№2221 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 5.山形県

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 平成時代の都道府県別鉄道回顧、今回は山形県です。
 日曜日に休みを頂いたのは、実は南東北の方に泊りがけで出かけていたからでした。メインは3月に全線の運行を再開した常磐線で、昨日は途中、大野駅にも下車しているのだが、前日の日曜日には、福島~山形間の「山形線」(奥羽本線)に乗車しています。上の画像は、平成の世になった1989(H元)年の暮れ、12月28日の大沢駅で、当時は、後述するが、板谷峠区間の4駅連続スイッチバックが何といっても名物でした。EF71+ED78+50系客車2連という、現代ではずいぶんと大げさな編成だったものです。一方で福島駅構内では、山形新幹線の工事が既に始まっていました。それ以来、31年ぶりの乗車になったのだが、さすがに電車列車(719系)だったものだからスイスイ走れるけれど、スイッチバックはもうほとんど面影がなくなっていました(大沢はまだ残っていたが)。赤岩(福島県)に至っては全列車通過です。確かに人家は全くなくなって、次の改正あたりでは廃止になるかも、とも感じました。他の山形県内の3駅も、どうなるのか。峠は「力餅」の販売もあってか、遠方のファンの姿もあったが。この旅に着いては、後日書きます。

山形の鉄道を変えた 初の新在直通新幹線
東京への足は新幹線経由にシフト


初の新在直通「ミニ新幹線」
 山形新幹線が開業したのは1992(H4)年7月1日。それまでの、在来線とは別の高規格専用軌道を整備した新幹線と異なり、在来線を標準軌に改軌して整備を行った、初の新幹線となった。この開業、そして後の新庄延伸は1990年代の、特に内陸の置賜・村山・最上地域のJR各線に大きな影響を与えた。
 新幹線と在来線では、軌間だけでなく、建築限界や電圧など規格が大きく異なるため、新在直通用400系が開発された。車体サイズは在来線に合わせたため、「ミニ新幹線」の異名も持つ。保安装置は新幹線・在来線双方に対応し、性能的には高速運転を行う新幹線と、急勾配・急カーブが多い在来線の双方に対応している。新幹線駅ホームの乗降のため、ドア部に可動ステップが備えられた。400系は、「山形ジェイアール直行特急保有会社」が保有し、JR東日本に運行を委託する形を採った。
 工事は1990(H2)年9月より始まり、福島~山形間を通過していた寝台特急〔あけぼの〕は、2往復中1往復が陸羽東線経由、1往復は〔鳥海〕に改称の上、羽越本線経由に変更された。急行〔津軽〕は仙山線経由に変更され、583系寝台電車に置き換えられた。
 さらに1991(H3)年8月27日には、工事の深度化により、バス代行も交えた本格的な運行形態の変更が行われた。福島で東北新幹線から接続した特急〔つばさ〕は仙台発着・仙山線経由に変更。東北新幹線開業後も上野発着で残っていた1往復も仙台経由に変更されている。新潟~山形間を結んでいた急行〔べにばな〕は、米沢発着の快速に格下げされている。11月には福島~山形間の全区間が標準軌に切り替わった。この区間にある板谷峠には4ヶ所連続のスイッチバック(赤岩(福島県)・板谷・峠・大沢)があり、名物となっていたが、新ホーム建設で全て解消され、改軌前の50系客車に代わり、719系5000番台が導入された。JR初の、標準軌用在来線車両である。
 山形新幹線の列車は、愛称を在来線から引き継いで〔つばさ〕と命名された。東京~福島間は1往復を除いて200系〔やまびこ〕と併結。新幹線の併結運転は、初のケースとなった。東京~山形間の最短は、途中福島のみ停車の〔つばさ101号〕で、2時間27分となった。山形から接続する特急には、〔こまくさ〕の愛称が与えられた。

〔つばさ〕新庄延伸 足湯列車も
 1999(H11)年12月4日、山形新幹線は新庄まで延伸。同区間も標準軌化されたが、山形~羽前千歳間は左沢線・仙山線が直通するため、狭軌(1,067㎜)との単線並列となっている。さくらんぼ東根駅は1995(H7)年12月改正で蟹沢駅が移転して開業していた駅で、それまで特急や快速が停車していた東根駅に代わり、東根市を代表する駅となった。
 新庄延伸時より〔つばさ〕には新たに、E3系が導入された。1000番台として区別されているが、秋田新幹線〔こまち〕の最新編成と基本的に同じ仕様となっている。E3系はこの後2008(H20)年より、400系置き換え用の2000番台も導入され、E7系に置き換えられた秋田新幹線用の編成も一部改造転入、400系は2010(H22)年4月に退役した。普通電車には701系5500番台が新規導入されている。
 秋田新幹線から転入したE3系のうち1編成は2014(H26)年、新幹線初のリゾート列車「とれいゆ」に改造された。足湯や湯上がりラウンジを設け、6連中3両をお座敷タイプに改造している。〔とれいゆつばさ〕の愛称で、福島~新庄間の臨時特急として土休日を中心に運行しているが、2018(H30)~2019(H31)年の年末年始には、東北新幹線への直通運転を行った。
 新庄以北は特急に代わり、701系による快速〔こまくさ〕が設定された。既に〔津軽〕は1993(H5)年の改正で臨時格下げの後廃止、〔あけぼの〕は1997(H9)3月改正で廃止になっており(羽越本線の〔鳥海〕を〔あけぼの〕に改称)、内陸の置賜・村山・最上地域は、在来線としての特急・急行は全てなくなった。快速〔こまくさ〕も後には普通に格下げされ、さらに県境を挟む真室川~院内間は、普通電車も削減が行われている。
 仙山線は、仙台と山形の両県庁所在都市を結ぶ幹線的な役割もあるが、近年は仙台側の通勤線区の性格が濃くなった。かつては急行や、山形新幹線工事期間中は特急〔つばさ〕も運行されたが、現在は快速と普通のみの運行である。快速は、以前は〔仙山〕の愛称があり、ノンストップの列車も設定されていたが、2004(H16)年には愛称がなくなり、近年は大半が仙台~愛子間の各駅に停車している。最速で両都市間を1時間強で結んでいるが、近年は高速バスに押され気味だ。
左沢線は、国鉄時代末期には山形~寒河江間で40分間隔のフリークェントサービスが提供されていたが、現在は、日中は1時間に1本程度となり、1時間30分ほど間隔が開く時間帯もある。 1993(H5)年には、専用の新型車キハ101形が投入された。キハ100系の一族だが、全ロングシート・トイレなしの独自の仕様になっている。同線には「フルーツライン左沢線」の愛称があり、「FRUITS LINER」のロゴマークを配した専用色をまとう。仙山線・左沢線とも、山形新幹線新庄延伸後は、標準軌線に併設する狭軌線を走行する。
 上野や仙台などからの直通の急行があり、〔あけぼの〕の迂回ルートともなった陸羽東線も、現在は普通列車のみとなり、一部を除き、鳴子温泉で系統が分断されている。2008(H20)年より、「リゾートみのり」の運行が始まった。臨時快速として週末を中心に、仙台~小牛田~新庄間で運行される。

羽越本線の変遷
 庄内地域を貫く羽越本線は、昼行は新潟で上越新幹線と接続する特急〔いなほ〕に加え、大阪~青森間の特急〔白鳥〕が、夜行は上野~青森間の寝台特急〔鳥海〕(後に〔あけぼの〕)、大阪~青森・函館間の寝台特急〔日本海〕が運行されていた。〔白鳥〕は2001(H13)年改正で廃止され運転区間を分断、新潟~青森間は〔いなほ〕となった。〔日本海〕は2012(H24)年改正までに廃止、〔あけぼの〕も2014(H26)改正で姿を消し、山形県内から夜行列車が事実上消滅した(大阪~札幌間〔トワイライトエクスプレス〕の廃止は2015(H27)年だが、山形県内には停車しなかった)。〔いなほ〕は2013(H25)年より、〔フレッシュひたち〕から転用されたE653系を導入した。〔つばさ〕〔いなほ〕など、長らく幹線特急の顔だった485系は、定期特急では山形県から姿を消した。2018(H30)年改正では新潟駅の高架化により、上越新幹線と同一ホームでの乗換を可能とするサービスが始まっている。山形県からの東京への足は置賜・村上・最上、庄内とも、在来線特急から新幹線へと完全にシフトする事となった。
 普通列車は50系の客車列車が中心になっていたが、1993(H25)年より、北部は秋田地域の701系、南部はDC列車に置き換えられた。置き換え前は羽越本線全線通しの列車もあったが、置き換え後は酒田で系統がほぼ分断された。
 2002(H14)年より、観光列車「きらきらうえつ」が運行されている。土休日を中心に新潟~酒田間で運行され、秋田まで足を延ばす事もある。新潟支社では、2019年にハイブリッドの新観光列車を製造すると発表しており、「きらきらうえつ」の今後の去就が注目される。
 米坂線は、山形新幹線工事開始までは、山形~新潟間を結ぶ急行〔べにばな〕が運行されていたが、工事で線路が奥羽本線と分断された時点で快速に格下げ、2007(H19)年には2往復のうち1往復が削減され、1往復のみ、新潟~米沢間を結んでいる。米坂線内は各駅停車になった。輸送量の減少により、特に新潟県境を挟む坂町~羽前椿間は〔べにばな〕を含めても6往復しかない。2008(H20)年より、新型キハE120形などが導入され、国鉄型車両を置き換えている。
 山形~酒田間を陸羽西線経由で運行していた急行〔月山〕には、1990(H2)年より、大幅にグレードアップしたキハ58系が導入された。しかし翌年の新幹線開業時に快速に格下げ、1999(H11)年3月には新庄~酒田間に短縮され、愛称もなくなった。陸羽西線は、現在は普通列車と共通運用の快速〔最上川〕が1往復走るのみである。

山形県唯一の第3セクター鉄道
 山形県唯一の特定地方交通線であった長井線は、平成の世になる直前の1988(S63)年10月25日、第3セクター鉄道の山形鉄道フラワー長井線となった。1974(S49)年11月に山形交通が鉄道事業を廃止して以来、山形県内では14年振りの、国鉄→JR東日本以外の鉄道会社である。転換と同時に導入した軽快DC・YR-880形には、沿線自治体などが制定した花の名前を1両毎につけ、地元デザイナーによるイラストが描かれていた。性能の向上により、国鉄・JR時代と比較して、全線で10分程度の所要時間の短縮を実現している。米坂線と接続する今泉駅の北側の白川橋梁付近は、米坂線との共用区間になっている。転換時には米沢からの米坂線直通列車が転換前から引き続き朝方に設定されていたが、1997(H3)3月に廃止。一時は快速が運行されていた事があったが、短期間で取りやめとなり、現在は線内の普通列車のみ。1990年代より経営難に陥り、公募された新社長の元で再建に努めている。近年では、映画の劇中に登場して話題となり、記念のラッピング列車も運行された。最上川橋梁のワーレントラス橋梁は2008(H20)年、土木学会選奨土木遺産に選定されている。

◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕
1989(H元)年12月16日
 山形鉄道 フラワー長井線 白兎
1999(H11)年12月4日
 東日本旅客鉄道 奥羽本線 さくらんぼ東根
2002(H14)年6月9日
 山形鉄道 フラワー長井線 あやめ公園
2007(H19)年10月13日
 山形鉄道 フラワー長井線 四季の郷

◆平成時代の改称駅
1991(H3)年3月16日
 東日本旅客鉄道 奥羽本線 高畠(←糠ノ目)
1992(H4)年7月1日
 東日本旅客鉄道 奥羽本線 かみのやま温泉(←上ノ山)
         茂吉記念館前(←北上ノ山)
1999(H11)年12月4日
 東日本旅客鉄道 奥羽本線 村山(←楯岡)
 東日本旅客鉄道 陸羽東線 赤倉温泉(←羽前赤倉)
              最上(←羽前向町)
              瀬見温泉(←瀬見)

◆平成時代の廃止駅 〔廃線に伴わない単独廃止駅〕 日付は営業最終日
1999(H11)年12月3日
 東日本旅客鉄道 奥羽本線  蟹沢
2016(H28)年3月25日
 東日本旅客鉄道 米坂線 玉川口

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山形県の歴代知事
板垣清一郎→(1993(H5)年2月14日)高橋和雄→(2005(H17)年2月14日)齋藤弘→(2009(H17)年2月14日)吉村美栄子


令和以降の山形県の鉄道
 陸羽東線、羽越本線の観光列車は共に、令和の世になって、後継車両に置き換えられた。羽越本線は新たにハイブリッドEV-E300系「海里」が、2019(R元)年10月にデビューしている。4両編成の車内はリクライニングシートとコンパートメントを併用、イベントスペースと売店も備えられている。また、旅行商品として販売されるダイニング席では、庄内と新潟の食を楽しむ事が出来る。「海里」のデビューと入れ替わりに、「きらきらうえつ」は9月29日を持って一般の臨時列車としての運用を終了、その後12月に、さよなら運転のツアーが催行された。陸羽東線の「リゾートみのり」も今年になって引退。新型コロナ禍の影響により、ラストランは当初の予定からずれ込んで8月に行われている。秋シーズンはトロッコ列車「風っこ」などの臨時列車が設定されている。

 次回は、宮城県です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 エアアジア・ジャパンが日本の路線を廃止し、日本から撤退する事になりました。12月5日に内際4路線を全て廃止します。新型コロナ禍が直接の原因ではあったが、元々新体制での再スタート後も、順調さを欠いていた所がありましたからねえ。エアアジアは、他の地域もどうなのか。日本発着路線は再開したい意向のようだが。

《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
 4日 NTTドコモ 顧客システムトラブル
(「逆四万十の日」 四万十川で船上結婚式)
 5日 近畿大学サッカー部 部員大麻使用 部活動無期限停止
(プロ野球・Jリーグ 観客上限引き上げ時の感染対策議論)
 6日 台風19号被害の保育所 1年ぶり再開 福島県須賀川市
(ロッテ 1軍関係者13人感染判明 クラスター発生と判断)