№2226 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 7.福島県(1)

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 平成の30年間の鉄道回顧、今回は福島県です。
 常磐線は今年3月14日、東日本大震災被災から9年で、ついに全線再開にこぎつけました。私も今月頭、常磐線も全線乗り通しています。詳しくは後日書くが、最後まで不通になっていた富岡~浪江間に位置する大野駅にも途中下車してきました。大熊町唯一の駅(町役場はかなり遠い)だが、駅付近は未だ「帰宅困難区域」に指定されており、民家も店も柵で覆われ、普段の生活臭というものが、全く感じられませんでした。大野駅も乗り降りはほぼなし。それでいて、〔ひたち〕は全列車停車。駅は当然駅員もいなくて、飲料の自動販売機が1台あるだけ。それでいて、広めの待合室のカウンター席はPC用のコンセント完備というのが、チグハグでもあったのだが。
 上の画像は、平成の世になって初の年末となる1989(H元)年12月の27日、久ノ浜駅を通過する〔ひたち130号〕です。この年の3月、651系〔スーパーひたち〕がデビューするが、上野~平(現いわき)間6往復(1往復だけ相馬発着)のみ、常磐線はまだまだ、国鉄色の485系の天下でした。
 なお、他都道府県もそうだが、下に書く事は基本的に、平成最後の日の2019(H31)年4月30日現在です。

大震災+原発事故 常磐線を長期分断
首都圏⇔会津の足 東武経由が強化


 福島県の地理は、太平洋に面した東部の浜通り、阿武隈高地と奥羽山地に挟まれた中央部の中通り、新潟県と境を接する西部の会津の地域に大別される。中通りは東北新幹線と東北本線、浜通りは常磐線が南北を貫き、会津地域は東北本線の郡山と新潟を結ぶ磐越西線が東西を結ぶのが、県内のJR線の基本的な路線網になっている。

山形新幹線の開業と 東北新幹線の動向
 1992(H4)年7月1日、山形新幹線が開業。奥羽本線・福島~山形間を改軌し、専用車両400系で直通運転する、日本初の新在直通新幹線となった。東北新幹線内では200系〔やまびこ〕と併結運転を行う。奥羽本線では前年より工事が進捗し、特急〔つばさ〕は仙台発着となって、上野直通を除いて福島県からは姿を消した。〔つばさ〕の愛称は、山形新幹線に受け継がれる事になる。合わせて在来線も、標準軌専用の719系5000番台が普通電車に導入されたが、県境の板谷峠にあった名物の4連続スイッチバックは解消された。唯一福島県にあった赤岩駅は、2016(H28)年より全列車通過となった。
 東北新幹線は速達タイプの〔やまびこ〕、各駅停車タイプの〔あおば〕の2本建てで運行されていたが、1995(H12)年12月改正でダイヤパターンの大幅な変更があり、〔やまびこ〕は停車駅を行先によってパターン化、〔なすの〕新設によって、〔あおば〕は大幅に減少し、1997(H9)年10月改正で消滅する事になる。なお〔なすの〕には郡山発着も設定されている。さらに2002(H14)年八戸開業でE2系〔はやて〕、2011(H22)年新青森開業でE5系〔はやぶさ〕がスタートしたが、いずれも福島県内の停車がなく、県内に於ける新幹線の主力は〔やまびこ〕であり続けている。
 東北本線は、仙台近郊で運用されている近郊電車や急行型電車が主力であり続けたが、1990(H2)年以降には719系が導入され、順次在来車両を置き換えていった。後に701系、さらにE721系も導入されている。なお、黒磯駅(栃木県)構内の交直切り替えが駅構内から本線上に変更されたため、2018(H30)年より、黒磯~新白河間はE531系またはキハ110系の区間運転となっている。

震災被災の常磐線 困難な再開の道
 浜通りの常磐線は新幹線の恩恵がなく、一方で常磐自動車道の延伸により高速バスが台頭してきたため、特急〔ひたち〕の強化が急がれる事になった。平成の世になってすぐの1989(H元)年3月11日改正で〔スーパーひたち〕が運行を開始した。651系はJR東日本初の特急車両で、在来線初の130㎞/h運転により、上野~平(1994(H6)年いわきに改称)間は最速2時間15分程度に短縮される事になった。一方、在来の〔ひたち〕は485系のまま運行され、更新工事も行われていたが、1997(H9)年よりE653系により置き換えが行われ、こちらは〔フレッシュひたち〕の愛称となった。大半は勝田(茨城県)発着だが、一部はいわき発着の設定もあった。
〔スーパーひたち〕は、一部いわきから足を延ばし、原ノ町・さらに仙台まで直通する列車もあったが、当初は2012(H24)年予定の改正において、いわきで系統を分割し、いわき~仙台間は新タイプの特急に移行する構想だった。
 ところがその前年の2011(H23)年3月11日、常磐線を災厄が襲う。東日本大震災の発生である。加えて世界中を震撼させた、福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故が発生、沿線は広域に渡って放射能に汚染され、多くの人々が故郷を追われていった。常磐線も一時は久ノ浜~亘理(宮城県)間111.2㎞が不通となった。帰宅困難区域が広範囲に設定され、立ち入りさえままならない場所も少なくなかったが、その後徐々に運行再開区間が拡大されていく。原ノ町~相馬間がしばらくの間、他区間から孤立した運行を強いられたりしたが、2017(H29)年10月21日以降、不通区間は富岡~浪江間20.8㎞を残すまでに縮小した。復興の拠点となっていたJヴィレッジの供用再開に合わせ、2019(H31)年4月20日にJヴィレッジ駅が開業したが、臨時駅ながら、これが平成最後の、日本の鉄道の新駅となった。2020年度の全線再開を目指している。
 震災では東北新幹線も甚大な被害を受け、全線再開は4月29日、被災前のダイヤへの復帰は9月23日であった。東北本線も不通となり、貨物列車も運休を余儀なくされ、福島県を中心とした南東北では燃油不足が懸念された。このため磐越西線では石油輸送の臨時貨物列車が運行され、DD51形の重連がファンの注目を集めた。
 常磐線特急は2012(H24)年改正で新車両E657系が導入され、〔スーパーひたち〕〔フレッシュひたち〕の車種が統一されていった。2015(H27)年の上野東京ライン開業に伴い、大半の特急が品川まで直通を開始。合わせて列車名を〔スーパーひたち〕→〔ひたち〕、〔フレッシュひたち〕→〔ときわ〕と改めた。〔ときわ〕は国鉄時代末期まで運行された急行の愛称であった。
 只見線・会津川口~只見間は、震災とは別の新潟・福島豪雨により、2011(H23)年7月より長期に渡って不通の状態が続いている。2017(H29)年7月になって、沿線の自治体とJR東日本の話し合いにより、福島県が線路を保有、JRが運行を担う「上下分離方式」による復旧工事の施行が合意された。2021年度の再開を目標としている。

会津への鉄路 その変遷
 平成の世になった時点で、首都圏と会津を結ぶ足は、東北新幹線・東北本線+磐越西線と、東武鉄道・野岩鉄道+会津鉄道の2ルートが確立していた。
 上野~会津若松間には、東北新幹線開業後も特急〔あいづ〕が存続していた。新幹線と競合する区間が比較的短かった事があり、〔つばさ〕と共通運用の485系が使用されていた。〔つばさ〕は山形新幹線開業の1992(H4)年に廃止となったが、〔あいづ〕は存続、常磐線〔ひたち〕との共通運用になり、上野発着の最後の東北特急となった。
 翌1993(H5)年、上野~郡山間が廃止、上野から東北本線の黒磯以北へ直通する昼行特急は全廃となった。磐越西線内の残存区間内では愛称を〔ビバあいづ〕と改め、改装工事を行った専用の編成で運用された。しかし2003(H15)年には快速に格下げされ、磐越西線からは特急が消滅した。現在は主に、普通電車と共通運用の愛称がない快速電車が、新幹線と接続して会津地方と連絡している。
 磐越西線は観光資源が多く、様々な観光列車が運行されている。新津につながる西部の非電化区間では、1999(H11)年より、C57 180号牽引の〔SLばんえつ物語〕が運行を開始。客車の代替わりもあって、人気列車として定着している。東側は、719系を改造した観光列車「フルーティア」が、2015(H27)年より運行。車内では福島名産の果物を使ったスィーツが提供される。週末を中心に、定期列車に併結されて運行される(冬季は東北本線で運行)。
 一方、会津鉄道は1987(S62)年7月、特定地方交通線のJR会津線を転換して開業した第3セクター鉄道で、終点の会津高原(現会津高原尾瀬口)では、栃木県からの野岩鉄道と接続していた。野岩鉄道は東武鉄道と相互直通運転を行っており、快速電車を中心に、東武の快速急行〔おじか〕も運行されていたが、沿線の中心の会津田島へは、乗換を必要としていた。このため、交付金を財源として会津田島~会津高原間を電化、1990(H2)年10月より、野岩鉄道の列車の直通運転が行われている。この際、会津鉄道も6050系電車を用意したが、東武鉄道の同型と共通運用を行っている。
 会津鉄道でも観光列車として、国鉄型DCを改造した「トロッコ列車」〔会津浪漫号〕を、1999(H11)年より運行開始した。2010(H22)年には新車両AT-350形に置き換えられている。また、2001(H13)年には、野岩鉄道直通の快速〔AIZUマウントエクスプレス〕が運行を開始。当初は、名鉄の8500形を購入して運行したが、老朽化により、こちらも2010(H22)年に新車両AT-700系に置き換えられた。
 2005(H13)年には、快速の直通区間を東武鬼怒川線鬼怒川温泉まで延長し、JR只見線も含めて、会津若松~鬼怒川温泉間4社の直通運転となった。その後、東武の日光への観光輸送強化策に乗り、2012(H24)年には、一部列車はさらに東武日光まで運行区間を拡大する事になった。
 さらに、東武は新型特急車両「リバティ」500系を特急〔リバティ会津〕に投入、2005(H17)年の〔南会津〕廃止以来12年振りに、浅草からの優等列車が直通する事となった。会津鉄道では今後も、特に東武の観光輸送政策によって、運行形態の変化が起こる事も予想される。

中通りの私鉄・第3セクター鉄道
 福島交通の鉄道線は、1971(S46)年4月以降は飯坂線のみとなった。平成の世になった時点では、自社オリジナル車両と、元東急5000系が使用されていたが、1991(H3)年には、元東急7000系に統一されて置き換えられた。さらに2016(H28)年以降、再度元東急1000系に全車両が置き換えられている。飯坂線は平成の30年間で2度、元東急の車輌同士による総取り替えが行われた事になる。福島交通はバス事業が中心となっていたが、こちらも経営は不振で、2009(H21)年にみちのりホールディングの傘下に入っている。2013(H25)年には会津地方の会津乗合自動車も、同HDの傘下に入った。
 阿武隈急行は、福島と宮城県の梁川を結ぶ第3セクター鉄道で、元々は東北本線のバイパス線として建設が始まりながら、特定地方交通線に指定された旧丸森線区間を残して凍結された路線を、全線転換・建設して、1988(S63)年に全通していた。同時に電化も行われたが、国鉄→JR以外の普通鉄道では初の交流電化となった。当初は仙台及び郡山まで直通運転が行われており、福島県側はJR車両も阿武隈急行(富野まで)に直通していたが、2004(H16)年以降、福島県側の相互直通運転は取り止めになっている。2018(H30)年には全通・電化開業からも30年経ち、車両の老朽化が進んでいるため、間もなくJRのE721系をベースとした新車両への置き換えが始まる。資本の20%を福島交通が出資、福島駅のホームは福島交通飯坂線と共用している。

 データ編は次回、日曜日です。

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 JR北海道は今日、来春のダイヤ見直しについて発表しました。コロナ禍の影響で利用者が減少しているためとして、特急から札幌都市圏、ローカルまで幅広く減便・臨時化・減車になります。
 特急は、〔北斗〕は夜間の1往復を取りやめ(夜間作業の効率化も理由としている)、1往復は臨時化(年間30日程度は運休)。〔カムイ〕〔ライラック〕は2往復を臨時化(年間230日程度運休)、〔大雪〕2往復(年間50日程度運休)と〔サロベツ〕1往復(年間30日程度運休)は臨時化。〔北斗〕は通常7連、〔おおぞら〕は6連から、共に5連に減車。札幌都市圏も10本程度の「見直し」、10本程度は土休日は運休、函館本線(滝川~旭川間)・留萌本線・石北本線・宗谷本線(旭川~名寄間)・根室本線(滝川~新得間(代行バス区間も含むようだ))(新得~帯広間)も普通列車が減便になる模様。また利用が少ない36駅のうち、18駅が一気に廃止、残りは自治体に維持管理を移行するとしています(具体的な駅名は記されていない)。
 これにより列車の運行関係で約5億円、駅の維持管理で0.5億円で経費を節減できるという事です。
 元々厳しいJR北海道なのに、特に、相当数利用してくれていたインバウンドがいなくなってしまって、特急には打撃になっていたようです。確かに今年6月末には富良野にも行ったけれど、インバウンドをはじめとした観光客は、ほぼ見られませんでした。地元の日常の利用が希少なJR北海道にとっては痛かったでしょう。しかし、当然これは北海道に限った事ではなくなるはずで、現にJR九州は11月1日より特急の減便・運行区間の短縮を実施、またJR四国は既に今月から、深夜帯の普通列車の一部を運休にしている他、〔いしづち〕2往復の運行区間を短縮し、〔しおかぜ〕との併結を取りやめにしています。当然この両社でも3月以降、このダイヤが通常ダイヤとして固定化する事になるかも知れない。いや、もっと減便が深度化する可能性もあるでしょう。
 既にJR西日本が、来春からのアーバンネットワークの最終電車の繰り上げを発表しているし(コロナ禍ありきでなく、元々去年の内に予告されていたが)、JR東日本も今月中には首都圏の最終電車の繰り上げを発表する事になっています。当然この両社、さらにはJR東海まで含めて(〔南紀〕が11月から減車を行う)、来春には相当数の列車の減便・減車が予想されます。大手私鉄なども、有料特急や地方線区は減便があるかも知れません。国内需要は少しづつは回復傾向、といっても、新型コロナウィルス感染者数は不安定な増減を繰り返しているし、さらにインバウンドの訪日は、どうやら来年もあまり期待できないだろうと、覚悟せざるを得なくなっています。正式には12月中に発表になるはずだが、来春のダイヤ改正は、この数十年なかった、極めて憂鬱なものになりそうです。これが、日本の鉄道界の発展の、大きな妨げになってしまわなければ良いのだが。
 なお、JR北海道からはこれとは別に、年末年始時期の北海道新幹線の青函トンネル区間で12月31日~1月4日の5日間、午前中から昼過ぎ位の7往復で210km/h運転を行い、所要時間を3分短縮(〔はやぶさ7・13号〕は東京→新函館北斗間3時間55分)、また学園都市線(札沼線)あいの里公園~石狩太美間の新駅設置も、リリースされています。

 米ハワイ州は、日本からの観光客に対し、指定医療機関での検査で陰性が確認されれば、到着後の14日間の自主隔離は求めない方針を決め、今後日本側との調整を進める事になりました。今すぐ緩和というわけにはいかず、年末年始のシーズンに間に合えばいいが、という所だが、ちょうど1年前にハワイに行って、日本人を中心とした賑わいを目の当たりにしてきた身としては、ともかく朗報だと思う。ANAの「FLYING HONU」も、春以降はほとんど飛べず、日本国内の遊覧飛行で飛んだだけなのだが、意欲作だけに、一刻も早く、本来のハワイ路線で本領が発揮される事が期待されます。JALの「ARASHI HAWAI JET」も、そろそろ撮りに行きたいなあ(羽田でだけれど)。

《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
14日 林 真理子 同一雑誌エッセイ連載37年 ギネス世界記録に認定
(JR四国南伊予駅 開業記念式典 コロナ禍で7カ月遅れ)
15日 女子プロサッカーWEリーグ 参入11チーム決定
(インド ほぼ全ての経済活動再開)

 WEリーグ開幕時の11チームの顔触れは、全体的に東日本に偏っているかなあの印象があります。Jリーグのように全国津々浦々にクラブができる状況になる事が望まれます。リーグそのものを代表できるようなスーパースターが出てくれば良いと思う。カズのような。
 インドは「再開」、と言っているけれど、欧州はまた感染者数が急激に増えてきていて、フランスでは再び非常事態宣言が発出されました。日本も、今日の東京都の感染者数が300人近くになり、全然落ち着きがないのだけれど(9月の4連休の影響があるのではないか)、少なくとも、もう「緊急事態宣言」発出、なんて事態には、なって欲しくない。

№2225 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 6.宮城県(2)

 宮城県内のデータ編です。くりはら田園鉄道、あと1度は、乗っておきたかったです。2週間だけ、仙台空港から細倉マインパークまで、鉄道の乗り継ぎで行けました。

◆平成時代の新規開業路線・区間 〔カッコ内は新線開業に伴う新駅(県内のみ)〕
1992(H4)年7月15日
 仙台市交通局 南北線 泉中央~八乙女
  〔泉中央〕
2000(H12)年3月11日
 東日本旅客鉄道 仙石線 あおば通~仙台
  〔あおば通〕
2007(H9)年3月18日
 仙台空港鉄道 名取~仙台空港
             〔名取/杜せきのした/美田園/仙台空港〕 ※名取は東日本旅客鉄道の駅として開業済み
2015(H27)年5月30日
 東日本旅客鉄道 東北本線  松島~高城町 ※「仙石東北ライン」
2015(H27)年12月6日
 仙台市交通局 東西線 八木山動物公園~荒井
  〔八木山動物公園/青葉山/川内/国際センター/大町西公園/青葉通一番町/宮城野通/連坊/薬師堂/卸町/六丁の目/荒井〕

◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕 ※気仙沼線・大船渡線BRTは除く
1990(H2)年3月10日
 東日本旅客鉄道 東北新幹線 くりこま高原
1991(H3)年3月16日
 東日本旅客鉄道 仙山線 葛岡
1995(H7)年12月25日
 くりはら田園鉄道 大岡小前
2001(H13)年9月19日
 東日本旅客鉄道 東北本線 国府多賀城
2004(H6)年3月13日
 東日本旅客鉄道 仙石線 小鶴新田
2007(H19)年3月18日
 東日本旅客鉄道 東北本線  太子堂
         仙山線 東北福祉大前

◆平成時代の改称駅
1990(H2)年6月16日
 栗原電鉄 細倉マインパーク前(←細倉)
1995(H7)年4月1日
 くりはら田園鉄道 鶯沢工業高校前(←駒場)
1997(H9)年3月22日
 東日本旅客鉄道 陸羽東線  西大崎(←上岩出山)
              上野目(←西岩出山)
              川渡温泉(←川渡)
              鳴子御殿湯(←東鳴子)
              鳴子温泉(←鳴子)
              中山平温泉(←中山平)

◆平成時代の廃止路線・区間 〔カッコ内は廃線に伴う廃駅(県内のみ)〕 日付は営業最終
2007(H19)年3月31日
 くりはら田園鉄道 石越~細倉マインパーク前
  〔石越/荒町/若柳/大岡小前/谷地畑/大岡/沢辺/津久毛/杉橋/鳥矢崎/栗駒/栗原田町/尾松/鶯沢/鶯沢工業高校前/細倉マインパーク前〕

◆平成時代の電化廃止路線・区間
1993(H5)年12月15日
 くりはら田園鉄道 石越~細倉マインパーク前

◆平成時代の事業者名称変更
1993(H5)年12月15日
 くりはら田園鉄道←栗原電鉄

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宮城県の歴代知事
本間俊太郎→(1993(H5)年11月21日~)浅野史郎→(2005(H17)年11月21日~)村井嘉浩


令和以降の宮城県の鉄道
 常磐線で最後まで不通だった富岡~浪江間(福島県)は今年の3月14日に運行を再開、震災から9年ぶりに、全線で運行を再開した。同時に特急〔ひたち〕3往復がいわき~仙台間を延長、宮城県では久しぶりの、在来線の特急列車となった。不通の間に、上野~いわき間の651系を置き換えていたE657系10連がそのまま上野、さらには上野東京ラインを経由して品川まで直通する(下り3号を除く)。ただし宮城県内は、1往復が亘理・岩沼に停車するのみ。一方、気仙沼線・大船渡線のBRT区間は3月をもって、鉄道としては廃線となった。
 仙台近郊を中心に使用されていた719系は、E721系への置き換えが進み、1067㎜区間では「フルーティア」編成を除き、全て引退した。
 陸羽東線の観光列車「リゾートみのり」は、今年になって引退した。新型コロナ禍の影響により、ラストランは当初の予定からずれ込んで、8月に行われている。秋シーズンはトロッコ列車「風っこ」などの臨時列車が運行されている。
 阿武隈急行では2019(R元)年7月、JRのE721系ベースのAB900系がデビューした。しかしこの年の台風19号により路線は甚大な被害を被り、富野(福島県)~丸森間が長期間不通となった。宮城県側は自社車両基地から孤立した事もあり、暫定再開後も大幅な減便を余儀なくされたが、夏以降、不通区間は回送列車のみ運行できる事となって福島側からの車両の出入りができるようになり、21往復にまで回復している。AB900系は5月から、仙台直通運用にも入るようになった。なお、不通区間は今月31日に運行を再開すると発表になった。現行の不通区間は当面、平日3往復・土休日6往復のみ(共に内2往復は仙台直通)のみ運行される。
 仙台市営地下鉄南北線は今年に入り、1000系の後継となる新型車両3000系の発注を発表した。2024(R6)年度以降に導入を始め、2030(R12)年度までに全車両が置き換えられる見込みである。なお、兵庫県の北神急行電鉄の神戸市営地下鉄編入(北神線)により、地下鉄の最高所は谷上駅(244m)となって、八木山動物公園駅は、地下鉄最高所の駅のタイトルを明け渡した。

 次回は、福島県です。やはり東日本大震災、そして福島第一原発事故は避けて通れません。

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 昨日の夕方は横浜駅で異臭騒ぎがあったそう。起きたと思われる時刻はたまたま、京急の普通電車で横浜駅を通過していたのだけれど、特におかしな事が起きたという感じはしなかった。コロナ禍の真っただ中だったから全然知らなかったが、神奈川県では6月以降、三浦半島の方でも同じような異臭騒ぎが起きているらしい。個人的には、単純ないたずら、ではないと思っているが、不気味です。

《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
12日 EU各国 対ロシア制裁で合意
(ジョンソンエンドジョンソン ワクチン臨床試験 一時中断)
13日 JR横浜駅隣接ビル工事現場で土砂崩れ 作業員巻き添え
(福岡発仁川行きアシアナ航空便 7か月ぶりに運航再開)

 作曲家の筒美 京平さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。訃報を伝えるニュースでは、代表曲のタイトルがズラッと並んでいたけれど、私くらいの世代だと、タイトルだけでうわー、すごいなー!と思ってしまう。最近のアイドル歌謡なんて全然解らんけれど、筒美氏とか、亡くなられてだいぶ経ってしまったが作詞家の阿久 悠氏のような、歌謡界全体を支えきるだけの太い柱、って、今いるのだろうか?
 NBAはロサンゼルス・レイカースが10年ぶりVでした。バスケも全然解らんが、レブロン・ジェームスって、やはりすごいな。所属経験があるヒート、キャバリアーズ、レイカースを全て、ファイナル優勝に導いているのだから。でも、他にもアメリカの多数の分野で大活躍する黒人がいくらでもいるのに、なぜ人種差別はなくならないのだろうか。

№2224 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 6.宮城県(1)

 平成時代の鉄道、今回は2回に分けて、宮城県の鉄道を回顧します。
 宮城県も今月頭、JR線と地下鉄線に乗ってきました。と言っても仙台は、今回はほぼ泊っただけで終わっているが、それでもかなり久しぶりに、利府支線に乗ってきました。また、震災後初めて、常磐線で上野を目指しました。後日書きます。

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東北随一の大都市 鉄道サービスの改善進む
震災乗り越え 仙石東北ラインスタート


平成前半の東北新幹線
 東北新幹線は、平成の世が始まった時点では通過駅がある速達タイプの〔やまびこ〕と、各駅停車タイプの〔あおば〕の2本建てだった。しかし〔やまびこ〕は、列車によって停車駅がかなり異なり、東海道・山陽新幹線〔ひかり〕〔こだま〕ほど明確ではなかった面もあった。
 民営化以降の各新幹線は、しばらくは質的なサービスの改善に力が注がれていたが、東北新幹線では1990(H2)年、2階建て車両が当時の主力の200系の一部編成に、2階建て車両が組み込まれた。先行して導入された249形は、2Fはオープンタイプのグリーン室、1Fは1人及び2人のグリーン個室と、4人掛けのコンパート普通席、後から導入の248形は、1Fはカフェテリアを設けた。2階建て車を組み込んだ編成は、〔あおば〕から転用の車両も組み込んで16連となった。単独編成では今でも、JR東日本の新幹線では最長である。10月1日にはくりこま高原駅が開業。民営化後のJR東日本の新幹線では初の新駅である。
 翌1991(H3)年6月20日、東北・上越新幹線は難工事のすえ、ようやく東京への乗り入れを果たした。2階建て編成を組み込んだ編成は主に速達タイプの〔やまびこ〕に使用され、「スーパーやまびこ」とも呼ばれた。東京~仙台間はノンストップで最短1時間44分だった。
 一方、特に首都圏の通勤需要の増大などがあり、輸送力の増強が急務となりつつあった。1994(H6)年7月デビューのE1系は、新幹線初の全2階建て車両で、200系と比較して、編成あたりの定員が4割程度増加した。「MAX」の愛称を持ち、〔MAXやまびこ〕〔MAXあおば〕で運用についた。1997(H6)年には、分割・併合を考慮し、2編成併結に最大16連で運転されるE4系もデビューしている。
 1995(H7)年12月改正において、運行形態の大幅な再編が行われた。〔やまびこ〕は停車駅のパターンを大幅に変更、各停タイプの〔あおば〕は、削減が進んだ。1997(H9)年10月には愛称が行先別に整理され、開業以来の〔あおば〕の愛称が消滅、〔やまびこ〕に統一されている。1999(H11)年にはE1系が撤退、上越新幹線に転用された。

進む仙台圏の輸送改善
 在来線では、東北本線は、仙台近郊は既に電車化が相当進んでいたものの、純粋な近郊型は国鉄時代に導入された417系と717系のみで、他は、寝台電車583系を改造した715系と、普通電車に転用された急行型が主力で、ラッシュ輸送に適さなくなっていた上、老朽化が進んでいた。このため、民営化後初の交流専用近郊型719系が開発された。車体は211系をベースとした3ドアとなり、集団見合式のクロスシートが配置されている。1990(H2)年以降、東北本線の他、常磐線や仙山線と、仙台を中心とした路線に順次導入されていった。
この他、仙台近辺の各路線では、国鉄時代末期から新駅の開業や列車の増発が行われており、徐々に大都市圏の鉄道サービスを拡充させていった。一方で東北本線の福島県境を跨ぐ区間は削減も行われたが、高速バスとの対抗のため、快速〔仙台シティラピッド〕が仙台~福島間で運行されている。
 宮城電気鉄道を始祖とする仙石線は、東北地方では唯一の直流電化路線であり、平成の世には103系、105系が使用されていた。仙台~苦竹間は連続立体交差事業の対象となり、仙台~陸前原ノ町間は2000(H12)年、別線の地下線に移行した。仙台からはあおば通まで地下線で延伸し、仙台市営地下鉄南北線との接続駅としている。なお、仙台市営地下鉄との相互直通運転の構想は断念された。
 2002(H14)年には首都圏から205系が転入し、103系を順次置き換えていった。先頭車改造を行って4連化し、トイレの他、一部の編成ではクロス⇔ロングシートの転換を行える2WAYシートを設置している。2003(H15)年には一部編成が、宮城県出身の漫画家、故石ノ森章太郎氏の作品のキャラクターを描いた「マンガッタンライナー」となった。
2007(H19)3月18日、名取~仙台空港間に仙台空港鉄道が開業した。地方空港のアクセス鉄道は宮崎空港に次いで2例目、JR以外では初である。JRの新型近郊電車E721系500番台と同型のSAT721系が導入され、仙台~空港間でJRと相互直通運転を行っている。
 一方、仙台から離れた陸羽東線は、昭和時代には仙台から直通の急行も走り、山形新幹線工事中には寝台特急〔あけぼの〕の迂回ルートともなったが、現在は快速列車もなくなり、定期列車は普通列車のみの運行となった。小牛田~古川間の設定が多いが、近年は鳴子温泉を中心とした観光輸送に活路を見出そうとしており、2006(H18)年には山形県側と合わせて、駅名の一斉の改称を行った。2008(H20)年からは、観光列車「リゾートみのり」が、仙台~小牛田~新庄間で運行されている。

東日本大震災からの復興と 新幹線高速化
 2002(H14)年12月1日、東北新幹線は八戸へ延伸。E2系による速達列車〔はやて〕が新設された。大宮~仙台間ノンストップ運転を基本となり、東京~仙台間は約1時間50分で結ばれる事になった。さらに青森延伸翌年の2011(H23)3月5日、新車両E5系による最速達列車〔はやぶさ〕が運行を開始した。同系には最上級クラス「グランクラス」が設定された。ファーストクラス並の大型リクライニングシートに、専任アテンダントによる軽食やアメニティの提供などのサービスが提供される。東京~青森間2往復、東京~仙台間1往復でスタート。東京~仙台間は途中大宮のみ停車で、最速1時間35分にまで短縮された。この影で、開業以来の200系は、東北新幹線から撤退した。
 しかしその6日後、東日本大震災が発生。太平洋沿岸を大津波が襲い、壊滅的な被害をもたらした。宮城県だけで1万人を越す犠牲者を出したこの震災は、県内の鉄道にも甚大な被害をもたらした。沿岸の常磐線、仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線は津波の直撃により、列車自体が流出するなどの被害を受け、復旧まで相当な期間を要する事になった。
 常磐線は、浜吉田~相馬間の再開が2016(H28)年12月10日と、被災から5年以上の年月を要する事になった。駒ヶ嶺(福島県)~浜吉田間は内陸寄りに迂回するルートに変更、新地(福島県)、坂元、山下の各駅は高架線上の新駅に移転している。
 その前年の2015(H27)年5月30日には、仙石線・高城町~陸前小野間が再開していた。こちらも東名・野蒜駅付近は、山側に迂回するルートに変更されている。同時に、松島付近の東北本線と仙石線が併走する区間に連絡線を新設、仙台(地上)~石巻間を快速運転で短絡する「仙石東北ライン」が運行を開始した。電気方式が異なるため、専用のハイブリッド車、HB-E210系が導入されている。同区間は最速52分で結ばれる事になった。翌年には石巻線女川への直通も設定されている。震災前に快速電車が運行されていた仙石線はこの時点で、全列車各駅停車に統一された。
 石巻線も、最後の浦宿~女川間が再開したのは、仙石線再開の直前の2015(H27)年3月21日になってからであった。女川駅は内陸寄りに移転している。
 一方、気仙沼線(柳津~気仙沼)・大船渡線(気仙沼~盛)は、鉄道による再開は断念され、一部専用道を走行するBRT(バス高速輸送システム)に転換される事になった。2013(H25)年よりJR東日本自らが運行(地元事業者に委託)。当初は首都圏からの中古車両を使用し、後にハイブリッド・ノンステップ車を導入、また観光タイプに改造された車両も使用されている。本吉~気仙沼間では、EV(電動バス)も導入された。
 東北新幹線も被害が大きく、余震の発生もあって不通と再開を繰り返し、全線で再開したのは4月29日であった。震災前のダイヤに復帰したのは同年9月23日である。
 その後、E5系と秋田新幹線E6系の導入が進み、〔はやて〕の〔はやぶさ〕転換が進んでいる。2013(H25)年改正では、最高速度の320㎞/hへの引き上げにより、東京~仙台間(上野・大宮停車)は最速1時間34分にまで短縮されている。E4系の撤退もあって、東北新幹線は全体的に所要時間が短縮された。航空との競争や2016(H28)年3月26日の北海道新幹線開業もあり、東北新幹線は、スピードアップに施策の中心が振れる事となる。
 平成になった時点で、在来線の昼行特急は、常磐線からの特急〔スーパーひたち〕のみとなっていた。山形新幹線工事期間中には〔つばさ〕の仙台発着もあったが、福島県内の常磐線の不通が続いている事もあり、〔カシオペア〕廃止以降の宮城県内は、在来線の特急・急行がない。

伸びる地下鉄と 消えたローカル鉄道
 仙台市営地下鉄南北線は、1992(H4)年7月に八乙女~泉中央間が延伸開業した。当時の泉中央は泉市にあり、越境の開業となったが、同市は翌年、仙台市に編入され、泉区となっている。震災後の2015(H27)年12月6日、東西線が全線で新規開業した。日本で最新、平成の世では最後の地下鉄新線の開業であり、大阪市・東京都・神戸市・福岡市・横浜市に続く6都市目・7路線目のリニア地下鉄となった。終点の八木山動物公園駅の標高は136.4mで、地下鉄の駅としては日本最高所に位置する。広瀬川橋梁区間など一部では地上に出るが、リニア地下鉄の地上区間は、橫浜市営グリーンラインに次ぐものとなった。
 阿武隈急行は、かつて東北本線のバイパス機能を期待されて計画されたものの、特定地方交通線に指定された丸森線区間を残して工事が凍結された区間を、丸森線も含めて昭和末期に転換・開業した第3セクター鉄道である。朝夕には仙台への直通列車が設定され、土休日には1往復に〔ホリデー宮城 おとぎ街道号〕の愛称が与えられる。JR東日本E721系ベースの、新車両の導入が予定されている。
 栗原電鉄は、貨物輸送は昭和末期に廃止されており、鉱山への貨物専用区間は廃線となっていた。観光客誘致をもくろみ、1990(H2)年には細倉駅を移転する形で、細倉マインパーク駅を貨物専用路線跡に新築、200mではあるが旅客路線を延長している。その後、鉱山経営企業の撤退により、1995(H7)年4月、地元自治体等出資の第3セクター鉄道、くりはら田園鉄道に転換された。コスト削減のため電車運転を取り止め、鉱山の町をイメージしたDCに転換。新駅設置など企業努力に努めたが、旅客の減少に歯止めが掛からず、結局2007(H19)年3月を持って廃止となった。若柳駅の跡地には、「@くりでんミュージアム」がオープンしている。くりはら田園鉄道の廃止により、宮城県内から純ローカル鉄道は消滅した。

 データ編は次回です。

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《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
11日 タイ東部 踏切で貨物列車とバス衝突 バス乗客ら18人死亡
(岸和田だんじり祭 引き回しは中止 神事のみ)

 踏切事故の動画は生々しいですね…。見た限り、一旦停止はしていなかったように見えました。少なくとも3線ある幹線のようだが、遮断機はなかったという事。