である。
翌1991(H3)年6月20日、東北・上越新幹線は難工事のすえ、ようやく東京への乗り入れを果たした。2階建て編成を組み込んだ編成は主に速達タイプの〔やまびこ〕に使用され、「スーパーやまびこ」とも呼ばれた。東京~仙台間はノンストップで最短1時間44分だった。
一方、特に首都圏の通勤需要の増大などがあり、輸送力の増強が急務となりつつあった。1994(H6)年7月デビューのE1系は、新幹線初の全2階建て車両で、200系と比較して、編成あたりの定員が4割程度増加した。「MAX」の愛称を持ち、〔MAXやまびこ〕〔MAXあおば〕で運用についた。1997(H6)年には、分割・併合を考慮し、2編成併結に最大16連で運転されるE4系もデビューしている。
1995(H7)年12月改正において、運行形態の大幅な再編が行われた。〔やまびこ〕は停車駅のパターンを大幅に変更、各停タイプの〔あおば〕は、削減が進んだ。1997(H9)年10月には愛称が行先別に整理され、開業以来の〔あおば〕の愛称が消滅、〔やまびこ〕に統一されている。1999(H11)年にはE1系が撤退、上越新幹線に転用された。
進む仙台圏の輸送改善
在来線では、東北本線は、仙台近郊は既に電車化が相当進んでいたものの、純粋な近郊型は国鉄時代に導入された417系と717系のみで、他は、寝台電車583系を改造した715系と、普通電車に転用された急行型が主力で、ラッシュ輸送に適さなくなっていた上、老朽化が進んでいた。このため、民営化後初の交流専用近郊型719系が開発された。車体は211系をベースとした3ドアとなり、集団見合式のクロスシートが配置されている。1990(H2)年以降、東北本線の他、常磐線や仙山線と、仙台を中心とした路線に順次導入されていった。
この他、仙台近辺の各路線では、国鉄時代末期から新駅の開業や列車の増発が行われており、徐々に大都市圏の鉄道サービスを拡充させていった。一方で東北本線の福島県境を跨ぐ区間は削減も行われたが、高速バスとの対抗のため、快速〔仙台シティラピッド〕が仙台~福島間で運行されている。
宮城電気鉄道を始祖とする仙石線は、東北地方では唯一の直流電化路線であり、平成の世には103系、105系が使用されていた。仙台~苦竹間は連続立体交差事業の対象となり、仙台~陸前原ノ町間は2000(H12)年、別線の地下線に移行した。仙台からはあおば通まで地下線で延伸し、仙台市営地下鉄南北線との接続駅としている。なお、仙台市営地下鉄との相互直通運転の構想は断念された。
2002(H14)年には首都圏から205系が転入し、103系を順次置き換えていった。先頭車改造を行って4連化し、トイレの他、一部の編成ではクロス⇔ロングシートの転換を行える2WAYシートを設置している。2003(H15)年には一部編成が、宮城県出身の漫画家、故石ノ森章太郎氏の作品のキャラクターを描いた「マンガッタンライナー」となった。
2007(H19)3月18日、名取~仙台空港間に仙台空港鉄道が開業した。地方空港のアクセス鉄道は宮崎空港に次いで2例目、JR以外では初である。JRの新型近郊電車E721系500番台と同型のSAT721系が導入され、仙台~空港間でJRと相互直通運転を行っている。
一方、仙台から離れた陸羽東線は、昭和時代には仙台から直通の急行も走り、山形新幹線工事中には寝台特急〔あけぼの〕の迂回ルートともなったが、現在は快速列車もなくなり、定期列車は普通列車のみの運行となった。小牛田~古川間の設定が多いが、近年は鳴子温泉を中心とした観光輸送に活路を見出そうとしており、2006(H18)年には山形県側と合わせて、駅名の一斉の改称を行った。2008(H20)年からは、観光列車「リゾートみのり」が、仙台~小牛田~新庄間で運行されている。
東日本大震災からの復興と 新幹線高速化
2002(H14)年12月1日、東北新幹線は八戸へ延伸。E2系による速達列車〔はやて〕が新設された。大宮~仙台間ノンストップ運転を基本となり、東京~仙台間は約1時間50分で結ばれる事になった。さらに青森延伸翌年の2011(H23)3月5日、新車両E5系による最速達列車〔はやぶさ〕が運行を開始した。同系には最上級クラス「グランクラス」が設定された。ファーストクラス並の大型リクライニングシートに、専任アテンダントによる軽食やアメニティの提供などのサービスが提供される。東京~青森間2往復、東京~仙台間1往復でスタート。東京~仙台間は途中大宮のみ停車で、最速1時間35分にまで短縮された。この影で、開業以来の200系は、東北新幹線から撤退した。
しかしその6日後、東日本大震災が発生。太平洋沿岸を大津波が襲い、壊滅的な被害をもたらした。宮城県だけで1万人を越す犠牲者を出したこの震災は、県内の鉄道にも甚大な被害をもたらした。沿岸の常磐線、仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線は津波の直撃により、列車自体が流出するなどの被害を受け、復旧まで相当な期間を要する事になった。
常磐線は、浜吉田~相馬間の再開が2016(H28)年12月10日と、被災から5年以上の年月を要する事になった。駒ヶ嶺(福島県)~浜吉田間は内陸寄りに迂回するルートに変更、新地(福島県)、坂元、山下の各駅は高架線上の新駅に移転している。
その前年の2015(H27)年5月30日には、仙石線・高城町~陸前小野間が再開していた。こちらも東名・野蒜駅付近は、山側に迂回するルートに変更されている。同時に、松島付近の東北本線と仙石線が併走する区間に連絡線を新設、仙台(地上)~石巻間を快速運転で短絡する「仙石東北ライン」が運行を開始した。電気方式が異なるため、専用のハイブリッド車、HB-E210系が導入されている。同区間は最速52分で結ばれる事になった。翌年には石巻線女川への直通も設定されている。震災前に快速電車が運行されていた仙石線はこの時点で、全列車各駅停車に統一された。
石巻線も、最後の浦宿~女川間が再開したのは、仙石線再開の直前の2015(H27)年3月21日になってからであった。女川駅は内陸寄りに移転している。
一方、気仙沼線(柳津~気仙沼)・大船渡線(気仙沼~盛)は、鉄道による再開は断念され、一部専用道を走行するBRT(バス高速輸送システム)に転換される事になった。2013(H25)年よりJR東日本自らが運行(地元事業者に委託)。当初は首都圏からの中古車両を使用し、後にハイブリッド・ノンステップ車を導入、また観光タイプに改造された車両も使用されている。本吉~気仙沼間では、EV(電動バス)も導入された。
東北新幹線も被害が大きく、余震の発生もあって不通と再開を繰り返し、全線で再開したのは4月29日であった。震災前のダイヤに復帰したのは同年9月23日である。
その後、E5系と秋田新幹線E6系の導入が進み、〔はやて〕の〔はやぶさ〕転換が進んでいる。2013(H25)年改正では、最高速度の320㎞/hへの引き上げにより、東京~仙台間(上野・大宮停車)は最速1時間34分にまで短縮されている。E4系の撤退もあって、東北新幹線は全体的に所要時間が短縮された。航空との競争や2016(H28)年3月26日の北海道新幹線開業もあり、東北新幹線は、スピードアップに施策の中心が振れる事となる。
平成になった時点で、在来線の昼行特急は、常磐線からの特急〔スーパーひたち〕のみとなっていた。山形新幹線工事期間中には〔つばさ〕の仙台発着もあったが、福島県内の常磐線の不通が続いている事もあり、〔カシオペア〕廃止以降の宮城県内は、在来線の特急・急行がない。
伸びる地下鉄と 消えたローカル鉄道
仙台市営地下鉄南北線は、1992(H4)年7月に八乙女~泉中央間が延伸開業した。当時の泉中央は泉市にあり、越境の開業となったが、同市は翌年、仙台市に編入され、泉区となっている。震災後の2015(H27)年12月6日、東西線が全線で新規開業した。日本で最新、平成の世では最後の地下鉄新線の開業であり、大阪市・東京都・神戸市・福岡市・横浜市に続く6都市目・7路線目のリニア地下鉄となった。終点の八木山動物公園駅の標高は136.4mで、地下鉄の駅としては日本最高所に位置する。広瀬川橋梁区間など一部では地上に出るが、リニア地下鉄の地上区間は、橫浜市営グリーンラインに次ぐものとなった。
阿武隈急行は、かつて東北本線のバイパス機能を期待されて計画されたものの、特定地方交通線に指定された丸森線区間を残して工事が凍結された区間を、丸森線も含めて昭和末期に転換・開業した第3セクター鉄道である。朝夕には仙台への直通列車が設定され、土休日には1往復に〔ホリデー宮城 おとぎ街道号〕の愛称が与えられる。JR東日本E721系ベースの、新車両の導入が予定されている。
栗原電鉄は、貨物輸送は昭和末期に廃止されており、鉱山への貨物専用区間は廃線となっていた。観光客誘致をもくろみ、1990(H2)年には細倉駅を移転する形で、細倉マインパーク駅を貨物専用路線跡に新築、200mではあるが旅客路線を延長している。その後、鉱山経営企業の撤退により、1995(H7)年4月、地元自治体等出資の第3セクター鉄道、くりはら田園鉄道に転換された。コスト削減のため電車運転を取り止め、鉱山の町をイメージしたDCに転換。新駅設置など企業努力に努めたが、旅客の減少に歯止めが掛からず、結局2007(H19)年3月を持って廃止となった。若柳駅の跡地には、「@くりでんミュージアム」がオープンしている。くりはら田園鉄道の廃止により、宮城県内から純ローカル鉄道は消滅した。
データ編は次回です。
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《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
11日 タイ東部 踏切で貨物列車とバス衝突 バス乗客ら18人死亡
(岸和田だんじり祭 引き回しは中止 神事のみ)
踏切事故の動画は生々しいですね…。見た限り、一旦停止はしていなかったように見えました。少なくとも3線ある幹線のようだが、遮断機はなかったという事。